ブログ記事6件
前回の群馬県前橋市の日本キャンパック大室公園(大室古墳群)に続いて、今回も群馬県前橋市の城です今回訪れたのは、室町時代から戦国時代にかけて、前橋市粕川町膳にあった膳(ぜん)城です服装が季節外れですが、訪れたのは1月半ばですこの城は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の13人の1人・三善康信の子孫とされる善氏(のちに膳氏)の居城で、築城時期は15世紀中頃とされ、長享元年(1487年)には存在していたそうです膳城は由良(横瀬)、上杉、後北条、武田などの勢力に降ったり攻められたり、戦乱に巻き込まれた
都道府県別索引へ二の丸の西側にある西虎口の外側が住宅地になっているのを確かめたあと、二の丸の東側まで戻って北側の空堀を見に行くことにした。二の丸の北側にはガッチリとした土塁が横たわっている。夏が終わったばかりで、ココも🌿が旺盛😂土塁のすぐ外が空堀✨西の方と同じく、巨大😮曲輪の端っこを土塁で固めて、外に空堀っていう造りは、寄せ手が空堀から攻めて来る想定なんだろう。本丸と二の丸は、その空堀に向けて虎口を開けているので、攻撃力の強力な寄せ手に空堀を占拠されると城内が
都道府県別索引へ女淵城を一通り攻めた後、上毛電鉄線の北に出て、3km離れた膳城を目指した。上杉謙信の後継争いに周囲の戦国大名まで介入した御館の乱の最中に発生した、武田勝頼の素肌攻めの舞台として、幕末の浮世絵師歌川芳虎により浮世絵にもなっている。北関東でもなかなかの規模と技巧を誇る土の城らしい。道中、赤城山も見えないドンヨリとした空で、わりと蒸し暑くもあったけど、真夏に比べればはるかにマシだわ😎→現在位置膳城の周りは道が細くて少々入り組んでいたが、map見ながら粕川歴史民
膳城『別名』なし『所在地』群馬県前橋市粕川町膳85『城主』膳氏、上杉氏、北条氏、武田氏『遺構』曲輪、土塁、堀跡『城郭形態』平山城『駐車場』あり(粕川歴史民俗資料館)『歴史』膳城は喜吉年間(1441〜1444)に三善康信の末裔・善氏によって築城されたと言われています。天正8(1580)に起きた武田勝頼による膳城素肌攻めで落城し廃城となりました。堀跡石碑本曲輪虎口
今回は、現在の群馬県前橋市(旧勢多郡粕川村)にあった城、膳城です。粕川(かすかわ)村は2004年(平成16年)に勢多郡大胡町、宮城村とともに前橋市に編入されています。前橋市は2009年(平成21年)にも勢多郡富士見村を編入合併しています。膳城跡は現在、膳城跡公園やその周辺となっていて、上毛電鉄上毛線の膳駅から徒歩10分くらいのところにあります。膳城跡公園の入口。駐車場は反対側にあります。今回は車で行きましたので、膳駅の写真はありません。どうやら、膳城跡公園は北の丸跡にあるっぽい?土
~御館の乱は武田と北条の関係に亀裂を作ってしまった。「不信」は「疑心」に、「疑心」は「敵意」へと変貌していき、一度悪化し始めるともはや止める術は無かった。東国の雄である二者はここに再び敵対する。そして勝頼は新たな道を模索し始まる。それは武田家に「もう一つの可能性」を示すものであった~○同盟は脆く、弱い天正7年(1579)正月、勝頼と北条氏直の間で年始贈答が交わされ、表面上武田と北条の友好関係は維持されているかに見えていた。しかし御館の乱をめぐるそれぞれの対応は相手の不信を招き、いずれ
⚫各地で梅雨入り♪⚫↓♪こちらからどうぞ♪↓豊富な品揃え!!ショッピングモール☆FREEDOM☆入口↑こちらをクリック↑入口★6月のおすすめ商品★【シーズン到来!既に注文殺到!】『空調服人気色キャメル』【シーズン到来!既に注文殺到!】『空調服人気色キャメル』¥16,800【おしゃれな作業机】『折りたたみテーブル』新生活キャンペーン価格!【おしゃれな作業机】『折りたたみテーブル』¥7,580◎5月度売上No.1商品◎【ラウンドレターシンプルカーキ】