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今日は、「即答キーワード」で答える歴史人物『板垣退助』編です。【板垣退助よく出る説明文】・土佐藩(高知県)出身。・明治新政府の要職につくが征韓論がやぶれて政府を去った。・1874年に民撰(選)議院設立の建白書を出して自由民権運動を始め、1881年に自由党を結成した。板垣退助の即答キーワードは『土佐藩自由民権運動自由党民撰議院設立の建白書』です。この4つを頭に入れましょう!では、実際に出題された問題で確認してみましょう!赤字が即答キーワードです。----
『宮地佐一郎「龍馬の手紙」(1995/2003)』【作品解説:「講談社BOOK倶楽部」より引用。】『龍馬の手紙』(宮地佐一郎):講談社学術文庫製品詳細講談社BOOK倶楽部動乱の幕末、激しく逆巻き流動す…ameblo.jp『高知県立坂本龍馬記念館「龍馬書簡集」(2006)』今朝の記事『宮地佐一郎「龍馬の手紙」(1995/2003)』【作品解説:「講談社BOOK倶楽部」より引用。】『龍馬の手紙』(宮地佐一郎):講談社学術…ameblo.jp『外川淳「坂本龍馬手紙に見
伊達政宗歴史館なのに河野広中の展示があった。河野広中像は、福島県庁前に立っている。最初に見た時は荒井広幸参議院議員に案内された2016年だった。それまでは知らなかった。日本で最初の県議会はこの福島県会だったと言う。政党政治家、自由民権動家。三春藩の郷士生まれ。自由民権運動の指導者として活躍。福島県会議長の時、福島事件で入獄。のち衆議院議長や農商務相を務めた。現在は福島県石川町である石川区長の頃、板垣退助の愛国社結成に参加。東北地方で自由民権運動を始める。明治
時刻はもうとっくに午後5時を過ぎていますが夏も近く日が長くなり夜の暗闇はまだもう少し遠くいろいろまわれそうなので太陽の光がゆるすまでいろいろな場所へ行ってみようと思います。あきる野市の深沢の深沢家屋敷跡の近くには真光院さんという山間のお寺様があってそちらにも寄ってみることにしました。空が絵にかいたようなこんな綺麗な色でこの青空の下に自
花粉症のほうは、まあまあの状態になった、とか歯医者に通い始めた(そのため、突然の激痛の発生は避けられそう)などと言ったことは既に、このブログに書いた。(どうでも良いような、『個人情報』ではあるが…。)ただ、現在直下の状況で言うと、『やらなければならないこと』がいろいろ重なってしまい、多少、パニック状態?に近い状態だ。(大学と高校に進学した孫娘たちに対しては、『出来る範囲のことを着実にやっていけば良い』などと偉そうなことを言ったりしているのだが、自分自身は、その『真逆の状態』である。)
今日は出勤前に、桜の標本木のある高知城を登ってきました。自由民権運動の指導者の板垣退助の像です。昔、100円札があった時代に書かれていた人です。土佐藩の藩主の山内一豊の妻の像です。頂上付近から見た高知城です。お花見の準備も出来ていますね。桜の標本木の所までやってきました。遠目では、まだまだのように見えますが、よく見ると何本かの桜は花を咲かせています。開花も近いですね。今週末は人事異動の発表、そんな時期になりました。
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早朝外気温氷点下10度日中の外気温氷点下3度空気質25おはようございます。北海道苫小牧(とまこまい)市、『霊観占い大幸』代表の峰ゆり子です。今日も御縁を授かり感謝いたします。また、いつもブログをご支援くださいましてありがとうございます。我が家の昨日の献立↓洋風おでん、カボチャのポタージュチキンのレモンソース・パスタサラダおやつの焼き芋(笑)↓今日は2月2日です。「2・2」は「夫婦の日」って結構知られていますが、「他に何かあるのかしら?」と思って今朝調べてみましたら、
帝国憲法も制定され、第1回の、つまり初めての選挙が行われます。そして、議会にが開かれるのですが…明治政府にとっては苦難の道を歩むことになります。まず、衆議院ですが、帝国憲法により、予算案を衆議院に提出しなければいけない。いうモノがあります。実はこれが、帝国憲法が出来て、ヨーロッパ諸国に見せたところ、これはやばいぞ!こんな権限持たせたら、にっちもさっちもいかないぞ!と危惧され、ここは止めた方が良いと言われた根拠だったのです。予算を通すためには衆議院を通過しなければならないということですが、逆を言
さて、このほど東京都公文書館を訪ねるのに背中を押された企画展「東京府文書にみる多摩と東京―多摩地域東京府移管130年―」を覗いてみることに。常設展示室自体がさほど大きなスペースではありませんので、その奥にある企画展示室もまた同様に。ただ、地元だけに興味ある内容だからでもありましょうが、展示解説を「ふむふむ…」と見てみたものでありますよ。展示の副題に「多摩地域東京府移管130年」とありますように、明治になって廃藩置県が行われ、県単位の地域割りがなされる中で、端から多摩は東京に
<ドラマミスターサンシャイン>ワンポイントコラム<韓国朝鮮歴史のトリビア>独立協会と万民共同会近代史で触れましたが、1896年〜1898年に我が国でも自由民権運動が吹き荒れました。今回はその運動を主導した「独立協会」と、その影響を受けながらソウルで起こった自由民権運動で有る「万民共同会」運動について見たいと思います。まず「独立協会」ですが1896年7月に設立された社会政治団体です。<リサンジェ>リサンジェ李商在、ナムグンオク南宮檍と、その後親日
ご来訪ありがとうございます…昔…昔…多摩は神奈川県だった…もし…今も神奈川なら…人口は逆転していました…https://www.tokyo-np.co.jp/article/291129え、多摩って神奈川だったんですか!?明治時代の20年余り東京移管の理由は「コレラ」「自由民権運動」:東京新聞TOKYOWeb東京都の面積の半分を占め、都民の3分の1が暮らす多摩地域。その多摩が、神奈川県だった時代がある。今から1世紀半前、明治時代前半のことだ...www.tokyo-np.c
明治14年の政変を受け、ええかっこしいの大隈重信と板垣退助は明治政府から追放されます。そして、明治政府は国会開設の勅諭を行うことを約束します。これは10年以内に国会を開設するということです。明治天皇の命令ですから、日本国民は誰も文句が言えません。ここで、スタンドプレーの大隈重信と、政権与党に返り咲きたい板垣退助はそれぞれ、政党を作ります。大隈重信は立憲改進党。板垣退助は自由党です。自由民権運動が生まれ、活発化していきます。立憲改進党の支持母体は都市の知識人。自由党の支持母体は田舎の地主です。こ
明治政府の大論争は政治機構をどうするのか?という点です。これが明治政府発足からの大論争でした。憲法をどうするのか?内閣をどうするのか?議会をどうするのか?という国家の重大ごとを延々と論争していました。西洋諸国の猿真似をしないように、日本独自のやり方をじっくりやろうというのが主流派の考えではありました。何しろ、日本には憲法も内閣も議会もありませんでしたから、初めからの立ち上げです。ここは慎重に事を進めるのが筋なのですが、そうは考えない人も出てきます。内閣が出来る前は明治政府のメンバーは維新の功労
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。『満州国成立の経緯と其国家機構に就て』(陸軍省調査班)昭和7年刊売価4,400円『第二次世界大戦中の米英ソ秘密外交書簡英ソ篇』ソ同盟外務省編川内唯彦・松本滋訳1958年、大月書店刊売価3,500円『民権自由之泰斗木内宗吾』(渡邊治三郎)明治35年、豪傑堂刊、初版売価2,000円『独裁東條英機―中野正剛ノ自殺真相・英政府ノ和平申込―』(福田寛)昭和21年、コスモ書房刊売価1,100
こんにちは!オカモノです自由民権運動の展開についてまとめました流れをしっかりつかむのが大事なところです民権運動の開始1874民撰議員設立の建白書の提出75立志社設立(板垣退助・片岡健吉)愛国社設立(板垣退助)大阪会議⇒木戸孝允と板垣退助、参議復帰漸次立憲政体樹立の詔⇒懐柔讒謗律、新聞紙条例制定⇒弾圧民権運動の拡大1877立志社建白提出1878愛国社再興1880国会期成同盟結成集会条例
今日は2023年10月17日(火)です。僕は旅番組が好きです。今朝は関西テレビの「よーいドン」を見ました。その中の旅のコーナーは今回は高知県でした。麒麟の田村さんが大阪の長居公園で誘った2人のご婦人を連れて高知の旅に出かけました。========僕は徳島の出身です。何度か高知に行った事が有ります。懐かしいので振り返って見ました。過去記事です。↓==================僕も高知は何度か行きました。懐かしいの
小田急町田駅→菅原神社→七国山→鶴見川→自由民権資料館→鶴川駅町田駅北口から出るのが近い。鎌倉街道は地図で見つける。(菅原神社)室町時代に大沢一族が天神像を奉安。1630年に子孫の大沢玄藩が新たに天神像が奉安し菅原神社が建立される。この地は、中先代の乱の古戦場で鎮魂の意味もあったかも(神社HP)。拝殿は高台にある。よくみると湧水らしきものも見られる。拝殿七五三参りでにぎわっていた。(井出の沢古戦場)菅原神社は、井出の沢古戦場内にある。1335年、鎌倉街道の所要地であ
今日は明日の講演会の準備に追われています。自由民権運動会津遺族会が主催した「自由民権運動を学ぶ講演会」の講師を務めることになっているからです。午前9時半からで会場は喜多方プラザ第三会議室。演題は「自由民権運動と喜多方事件」です。喜多方事件について調べるようになったのは、ここ数年のことです。色川大吉あたりの本を読んで「激化事件」として考えていましたから、それが日本政治史の中で、どのような位置づけになるかは考えてこともありませんでした。県内の雑誌社「財界福島」から連載を頼まれて調べてみたら
<ドラマミスターサンシャイン>第6章朝鮮の人物-56近代7独立協会と万民共同会リサンジェ李商在1896年〜1898年に我が国でも自由民権運動が吹き荒れました。今回はその運動を主導した「独立協会」と、その影響を受けながらソウルで起こった自由民権運動で有る「万民共同会」運動を主導した人物について、特にリサンジェ李商在を取り上げたいと思います。まず「独立協会」ですが1896年7月に設立された社会政治団体です。<リサンジェ>リサンジェ李商在、ナムグン
地方自治体の図書館や学校の図書室は数十年前の本が置いてあることも多い。私が通っていた小学校の図書室もそうであった。休み時間に、本棚に並んである古めの本を流し読みしていると、「口がきけない」というフレーズが目に入った。文脈などから「話したり喋ったりすることができない」という意味だろうと類推できたものの、このフレーズは私を困惑させるのに十分だった。「『きけない』って『聞けない』ってカンジだよな。でも耳じゃなくて口となっているんだよな・・・」と疑問符が湧いた。中学に入ったあたりで「口が利く」
『他者の視線や脅威から、自己の姿を知るということ』ボヤッとしていた自己の姿を明らかにしてくれるのは、他者からの視線や脅威なのだと思います。ファナティックなまでのナショナリズムは、実は国家を攻撃していた人々によって形成されたもの?まあ徒然と書いているだけなので、ぼんやりしたもんですが。お付き合いいただければ幸いです。他者の視線や脅威から、自己の姿を知るということ。|mahal(マハール)今日も比較的のんびりと楽しく一日を過ごせました。楽しみにしていたSchottのレザーカーコートも無事
67.松方財政と農村松ヶ島永井家の資料より松ヶ島地区の資料を所蔵する永井家(1960年代末)今回は市原市松ヶ島地区の旧家に残されている資料から松方財政期を中心とした農村の動きを、地主制の進展と徴兵制の実際の二つの観点に絞って概観していきます。・地主制の進展まずは地主への田畑の集積具合を当時の地券(裏側)の記録から探ってみます。永井家は江戸時代から名主を歴任したこともある旧家で、幕末には質屋も営んでおり、土地や金銭の貸借関係の文書がわずかながら残されています。松方財政期の
七転び八起きは、歩みの経験において避くべからざることである三宅雪嶺(1860年-1945年)三宅雪嶺(みやけせつれい、1860年7月7日〈万延元年5月19日〉-1945年〈昭和20年〉11月26日)は、日本の哲学者、国粋主義者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎。ウキペディア今日の単語回向[えこう]名詞仏自己が行なった修行や造塔・布施などの善行の結果を,自己や他者の成仏や利益りやくなどのために
沢辺有司著彩図社いつ、どこで、だれが、何をして、どうなった5つのポイントで日本史の流れが一目瞭然!大人の学び直しにピッタリざっくりと読みながら思い出していく。それがこの本の良いところ。意外と知らないこともたくさんあって、昔、勉強してたんか?と、自問自答してしまう。そんな私にはぴったりの参考書でした!
「啓蒙活動というわけですか?」と柳が笑う。「そう、板垣退助の自由民権運動みたいなもんだ」私は笑った。「ハ、ハ、会長さんはヤッパリ器がデカい」高遠君も笑い出した。冗談がこんなに受けるとは思わなかった。やはり東大は恐い。板垣退助を知っているということだからな。だけど、私は気を良くしていた。「ま、結果がどうあれ興行は続けていくつもりだからよ。不定期だけどな。よろしく頼むな」と私は柳を見ていった。彼とはどうしても親交を深めたかった。なにしろ、白水の会の幹部である。実行委員の高遠君と同
こんにちは〜今日もうだるような暑さです皆さま、熱中症対策は万全ですかくれぐれも無理なさらず、少しでも涼しいところでお過ごしくださいね〜さて、昨日の記事の続きです昨日、喜多方市の出雲大社御分霊社を後にして向かったのは、そこからほど近いこちら〜喜多方市の〜出雲神社です境内に何台も車が止まっていて、なにか社務所の方で行われていたようでした私達も車を境内に停めさせていただき、一の鳥居から入り直します手水舎龍神さま水が出ていないねぇ……と主人と話していると、車を降りてきた女性の方が
金は人生の手段であって目的でない。多少見識のあるものは皆これを知っているが、年を取ると、これを目的とするようになる三宅雪嶺(1860年-1945年)三宅雪嶺(みやけせつれい、1860年7月7日〈万延元年5月19日〉-1945年〈昭和20年〉11月26日)は、日本の哲学者、国粋主義者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎。ウキペディア今日の単語憧憬[しょうけい]名詞あこがれること。あこがれ。どう
明治維新という体制変化は徳川幕府を倒したうえで、天皇を君主として西洋列強に張り合えるように改革を行うものである。多くの討幕派の侍たちは西洋文化に憧れて踊らされたわけではなく、純粋に「尊王攘夷」を掲げて戦った。攘夷であるにも関わらず、日本は多くの西洋文化を自主的に取り入れる。勝つためならば真逆の物を受け入れる現実主義的な考えを当時の人間にできたのは驚きではないか?現代人であっても保守的な人間は路線変更を嫌うというのに、開国自体は江戸幕府がペリー来航の折に果たしており、その後の幕府の対
<2022年9月6日>早朝散歩で訪れた「福島県庁」。裏手にある「杉妻稲荷神社」や「板倉神社」を見て、元々はここが福島城で、その昔は杉妻城とも呼ばれており、板倉氏が統治していた時代があったことを初めて知りました。それらの名前を冠した「福島城板倉会館」もありました。「県議会百年」の巨大な記念碑。大きく手を拡げた銅像があります。姿かたちや髭の具合から、てっきり「板垣退助」と思いきや、「河野広中」という方の銅像でした。板垣同様自由民権運動で活躍した方のようで、福島県内では三