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拙著『玉隠と岩付城築城者の謎』の最終章で、私はある詩に出会い、自耕斎詩軸并序の読み解きの旅の終わりを宣言しました。現実にその瞬間が訪れたのは、2020年9月1日でした。石川忠久(1998)『新釈漢文大系111詩経中』(明治書院)にて、小雅の一詩を詠む。大いなる田と共に生き、豊かな恵みの中、子孫繁栄を信じる悦びの詩。2020年9月1日18時30分、全てのピースがここに揃いました。pic.twitter.com/d5aB8V3a5I—太田資正と中世太田領の研究(資正研)
以下も、拙著『玉隠と岩付城築城者の謎』において、頁数の関係で掲載できなかった考察です。玉隠と岩付城築城者の謎(自耕斎詩軸并序を読み解く)Amazon(アマゾン)1,980円↓↓↓以下、「である調」に変わります↓↓↓「苗裔顕泰」に隠されたもう一つの意味「自耕斎詩軸并序」では、岩付城築城者「自耕斎」の子として登場する「岩付左衛門丞顕泰」であるが、別の段落では自耕斎の「苗裔」と表記されている(一家機軸、百畝郷田、付之於苗裔顕泰也)。(参考)自耕斎詩軸并序の全文『「自耕
拙著『玉隠と岩付城築城者の謎』(まつやま書房)では、室町時代後期の高僧・玉隠英璵(ぎょくいんえいよ)が書いた漢詩文「自耕斎詩軸并序」(じこうさいしじくならびにじょ)の精読を行いました。玉隠と岩付城築城者の謎(自耕斎詩軸并序を読み解く)Amazon(アマゾン)1,980円さいたま市に城址を残す戦国の城「岩付城」(江戸時代以降は「岩槻城」)の築城者「自耕斎」のことを称えたこの漢詩文。日本中世史の大家・黒田基樹先生は、この詩文を根拠として、岩付城の築城者は、忍(行田市)の成田氏であ