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姉はすぐに駆け付けてくれましたが、24時間体制の看護師さんにかけた電話は繋がりませんでした。(そりゃそうだよな。24時間体制っていってもずっと起きて待機しているわけじゃないし・・)いつもと違う様子の父に何をしてあげたらいいのか分からず、私達は父の体をさすり続けました。しだいに声掛けにも反応しなくなってきました。ただ、いつもと違う呼吸をしてるだけです。看護師さんからの着信があり、父の様子を説明し今すぐ来てくださいとお願いしましたが、「落ち着いてください。もしかしたら最後の時
10月中旬。余命1ヶ月と宣言されてから2か月が過ぎました。父と喧嘩をして、挨拶もしないまま帰宅した私がまた実家に戻った日。貼る麻薬テープの影響でうつらうつらしていた父。義兄の誕生日ということもあり、姉夫婦が来て久しぶりににぎやかな夕食でした。朝からほとんど何も食べていない父の口元に母が「お祝いだから」とケーキを持って行きましたが、首を横に振って食べませんでした。義兄に「いくつになったんだ?」「そうか良かったな。」と会話していましたが、私は一切父に話しかけませんでした。姉
排泄と床ずれについて父は昔から排便に関しての強いこだわりがあり、どんなことがあっても一日一回以上下手をすると毎食後にトイレに長時間こもる人でした。そんな父が寝たきりになり食が細くなって、普通に考えても排便の回数と量は減るはずなのに、💩が出たいけど出ない。指で掻き出してくれと度々頼まれました。「食べてないんだから二日くらい出なくても大丈夫だよ。」と諭すのですが、素直に聞く父ではありません。さすがに素人の私たちでは出来ないので、訪問看護師さんにお願いしました。そのほかにも💩が出
父の「婆さん連れて一緒に死ぬから放っておいてくれ!」の言葉にぶち切れた私。あろうことに、死期が迫っている父に向って「ふざけないでよ!!なんで婆ちゃんを連れて死ぬの!?一人で死ねばいいでしょ!!」やら「家族の事を思っているなら緩和ケアに入るとか思わないの!?男らしく潔く決断してよ!!」などとまくし立て、看護師さんに「あらあらどうしたの?」と心配されてしまう始末。おそらくこの一件を真剣に受け止めてくださった看護師さんが、家族も疲れてると訪問ドクターに話をしてくれたよう
退院してから1か月。余命宣告の日を乗り越えた父ですが、日中は何するでもなくベッドの背を起こすことさえ嫌がるようになり、食事も、水分をとるときでさえ寝たままを要求しました。誤嚥性肺炎になってしまうと危険なので、だましだまし自動で背中を少しずつ起こします。すると、起こすなと怒り出す始末。食欲がないので高カロリードリンクやゼリーを買い込み、少しでも口に入れて欲しいと食べてくれそうな食材や果物で冷蔵庫はいつも満杯でした。私も飲む点滴と言われた無添加の甘酒を持って行ったな~。父に「
父と母が泣きながら大失禁の片づけをしたと聞かされた時姉は「老々介護は無理だから病院に入院して。」と言ったそうです。父は「治療は受けたくないし自宅で臨終を迎えたい」と、母は「体力的に娘たちに頼るか入院してもらわないと無理。でも、爺ちゃんは自宅で死にたいと言ってるから可哀想・・」私は、やはり最後の最後は緩和病棟に入ってもらってプロの方々に身体のケアをお願いしたいと思っていました。訪問ドクターと看護師さんにも父は「一切治療はしたくない。」と宣言していたため、本来ならば週に2回
この頃は、芸能人や漫画家など、60代~70代で亡くなる方が多く、(中には曙のように50代の方も…)自分も大体似たような年代なので、自分が死ぬときには、どうやって死んでいくのかな~とか、考えることがあります。(たまに)私の場合、高齢の母がまだいるので、母より先に死ぬのは最高の親不孝になるので、まだしばらくは死ねないけど、死ぬときには、やっぱり、自然がいいな~と思います。病院で、切り刻まれて、管に繋がれて、食べ物も自動的に胃の中に流されて、ただ、命だけつない
半ば強引に退院してきた父は食事とトイレ以外はベッドの上で過ごしていました。痛みはないものの、時々高熱を出すのでその度に時間に関係なく姉が呼び出されます。私も1週間毎に泊まりに行きました。しばらくすると食事もベッドの上で摂りたがるようになり、おまけに母に食べさせてもらうという甘ちゃん状態に。ショックだったのは💩をリハビリパンツ(紙パンツ)でさせてくれと言われた時です。「支えるからトイレに行って」と頼んでもベッドに寝たまま踏ん張り始めるのです。今まで、犬猫の💩と赤ちゃんの💩
9時間の大手術を乗り越えて4ヶ月の入院生活を過ごした父は、リハビリを頑張り、私たちの心配をよそにボケることもなく、5月、晴れて退院することが出来ました。6月には姉夫婦、私と夫、孫たちを呼んで快気祝いをする程元気になり、7月には姉の反対を押し切り、夫婦で2泊3日の温泉旅行に行きました。その温泉旅行が父と母の最後の旅行になりました。旅行から帰ってきた夜に父が高熱を出し3度目の救急搬送に。胆管が詰まっているとのことで、8月2日再手術をしました。手術後は下血が続いたり、コロナ陽性に
父の癌が発覚した時のことR4・12月下旬母の誕生日とクリスマスを兼ねてひ孫達(姉の長男家族)の家にお呼ばれ。帰宅後におなかが痛いと訴え町医者に行きました。ただの胃腸炎とのことで胃薬を処方され帰宅。R5・1月お正月に自分の誕生日を祝って欲しいと姉夫婦にホールケーキをおねだり。1月7日激しい腹痛で総合病院に救急搬送。胃腸炎ではなさそうなので精密検査を勧められる。もともと前立腺がんの定期健診で通っていたがんセンターに精密検査の予約を入れるも2週間後。いつ腹痛に襲われるか、母が怖
8月のお盆休みに勝手に退院してきた父。通常なら一ヵ月ほどかかる介護認定も、末期癌ということで特別措置をしていただき数日後には介護用電動ベッド、トイレと浴室の手すりの設置が完了しました。入院中は一度もお風呂に入れなかったため、姉と私が変わりばんこで入浴介助をしました。と言っても、背中を流す程度で他は自分で洗ってもらい、出るときに転ばないように待機するといった程度でとにかく父のプライドを考慮し、局部を見てはいけないという気持ちでタオルを掛けたり立ち位置を考えて介助しました。
コロナ禍、面会も制限された入院生活が続いたにもかかわらず、87歳の父の頭はシッカリしていました。退院前の主治医との会話はこうだったそうです。「先生、私はあと何年生きられるでしょうか?」「年・・はないね・・・」「半年ですか?」「う~ん。半年も難しいかな・・・」「3~4か月ですか?」「・・・・」「先生、私はね、人生何の後悔もないんですよ。ただ、女房を見送ってから死ぬつもりでいたので、それができないのが心残りです。」母も87歳。料理と洗濯以外の家事はすべて父がやってい
夫は…今日は抗がん剤の日。ストーマ外来と皮膚科の受診もかな。。付き添っていないし夫からも報告が無いので、どうだったのか?は解らないけど💦ただ、めずらしくLINEで…今から帰ります。食欲無いのでゴハンは軽く。と、ありましたどうして食欲が無いのか?主治医から何か言われたショックなのか?帰宅した夫に………食欲無いってめずらしいねぇ~。とうとう、貴方にも普通に吐き気が出るようになったのかねぇ~☺️と聞いてみた(笑)吐き気止めは飲んでるし、たまには食欲も無いことあるでしょ。ただ
ブログに寄り道してくれてありがとうございます😊ホッと一息ついていただけたらうれしいです♡ゆったりと気楽に、素直に、素敵に生きていく。2024年元日からスタートしたことがあります☺それは家計簿をつけること✨昨年父が、亡くなったあと2週間ほど、私は一人で福島に滞在して母と過ごしました✨母と過ごす2人の時間は私にとって最高の学びの時間となりました✨母は、無駄にお金を使いません。普段の食事はとても質素です。ご近所から頂いたお野菜を大切に、無駄なく調理して
悪性リンパ腫と2年半闘ってきた父さん(夫)父さんの余命は突然に宣告されました『病気のこと7突然の余命宣告』悪性リンパ腫に感染して闘病していた父さんのこと『病気のこと5car-tか緩和か?最後の入院』2021年春からはじまった父さん(夫)の悪性リンパ腫と…ameblo.jp父さんの余命宣告を受けて、まずわたしがしたのは、職場への休職の申請でした父さんをうちに連れて帰り、最後の時まで一緒の時を過ごしたいこれは父さんが悪性リンパ腫に罹患した時から、余命宣告されたらそうしようと決めて
コロナ陽性がわかって、2日間は38℃台の熱があったけど他症状はなし。陽性が判明して、家族皆んな家庭内でもマスクをしたりしたけど、まあ当然ながら時すでに遅し…家族全員、仲良く頂きました💧デルタ株の時、たった1人感染した下の子。今回は2回目やからか、1日だけの熱で元気いっぱい。夫は、自分の隔離期間が終わって体調も戻ったので、またもや仕事で鹿児島へ。このコロナ感染で出来なかった、約1ヶ月のケモがこんなにも命を縮めてしまうのか、と…鹿児島へ行くのをゆるしてしまった自分を、めちゃくちゃ責めた
2022年12月7日、久しぶりに診察に同席した。今まで私は、毎回診察に同席したかったけど、「1人で大丈夫や、俺は大人やで。ちゃんと内容は隠さず教えるから安心し。ホンマにしんどなったら付いて来てってお願いしなあかんから、(有休は)まだ残しといて」と夫に言われてた。でも…毎回一緒に来れば良かった…一緒に、主治医の先生と色々相談したら良かった…と、後悔ばかり。夫の癌が大きくなってた…骨盤に新たなメタ…毎週投与のケモに変更しましょう、と。倦怠感とかは少ないっぽいけど、脱毛(ツルツルにな
外来ケモ6クール。診察で現況を伝え、血液データで腫瘍マーカーは下がって来てるしと、エルプラットの点滴はスキップ(なし)。ヘモグロビンが8.0台やから、食生活で補うように言われたって。私もずーっと貧血。大嫌いなレバーは克服出来ひんけど、ひじきは食べれるようになった!夫はレバー大好きやのに、私が嫌いやから食卓に出す事は一度もなかった。私は味見も出来ないから、ネットで学んだ臭みを取る下ごしらえをして夫の大好きなレバニラを作ってみた。レバー好きな次女に味見をしてもらったら、「最高に美味しい!パパ
去年の今日は、病名告知してされた日。次の年にはお別れになるなんて、全く考えてなかったな…5クール目のケモ2日前に、両家の親達が会いに来てくれた。以前の体重にほぼ戻ってたし、ご飯も普通に食べれてたので皆んな安心してて、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごせた。外来ケモの回数を重ねる程、やっぱりしんどさも強くなってきて、横になる時間も増えて来た。それを診察で伝えると、エルプラットの薬液量が減量された。1週間間隔を空ける事も提案されたけど、後悔することになると嫌だから頑張ると断ったって。ケモ後辛い
関西と違って、関東は7月13日からお盆らしいです🏮今までどんなにお願いしてても、会いに来てくれなかった夫。ついに…夢の中ですが、会いに来てくれた❤️しかもまだ元気な時の姿で、「帰って来たで」って笑私は夢の中で冷静に話してる。色々話した後に勇気を振り絞って…「〇〇(夫)が亡くなって、私はホンマに空っぽになって寂しい。ずっと一緒にいたい。もう離れたくないからここにいて欲しい。遠くに行かないでよ」って伝えた。夫は…黙って下を向いてて。そこで目が覚めた。私は、やっぱり泣いてた。
外来ケモ2回目(3クール目)が終わったら、倦怠感と眠気が強くて、10日くらい仕事に行けなかった。それでも、家でPCと電話で指示を出しながら、仕事は続ける夫。退院してからは食欲もあり、5kg程落ちていた体重も少しずつ戻りつつあった。それでも筋肉が落ちたのもあって、椅子が痛くて座ってられない、と何脚椅子を買ったかな…笑椅子やクッションが増えて、狭くなっていくリビング。それでも、もう買わないでとは言えなかった。少しでも、楽になって欲しかったから。3クール終わったので、効果判定のCT+MRIを
退院してから…私は一緒にいたかったけど、仕事しないとね😭ちょうど夏休み中だったので、夫は娘達とランチに行ったり近場のモールへお買い物に行ったりして、楽しく時間を過ごしてました🤗ダルさ・眠気があるので、ちょこちょこ横にはなってたっぽいけど、起きてる時はPCに向かってた。仕事はとりあえずええやん!と思ってたけど、夫にとってはそんな簡単な事ではなくて…今まで苦労して来たけど、やっと軌道に乗って安定して来た仕事。とても楽しいって言ってたけど、絶対私達家族の為に必死に土台を作って頑張って来た成果だと
今日は七夕🎋去年は、こんな事になるのをお互い知らずに…私の腰椎椎間板ヘルニアが悪化して、・オペが必要・1週間程度の入院が必要・オペ後のリハビリも必要(期限は未定)で、諸々話し合ってた…もちろん、電話とLINEで。1ヶ月後には、私の体なんてどうでも良くなるような出来事がある事に、全く気が付かなかった。1年に1度でも、真面目に頑張れば夫に会えるのなら、私は必死のパッチで何でもやる。夫に、会いたくて、触れたくて仕方がない毎日。
ケモによる副作用は、手足の痺れと口腔の過敏性。指先は常に痺れがあって、冷たい物も温かい物もピリピリすると…口腔内もそんな感じで、冷たい物を口に出来なくなって真夏なのに常温の水を飲んでた。食欲はあるけど、元々軟らかいお米が嫌いな夫は、病院のお粥が食べられなくて。売店で色々購入しては、食べてた。それでも入院中、体重が5キロ減った。脱毛はしない薬なので、これと言った外見の変化はなかった。検査の結果、脳や他臓器への転移はなくようやく一安心。ケモは3週間毎なので、入院中は一度のみ。入院して20
ケモ開始と同時に、骨メタに対して麻薬の内服が始まった。眠気が強くて、なかなか電話も話せない。「ごめん…眠いから切るわ…起きたらかける。痛みは大丈夫やと思う。ホンマにごめん…」何回もこの言葉を聞いた。謝らなくてもいいのに…いつも、夫は私に謝ってた。そして、24時間、電話を待つ私。いつでも電話出来るように、入院当日から個室を希望した。コロナ禍で、面会出来ないから。洗濯物とかもホンマは病棟経由やったけど、顔が見たいって夫が病棟にお願いしてくれたから、2m離れて手を振る数秒がとても貴重やった
今日は、私の誕生日🎂去年は単身赴任先から、LINEと電話があったのに…今年は、一言も届かない夫にこれまで何日も何回もLINEを送った既読にならない返事も来ない声が聞きたいまだまだ受け止められない
8月4日、いよいよケモが始まった。SOX+ニボルマブ療法、ニボルマブ(オプジーボ)ってゆう免疫チェックポイント阻害剤を使用する事になった。友人の国立がんセンターで研究をしている友人に聞いても、現在最強に良い薬だと…そこに期待するしかない!夫なら、絶対に大丈夫!その日仕事の私の代わりに、娘達が洗濯物を取りに病院へ行ってくれた。夫は比較的体調良かったみたいで、良かった。私や娘達に弱い姿を見せるの、めちゃくちゃ嫌がるからね笑それで良いのかなと思う。深刻な副作用がなければ、退院出来る予
入院してから6日目の8月2日、先生からちゃんとした説明があった。それまでは、検査の毎日。「食事がお粥やからまずくて食べられへんわ〜!」って言う夫。毎日輸血しても、ヘモグロビンは7.0台のド貧血。そして病名は…スキルス胃がんステージ4傍大動脈リンパ節転移多発骨転移・手術の適応はない・治療ではなく延命がメイン・痛みとかを除く緩和をしていく色々と話して下さる先生を前に、私はやっぱり病名にショックを受けてしまって…スキルス胃がんは、私の友人の医師と先輩ナースが若くして亡くなった病
2022年7月27日の朝、私の出勤前に単身赴任先から2ヶ月ぶりに夫が帰って来た。「しんどい…」って、めちゃくちゃ顔色悪くて痩せていて…昨日、突然黒い嘔吐と便があったと。近医を受診して胃カメラしてもらえる病院を紹介してもらうって言って、「大丈夫やし仕事行き。何かあったらすぐに連絡するから」と言われ出勤するけど…あの顔色、めちゃくちゃ気になる…結局、午後から行ける事になった内視鏡のクリニックで血液データ異常があり、大学病院へ緊急で向かう事になった。Hb4.0台(男性で普通14〜18くらい)
2023年5月11日に、大好きな夫が亡くなりましたヤンチャな2つ上の夫とは、結婚して16年、沢山ケンカもして来たけど何より私が夫の事が大好き過ぎて…建築系の自営業をしていた夫ずっと単身赴任をして仕事を頑張ってくれてました2人の娘に恵まれて、とても家族を愛してくれて大切にしてくれました仕事上確実な約束が出来なくて、家族旅行の予定なんかまともに立てれた事がないけど、突然帰れる事が決まった時は近隣の温泉旅館の一番良い部屋をいつも予約してくれたり…私が求めてるのはそこじゃないんやけどな…的な