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ブログ更新5493回目京都最古の禅寺であり臨済宗建仁寺派の大本山。秋には境内のいろは楓や灯台躑躅などが赤や黄色に色付く所長休日散策ぶらり~お散歩旅です。京都最古の禅寺であり、臨済宗建仁寺派の大本山。宋で禅を学んだ栄西が、建仁2年(1202)、中国の百丈山を模して建立した。勅使門を正面に、三門、法堂、方丈が一直線に並び、禅修行のひとつである浴室も現存している。方丈は慶長4年(1599)、安芸の安国寺から移築した優美なこけら葺きの建物。本尊は法堂の釈迦如来。大雄苑という枯山水の庭が美しい
【山田無文老師臨済録提唱】~赤肉団上に一無位の真人有り~-YouTubewww.youtube.com[YouTube説明文より引用させていただきます]この糞袋の中に位のない仏がいる、一無位の真人あり。みんな位を持っているからいかん。凡夫という位を持ってもいかんぞ。お互いの身体の中に、位はないが何処へでも出て行ける自由な達人が一人おられる。[以上引用終][宗門安心章を読んで感想を書きます]悲しいかな、われら一念に悟れば直にこれ仏となるを知らずして、却
中世の西尾市域を治めた吉良氏の菩提(ぼだい)寺だった西尾市上町の実相寺で10月31日、吉良氏発祥800年と同寺創建750年を記念する献茶式が営まれました。今年は吉良氏が吉良荘(今の西尾市域)を治めるきっかけとなった承久の乱(1221年)から800年、吉良氏2代目の吉良満氏が高僧・聖一国師を開山に迎えて1271年に実相寺を創建して750年という節目を迎えています。創建750年を迎えた実相寺これを受け、同市で本年度、「吉良氏800年祭」を展開している実行委員会(斎藤吾朗会長)が、吉良氏歴
2月28日の日曜座禅会にも原田老師が一緒に座られてお話もいただきました坐禅には、このように向かい合って座るやり方とまた壁に向かって座るやり方があります。壁に向かって座るやり方は面壁といいます。当初、達磨大使は壁に向かって座られていました。面壁、向かい合って座るのは宋代、1200年前に生まれたやり方です。この向かい合うやり方を用いているのは臨済禅のみです。曹洞禅は面壁です。それは当初の座り方がそうだったからです。坐禅そのものは相手を意識しないでこの世界のすべてを自ら
静岡県袋井市には、「目の霊山」として信仰を集めるお寺がある。その名も医王山薬王院油山寺。遠州三山の一つに数えられる古刹だ。当寺は行基菩薩の開創で、奈良時代の天平勝宝元年(749)に孝謙天皇の勅願所となった真言宗の古刹である。孝謙天皇が眼病を患った際に、当寺の本尊である薬師如来に眼病平癒を祈願された。境内を流れる「るりの滝」にて加持祈祷を行い、この霊水で御眼を洗ったところ、病気が全快したという。このことから、当寺は孝謙天皇から勅許を受けて勅願寺となったのである。その後、歴代の天皇をはじ
二度にわたる水戸光圀公の招きを断り〜農耕と山で木を伐る日常を送り正受老人は「臨済禅」を今に残す〜酒井盤山和尚の講話「正受庵」⑨正受老人は、弟子の養育に、本当の仏教を知り得る専門家をつくるために努力いたしました。自給自足の生活をしておったのであります。農耕し、山で木を伐っての日常低でありました。やがて水戸光圀公が、この偉大なる正受老人のあり方というものを知りまして、水戸から二度も使者を使わして水戸藩に来ることを勧めているのでありまするが、一切の栄を省みない正受老人にとりましては、どんな宝物も
正受庵本堂正受庵墓所中央の栽松塔が正受老人のお墓正受庵さんの托鉢日本の臨済禅を〜ただ一人雪深い飯山で守り通してきたのが正受老人〜正受庵は臨済宗の聖地酒井盤山和尚の講話「正受庵」①この寺は、臨済宗という宗派に所属しております寺院であります。臨済宗というのは、禅宗でございます。禅宗の中には、臨済宗と、曹洞宗、黄檗宗という三つの宗派がありますが、この寺は、臨済宗のメッカ=聖地だと言われるほど、臨済宗にとりましては、非常に重要な寺院であります。鎌倉時代に、禅が日本に渡りましてから、徳
京都最古の禅寺(建仁寺)。臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁二年の開創で、寺名は当時の年号から名付けられています。山号は東山。諸堂は中国の百丈山を模して建立されました。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第十一蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場になりました。800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっているお寺です。雷神と風神襖絵法堂。創建800年を記念して『小泉淳作画伯』法堂天井画〈双龍図〉が描かれました
黄檗宗カレンダー(小)7月です。“無門関”という本があります。臨済禅を学ぶ者にとっては、バイブル的な1冊です。その中に載っているエピソードです。確か、次のような感じの話だったと思います。お釈迦様も生まれていない遠い昔、ある僧が弟子から尋ねられました。「修行を極めた人でも因果応報の世界に落ちてしまうのでしょうか?」その僧は、「因果の世界には落ちない。」と答えました。その瞬間、野狐になってしまい、以来、500回生まれ変わっても
◆【お節介焼き情報】黄檗宗の開祖隠元は禅宗に大きな影響を与える「お節介焼き経営コンサルタント」が、経営やコンサルティングに関する情報だけではなく、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。それらの中から、直ぐにお役に立つような、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。■隠元4月3日は、黄檗宗の開祖である隠元(1592~1673)の没日です。明代に中国の福州で生まれ黄檗鑑源の門に入り、臨済禅を学びました。承応年には江戸で
■【心で経営】歴史・宗教に学ぶ経営隠元念仏禅を日本に伝えるKH81191日本経営士協会は、ご存知の方も多いと思いますが、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。会員は、それぞれ異なった専門分野を持っていますので、経営士同士が競合するというよりは、専門外の分野で補完し合っています。これを「共業・共用・共育」といっています。コンサルティングという実務を通じて、いろいろな体
2019/04/2523司馬遼太郎「街道をゆく三十四」朝日新聞社1990年4月10日第1刷発行初出週刊朝日1989年4月7日号から1990年11月3日号連載。862回から887回まで。大徳寺散歩紫野高橋新吉と大徳寺念仏と禅真珠庵思慕とエロス『狂雲集』禅風金毛閣松柏の志大山院風食水宿の譜肥後椿陽気な禅小堀遠州大徳寺は京都にある臨済禅の総本山の一つで、大燈国師が十四世紀南北朝時代に開いた禅寺
絶対開運!パワースポット選:山★島★海★湖★池★街日本、世界の神霊域Amazon禅宗というと、坐禅をする宗派というイメージがあると思います。そこでする修行、所謂、禅修行はとりわけ厳しい印象を受けるのではないでしょうか。私は、高校の修学旅行の時、禅寺で禅修行の体験をしたことがあります。禅修行とはどういうものか。目をつぶって、じっと坐って、微動だにしない。少しでも動くと棒で叩かれる。怒鳴られる。実際、その時は
岩咲ナオコのブログに訪問してくださいましてありがとうございます。【喫茶無心】先日は売茶真流煎茶道初煮席でした煎茶道を学び続けて十余年臨済禅の教えとともに些細な暮らしを丁寧に生きるそんな事を教わってまいりました変化ばかりを追い求めていると本当に大切な事が見えなくなってしまいます【驀直新たなり】今年も学びにそして教授に励みたいと思います。茶禅草堂【煎茶道教室のご案内】毎月第4木曜日薬師寺東京別院にて開講しています。お問い合わせinfo
日時2019年1月29日(火)19時~21時(開場は18時30分から)場所:和泉橋区民館5階洋室D〒101-0041東京都千代田区神田佐久間町1丁目11−7JR秋葉原駅昭和通り口から徒歩2分都営新宿線岩本町駅から徒歩3分東京メトロ日比谷線秋葉原駅から徒歩1分会費:社会人1,000円学生無料(会場費、資料代)※当日、会場にて集めさせて頂きます。【対象(参加条件)】どなたでも参加できます。【詳細内容】あふれる情報の中で何が本当に大切なことか、本質を見抜く直観力が、今ま
安楽寺別所温泉長野県上田市別所温泉2361山号崇福山宗旨曹洞宗本尊釈迦如来日本では最も古い臨済禅寺の一つです国宝八角三重塔全高18.75メートル木造の八角三重塔は全国で一つ写真はお借りしました下から見ると椎茸の裏側みたいですそういうことをいうのは不謹慎ですね不気味というかなんか気持ち悪い実毒でもありそうですね御朱印
一冊は対談本、ジブリの精神って禅的だし、仏教的なんだと感じます。その上で、そこにそんな意味があるんだとか、そのシーンをそんな風に読み取るのか?とかを考えさせてくれます。もう一冊は細川晋輔さんの本、曹洞宗の体験本や僧侶の方の本は読みますが、公案禅の体験談は少ないし、始めて読みました。昨今の様々なブームとは一線を画していて、修行とは?禅とは?ということをまっすぐに向き合い生きた、生きている記録と言えそうです。考える禅っていいなと思えるし、読み終わるとすがすがしさや潔さを感じます。魚川祐司さん
今回は衆知の笠倉先生の記事から碧巌録から百丈和尚の話百丈懐海(ひゃくじょう・えかい。七四九~八一四)禅師は、唐の時代の福建省長楽の生まれ、二〇歳で西山慧照和尚のもとで出家し、南嶽の法朝律師から具足戒を受け、広く仏教を学び、馬祖大師の法を嗣いだ。そして江西省の大雄山(だいゆうざん。百丈山)に大智寿聖寺(だいちじゅしょうじ。百丈寺)を建立して禅風を鼓吹し、い山霊祐(いさん・れいゆう。い:さんずいに為)禅師、黄檗希運(おうばく・きうん)禅師など多くの弟子を育てた。禅の教えは自分の心を静
今回の勉強会では生死についてをテーマにいかに生きるかについてはよく聞くこともあり取り上げられるテーマとしても多いと思いますがいかに死ぬか?はなかなか無いと思われます。禅においては「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」(生きること、死ぬことの意義を明らかにするのが、仏法を学ぶ者にとって最も大切な問題である)という道元禅師の言葉があります。また、唐時代には、型にはまった禅問答よりも、その場その場で活き活きとしたやり取りをすることが尊ばれました。参加者の方からはちょう
『この国のかたちー六』ー司馬遼太郎●維醤油の話ー②✪その後、師の行勇が死ぬと、京にのぼり、禅に転向した。禅も、流行の臨済禅ではなく、宋から曹洞禅を持ちかえった道元(1200~1253)に就いた。年は三十半ばになっていた。晩学ながら大いに修行し、道元から、戒脈を授けられた。密教と曹洞禅では思想の根底からして異なっている。そのいずれものいわば学位を得たというのは、覚心にとって求道よりも、異なる思想体系を学ぶことが楽しみだったのかもしれない。四十を過ぎて上州の世良田の長楽寺にゆき、栄朝という
『この国のかたちー六』ー司馬遼太郎●維醤油の話ー①✪信州というのは、近世以後、堅実な知識人を出しつづける風土として知られるが、源平時代以前は太古以来の森のように静まっていた。のちに、臨済禅の巨人のひとりになる覚心(1209~98)もそのひとりであった。ただ、彼には、鎌倉期の禅僧にありがちな華美なところがない。彼は、いまの松本市の西南方にある神林(かんばやし)という里に生まれた。俗姓は、常澄(つねずみ)氏という。おそらく農民の子だったろう。彼には母親の存在が大きく、十五歳で神宮寺に
今回は出処進退について、引き際と後進に道を譲る事についてを解説頂きました。東アジア(中国、朝鮮、日本)における最大の古典である「論語」の精神は、徳治(とくち)主義といわれます。徳のある立派な人物が、正しい理念と思いやりの心をもって人を治めていくという考え方です。徳治の中身には、いろいろな面がありますが、どのような人にも寿命があるように、要職にある人にも、引退の時期が来ます。そのときの出処進退、特に退く時に潔くきれいに退くということが大切ですが、同時に難しくもあるとされます。出処進退の爽やか
今回は、前回好評の佐藤一斎の言志四録に続き、佐藤一斎の「重職心得箇条」に学ぶ「重職心得箇条」は幕末の天保・弘化の頃、幕府教学の大宗であった佐藤一斎が、その出身地である岩村藩(岐阜県恵那市)の為に作った重役の心構えを書き記したもの佐藤一斎(さとういっさい)は、安永元年(1772年)に江戸浜町に生まれました。安政六年(1859年)に、八十八歳の天寿を全うしますが、死の直前まで現役の教育者として大活躍しています。当時としては、驚異的な長命であったと言えます。青年時代(今でいえば中高校生の頃
◆【経営士ブログ今日は何の日】4月3日日本橋開通記念日みずの日一年365日、毎日が何かの日です。季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・という
日時2018年3月29日(木)19時~21時(開場は18時30分から)場所:和泉橋区民館洋室D〒101-0041東京都千代田区神田佐久間町1丁目11−7JR秋葉原駅昭和通り口から徒歩2分都営新宿線岩本町駅から徒歩3分東京メトロ日比谷線秋葉原駅から徒歩1分会費:社会人1,000円学生無料(会場費、資料代)※当日、会場にて集めさせて頂きます。【対象(参加条件)】どなたでも参加できます。【詳細内容】あふれる情報の中で何が本当に大切なことか、本質を見抜く直観力が