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息子がプロテスタントの洗礼を受けた年のクリスマス私は息子の付き添いで駅のデッキで行われたキャロリングに参加しました。キャロリングとはクリスマスの讃美歌を歌いながら祝福と喜びを分かち合う行事のことです。その夜は12人ほどが集まり静かに歌声を響かせました。冬の冷たい風に頬を撫でられながらもデッキに広がるハーモニーはどこか温かな空気に満ちていました。私は信者でもなく洗礼も受けていませんでしたし今でも何の信仰も持っていませんがイルミネーションの煌めきのなか夜空に
現在、町会の役員(事務方)という立場上、朝の新聞チェックが欠かせないのです。町会に慶弔規定があって、「町会の会員が亡くなられた場合には規定額の弔慰金をお渡しする」というもの。要は「町会員世帯で逝去者がいるかどうか」のチェックのためです。2年間でおおよそ3名ほどが逝去されるといった状況の中で、役員という立場にいると、いろいろな話が聞こえてきます。(※以下、微かに閲覧注意)「生まれ変わったとしても、絶対にあの人とは結婚しない」「暴力が酷くって大変だった」「こだわ
以前の記事で「当地には民間団体による自死遺族をサポートする『つどい』が存在しない。」という話を書きました。県立の精神保健福祉センターという組織が主催して2か月に一度、三大市部(青森市・八戸市・弘前市)で開催されているのですが、その組織のトップが職員さんに対してパワーハラスメントをしていたというニュースが。メンタルヘルス相談拠点の所長が『パワハラ』で停職部下に「倫理観がない」「ばか」など複数回大声で叱責し人格や能力を否定「感情的になってしまった」青森県立精神保健福祉センタ
8月10日(日)柏市文化交流・複合施設パレット柏にて分かち合いを行いました。参加者は11名自己紹介と近況を伝えていただいたあと3つのグループに分かれて話し合いました。今回も多くのことが話題に上るなか、特に印象深かったのは「それまでの自分」と「それ以後の自分」についてでした。私の場合、息子の葬儀の翌日から仕事をしました。息子が亡くなる少し前まで長期休暇を取っていてどうしても休むわけにはいかなかったのです。自死で息子を喪うという、人生の中でこれ以上ない衝
なかなか気乗りしない時っていつまでも、どこまでも気乗りしません。とことん気乗りしません。そんな側面もあるワタシがやっと重すぎる腰を上げて取り掛かったものというのが、「自死遺族のつどい」の事後アンケート。かわいらしいクリップでまとめてあって、返信用の封筒に切手まで貼ってあって、まあ、至れり尽くせりなのです・・・が、質問用紙の数が3枚。うち、選択肢タイプは1問のみで他は全て自由記述タイプの設問ばかり。まあ、聞き取りたい内容の性質上そういうカタチにするしかなか
息子を喪って間もないころから遺族会に参加しました。家の中にも外にも、この世界のどこにも私のいる場所はない。あるのは底知れない孤独感とやり場のない悲しみと絶望。息子が亡くなったことはごく少数の身内にしか伝えていなかったこともあり家を出るのも帰るのも恐怖でしかありませんでした。そんな状況の中、唯一身をおいてもいいと思えた場所が遺族会です。臆することなく息子のことを語ることが出来同じ立場の方の方のお話を伺うことができる場所。一人ではないと気づかせてくれた場所
8月10日(日)柏市文化交流・複合施設パレット柏にて分かち合いを行いました。参加者は14名自己紹介と短く近況を伝えていただいたあと4つのグループに分かれて話し合いました。今回も数多くのことが話題に上りましたがなかでも印象に残ったのは、子どもを喪ったあとの無気力感についてでした。私も息子を喪ってからというものそれまで息子のために作っていた料理やオシャレに関心が持てず、修行して悟った訳でもないのに物欲が無くなってしまいました。食事に関しては「美味しい」
毎週のように遺族会に足を運んでいたころ、亡くなったお子さんの写真を見せていただくことが何度かありました。どの子も柔らかな表情を浮かべていて、そこに写る姿からは命がもう途絶えているとはとても思えませんでした。写真の中のその子たちは、静かで優しげでどこか夢の中の光景のようで…けれど確かにそこには生気が宿っている。そう思えました。だから、亡くなってしまったという現実をすぐには受け入れることが出来ない。そしてそんなふうに心を揺さぶられている自分に少し驚きました。
何故か今朝は息子のことを想いながら目を覚ましました。特に意識して考えているつもりはないけれど無意識のうちに身体と心に刻まれているのでしょうか。もうすぐ息子の命日です。十一年…長い年月のようですが、私の中ではまだ昨日のことのように思うことがあります。永遠の眠りについた息子と初めて会ったあのとき。見送った日の抜けるような青空、陽の光。悲しみを通り越すと涙さえこぼれないことを知った日、きっと生涯忘れえない情景の中で私は心を喪っていました。あれから十一年
6月21日柏市文化交流・複合施設パレット柏にて分かち合いを行いました。参加者は12名自己紹介に続き短く近況を伝えていただいたあとふたつのグループに分かれて話し合いました。今回興味深かったのは引っ越してしまいたくなる気持についてでした。子どもを喪う以前とは全く違う気持ちを抱えて同じ場所で暮すことに耐えがたい辛さを感じるのはよくわかります。ご近所の方に伝えていない場合、ちょっとした外出にも注意を払わなければなりませんし、ままならない日常を送らざるを得
珍しく息子の夢を見ました。夢って目が覚めたときの気持ちの沈み方が激しいので、息子には申し訳ないけれど出禁お願いしていたのですが…電車のドアのところに立って海に沈んでいく夕陽を見ている四歳くらいの息子。「座ろうか」と言っても、後ろにいる私を見ようともしないで、(座らなくて)「いい」と言って夕陽に照らされて黄金色に輝く景色に見入っている。そして部屋の中、息子が笑顔で駆け寄ってきて私に抱きつく。私もぎゅっと抱きしめるのだ
子どもを喪うこと。その意味を知る日が来ることを想像したこともなかった。息子を腕に抱いた日、私は新しい命のぬくもりに包まれ母になった。小さな手、小さな足、つぶらな瞳、全てが愛おしさに溢れている。この子を守り育てることが私の人生の使命なのだと何の疑いもなく思っていた。そして、親子としての関係はいつまでも同じように続いてゆくのだと信じていた。でもある日突然あの子はいなくなった。抱きしめることも、声を聴くことも、姿を見ることもできなくなった。心にぽっかり
この頃のキモチきくちからを忘れないように斉藤さいとうこーうしますわたしはまるまるの会ふたあーつに大変お世話になりました助けて頂きました何度もメインのブログいまはとうみんちゅうのひろっぴくんガエル🐸🐸🐸燦々にてつぶやきまたはおたけびを?アゲアゲほいほいほいきたやたろうどいつもドイツ🇩🇪もこいつも更迭こーてつどどいつ都々逸どついたろうかああんなたろうこんなやろうたちひろきザ自死遺族いぞくにも
十一年前の五月、連休明けに息子は入院して自宅から居なくなりました。二か月後、今度はこの世界からも姿を消して帰って来ることはありませんでした。だから四月下旬から七月のお命日至るまでの期間はよりいっそう気持ちが沈みがちになってしまいます。どれだけ時が流れても、むしろ年を重ねるごとにより深く心の中心に息づいている息子の存在。毎年今頃になるとどうしてもあの入院した日のことを思い出してしまって…そんな私のもとへ、毎年この季節になると息子の友人が贈り物を届けてくれます
4月13日柏市文化交流・複合施設パレット柏にてわかち合いを行いました。参加者は10名自己紹介と短く近況を伝えていただいたあとふたつのグループに分かれて話し合いました。今回様々なお話の中で印象深かったのは今は亡き子が残した遺品のことでした。洋服や思い出の品はもちろんですが、特に携帯電話やパソコンなどのデジタル遺品には知りたい気持ちと知りたくない気持ちがあって寂しさ悲しさと共に複雑な思いを抱き悩むことが多いようです。親子といえど個人情報という壁が立ちは
春、花や木、自然は毎年忘れずに美しい風景を届けてくれます。でも、その鮮やかな季節の到来に寂しさを感じたりもします。今年も、テレビに映し出される入社式の光景を観ながら、息子のことを思いました。制服に身を包んだ新入社員の姿は、未来への希望に満ち溢れています。その光景は輝かしく、応援したくもなりますが一方で息子がいないことを鮮明に感じさせられたりもするのです。生きていたら、あの映像のなかの新入社員のように一人前の社会人になっていたかも知れない。そんな思いが
毎年春になると街には桜の花が咲き誇ります。かつてはその景色を、新しい始まりや明日への希望を感じながら眺めていました。卒業式や入学式、暖かな春の風に舞う花びらはまるで未来へと背中を押してくれるような存在でした。でも、あの子を喪ってから初めて見る桜には心が締めつけられるような気がしたのを覚えています。あんなにも明るく希望に満ちていた花が切なく儚い花に変わってしまいました。桜はまるであの子のような花。あっという間に咲きあっという間に散ってしまうその姿があの子
ある本を読んでいて「心身の不自由」という言葉に出会いました。「身体の不自由」という言葉は知っていましたが「心の不自由」「身体と共に心も不自由」という言葉は初めて目にしました。「心の不自由」確かに、息子を喪ってから私の心は不自由なのだと思います。今でこそ、なかば反射的に何事もなかったかのように振る舞うことができていますが心の奥のほうでは固く構えてバリケードを張っている。それ以上奥には絶対に入れてはならない。そんな気持ちで、心の底から安らぎを感じる
2月9日柏市文化・交流複合施設パレット柏にて分かち合いを行いました。参加者は11名自己紹介をしていただいた後3つのグループに分かれて話し合いました。今回印象に残ったことは、子どもが自死で亡くなったことを知らせていない人との関わり方の難しさについてです。私自身も息子が自死で亡くなったことを伝えているのは、数人の親戚だけです。外出先で亡くなったため自宅に戻ることはなかったので、ご近所の方や仕事関係の方、数少ない古くからの友人にも、亡くなったことすら伝える
深く青く澄み渡った空は宇宙なんかじゃなくてきっとあの子が暮らす天の国に繋がっている。そう思って見上げる空の底は限りなく果てしなくて、天の国のなんて遠いことか。あんなに遠くに。手の届かないところにいってしまったのを思い知らされるようで。だからあまりにも青い空は悲しみに満ちている。けれど、いちりんの花にも小さな虫や頬に触れる風にも、あの子の魂が宿っているように感じることもある。あの子を想えばすぐ傍に来てくれる。本当に落ち込んだときにはちゃんとメッセ
お正月が明けてなんだかホッとしています。息子のことがあってから、年末年始は玄関にお正月飾りを飾るほかは何もせず、自宅で過ごすことにしています。今回も五日ほど買い物にも行かずにいましたがそれでも世の中の様子は伝わってくるもの。早くいつもの日常に戻らないかと思ってしまいました。十年過ぎた今でこそ多少の慣れもあってそれほど普段と変わらない気持ちで過ごせるようになりましたが年末年始に限らず、ゴールデンウイークや卒業式入学式の季節、母の日などは、いまだにちょっとしたこと
我々の人生はありがたい順境ばかりではない。辛い逆境も含めて全てが導かれているんだその不運と見える時に、不幸と見える出来事が意味のある出来事であることに気が付くはずなんですよね。確かにこういう出来事を、あまり望んでいた出来事ではないけれども、そして多くの方は不運な出来事と言うけれども、いや、そうじゃない。何か深い意味があって、今自分に与えられたんだ。だとしたらこの出来事からその意味を学ぼう。大切なことを学ぼう。今この出来事は自分に何を教えようとしている
『夕なぎ』は自死でお子さんを喪った方を対象に分かち合いを行っている自助グループです。12月8日(日)柏市文化・交流複合施設パレット柏にて分かち合いを行いました。参加者は9名一通り自己紹介をしていただいた後2つのグループに分かれて分かち合いに入りました。今回印象に残ったのは、子どもを喪ったこと以外に今現在抱えている困難な状況や問題があるということ。立場によっても違いますが、現実に困難な問題に向き合わざるをえない状況はとても労力を要することです。そし
長く続いた厳しい猛暑が収束したと思ったら早くも十二月。今年も暮れようとしています。毎年この時期になると年末年始のことが頭をよぎります。考えてどうなるというものでもないのに、憂鬱な気分になってしまうのは何年経っても変わりません。街の賑わいもどこか遠く感じられ、何となく居場所がないように思えたりして。息子がいた頃は、師走の声をきくと、ちょっとウキウキして、クリスマスやお正月の非日常を楽しみにすごしていたものです。立場が違うと本当に様々なことの見え方が変わっ
思いがけないきっかけから「自己分析を語る」という心理学の専門書を貸していただきました。初版は1971年、五十年以上前に出版された書籍です。内容は、5人の執筆者がそれぞれ自分自身に対する自己分析の研究について書かれた部分と自身の生い立ちを綴った文章から成り立っています。専門的な部分は理解するのが難しく、ザッと目を通すことしかできなかったのですが、生い立ちについて書かれているところはとても興味深いものでした。特に、執筆者のなかの一人の生い立ちには強く心を引きつけら
命にかかわる病気などで死を意識したり考えた経験のある人は「ああ、今年も一年過ごせた」と、誕生日のたびに感謝の気持ちが湧いてくることがあるといいます。長生きするのが当然だという前提だと、年を重ねることで人生の残りが減っていく感覚になるようです。死を意識した後生き続ける人は、生きていることそのものが愛おしく感じられるのかもしれないし、長生きが当然だと思っている人は、減っていく命の灯を惜しむように限りある刻を生きて行くのかもしれません。社会の多数派にとって生きることは
今回はパートナー亡くした方だけの集い男性3名、女性2名でした何か最後の方でペラペラ喋ってしまって、少し反省しています(^_^;)でも今までで一番自分を開示出来たかなATフィールド消して、素の自分で話せるようになって、パパ少し成長できたのかな少しづつ演技でない自分で生きていけるようになれたら良いなぁと思いました話を聴いていただき有難うございましたモウスグイチネンタツネ
運転免許証更新の手続きをしてきました。いわゆるペーパードライバーで、実際に運転はしないのですが、更新だけはしています。十年前、息子が亡くなってやっと四十九日を過ぎたばかりの頃、やはり免許証更新の葉書が届きました。息子を喪ってから、時がたつのが途轍もなく遅く感じられ、早く何年も過ぎ去ってしまえばいいのにと思いつつ過ごしていた私には、免許証更新の五年間はことのほか短く感じられました。しばらくぼーっと葉書を眺めていたのですが証明写真が必要なことに気が付いて。ふと鏡を覗
息子が空に還った日から、私はその続きを生きてはいないと思うことがあります。あの日まで病と闘いつつも、二人で未来を思い描きながら歩いていた道。けれど途中で息子の生きる道は途絶えてしまいました。息子の人生が終わってしまうのと同時にそれまでの私の道も無くなりました。今歩いているのはあの時から歩き出した別の道。歩くのには険しく悲哀に満ちていました。幾年ものあいだ。今でこそ多少慣れたけれど、歩きにくいことには変わりありません。このごろまた、なぜあの子はいな
玄関先のコキアが大きな球体になってあとは赤く色づくのを待つばかり。その隣にはツメレンゲという名の多肉植物が年々数を増やしています。多肉植物といえば、息子がまだ元気なころ「僕は多肉植物が好きなんだよ」と言ったことがあって、驚いたのを覚えています。それまで、ひとことも植物の類いの話はしなかったし関心があるとも思っていなかったので。自分で育ててみたいとか、そばにおいて置きたいとも言わなかったから、それ程好きという訳ではなかったとは思いますが。でもこんな、取る