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ナニが悪い。その方は私にとって他人ながら一番一番優しくしてくれた私と同じうつ病でした睡眠障害もひどく繊細で頭がよくて人に絶対嫌な思いをさせない方でしたしかし自決私も自決ときめましたしかしまだ生きていますその方と根性も病も違うと気づきましたぼちぼちやればいいけん無理なんかする必要ないけんどんなに苦しくても痛くてもその方がいてくれたから生きてこられたその方の40年間私の20年間の精神疾患を今苦しんでいるかたに文字にし和らげてあげたい
平成最後、なにする?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう§’’*;§特に何もする気はないけど…テレビ見ながら平成最後の日をボーッっと見つめるのだろうなぁ…そして⸜§*॑꒳॑*§⸝⋆*昭和生まれの姐が平成ジャンプで令和に来たなのどうやら平成にカレカノとか結婚とか出来なかったのを平成ジャンプと言うらしいwww友達は出来たけどね…とにかくジャンプでもしようかなぁ…姐の大好きな甲斐よしひろ氏がバイキングでジャンプするって言ってたし甲斐
自分でも本当にわかっています受け入れなければ進歩しないわかっています誰かがなくなった時引きずる感じです本当に心から好きだった大親友の裏切り金貸して逃亡それはいい一言謝りの電話がないのが裏切りそして大親友ができそのかたの自決どうしても受け入れなけれれない僕の唯一なんでも話せるテレビの中を走ってくれた人でしたそして母の死語れないそこに大罵声の嵐受けいれる余裕はなかったいまも4つ以外にある心の痛さ男らしくないだろうでも心を今解放する人にはな
1945年8月15日日本は第二次世界大戦の敗戦国となった。そのわずか数ヶ月前、敗戦色が一層濃くなった頃、唯一の本土決戦となる沖縄本土では15歳から19歳の大勢の女子が招集され野戦病院で看護婦たちと共に兵士ら負傷者の世話に当たった。さらに戦火が激しくなり、敗戦を悟るかのようにリーダーが解散を言い渡し自ら自決。その後、戦火に放り出された女子たちは、自決を決断する者、戦闘で命を落とすものなど、悲惨を極める。それは、解散後の死者の方が多くなったことが物語っている。194
小さい頃読んだ白虎隊の飯盛山での自決に感動して中学校の時に青春18切符で伊勢から会津まで鈍行列車に乗って行きました。以降も大学、社会人と震災前まで5度ほど訪ねました。街並みも好き。飯盛山訪問時に白虎隊自決者の中1人生き残った飯沼貞吉という人がいて、維新後に偉くなったということ聞いて興味を持っていました。しかし飯沼貞吉さんの人生は生き残った人にしか理解できない苦しさに満ちたものでした。明治維新の元会津藩士としてのつらさと会津藩内での生き残ったことでの孤独
『令和!!』§’’*§いよいよ昭和、平成、令和…明治、大正、昭和みたいな感じになるんだろうなぁ…§๑*ㅁ*§トホホ…何か歴史の証人になった様な…まぁ4月1日…姐はテレビに張り付き新元号を待ってたのだけど…_§oωo_[▓▓]血圧が上が80で下が65だったので布団の中ですわwww✧\§*°∀°*§/✧バンザーイってやって昼から低アルコールの酎ハイ飲むつもりが…_§´ཫ`*_)⌒)_←とても飲める状態じゃありませんでした近頃低血圧が続いてて…で血圧の薬
大阪公演が迫りました蝶々夫人は2016年に上演された演目のひとつですが、今回はレビューを主としてあるのでしょうか。楽しみです。前回の2016年のときのブログを探してみると、蝶々夫人の物語を勉強させてもらって、やっとあらすじが理解でき、蝶々さんが自決する訳がわかってきました。令和の人たちにも、蝶々夫人の物語がわかってもらえたら長崎県人の喜びです。みんなの回答を見る
戦争を知らずに育った自分にはとても重たいお話ですが戦争で犠牲に成った若者達の母国を想う思いに答えるべく生きてるか考えたいものです❗自分の言論や意志を自由に表現できる時代に生きれる事の感謝を戦争で亡くなられた犠牲者に捧げます🙇🎌ひふみ塾様のリブログ一読オススメです
今日はテロ昨日は自決ストーカーなどなどで本当に行き先を教えてほしい事柄も何も教えてくれなくなった世の中この先生は今どこの教師をされてますか命懸けでよくしてくれた看護師さんはどの病院に変わられましたかなどなど個人保護法か何か知らないがまっとうに知りたくても絶対教えない理由は分かるがこれではマンションアパートなんか作りすぎて他人他人の世の中が広がると思います
厳島神社で不思議な体験をしつつ、厳島神社横に、ぽっかりと口を開けている洞門があります。これは、猪苗代湖の水を、会津地方に引くため掘られた洞穴で、戸ノ口堰洞穴。猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら20名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約150メートルの洞穴を潜り、命からがら、飯盛山の中腹へと至った。主君の御城、鶴ヶ城の安否を確かめんとする一心で、冷たい水が容赦なく流れる洞穴の中を、身を屈め、足を取られながらも、進んでいった。そうして、飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下
くろがねのまと射し人もあるものをつらぬきとほせ大和ごころを【有川中将以下将兵自決の壕】(沖縄)くろがねのまと射し人もあるものをつらぬきとほせ大和ごころをしきしまの大和心をみがかずば剣おぶともかひなからまし明治天皇御製
山をぬく人の力もしきしまのやまとごころぞもとゐなるべき北海道道庁の展示昭和20年8月20日樺太真岡郵便局ソビエト侵攻により郵便局の交換台を守り自決した9人の英顔山をぬく人の力もしきしまのやまとごころぞもとゐなるべき明治天皇御百首から
[自決とは]自分の意志で態度・進退を決めること。アメブロって日に当たるリア充なイメージがあったからこんな事を連ねていくのは気が引けていたけどメンヘルカテゴリがあったとは。助かった。鍵ツイのお仲間の中にはつぶやきを読みたくない方もいると思うので、こちらへのリンクにさせてもらいました。ここ数日、顕著に頭の中に終活作業が浮かんで来ています。私は何にでも準備に時間をかけたい人で旅行の計画は半年以上前から荷物はあれもこれも持っていくタイプ。だから終活には時間をかけると決めました
桜色儚き褪せり赤と青染まりつつゆく行く末決めし詠み人ZERO三島由紀夫×川端康成ノーベル賞の光と影
BS8見てまして、新田次郎の『八甲田山・死の彷徨』やってました。安倍晋三首相に見ていただきたいですなぁ~。今の日本はあなたのお陰で八甲田山やってますぞぉ~!最終的に責任者が自決して済む問題ではございません!自民党の皆さん、もう少し大所高所から物事を考えて頂けないものでしょうか。このまま行くと、全員、凍死でございます。判ってるのかなぁ、バカ。∂
2019/02/10(日)久高島→斎場御嶽→覚醒映画ウル→竜宮神の後は、本日ラストの旅。『平和祈念公園』へ。もう夕方だったので、じっくりと館内を見て回りはしなかったんだけど。感じるまま、園内を巡りました。このたくさんの石碑は、沖縄戦争で犠牲になった方、1人1人のお名前が刻まれていました。この戦争で亡くなった方は、米国側は1万2520人。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられています。このうち沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなった
「11.25自決の日」DVD鑑賞^^三島由紀夫氏の話です。昨日返却日ギリギリになってしまい^^;…観ました。途中…居眠りこいてしまいまいたがしっかり最後まで観ました。ボクの感想…「切腹…ボクにはできない…(T^T)だって…痛いよね…勇気どころの騒ぎじゃないよね…ムリ」です。。゚(゚´ω`゚)゚。「美学」…わからないでもない…がでもわからない。いい加減なボクには…理解できない…はず。痛い…痛かった…だろうな(T-T)
なんかルルーシュのギアス??で、みんな自決しちゃった………w(゜o゜)w(下画面)タン!タン!タン!タン!タン!て感じで。ちょっと爽快だった。それは置いといて。本当にもうすぐバレンタインじゃん。え、どーしよう。チョコをプレゼントする推しは誰になるのだろう。そして手作りにするのか、はたまたどこかで買うのか……?!!あとね、なんか妄想では辛い時がある。やっぱなんか、はまるとグッズが欲しくなる。それもキャラキーホルダーとかじゃなくて、推しキャラの
琉球大の電気学会に行った時に、海軍壕に行ったことがある。その時は、沖縄戦のことを今ほど知らなかった。帰りの便が遅くなるのが予めわかるというのは、ラッキーだ。その学会の帰りの日の前の晩、本島の目の前に台風が発生した。いや、多分熱帯低気圧は居たのだろうけれど、台風に昇格した。13時までのバスは運休。飛行機が飛ばなければもう一泊できる♪と期待したのだが、夕方に予約してあった便は、予定通り飛んだ。残念。https://blog.tokyo-esca.com/entry/2019/
以前から、純文学に興味があることには触れてきましたし、少し前のブログで三島と太宰のことにも言及しました。引き続き、いろいろ読んでいるのですが、最近読み始めた三島の作家論はすごい本でした。ということで、オヤジの蘊蓄。この本の中で三島は、森鴎外、尾崎紅葉、泉鏡花、谷崎潤一郎、内田百閒など、彼が敬愛し、その文章を愛する作家たちについて論じています。ただ単に、作家論ではないかと考える人もいるかもしれませんが、三島の作家論は、それぞれの文の特徴にとどまらず、作風とその背景にある思考方法、文壇における
〝生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず〟昭和世代の方なら、一度ならず耳にした言葉だと思います。これは有名な戦陣訓の一節ですが、これを東條英機陸軍大臣が陸訓第一号として全軍に示達したのが、今から78年前の今日・1941(昭和16)年1月8日のことでした。手帳サイズの戦陣訓表紙と1ページ目※戦陣訓とは、その名の通り戦陣(戦場)における訓戒ですが、これは戦国時代以前から様々な形で発せられていました。この東條大臣が発令した戦陣訓は
今日はいつになく鬱的な内容になるので読んでいて腹立つようでしたら読むのをおやめください昨日、EUの問題を取り上げた番組を見ていて移民の問題のところで外国人を安く雇うのを良しとすると蟠龍のような学歴の無い日本人の居場所が無くなると発言したところからいつの間にか親父殿から蟠龍の人格を全て否定するような発言が飛び出し久々に喧嘩になりまして結果、この歳にして号泣するという事態になり今はこれ以上生きてても親の負担にしかならないと再確認させられたので治療を全部やめよ