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沖縄県は日本で唯一の戦地になってしまった場所。これ以上ない苦しみを味わい、生きた心地がしない日々を過ごさざるを得なかったからだ。ひめゆりと言われた女生徒が自決を選んだりして亡くなられてしまう事態に。軍隊も本当に庶民にはかなり八つ当たりをしていた部分があったよね。本当にアメリカ軍が沖縄で勝利をしていち早く沖縄県は終戦となったのでした。昭和20年6月23日の出来事。
日本にダグラス・マッカーサーがやって来て、GHQによる日本の接収が始まり、このような流れになった理由を突き詰めるがごとく、A級からC級まで選定に入ったよね。当時の中枢どもが偉そうにしていられるのは庶民感情からしても憤りを覚えるからな。特に許せなかったのは、間違いなく東条英機だよね。太平洋戦争に突入した時の内閣総理大臣だから。それだけじゃなくて。国民を独裁レベルで震え上がらせてきたのも。不利な情報を記事にしただけで懲罰徴兵をしたくらい
1945年の8月15日の終戦を契機に、次々と変わったのは間違いない話だよね。平和な国家を築く為に色々と動き出したのが73年前の今頃だよね。GHQがやって来たのも。そして、軍部の中枢やらが次々に自決したのもね。もう犯罪者に仕立て上げられるのが目に見えていて、生きてられないとばかりに自殺したんだろうね。かなりいい思いをしたんだから逃げんじゃねぇよって気分だったはずだよね。理不尽な仕打ちを受け続けた国民からしたらね。
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう白虎隊の日は8月23日。1868(明治元)年のこの日、白虎隊が飯盛山で自決した日なんですね。十代の若者たちで構成され戦況を悲観して自決という悲劇の部分にインパクトがあって、それ以外のことはあまり知らないかもしれません。そもそも白虎隊とはどんな組織だったのでしょうね?子供に聞かれる前に調べておこっと•••それと白虎隊の日の由来にもなった、飯盛山での自決や白虎隊の生存者につ
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう勿論知ってますとも。飯盛山の頂で自決した話は有名ですな。今では考えられない出来事ですよ。小学校の修学旅行でガイドさんから話を聞いて、更には学校に戻ってからも調べた記憶が・・・。それ以来福島には行ってませんが、また行きたいですね。
過ぎた日本の歴史の数ある中で「白虎隊」は辛くて哀しくて切ない。今から10年前位にどうしても飯盛山に行きたくて旅をした。汗のかかない夏だった。白虎隊士像に触れた時どうした訳が涙が止まらなかった。(思い出しては今も涙です。)自分の子供よりもっと幼い少年が会津藩のために戦い、傷つき自決した。「城が燃えている!」目の先に見えた光景を見つめる哀しげな少年の像が今も心に焼き付く。150年が経った今、こんなオバサン、幸せなはずなのに何だかイライラ⚡⚡「更年期」なんて時はとっくの
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう天皇軍に刃向かう会津藩の若い人々情報不足で敗れたと勘違いして自決した
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう昔、遥か昔に習ったけど、、┐(-。ー;)┌知ってはいます。ワタシにとっての『衝撃的❗』な【自決】は【三島由紀夫】さんの自決、、当時、まだ、小学生でした。ーがあの、生々しい映像、報道は『昭和』の事件のトップテン入りしますね!【楯の会】を発足して自衛隊市ヶ谷駐屯地に立て籠り、(クーデター)演説する凛々しくも切迫して軍服着た三島由紀夫氏の姿❗その後の『
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日二度目のブログです☆*゚゜゚*☆*゚゜゚*!皆さんは、白虎隊って知ってますか(≡^∇^≡)私も歴史やたらと詳しい方じゃないので詳しくは知らないんですが・・・とにかく勇敢な少年達、ってイメージは有ります。自決したのは悲しいです。確か、二本松の鶴ヶ城だったんですよね(‐^▽^‐)(記憶違いだったらごめんなさいm(__)m!)東北のお城やお寺に
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう聞いたことは、ありますが…詳しくは?若い男の子ですよね??自決した⁉️?多分!歌も、ありますねー
1868年白虎隊が飯盛山で自刃した日。白虎隊って知ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう詳しくは知らない立地的に城との距離が違っていたら自決はしなかったんだろうな
両親も戦争を体験していない若者が戦争を書き芥川賞を受賞。20代の兵士の目線で傷病兵を収容する野戦病院などの様子を描いています。死が日常となった現実は、まるでそよぐ風で鳴る風鈴のようです。タイトルの「指の骨」の意味は・・・・果たしてこれは戦争だろうか小銃も手榴弾も持たず殆ど丸腰で、軍靴の底の抜けた者は素足で、熱帯の黄色い道をただ歩いているだけだった。米軍機も頭上を素通りするだけで、我々は誰と戦うでもなく、一人、また一人と倒れ朽ちていく、これが戦争なの
島唄の意味を初めて知りました。でいごの花が咲き風を呼び嵐が来た→1945年4月1日春が訪れ沖縄本島に米軍が上陸したでいごが咲き乱れ風を呼び嵐が来た→4月から6月米軍の侵攻が続いた繰り返す哀しみは島わたる波のよう→米軍の残酷な殺戮は寄せては引く波の様に繰り返されたウージの森であなたと出会い→サトウキビ畑で出会ったあなたウージの下で千代にさよなら→ガマ=鍾乳洞=防空壕の中で永遠のお別れをした島唄よ風にのり→島唄よ海の向こうの本土まで届けておくれ
「アメリカの青年達よ。東洋には、すばらしい国がある。それは日本だ。日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたらやがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!」硫黄島での戦いの時に第五艦隊司令長官としてアメリカ海軍を指揮したレイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉です。彼は戦後、この言葉を伝えるべく全米各地を公演して回りました。彼が、このように日本の事を言うようになったのは次のようなエピソードがあったからです。
ヘルパーさんの日。施設の昼食会の日。思ったより片付いた、というか、スペースができた。施設の昼食会さんでは、何故か、一つだけ、大きめのどんぶりさんがあったので、三倍?くらいに盛って、完食した。あの飯さんは美味かった。で、友人と音楽を聴いたりするのだが、もう、何を聴いてるのか、分かんないくらいに聴いていて、自分で感心する位に、聴いている。やっぱり、凄い人たちは、凄いよなー、と呆れながら聴いている。気がついたら、目が覚めて、うーん、あのご飯さんをもう一度食いたいよなー、とかいう始末。暖かいご飯さん
男に二言は無い(ヾノ・∀・`)の、勘違いジジイめ😒ゴッドファーザーの主題歌が笑われる音楽になるわ死ぬ死ぬ言うやつほど死にゃしないの法則😝