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今日も嘔吐したみたいです。先生もなんでかなぁ、、、って。頭のCTを今日はとったみたいです。なんで?頭に飛んでるとか、、、悪い想像ばかりしてしまいます。治療がとまってもうすぐ1ヶ月になります。母もここまで頑張ったんだから嘔吐の原因を知りたいし、治したいと。歩けるようになったし傷口もよくなってきているみたいでこちらは安心なのだけど食べれない、、、バイパス手術をした方教えてほしいです。今日より明日が神様お願い母がよくなっていますように。
2022年春の学校検尿で要検査となってから通院が始まり、転院先で2023年2月に腎生検、3月に膜性腎症と診断されてから1年。あれから1年しか経ってないんだ…昨年はいろいろあったから、すごく前のことに感じる。毎日の服薬が始まり、3ヶ月毎の検査で経過観察。今日が定期検査だった。尿検査、採血とも問題なし毎回、体重が増え過ぎだと指摘されていたけど、今回はそんなに増えてない毎日、風呂上がりパンツ一丁の息子の後ろ姿を見ても腰の贅肉が少し減ったかなと思っていたし、体重計にはできるだけ毎日乗るよう
膵頭十二指腸切除術から半年経過しました。定期検査の造影CT検査、血液検査の結果を夫婦で聞きに行きました。再発転移の兆候はないとのこと。今の薬を継続して服用し、次の検査の予約を3ヵ月後にとって帰って来た。血液検査の結果もよく、糖尿病なども心配ない数値。癌がわかるまでの夫は、食事も一日に1〜2回食。基本的に朝食は抜き。お酒も毎晩。寝るのも午前3時とか。職業柄やむを得ないところもありましたが、癌を患い、手術を受け、薬の服用もあることから、薬の前に食事を取るようになり、お酒もほとんど飲まなくな
今朝、主人が旅立ちました膵頭部癌でした。紹介してもらった大学病院ではステージは言わないと言われたのですか癌の大きさは3センチから4センチぐらいあったと思います胆汁が流れず黄疸も出ていたのでステントを入れてもらいました抗がん剤治療をしたのですがまともに受けられずスキップ、スキップの連続で小さくなるどころか肝臓に転移しました十二指腸にも浸潤してました入退院を繰り返し仕事に復帰できないまま抗がん剤治療も出来なくなり緩和ケアの病院に転院して2週間でした
一昨日、母の抗がん剤の1回目の日でした。一昨日の夜は、なかなか眠れなかったみたいですが、昨日は朝から掃除と洗濯をし、普通に過ごして、夜はぐっすり眠れたそうです。2日経って、今日は14:30くらいまでは元気だったのですが、だんだん顔が火照ってきて、グッタリ。朝に食パンを半分食べて以来、食欲がなく、母本人も初めての事で、不安だったのか、病院に行きたいとのことで、今、点滴をして、先生の説明を受けた所です。13日に退院して、家での日常の生活に戻ったのですが、味覚が戻らず、ほとんど食事を取
2023年12月7日今週は、抗がん剤点滴のはじめての休薬週です。抗がん剤点滴に行かなくてもいいのは気持ちが楽になりますしかし、その反面、抗がん剤点滴早くして、癌を小さくしたいと焦る気持ちも少しあります考えてても仕方ないので、しっかり食べて元気な時はウオーキングでもしよう先週土曜から毎日2000步から3000歩でしたが、今日は久々にかなり歩けました
2023年12月6日10月30日の血液検査で癌が疑われる異常数値となり、11月1日から検査入院して、10日に膵頭部癌の確定診断、その間に2度の胆管ステント留置術、16日から抗がん剤(アブラキサンとゲムシタビン)点滴開始して1クール過ぎました。元々癌による痛みはなく、胆管詰まりによる全身だるさ、疲れ、黄疸で病院に行き、癌が見つかっております。抗がん剤効いてるのか毎日不安になります。たまにみぞおち痛くなると、癌が悪化して痛くなっているのかな?と不安になります。元々6センチの大きさ、しかも
膵頭十二指腸切除術から約3ヶ月。術後の検査の結果、再発転移なし。術後に知らされた病理検査の結果、夫の癌はとても珍しいものと分かり、再発転移のリスクが低いことから術後化学療法は行わず、定期検査で経過観察していく。再発転移のリスクが低いとは言え、絶対にないとは言い切れないから定期検査を受けるわけで、検査結果がどう出るのか本当に不安だった。医師から再発転移はなかったと聞いた後、私から質問を3つした。①息子への遺伝の可能性。ないでしょう。②今後飲む薬の種類と量。量は体調により調整して
膵頭十二指腸切除術から2ヶ月が経過しました。術後合併症もなく、食事の量も日々増え、体力もつき、いよいよ仕事復帰します。膵臓癌とわかった時、私の本心は絶望感でいっぱいだった。手術可能と決まった時は安堵する反面、無症状なのに…と手放しで喜ぶ気持ちにもなれず。でも夫は元気に過ごしている。無症状で見つかったこと。仕事が調整できるタイミングだったこと。手術に耐えられる夫の体力と年齢。確定診断後すぐに転院すると決めたこと。膵臓の名医を勧められても病院を変えなかったこと。これはかなり葛藤した。
振り返ると「災」「難」「病」「辛」「苦」とか。いい一文字が浮かばない。息子の検査入院に始まった1月。120センチの大水槽から水漏れした2月だったか3月。夫が人間ドックで十二指腸潰瘍疑いと言われた3月末。胃腸科で悪性とわかった5月。市大病院で膵臓癌と診断が出た5月。膵頭部十二指腸切除をした8月。息子が医療保険に加入できないと知った9月。息子が歯列矯正が必要だと言われた9月。夫の弟が脳梗塞で入院した9月。当て逃げに気づいた9月末。車のタイヤがパンクした10月。応急処置でパンク
先週抜けなかったドレーンを抜くため、退院後2度目の外来。無事に抜けた。血液検査はなく、造影CTの予約を取り、この日の診察はあっという間に終わりました。ドレーンを抜いた穴がが閉じれば湯船に入るのも良いとのこと。約2ヶ月ぶりに湯船に浸かることができそう文書窓口に依頼していた診断書は医師が作成するまで1ヶ月〜1ヶ月半かかると言われたけど、2週間ほどで受け取れた!先生ありがとう診断書の診断名には膵頭部癌の文字。術後化学療法は免れたけどやっぱり膵臓癌なんだな病院を後にして公園を散歩。昼ごはん
朝起きたら、洗濯機に夫のパジャマが置いてある。ん?寝汗でもかいた?と思って、起きてきた夫に聞いたら、ドレーンの刺さったところから液が漏れたとこの前の外来で、刺さった部分の糸を抜糸してドレーンを抜くのを試みたけど抜けなくて、抜かずに帰宅した。今も刺さったまま。その日の夜から4日間は問題なかった。5日目の夜、就寝中に漏れた。寝ぼけながらパジャマ越しに患部を触ると手がベチョッと。お漏らししたのかと思ったらしい。すぐに患部を消毒してテープを貼り替えて着替えたって。期間限定で夫と同じ部屋で寝
夫が美味しいハンバーガーが食べたいなと言うので、探して行ってきた手前のアボカドチーズは私の。夫はベーコン、卵、チーズ。夫の苦手なトマトを私のバーガーに挟んでもらい私はWトマト。野菜たっぷりで美味しかった添えてあったポテトフライもミニサラダも完食!少し歩いてから家に帰り、お昼の薬を飲んで休憩。私が買い物行こうかなと言うと、俺も行こうかなと。食料品だけ買いに行くつもりだったけど、夫が行くならイオンに行こう!と行き先を変更夫の服と靴を買ったところで疲れが出たので休憩。食料品を買って帰宅し夕飯ま
退院後、はじめての外来。いつも通り採血の後、診察。お腹に刺さったままの膵液のドレーン。術後の合併症に備えて残していたようですが、抜きましょうと診察室で処置。スムーズに抜けず、来週抜くことになった。血液検査の結果。手術前に基準値を超えていたHbA1cは基準値内に。グルコースの数値は基準値より高かったけど問題なしと言われた。グルコース以外はHもLもなかった😮💨心配していた病理検査の結果。リンパ節転移なし。切除した癌は5㎝と大きく、とても珍しい腫瘍だったことが分かった。手術はかなり上
夫とドライブ。清洲城。愛知県日進市の森の響。森の響でチーズケーキ。息子のリクエストでスシローにも行きました。夫はいいよと言ったけど、生物好きな夫には酷だったかな😔穴子、ウナギ、エビフライの握りと、単品でだし巻き卵を食べてました。早く美味しい海の幸を食べに行きたいです。そんな夫の隣で中学生の息子の食欲はスゴイです😊美味しそうにモリモリ食べる息子を見ると癒されます。まだまだ可愛い。スシローの後に、当て逃げされたキズを見てもらいにディーラーに行きました。相手の塗料がうちの車にガリガリ付
昨日のドライブはただ楽しかっただけじゃなく、夫の気持ちを聞く貴重な時間にもなった。弱音や愚痴を吐かない夫。病気が分かった時も、手術の後も変わらない。過去を振り返って悔やんだり、自分や人を責めたり、苦しいからと私に当たったり、自分は病気だから、手術したばかりだからと過剰にワガママにならない。もちろん、痛い、しんどいは言います。変わったのは、以前のような体力がない、食べられない、だから仕事ができない。それが本人には一番辛いこと。仕事一筋で生きてきた人だから。どれだけ不安なのか、どれだけ痛いの
夫から「どこか行こうよ」と嬉しいお誘い。当たり前のように運転席に座る夫。疲れたら運転変わるから言ってね、と伝えてレッツゴー🚗息子のお土産に和菓子屋さんでよもぎ餅を買ってから、海の見えるカフェでランチ。夫はオレンジジュースとフィッシュ&チップス。私は生ビールとガパオライス。夫がビール飲んでいいよ、運転は大丈夫だからと言ってくれたけど、何かあると心配だからジュースにすると言ったら、大丈夫だから飲んで!!と。これまでだったら、いいの〜🙌と遠慮なく飲んでいた私が、心配だからと断れば信用してい
夫は仕事復帰を目指して、体力、筋力作りに励んでいます。痩せないように!体力つけなきゃ!と、使命感で食べている様子。退院翌日は1時間の散歩。心配で私も同行。自力で歩いて帰ってきましたがヘトヘトでした。昨日は少し離れた神社に夫一人で向かって、私は後から自転車で追いかけました。折り返し地点でしんどくなり、少し休んでから私の自転車に乗って帰って行きました。なので帰りは私が一人で散歩🚶♀️💨私が入院費の支払いと診断書作成依頼に病院へ行っている間にも1時間程度お散歩をしたようです。今朝は目的
8月31日に手術、9月23日に退院しました。主治医から手術前に聞いていた通りの経過です。お腹に膵液のドレーンは刺さったままですが、膵液パックはなくて、ドレーンがお腹から5センチくらい出ている(ぶら下がっている)感じ。退院日は土曜だったので、息子も一緒に外食をしようと父子で店決め。息子はカツカレーが食べたい!夫はいいよと、CoCo壱に決まり。え?いいの??と思いましたが、口煩く言われるのも気分悪いだろうし、本人がいいと言うのでCoCo壱に行きました。なんと!夫:250g、ロースカツ
嬉しいご報告です。23日の土曜日に退院できそうです🙌入院前に聞いていた通り、術後3週間での退院です。夫の話だと、短く切った膵液のドレーンは刺さったまま退院になるみたい。私は主治医に確認したいことが10個ほどある。退院の時に主治医に会えるかわからないから、夫に質問事項をLINEした。ちゃんと聞いてくれるかあてにならないけど😅気づけば、夫が仕事を休業してちょうど1ヵ月。あっという間だったけど、いろんなことを思ったり、考えたりする1ヵ月だった。これから先の方が長い。長いと願う。術後抗が
昨日は面会日。体重が10キロ減った夫の胸とお腹は、パジャマを着ていてもぺちゃんこになったとわかる。腕も細くなった。顔は痩せていないから、退院後にご近所さんに会ってもあまり気づかれないかな?病院食は口に合わずに中止した。中止直後はコンビニで買っていたが、退院まで毎食コンビニは心配なので、暇な私はほぼ毎日、何かしらを作って届けている。初めて持って行ったのはかぼちゃの冷製スープ。すごく美味しくできたから喜ぶだろうと思ったら、コンソメの味がちょっと…と言われた。その後もあれこれ作って持って行き、
夫からのビデオ通話。今朝の嬉しい報告。膵液のドレーンだけになった。点滴がとれた。だから歩きやすくなった。なので外を(病院の敷地内)散歩した。久しぶりに直接太陽の光を浴びた☀️1週間前にはこんな風に歩く夫が想像できなかった。日にち薬と聞いてはいたけど、本当に日を追うごとに良くなっている。もうすぐ退院かな😊これからも油断はしないで一歩ずつ🚶♀️🚶♀️🚶♀️Amazonでスープジャーをポチッたので、明日は野菜たっぷりの豚汁を作って持って行くよ!夫の状態も良くなったし、退院前に
夫と和解したので書きます(笑)病院食がどうしても口に合わず、コンビニでサンドイッチなどを買って何回かに分けて食べている。なので病院食をストップしてもらった。そこで、私に食べたい物のリクエスト。焼きそば、厚揚げの肉巻き、肉じゃが。ひと口、ふた口分。薄味で作って持って行くことにした。喜ぶといいな、美味しいと思えるといいな、いつもよりたくさん食べられるといいな、と思いながら買い物に行った。パンの方が食べやすいみたいだから、蒸しパン作ってあげよ〜と作った。それを写メで送ったら…「黒っぽ
夫の入院中、私はすることがない。日々の料理、掃除、洗濯、買い物、息子の弁当作りくらい。買い物は毎日行くわけじゃないし、洗濯も夫の分がないから、二日に1度でいいくらい。面会ができない。夫の仕事の手伝いもなくなった。息子は新学期が始まった。家の片付けや断捨離も終わった。保険のことはひと段落。(息子の医療保険は入れてないけど)スーパーとドラッグストア以外、出掛けなくなった。出掛けると無駄にお金使うし。調べまくっていた病気や手術のこと、セカンドオピニオンや今後のこと。調べることも減った。
コロナ対策で面会ができない。夫に会えないのが一番心配だけど、担当医や看護師さんに状況や状態を聞けないことが不安。夫からは毎日連絡はあるけど、術後一週間経つのに少しも回復してない気がする。むしろ悪くなってる。こういうものなの?尿の管は昨日とれたけど、お腹にささった管の交換もまだ一度もされてないし、取れる気配もない。食事も食べられず、歩くのもほんの少し。背中の痛みが日々増している。切ったお腹じゃなくて背中。ビデオ通話の表情から様子がわかる。辛さが増しているのがわかる。夫は私には話してくれ
術後2日目。15メートルほど歩行。術後4日目。初めて重湯と具のない茶碗蒸しと、紙パックのジュースが出る。半分くらい食べて、嘔吐はなし。久しぶりに味のあるものを口にしたと言っていた。術後5日目。初めての固形食。気持ち悪くて嘔吐を何度かしたみたい。夜から食事は中止。術後6日目。朝、LINEのビデオ通話があった。横になっていて体調悪そう。気持ち悪さと嘔吐が続き、この日の食事は中止。管はひとつも抜けていない。血液検査と血糖値は大丈夫そう。体重は入院した日より3キロ減った。術後翌日が一
術後翌日の午前、ICUにいる夫からビデオ通話が。ICUにスマホの持ち込みが可能でした。手術した夜は腰の痛みで寝られなかった。いまは痛み止めが効いて話せそうだから電話したと。頑張ったねと声は掛けたけど、他に何と声を掛けたか覚えていない。マスクが外れた夫の顔が見られて安心した。午後から一般病棟に移される。LINEも既読にならないし、夫からの連絡もない。もし何かあれば病院から連絡があるだろうし、私は私でやることやろうと、気持ちを逸らす。夜、ようやくビデオ通話があった。ペットボトルにスト
入院から二日後、手術の日を迎えた。息子と一緒に病室へ。点滴はしてるけど、今日もとても元気な夫。服をめくり、お腹の毛を剃ってヘソを掃除した印の◯のスタンプを見せてくれた。他愛のない会話をしていると、オペ室の看護師さんが迎えに来た。術後ICUに持っていく荷物を確認し、オペ室へ。歩いてエレベーターに乗り、オペ室前で夫の写真を撮って、手術室に消えていく動画も撮った。夫の希望で。看護師さんに撮っていいのか聞いたら、だいたいみなさん撮られます(笑)と。いってらっしゃい!またあとでね!待ってるから
入院当日の朝。普段は朝食を食べない夫が、今朝は食べようかな…と。白米、味噌汁、卵焼き。最後のご飯かぁ…とポツリ呟く。バタバタした朝で良かった。しみじみせずに済んだ。9時過ぎに車で病院に向かう。9時30分に着くと10時からコロナ検査、結果が出るまで車で待機。待っている時間に、どんな気持ち?今日まで長かった?など聞いた。無症状なのになぁ…みたいなことを言っていた。でも手術は怖くないって。私も信じられないよ。コロナ陰性の電話を受け、無事に病棟へ。術後2週間は家族であっても面会不可。いつでも電
私がブログを書いていることは誰も知らない。自分のことじゃなく夫や息子のことを承諾なく勝手に書いているから、後ろめたさもある。誰にも言えない、聞けないこと。ここへ書くことで不安や悩み、ストレスが解消された。その上、優しいコメントやアドバイスもいただける。知人、友人、家族には見せたくない弱音や不安。私を知らない方からいただける言葉に励まされ、前向きになり、共感したり…私の心は救われました。今になって、病名を書こうと思った理由は3つ。理由①全くの無自覚、無症状だった夫が手術までしなければな