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11月20日はベトナム🇻🇳では教師の日らしい。そんなベトナムの若き友人のFacebookの記事です。“先生と呼ばれてなんだか嬉しくなってきた”これが全て。ベトナムの若き教師の思いに胸を打たれた。初任の住之江高校、初めて先生と呼ばれた時の自分を思い出す。子供達にとってすこしでも良い先生になってやろう、自慢の先生になってやろう、そう子ども達が思わせてくれた。そう思わせてくれる生徒が益々愛おしく思えてくる。新米先生の素直な歓喜が、忘れがちな教師の本質を気づかせてくれる。国を問わず教師の教
昨日の若手教師のコーチング、こんだ直人教育研究所でリーダーの資質についてレクチャーした。リーダー!リーダー!と簡単に言うなかれ!世にリーダーと呼ばれる人は多く、リーダーを自負する人も多いが、私の言うリーダーとは壮大かつ困難なミッション(mission:impossible)を成功に導くことのできるリーダーの事。リーダーに求めらる5つの資質その1そばにいるだけで楽しいと思える人間性。戦国時代に頭角を表す木下藤吉郎、後の豊臣秀吉。大河ドラマをイメージしてもらうとわかりやすい。
熊本地震からちょうど2年半。ボランティアとして熊本、益城、阿蘇に通った日々が懐かしい。阿蘇地域への観光客の回復が思わしく無いらしい。熊本への思いは深い。平成28年の四月。二度の大きな揺れが熊本を襲う。一瞬にして破壊された被災地の生活。筑波大学ラグビー部の親友も気がかり。結果として私の人生も揺り動かされた。当時の私を振り返る。教師を退職し大阪の教育の再生を期し、挑んだ大阪府議選、見事落選し無職となる。それから一年、何するわけでもない私。無為に過ぎる時間。そんな
ソリューション・フォーカスト・アプローチ(SFA)(SolutionFocusedApproach;解決志向アプローチ)昨日の会合で聞いた言葉。新たな言葉に出会い、良い勉強になりました。簡単に言うと何かのトラブルが発生した時失敗した原因ばかりを突き詰めず、その過程の中で生かせるものを見つけていくという発想。対局ではない、もう一つの方法がプロブレムフォーカスアプローチ。問題そのものや原因に目を向けたり、会話をする考え。例えば100点満点のテストで30点しか取れなかった生徒に何
近鉄大阪上本町駅。白地に独特の薄い青色の車体。修学旅行特別列車、あおぞら号何故か胸がキュンとなる。我々世代の大阪人にとって小学校の修学旅行はあおぞら号に乗って行くのが当たり前。行き先は伊勢、鳥羽。伊勢神宮の参拝から鳥羽の水族館、二見ヶ浦、ミキモト真珠島、海女さん漁の実演などが定番。しかし何と言っても楽しみが宿でのアレ!そうアレですよアレ!“まくら投げ”大広間で男子全員で大暴れ。今の小学生もこんな事をして楽しめているのでしょうか?そんな遊びは絶滅したのかもしれま
昨日の産経新聞にはこんな詩が載っていました。「ひとつのおとにひとつのこえにみみをすますということは、もうひとつのおとにもうひとつのこえにみみをふさぐということにならないように。」人の話に耳を傾ける事は大切だと言う事は皆さん知っています。しかし耳を傾けているつもりが実は自分の都合の良い事にしか耳を傾けておらず、知らず知らず自分に都合の悪い事に耳を貸さないために都合の良い事にのみ積極的に耳を傾けてしまうということには気付がない。なるほど気をつけねばと思う。話し手、書き手の観点から
各地で教員採用試験が行われています。先週は奈良県。今週末は大阪府。奈良の青年、大阪の青年の面接指導をしました。二人とも真面目な青年。現場で今すぐ即戦力となるかの前に、根本的な素直さが見て取れる。ベースとなる資質の有る無しを面接官にいかにアピールするかが課題。教師に求めらる資質とは教育的愛情と使命感。教師が聖職者と呼ばれる所以がそこにあります。何度も言うが私の勝手な思いではありません。文科省が教員免許の取得者に求める資質として謳っています。教師の資質を見極め高めるには三つ
高校生に対し、大人になった教え子に対しどう向き合うか?一生の付き合いで初めて見えてくる教師の通信簿。真摯に向き合った3年間に嘘はない。嘘のない3年間が土台になり今も真摯に向き合える。そんな語りがいっぱいのラジオ放送動画をアップしました。(放送は毎月第三金曜日22時30分から)第2回放送ゲスト㈱暁総合調査事務所http://www.tantei-1.com/代表新屋義忠さん第1回放送ゲスト麺物語つなぐhttps://tabelog.co
このままでは最低な大人の代表が学校の先生になってしまう!いじめ聞き取りメモ隠蔽について思うこと神戸市教育委員会の無責任な組織的体質や、首席指導主事と校長の愚かで悪質な行為については今更何を言う気にもなりませんがあえて発信せねばと書いています。個々に立派な方もおられるかもしれませんが教育行政に携わる委員会の人間や現場の校長、教頭の全体的な体質や資質の問題が今回の事件を引き起こしたと如実に言えるのではないでしょうか?自分はそんなことは無いと思われる方々も、心の中は
以前ブログで大阪自動車青年会議所さんでの講演の話をブログにあげました。昨日、大阪自動車青年会議所会長の中原さんより下記の内容の連絡を頂きました。「大自青ホームページにも先月の報告で掲載しましたhttp://daijisei.com/またご活用ください。」五月の例会の欄に私の事を書いていただきました。本当に有難い事です。講演のテーマは「腹をくくる決意こそ、一生の付き合いの始まり」教師としての教育に対する矜持が企業の方々の経営や人材育成に役立つ
夢を追う男が柏原市にジムを開いた。レジェンドドラゴンジム。プレオープンのイベントに顔を出さしていただいた。元ムエタイ世界チャンプトモユキ選手。本場タイでジムを持つ、住之江時代の同僚守田君の紹介で知り合った。TOMOYUKI選手紹介https://www.k-1.co.jp/krush/fighter/371/試合スタイルは積極的に前に出るファイター。リングに立てば激しいオーラが全身から溢れ出る。普段は礼儀正しい純粋な男。イベントが始まり隅っこに佇む私に気づき、「お世話
今朝は飛鳥倫理法人会の経営者モーニングセミナーで講話をさせていただきました。教師が親が子どもを育てるとはいかなる事か?日本語、日本文化を紐解きながら話をさせていただいた。経営者の方々は社員の人材育成と言う観点で聴いていただけました。「叱り上手は誉め上手」テーマは今までと同じですが、中味は自分でも驚くほど進化しています。講演が終わるたびにフィードバックし改善していくことは日常的な事です。さらに講話の最中にオンタイムにアドリブ的に内容が進化する時があるのです。話しながら、ひらめい
昨日も若手教員からの相談。評価制度についての不満。この若手は管理職にどう評価されようが生徒としっかり向き合う努力は惜しまない。しかし、評価制度そのものにはガッカリさせられる事ばかりらしい。大阪公立高校の評価制度は簡単に言うと生徒の授業アンケートと管理職の評価を加味し、最終的には管理職が評価を下す。生徒の授業アンケートが教師の評価、処遇の大きな物差しとなるのです。もう一方で校長、教頭の判断が評価を左右するのも現実です。生徒の授業のアンケートで教師が評価される事の是非もあるので
地下鉄で住之江のラグビー部の教え子に偶然あった。お互いビックリ!「おー!久しぶり!」「先生!お久しぶりです」お互い後の約束もあるがそれでも一杯飲まずに入られない。すぐさま難波駅で降りて立ち飲み屋さんに部下の教育係をしている彼、歳はもう、40後半。今日も泊まりの研修の帰りらしい。人に物を教える事の難しさを語る教え子。ビールが進むうちに彼が部下の失敗をかばうために土下座した話を聞かせてくれた。「辛かったやろ。」と私。「なんか、部下のためやと思うと大丈夫です……」と教え子
自慢の先生に、なってやろう!~ラグビー先生の本音教育論~1,296円Amazon書店の「ラグビー本」コーナーにあったものを衝動買いした一冊。以前、このブログでは以前、静岡の弱小校を花園にまで導いた教師の著作を紹介したが、その内容と同じような、ラグビー部監督としての奮戦記を期待していた。そういう意味ではこの本は期待はずれだった。ラグビー部の強化の話はほとんどなく、学校全体をどう改革していくか、ひいては大阪の教育界全体をどうしていくのかについて、自身の体験を元に語っているという
今日も若手の相談が舞い込む。ある高校での話。休日の許された時間外での部活動に対し、担当の係りを通さず勝手に許可を与える教頭。事後処理を担当分掌で処理せねばならないらしい。担当係に話を通さず、管理職に聞く顧問も問題だが、聞きに来られて安易に許可を与える教頭の非常識な感覚には驚かされる。生徒のためになる事ならルールを例外的に扱う事も必要な時がある。しかし、例外的なルールの運用には事前、事後の配慮と周到な準備が無ければ組織の混乱の火種となる事は言うまでも無い。毅然とルールを守
「住の江の岸による波夜さえや夢の通ひ路ひとめよくらむ」百人一首の恋の歌。打ち寄せる波のように貴方に寄り添いたいのに、夢でもいいから夜の人目を忍んで貴方は来てくれないのか。住之江の岸による波…私は恋愛ではありませんが、この街には縁がある。初めて教師として赴任した住之江高校。廃校となり今はもう無い住之江に寄せる波のように寄り添い、寄り添われる、たくさんの教え子達、同僚、仲間。もう皆、いい大人になったがこの歌の寄せては引くさざ波のように絶える事なく未だにいい関
レアー例の一般化。最近私がよくブログで使うフレーズ。「どう言う事?」「わかりにくい!」とのご指摘を頂きました。確かに、最近読者になっていただいた方にはわかりにくいことかもしれません。今日はその説明を!私の講演ではお馴染みの「お焦げの理論」私が勝手に名付けた「お焦げの理論」。こんなことを言われた経験はありませんか?焼肉を突っついている時など、焼き過ぎて焦げた肉や野菜をまだまだ大丈夫と食べようとしたその瞬
昨日教師として使命感を持ち教育に従事し家庭では母親として子育てを頑張る、そんな若手教師が研究所を訪ねて来てくれました。私のブログにいたく感銘してくれているらしい。教師は使命感を持ってトコトン生徒と向き合うもの。そんなところが彼女と私の相互理解。しかし彼女は育休明け子育てと教師としての仕事の両立に思い悩んでいるらしい。自分の出来る事を精一杯すれば良い。生徒と向き合える時は向き合えば良い。早く帰らねばならない時は帰れば良い。そして自分の子供としっかり向き合えば良い。出来
ダメな学校というのは生徒がダメだと言う意味ではありません。生徒は皆それぞれ可能性持った存在。どんな生徒もダイヤモンドの原石。部分的な良し悪しはあれトータルとしてダメな生徒などはこの世には存在しません。私が言うダメな学校とは力のある生徒を伸ばしきれない組織や教師の事。三つの学校?これってどう言う事?一つの学校に普通科と商業科と工業科があるという事ではありません。同じ学校で一年生から三年生まで学年ごとにそれそれぞれが好き勝手に学年を運営し、一つの学校の中にあたかも生徒対
過日の経営者セミナーで承認欲求の話を耳にしました。確かに人は誰かに認められたいものです。承認欲求を満たし自己肯定感を高めモチベーションをあげる。企業経営者のセミナーではこのマズローの欲求5段階説は盛んに取り上げられます。マズローは「人は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定しますが自ら獲得した承認欲求の充実でなければ本質的な問題解決のできる成長には結びつきません。逆に、実態のない誉め言葉は時として人の成長を妨げることも知らねばなりません。的確で実態のある承認が求められるのです
教え子の慶事が続きます。3月10日、4月7日、5月5日、5月14日、6月9日と祝い事の連続。しかも6月9日は同日に2件、大阪と東京。本当に嬉しい悲鳴。さすがに6月9日は分身の術を使うわけにもいかず、連絡の早い者勝ちとさせていただき、東京へ。許せ!大阪の教え子。二次会に間に合うようなら行くからな。幸せの連鎖。とてつもない幸せの連鎖を紡いでくれる教え子達、教師バカの私としては呼んでくれた気持ちには一生の付き合いで返していってあげたいと思う。教師冥利につきる。過日の三月は広島
始業式。生徒にとっては今日が新しい年度の始まりです。始業式の風景も色々。予定通りの時刻に始めれる学校は以外と少ない。開始時刻になっても整列し切れずガヤガヤ、ガヤガヤ、ダラダラ、ダラダラいつまでたっても式が始めれない。こんな事も学校の空気を表す大きなポイント、日常の指導ぶりが現れる。しかしその学校の良し悪しを表す一番の視点は他にある。やっと始まった始業式。学校の空気感を表す違いは?教師が全員顔を揃えているかどうか?特に担任では無いのでと職員室から出てこない先生がいる学
盛んに学校の至らなさ、教師のマイナス部分をあげつらうブログを上げてきた私。一つ大切な事を皆さんにお伝えする事を忘れていました。教師には実際に力の差があります。これは仕方の無い事実なのです。誰しも、この現実から目を背けてはなりません。教師の世界は得てして力量を問うな。弱い教師の視線に立ってと生徒に言う事と同じ事を同僚にも強いる文化がありました。とても大切な一面ですが理想を追い求める事を束縛するものであってはなりません。素晴らしいリーダーの存在感が生徒の一番の成長となるなら
先日の学校の盗難についてのブログ『学校での盗難対応!言ってはならないフレーズ』(https://ameblo.jp/kondayao21/entry-12365259265.html)をさらに深堀してみる。学校は警察ではない、盗難事件にたいして犯人を捕まえることはなかなか難しい。しかし被害者のためにしてあげれることは沢山ある。何もせずに「学校は犯人捜しをする場所ではありません、警察ではありません」これでは誰も納得せず、何も先に繋がらない。被害者の生徒や保護者からのクレーム
今朝の経営者モーニングセミナーで明快な言葉を頂いた。私より先輩の凛として清廉なご婦人。その方は元々福祉の仕事をしておられた。自分が頑張れているのか?役に立っているのか?モチベーションに繋がりにくい、が率直な実感だと。御商売を始められ自分の頑張りが、売り上げという形で明確に成果として見える。自分のモチベーションが上がりさらにお客様にも感謝できたと。だから教育に身を賭す事は難しい。数字には現れにくい、卒業後の生徒の人生に教育の成果が現れる事が大半。生徒の感謝も日常では見づ
金曜日の夜のセミナー。若手を中心に12名もの先生方がたが集まってくれました。対話的な場に終始しました。来て頂いた先生がたには場の提供としてはその役割は果たせましたがその先のサジェスチョンを求めておられた先生方には物足りない時間になったやも。大いに反省しております。明けて今日は四月一日。教師の勝手な事情などお構いなく、新学期は始まります。ただ、ただ、生徒と向き合えば良い。聖職者としての矜持を持って向き合えば良い。始業式
国会審議で渦中の佐川氏を麻生財務大臣が呼び捨てした一件、その意図がどうのこうのと喧しくマスコミで騒がれていました。ホロ苦い過去を思い出します。国会と学校の職員会議の差はあれど、私も職員会議で同僚後輩教師を呼び捨てにして「同僚の職員を呼び捨てにするとは如何なものか?」「後輩と言えど呼び捨てにするなど人格否定、人権問題」と非難されたことがあります。失礼ではありますが、実際その滑稽さに思わずはにかんでしまいました。はにかんだ理由はその議論流れ。議論の中身では私が呼び捨てにした後
若い教師の駆け込み寺の感が出て来た、こんだ直人教育研究所。今日も若手教師の嘆きは止まらない。廊下でふざけて暴れている男子生徒達、大阪弁で言えばほたえている。それを注意する女性教員。「何か人に迷惑かけたんですか」と不満げに食い下がる生徒達。言葉面は丁寧を装いますが本心は明らかに不満を通り越し挑発気味。多人数の男子高校生に囲まれて多勢に無勢。それでも一生懸命指導しようとする先生。こうなれば理屈もクソも無い状況。残念ながら舐められいる。その後ろを通りすがる、男性教師。何食わぬ
住之江高校ラグビー部教え子のラーメン店「麺物語つなぐ」に立ち寄る。この春で一周年を迎える。浜松のラーメン店で単身修行を積み大阪に戻りラーメン店を開業。修行中のラーメン店にいきなりラーメンを食べに行って驚かせてやったことが懐かしい。(浜松のラーメン店にて)1周年記念イベントは有名ラーメン店さんとのコラボを企画。周年記念ラーメンも出品するとか。御託を並べる前に決断行動する教え子に頭が下がる。思ったり、知っていることなど何の意味もない。