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自分の為にやってると能力が上がっていくのが楽しくなり、段々浮かれてきて独りよがりな我儘になってくが、他人の為にやってると、いつのまにか自分を押し殺し過ぎて苦しくなってきてしまい、楽しめなくなってしまい疲弊してくる。自分の為とか他人の為とかの目的がある事自体が自我意識なんだろうたら、目的を無くして唯唯やる事、禅の感覚で日々を過ごしていくのが、この局面の囚われから解放される唯一の道なのかもしれない。
自分の命を投げ打ってでも守りたいものが見つかれば、自分の幸せなどを考えずに、その事だけに没頭でき、自我意識でないからエネルギーが宇宙から無限に与えられるのだと思う。だから、とても人間技とは思えない、とてつもない業績を上げる人というのは、本当に自分がやったとは思えないような感覚があるのだと思う。自我意識である自尊心や優越感や劣等感や承認欲求などが、根源エネルギーの人とは、基本的なシステムが全く違うんだな。これはなりたいからなれるものでもないし、なりたくないからならない
今まで苦悩だと思っていた事は苦悩でもなんでもなく、自分では観えていない自我意識であったのが観えてきてしまう。だから正しい見解で観る正確な知識がないから、智慧になっていなかったのだ。八正道の正見というのは、はじめであり終わりであり、はじめの認識が間違えてしまえば、自ずと行き着く先も間違える。だから、とにかくどんな事も因果のはじめが大事であり、俗物にまみれて、初心を忘れてしまうと、ミイラ取りがミイラになってしまう。真理を得て楽になりたいという我欲に支配されず、欲張
何も考えられない馬鹿になりたい。何も考える能力がない人間が、考える能力があると思い込んでいる人を見抜けなかったから、結局こんなに責任のある事を丸腰でいつまでもやらなければならない事になってしまっているが、その因を作ったのも過去の自分の依存心な訳だから人のせいにできなく自因自果なわけなのだ。理論は身に染みるほどわかる。まさに究極のオフサイドトラップだが、依存心を克服する因ともさせて頂いているから、ここまできたら、本当に感謝だな。あとは、狂人となり、馬鹿になるしか
死ぬ気で取り組む、という死ぬ気というのが、本当に死ぬ気なら苦しみなどの想念は発生しない。だから、自分が死ぬ気で、と言ってる死ぬ気は、全然死ぬ気でなくて自我意識のエゴだから、自分を保身する気持ちや分別心や嫌悪感や優越感や劣等感などの瑣末な心が蠢いているから苦しくなるんだな。結局全然死ぬ気と言ってる自分の言葉が、形だけなのが観えてきてしまう。本当に死んでしまわないと死ぬ気という真髄はわからないのかもしれない。
とんでもなく廻り道をしてきた。自分というものがわからなさ過ぎてずっともがいてきた。10代、20代の時は、魂に生きたいと願っていながら、一時的に熱中するものを見つけても、頑張って無理に熱中しているから、ふと気づくとその熱は冷めて、前の感覚に戻ってしまう。だけど、どうにかしたい、というエネルギーはずっとあったので、真理を掴んだと思われる人についていった。行き着いた最後は愛ではなく、歪んで肥大した自我意識の塊であった。自分のエゴを巧妙に自分自身すら騙しているから、
ダルマの教えというのは、道理にかなっているので、正論で生きていこうとすると自分では気付いていない領域の自我意識という壁にぶつかり、その軋轢から倒れてしまう事もある。だが、物事は、倒れない事が大事なのでなく、倒れても、倒れた状態でグズグズ後悔しているのでなく、すぐ立ち上がり、何度でもチャレンジする事こそが大事なのだ。これは、人間の義務であると、聖者方はおっしゃっていて、一人一人何か使命があって生まれてきた訳だから、人間は、これ以外やる事はないと言う。これは権利でな
苦しみというのは、本当に飛躍のエネルギー源なんだというのが、段々とわかり出してきている。これがもっとわかってきたら、自我意識から発生する想念で判断に雲がかかってしまう事が減り、ダルマの教えに従って判断しやすくなるのだな。そうしたら、時間はかかるが、根源から改善されていくので苦しみはやがて喜びと楽しみに変化していくのだ。誰かの為にやっていたのがいつの間にか自分の楽しみに変化してしまうのだ。これは凄い発見である。
3次元は、時間、空間、エネルギーが有限であり、この拘束を必ず受ける。だが4次元は、想念であるから時間、空間、エネルギーの拘束は無くなる。つまり本当に次元が違うのだな。お前とは次元が違う、というのは本当に次元が違う人からしたら傲慢で言っているのではなく、公平に観て、次元が本当に違うのだな。しかも想念は無限であるから限界がないのだ。妄想と4次元の想念は何が違うのか?は、書いていて気付いたが、根源が、宇宙の摂理に基づいたものか?自我意識の違いなのだろう。
人間は無意識に、快か不快か?を判断して快を求めて生きている。だが快と思う事が自我意識のエゴであると、突き詰めていくと、最後の一番苦しくなる局面では平気で人を裏切ったり、過去の自分のミスを棚にあげて、自分が生き残る方を選択して人は切り捨てるという判断と決断を平気でしてしまう。一つ一つの判断を決断していき、人に多大な迷惑をかける事をしてしまうぐらいなら、自分が腹を切る覚悟で一つ一つを決断していけば、その覚悟から見えないものが、必ず観えてくる。だから、好き嫌いで
人に対しての、分別心、嫌悪感、無関心が封じられた状態で自分以外への原因を無くしても胸の動悸がしてくるのは、紛れもなく、心の奥では自分のエゴで行動しているからなのが炙り出されてきてしまう。相手の為に行なっている行動で相手も心から喜んでくれているのも感じて、求められている事がしっかりできてよかったなと、ほっとして達成感を得た後に、急激に胸の動悸がしてくるのは、心から相手の為を思っての行動でも、心の奥底では、無意識に損得勘定が蠢いていて、自我意識のエゴがエネルギー源
自我意識の事や慈悲心や菩提心は理屈ではだいぶ理解できてきたが、相手から直接求められている時は大丈夫なのだが、一人の時にその人達の為に何ができるか?の準備をしたらいいのだが、そこに意識がフォーカスし切れないから、きっと自分が報われないとか自分の事ばかり考えてしまう自我意識が強く邪魔をしてきているのがわかる。これは、しっかりと自分が自分を認めてあげて、褒めてあげて、労ってあげて、それで心が満たされていたら胸の痛みもきっと取れるだろう。よくなってきているからと、欲張ったり
昔から地位や名声や富というものに全く無縁であるし、興味もないのに、それでは生きる目的が見つからないからと、無理やり目標を作り、自分を欺いていたのが、今はよく観える。そんな事は本当にどうでもよかったのだ。本業に真摯に向き合って、目の前の人の役に立つ、ただただそれだけの為に、出し惜しみする事なく、生命燃焼して、燃え尽きて死ぬ、ただそれだけでよかったのだ。
ご訪問ありがとうございます☆土曜日はずっと寝てまして、本日少し熱が下がってきたので、スマホひらきました…一日、ブログさぼりましたm(__)m神寄木賀集ゆかさんのブログ『【覚醒★2024】確実な「実行」の継続で「反応」を事前に停止する「全」を観る意識ポジションに立つ』意識の「フォーカス点」を中心に観察をすること動かない「点」が幻想の「核」を握っている毎瞬到来する「様々な現実」と出逢うたび「自我意識は真っ先に何を捉えている…ameblo.jp最近のちょっとした変化なのですがこの記事に
満たされないという想念が発生してしまうのが、自我意識なのが観えてくるが、同時に満たされたいと思う想念が薄まってきているのも感じてきて、これを感じられると心が成長しているのを実感して少し笑顔になれるし、うわべでなく本質的に人に優しくなれる気がしてくる。
昔の感覚では、自分が相手にどう見えるか?どう思われるか?という事ばかりが、無意識に気になって、自分の保身や優越感や劣等感の解消とか、結局行き着くところは、人の為と思いこんでいるだけで、自分の自我意識であり、その事で人を利用していたのである。これが観えてくると、ほとんどの人は、本人も気付いていないし、表面上からは全くわからないが、この感覚に陥っている人がほとんどで理由は、日本は教育と情報を乗っ取られているから、これも必然なんだ。本人も気付かないうちに無意識に
慈悲の心を持とう、人の役に立つ事をしよう、と表層意識でいくら考えても、心の奥では、自分の事しか考えてない、自分の事しか考えられない自我意識のエゴが渦巻いている。つまり、崇高な理想に生きる、と自らの意思で決めて行動しないと、外面ヨシオの偽善者が染み付いてしまう。そうならない為には、遠い崇高な理想に対して少しでも近づけるように、死ぬ気でエネルギーを毎日使い切る。朝に生まれて、夜は朽ち果てて死ぬ。しかも、本気で死んでいいと思えるような行動をし続けて、一瞬一瞬を無駄に
AIネットワーク完成に向けてアセンションさせない目的でハイヤーセルフに繋がるのを阻止されたり松果体を狂わされています。高次の自分と繋がるために⭐️自分が魂である事に気づく⭐️自我意識(エゴ)から魂意識にしていく⭐️記憶を取り戻していく⭐️2元性を分離から融合に変容する。いつも内なる自分に質問を自分は何をする為に生まれてきたのか?質問を繰り返し問いかけハイヤーセルフからのメッセージを受け取る習慣を夢からメッセージを受け取る見た夢の記録→メモ📝とペンを枕元に忘れないよう
生まれたばかりの子どもをみると癒される~という声をよく聞きます。それはどうしてだと思いますか?子どもの頃を思い出せーといいますよね。どうしてだと思いますか?これらははら科学的に説明が出来るのですよ。美容の世界では目指せ赤ちゃん肌!と言いますね。赤ちゃんの肌がきめ細かいのはぷるぷるなのはどうしてなのでしょうか。これらはすべて答えは同じなんです。分子細胞という肉体細胞の数が多
おはようございます。今日もご訪問いただきありがとうございます😊私達はみな創造主だ!ていうことは、周りで起きることはすべてが自分が創造したということだ。だから、周りで起きることすべての責任は私。出来事に抵抗するのは、視座低い自我意識の視点。受け入れしかないのは、視座高い大我意識の視点。その出来事に抵抗し、犠牲者となるか、すべて私が承諾したから起きたとし、創造主とし生きるか、選択は自由だ❗合掌(´ー`).。*・゚゚◆個人セッション始めました。お申し込み、こちらから↓非二元、プ
ムスカリも咲き始めました有私という言葉があるかわからないが日向さんの生きかたに本当の無私があるんだなと先日実感しました。私はマイルールだらけの人間だそうです。なるほど、マイルールとは面白い表現です。要はこれまで好き放題に生きてきた🫨というわけで道を目指す人は好き放題自分勝手になど生きていないのだと。では、日向さんにはマイルールってないのかと聞いてみました。強いて言えば絶対に諦めないとかやり遂げるはルールかもしれない。しかし、例えば何から食べるか?と考
ブログ更新1072回目。みなさんこんにちは。1.自分の意見皆さんそれぞれに、様々なご意見があると思う。それは、一人ひとりの自我意識から発せられる意見だからである。結論から申し上げる。一人ひとりの意見は、「たった一つ」である。真理を追究すると、「私は神と共にある」という意見に収束する。様々な意見があるというのは、自我意識の世界の段階である。真理の世界を追求していくと、その答えは、「私は神と共にある」という結果に行きつく。2.様々
正しい事をしようとしても賛同されない、組織の中で浮いてしまう、その事に嘆き、何故わからないのか?と地団駄を踏んで、嫌悪が怒りになり、やがて哀しみに変わり、最後は無関心になる、この一連の心の作用を俯瞰してみたら、結局は、自分の問題なのが観えてくる。本当に正しいならば、一人きりでもやり遂げる気概や覚悟がなかったし、心の何処かでいずれわかってくれるのではないか、と期待してしまっていたり、他に求めているから、結局はこの想念がエネルギーロスになり、本当にやるべき事、やらなけ
自己に向き合う、というのは自我意識ではないのだけど、多分自己に向き合うのが自分のやりたい事を我儘にやる、という思い込みがあって、自分の事だけをやろうとすると何故か動悸がしてくる。だから、道理を外してくれている人の為に行動で示せる人間になる為に、道理を外してくれていて有難う、と感謝の想念が常にでてくるように捉え方を変えて、それを念正知していこう。人間の一番の力は、感謝と歓喜な訳だから、感謝し合える環境がない事を嘆くのでなく、自分から環境を変えれる人間になる修行と捉え
楽しむというのは、浮かれるというのは違うのだろうが、楽しんでしまうと、深層心理では、浮かれてしまうのではないか?という不安があって、それをセーブしているのが観えてくる。損得勘定でない純粋な気持ちや想念であれば、楽しめるのだと思うが、楽しむ事を、自我意識の我儘で浮かれている人を間近に見続けているので、楽しむ事=悪、というようなレッテルが貼られているのが観えてきた。つまり楽しむイップスなんだな。楽しむ事すら修行していかないと自然にできないぐらいの心の状態なんだな。
自我意識を強化して、無意識に優越感に浸りたいと考えている事を本気の状態だと勘違いしていると、本物の気は一向に観えてこない。だから、それに陥っていると本気という状態が一生わからないし、周りも伝えられないし、本人も気付いてないし、そもそも知る気もない。だから、最後は縁だけが残る。全ては、一時的に因縁和合しているだけであり、その因と縁の和合が、何かをきっかけに剥がれるのも自然の摂理であり、全ての現象は因果応報なのだ。だから、ありのままに生きていけば、良い事も悪い事も
相手は自分の鏡、というのは言葉では昔からどこにでもある。だけど、この本当の意味が感覚でわかっている人は多分ほとんどいないと思う。変えられない現実があって、逃げ場がなくて、相手の自我意識が強烈でありながら妄想を信念と思い違いしているから、全く変える気なくて、その逃げ場がない環境に長年いるから、だからこそ、この苦しみは、自分の自我意識が相手を通して鏡のように観えてしまう事なのだと気付きだした。ようは、苦しい、苦しい、という事で自分もやるべき事から逃げる大義名分にして
生きていく為の環境変化に対応するのは、大脳新皮質であるが、これが働き過ぎると、生きる為には手段を選ばなくなり、損得勘定の二枚舌で、本音と建前のダブルスタンダードに、物理的になってしまうのだ。これは善悪でなく、ほとんどの人がこの自我意識を無意識の感覚で生きている。自分もまだまだそうだから、苦しくなる。ほとんどの人は、この自我意識の枠の中から抜け出せないし、この枠の中に自分がいる事さえ気付かないし、一生こういう構造やメカニズムを知らないで終わるのだろう。だから、命
【自分でできる除霊の方法】自分とは、自我意識であり、自我意識は意識に支配されている自我。欲求にまみれた自我を指します。玉のような純粋無垢な魂は、そんな自我意識の中心にあるものです。自我意識と魂は同じではありません。自我意識は肉体が作り上げていくものです。食欲、性欲、睡眠欲などの欲求は、肉体があるから望んだものです。生命活動を行っていくうえで望んだ気持ちなのであって、これらは、魂が欲しているというわけではありません。死とは、肉体を失うのと同時にこれらの欲求からも解放されることです。これらの
陰陽正反に四相☆この世は、陰陽正反相和すところです。明に暗。善に悪。右に左。強に弱........etc..etc...etc。→さらに、陰陽正反へ、それぞれ【二相】に分かれます。[陰]がさらに、陰陽に。[陽]がさらに、陰陽に。[正]がさらに、正反に。[反]がさらに、正反に...それぞれに、フタスガタがあります。→例えば、『エゴ』と聞くと、悪い意味に捉える事がありますが、否定する事ばかりではありません。→より良く物事を捉える『エゴ』もあります。..