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大東亜戦争末期1945年6月沖縄方面司令官、大田実少将が(島田沖縄県知事の代理?)海軍次官に送った電文を紹介します大田司令官が自決した海軍司令官室写真は2枚ともWIKIより沖縄での組織的な戦闘は6月23日で終わった。敗戦間際の日本軍の悪業も知られてきて県民の一部には民主的な米軍兵より旧日本軍の後継たる自衛隊に反感を持つ人も多いかもしれませんね。そして今、命を懸けて1/4の県民を失って戦った沖縄県民を「特別のご配慮」したといえるでしょうか?納得してもらえる努力をしていると
政府によると、障害者の国家公務員募集が始まり、倍率はなんと13倍(676/8711)に。障害者自立支援法は、障害者に自決を促すのが目的だったらしい。大体、今回救われるのはそのうちの1倍のみであり、残りの12倍の方々はまたもや流浪の生活に戻るわけだが当然国家の支援はない。ここに至って、近代の合理主義、功利主義が一体何を思考しているかがぼんやりと伺われる。あまり知られていないが、優生保護法は実は、戦後にその運用が強化された。一般には、戦中、あるいはナチスの優生
戦争を振り返っての回顧録、手記のたぐいは、高名な高官のものより名も無き下級士官、兵士のもののほうが面白い。エラい方々の書く文章は他にどこかで読めるようなものが多いが、下っ端の面々の文章は公式に記録もされないような、その人が経験したことがダイレクトに書かれているからだ。そういう編集方針なのは、(★)以前紹介したこれと似通っている。しかし今回のこの本に収録されているのは、どれもここに収録以前にどこかで発表されていたものばかり。戦争を経験した編者3氏が厳選に厳選を重ねたものだという。全
物静かな『三島由紀夫』像若松孝二監督作品、日本、120分井浦新様、満島真之介様、寺島しのぶ様、渋川清彦様、岩間天嗣様他楯の会発足から、自衛隊での演説・自決までの経過を中心に、静かに静かに語られていました。この関連作品では、あまりご登場がないと思う、奥様を、寺島しのぶ様が演じられ、とても少ないご出演場面の中で、作品の一番大きな印象をさらってる?あの事件を、理解し切ることはみどりには無理。イメージとして存在するだけなんです。結局、ご自身の理
バンコク在住のじゅーざです以下、本題です。リブログ先で書かれている「拉孟の戦い」とその際の慰安婦の証言、今回はそれを取り上げてみたいと思います。>7.拉孟には売春婦が20名いた。熊本県出身が15名、半島出身者が5名。金光隊長は脱出を命じた。脱出したのは半島人5人だけその中の一人が後年、NHKと朝日のやらせの「女性国際戦犯法廷」で「日本兵の自決の巻き添えになるのを恐れ逃げ出した」「置き去りにされた」と証言した。8.この戦いの記事を靖国神社の会報に寄稿した桜林美佐さん。彼
最近好きになった。前から名前は知っていたけど、詳しく知らなかった。知れば知るほど取り憑かれたように好きになりました。今日は自決をした日。命日。これからも三島由紀夫先生のことを追求していきます。
1:10,000人の男皆さん祖国を守るため1対10,000人で戦い抜き、しかも生還され、その後も祖国の為パラオの為に一生を捧げた男ご存知でしょうか。渋谷駅前の大盛堂書店初代社長の船坂弘元軍曹です。ネットでは松坂軍曹と誤って伝えられている様ですが、船坂さんが正しいお名前です。船坂さんはあらゆる武道に秀で、学業も優秀いわゆる文武両道、何よりも強靭な精神と肉体の持ち主でした。パラオーマリアナ戦線で水際作戦により中隊が壊滅する中、ゲリラ戦へ移行し、瀕死の負傷を負い、軍医が見放
今回ご紹介するのは有名な逸話なのかもしれませんが、読めば泣けてきます。日本兵の行動は気高く潔くて、武士道を貫いた姿に敵将も称賛したのですね。心に響くお話でした。アメリカの青年達よ。東洋にはすばらしい国がある。それは日本だ。日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。硫黄島の戦いエピソード。8:55https://youtu.be/MRZMqEjuVZA【今日の動画】内容書き起こし東洋には素晴らしい国がある。それは日本だ。「アメリカの青年達よ。東洋には素晴らしい国がある。そ
米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』3米軍がスケッチした戦死者を弔う日本兵の様子。彼らの目には、宗教精神の薄さが奇異に映った。日本兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日本兵の精神」を特別公開します
ブログ「台湾は日本の生命線」より。ブログでは関連写真も↓http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-3340.html2018/09/12/Wed終戦後に日本へ亡命し、台湾独立運動の道を開いた指導者、故王育徳氏の記念館が、故郷の台南市で完成した。この台湾独立運動とは、戦後の中華民国体制からの独立建国を目指すものである。しかし残念ながら多くの日本人は、台湾独立とは中華人民共和国からの独立だと誤解している。「台湾はすでに独立しているのだから、
皆で降霊をするが上手くいかず自決するお話。ドラマやテーマやメッセージではなくゾクっとくる雰囲気を味わう1時間チョイの短編。オールナイトを観る時、こうした1本があるのも楽しいかと。(^^)池袋新文芸坐にて。
沖縄県は日本で唯一の戦地になってしまった場所。これ以上ない苦しみを味わい、生きた心地がしない日々を過ごさざるを得なかったからだ。ひめゆりと言われた女生徒が自決を選んだりして亡くなられてしまう事態に。軍隊も本当に庶民にはかなり八つ当たりをしていた部分があったよね。本当にアメリカ軍が沖縄で勝利をしていち早く沖縄県は終戦となったのでした。昭和20年6月23日の出来事。
日本にダグラス・マッカーサーがやって来て、GHQによる日本の接収が始まり、このような流れになった理由を突き詰めるがごとく、A級からC級まで選定に入ったよね。当時の中枢どもが偉そうにしていられるのは庶民感情からしても憤りを覚えるからな。特に許せなかったのは、間違いなく東条英機だよね。太平洋戦争に突入した時の内閣総理大臣だから。それだけじゃなくて。国民を独裁レベルで震え上がらせてきたのも。不利な情報を記事にしただけで懲罰徴兵をしたくらい
1945年の8月15日の終戦を契機に、次々と変わったのは間違いない話だよね。平和な国家を築く為に色々と動き出したのが73年前の今頃だよね。GHQがやって来たのも。そして、軍部の中枢やらが次々に自決したのもね。もう犯罪者に仕立て上げられるのが目に見えていて、生きてられないとばかりに自殺したんだろうね。かなりいい思いをしたんだから逃げんじゃねぇよって気分だったはずだよね。理不尽な仕打ちを受け続けた国民からしたらね。