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お正月になると、『百人一首』が付き物でした。近所のおばちゃんに読み手になっていただき、ずいぶん楽しませていただきました。こんな感じのかるた会なのです・・・・・・ちょっとご紹介させていただきましょう。和泉式部の娘さんである小式部内侍はお母さんに似て大変な才能の持ち主でした。ある時、誰かから「あなたの歌はうますぎる。お母さんがつくっているのではないか?」と嫌味を言われたのだそうです。その時、彼女は少しも慌てず、とっさにこんな詩を詠
先日、誕生日を迎えました。この歳になると、あまりうれしくはありませんね。一句浮かびました。・・・・八十路(やそじ)来てはるかな地平拝みたり・・・次いでに十年後も・・・・九十路(くそじ)だぞええ加減にせえくそじじい・・・2028年、お会いするのを楽しみにしています!*近藤洋一「“偶然”におまかせ!楽々シンクロ人生のすすめ」ヒカルランド日常に起こった出来事から「シンクロニシティ(共時性:意味のある偶然の
21世紀を間近に控えた1990年、私どもトータルヘルスデザインは「美と健康、そして“気”」をテーマとする会社としてスタートいたしました。健康というと、細胞や臓器など身体の部品をととのえることがテーマとなる、そんな時代でした。そして今、身体全体に宇宙根源のエネルギーを円滑に流し、元気な心身を創造することが求められる時代がやってまいりました。宇宙いっぱいに広がる無限の『虚空』につながりイノチのエネルギーで心身を満たすこと、すなわちイノチのエネルギー
私たちの大切な・大切なイノチは、宇宙根源の『アマ』から『アマウツシ』を通して継承され、“私の内”に宿っている。そのイノチからにじみ出てくる叡智こそが“魂の美しさ”なのかもしれない―――前号、前々号では、そんなカタカムナの叡智についてご紹介させていただきました。人が生まれる日を誕生日といいますが、誕という字には『いつわり』という意味があるそうです。そしてあの世に還る日を『命日』と呼んでいます。死ぬ日が“命”になる日で、生まれてくる日
日本人の祖先である上古代のカタカムナ人は、この宇宙や自然を創り上げている「根源のイノチ」のことを『アマ』と呼んでいました。光も時間も空間も、そしてエネルギーも力も、すべてが『アマ』から発生しているというのです。そして『アマ』の息吹を受けることを『アマウツシ』と呼んでいました。土地には、住み心地の良いイヤシロチ(弥盛地)と住み心地の悪いケカレチ(気枯地)があることが知られています。イヤシロチで生活すると、生命エネルギーがたっぷり降り注ぐので、明るく元気でイ
京都市北区の元町小学校3年生の時のことです。写生をすることになり、クラス全員が加茂川の西岸に座って、川向こうにそびえる比叡山を描いていました。私は、比叡山と空との境界には、色を塗らずに空白のままにしていました。私の描いた絵を見て先生は「近藤さん、こんなところに白い景色はないでしょう」と注意をされました。言われてみると、その通りなので、その部分を空色に塗りつぶしたのですが、全く実感が湧いてきません。空白にしておいた方が自然な感じなので
もう20年以上前のことになりますが、ある時、立花大敬先生のお書きになった「しあわせ通信」が舩井幸雄先生のところに届けられました。舩井先生が講演会で、そのことを話しておられるのを聞いて、興味が湧いてきました。そこで九州に行く度に、立花先生に電話して、ホテルのロビーでお会いし、いろんな話をお聞きすることができました。そこで、私どもの情報誌に「しあわせ通信」を連載させていただくことをお願いし、それ以来ずっと続けさせていただいているという次第です。
『心で思っていることが、何もしていないのに、そのまま現実となって現れた。偶然とは思えないくらいだ』・・・なんていうことを経験することがありますね。シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言われている現象です。もうずいぶん昔のことですが、こんなことがありました。会社の事務室から自宅に電話しようと思って、ひょいと窓の外を見ると、たまたま知人が買ったばかりの新車に乗って、駐車場に入ってきました。ふと、その車のナンバーを見ると、いまかけようと思って
こんにちは!あれからもう19年が経ちました。私の家の前の空き地に、可愛い子猫が捨てられていました。そして、たまたま通りかかった妻と息子の後ろからついてきて、玄関のドアを開けると同時に入ってきたというのです。そんなことも知らずに家に帰り、椅子に座っていると、ピョンと私のひざに乗ってくるではありませんか。その人懐こさにビックリしてしまいました。「我が家で飼ってやろう」ということになり、キーちゃんという名前を付けてやりました。
エルトゥールル号の沈没をめぐって1890年(明治23年)9月16日、和歌山県串本町大島の沖の岩場で、トルコの軍艦『エルトゥールル号』が台風のため座礁し、沈没するという事件がありました。このとき、50戸、400人の大島村の人々が総出で救助に当たりました。650人いたと伝えられる乗組員がどんどん死んでいくなか、助かった人々も寒さのため体が冷えて、生きる力もなえてきました。村人たちは、裸になって乗組員たちに自らの体温を伝え、生きる力を与えたのでした
こんにちは(^▽^)/1983年のことです。キース君というアメリカの高校生を我が家でお世話していました。ホームステイですね。明くる年、ご両親が来日され、お礼がしたいとおっしゃって、京都駅前のホテルでステーキをごちそうになりました。食事が終わって、私たち夫婦と当時8歳の息子、4歳の娘の4人は近鉄電車に乗って我が家に向かうことになりました。少し空いた席に、眠りかけた息子を座らせ、小さい娘を私たち夫婦の間に立たせ、わたしは『百番目のサル
こんにちは!株式会社トータルヘルスデザインの近藤洋一と申します。ある日のこと、娘から唐突に「ブログでもはじめてみたら?」と言われました。スマホも持たず、携帯のメールすらできないしないのですがおもしろそうなので始めてみることにいたしました。どうぞよろしくお願いいたします。せっかくですので、今日は、なぜ私の愛称がジミーなのかを書かせていただきます。ジミーと呼ばれて60年1990年、トータルヘルスデザインという会社を創業しました。