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大人の遠足2019紫陽花季節、続きです。あら珠…ちょうどあら珠の話を昨日アップしたら、ヒルナンデスにあら珠が出てきてビックリだわそんなあら珠で…まったーりしたいところでしたが、次へ。再び江ノ電に乗り、腰越駅へ。腰越にも素敵な江ノ電フォトスポットがあるのです、ほらまあ、でも先に腰越駅の話をしましょうか。こちら…乗ってきた江ノ電です。私たちが降りてから発車していません。はい、腰越駅は4両編成の場合、藤沢方面だと一番後ろ、鎌倉方面だと一番前の車両はホームからはみ出し、降りることができま
長谷駅から、腰越駅に到着❣️江ノ電は、路面を走ることもあります。お昼ランチの前に、せっかく腰越へ来たので…悲劇の名将源義経ゆかりの寺へ寄ることにしました❣️なんと江ノ電の目の前に満福寺があります。満福寺〔真言宗龍護山医王院満福寺〕ご本尊薬師如来、宇賀神、地蔵菩薩参考資料【満福寺】鎌倉グラフィックシリーズ寺ものがたり1、かまくら春秋社600円をこちらで購入。源義経の腰越状とは…。兄の源頼朝の疑惑を晴らす為に書いた手紙です。(弁慶が下書きしたとされます。)義経は元暦二年(1
「平将門と天慶の乱」乃至政彦著日刊ゲンダイ日本中世史ブームといわれる中での、平将門の新書である。ただ将門は、中世の人ではない。平安時代でも前半の人だ。将門が死んで、30年してから紫式部が..●平将門勇敢な武将イメージが実は違った!?英傑たちのトホホな裏の顔「ざんねんな武将たち」を発売!PRTIMES(プレスリリース)ざんねん」な戦国武将と言えば、本能寺の変で織田信長を討つも三日天下に終わった明智光秀や、桶狭間の戦いで信長の奇襲に遭い討ち死にした今川義元らが...直弼
【4/20】義経公没後830年!悲劇の英雄「源義経」ゆかりの地を歩く~「腰越状」を書いた義経ゆかりの寺と義経祭へ~専門ガイドがご案内!年に一度の義経祭りをお楽しみいただきます
行っちゃおう❗️で来ました鎌倉小動(こゆるぎ)神社⛩ご祭神建速須佐之男命建御名方命日本武尊新田義貞が戦勝祈願したと言われているそうです江ノ島が見えます🌺この景色を見ながら1人お昼を食べていたら後ろからトンビが襲ってきた😱ビックリした〜😱狛犬がカワイイ😆最寄りの腰越駅に戻っている途中気になるお寺発見👀で向かってみることに満福寺義経と弁慶にとても所縁のあるお寺でした腰越状って何だろうと調べたら、義経が平家討伐後、兄頼
貴重な貴重なプラチナチケットのミュージカル『日本の歴史』そのLIVECDが発売しましたねLIVECD??あまり馴染みがなかったけれど良いですね、これ!!映像はないのにこんなにも鮮明に場面がよみがえる!ミュージカルならではGOEASTやINGAをはじめどの歌も素晴らしくて耳に残る名曲ぞろい9曲目の慎吾くん演じる源義経のシーンでは心情が声にすごく現れててもう…慎吾くんの声大好きだから歌声も話す声も両方聴けて贅沢なCD買って正解!!慎吾くんのいろ
CDが来て、初めに聴いた曲1番リピってる曲『腰越状』こしごえじょうと、読むそうです(笑)びっくりするくらい、日本史に疎い私。グーグル先生に教えてもらいました。あ、そのままね‥(笑)舞台を観た時にも、このシーンが1番心に響いて思わず涙も。中井貴一さん、初舞台と思えない歌唱力とパフォーマンス✨圧巻。そして、中井貴一さんに負けず劣らずにこの難しい曲を歌いこなし力強く切なくなんとも言えないピュアな声で演技で魅せてくれた慎吾。ハーモニーがものすごくキレイで中井貴一さんの声
日曜日に行った腰越、満福寺。義経の腰越状と、鎌倉時代のスーパースター行基様で有名なお寺です。行基様、鎌倉にめっちゃお寺建てまくっています。気がつけば寺建てまくりの行基さまはい。※特にテストには出ません時は平城京の聖武天皇の時代。関東で疫病が流行ったため、行基菩薩に関東の疫病を除去するようにとの指令が下ります。この地に着いた行基菩薩は眼前に海が広がり、後ろに山々が連なる美しいこの場所で祈りを捧げたところピタリと疫病がおさまったとの事。その功徳を称え満福寺を建てたとか。それがわ
キノのたっくんが“香取さん”に出会うシーンを観てからずっと頭をぐるぐるしてるフレーズが。。舞台『日本の歴史』の中で慎吾演じる源義経が歌う曲「腰越状」の中にある〜兄上に会いたい〜♪ってとこはっきり覚えてないのになぜかその部分だけをふっと思い出してしまった…パンフに歌詞載ってなかったから早くCDが聴きたい!そして兄上には実際会えてるといいなhttps://wmg.jp/nihonnorekishi/
ポール明けの関東二日目。藤沢駅前8ホテルのモーニングなかなか美味しかったです。ジュース飲み放題なのが嬉しい。この日は全然予定決めておらず、とりあえず江ノ電の一日乗車券買って、目に付いたお寺さんにお参りすることに。まず腰越の満福寺。すぐ階段下を江ノ電が通るロケーション。義経が「腰越状」を書いた場所らしく、義経関連の史跡や展示品がたくさんありました。こちらは行基の創建ということで、行基さんもいろいろ行ってますなあ。200円で昇殿して拝観できます。ご
遅い朝食をたべながら…今朗読屋は「義経記」を読んでいますので義経さん参りに鎌倉腰越に行ってきましたお目当ては満福寺義経は二年あまりも鎌倉に住んだものの義経ゆかりのものは少ないけれど満福寺は義経が兄頼朝に釈明状を書いた場所なのです腰越状の像もあり弁慶のお手玉もありで楽しそういえば江ノ電には弁慶がいました弁慶さん人気がありますねさて次は江ノ電の線路を渡って左上が満福寺で振り返れば…小動神社(こゆるぎじんじゃ)太宰治が心中未遂事件をおこしその顛末を
江ノ島から江ノ電に乗ります!「今回は江の電の乗り放題チケットでいっぱいのるよ!」「腰越駅に駅員さんたちが作ったタイルのえのんくんが!」「可愛いね!」そして腰越と言えばこちら!「踏み切りすぐに階段が!」満福寺さんです。腰越状を書く弁慶と義経様「あれ?義経様ゆかりの満福寺なのに、うちの義経くんは?」「最近すっかり忘れられてる」「最近出番がないのぉ」「にゃん王様夢のくに繁忙期っすよ」「せちがらいのぉ、この間、静ちゃんは美しゅう舞っておったにのぉ、、、狐と、、、」↑文楽で、義経
*8月7日付記事の続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と、教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは源義経です。本日は、腰越状のおはなし。゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆あんみつ「先生、ドラマや小説では、義経の衰運は平家滅亡の直後から始まります。安徳天皇の入水で皇位継承の三種の神器を回収できなかったことや、朝廷から勝手に恩賞を受けたことが頼朝の不興を買い、頼朝側
愛知県一宮市の設計事務所、菅野企画設計植松です。30度超えの鎌倉散策。〈前編〉で、鶴岡八幡宮→建長寺→予定外の明月院→円覚寺へと暑さでヘトヘト汗ダラダラになりながら参拝。鎌倉を脱し…満員の江ノ電へ٩('ω')وここからは建築ではなく、歴史ツアーです(*゚∀゚*)!マニアックな内容です(*゚∀゚*)!目指すは、腰越!満福寺!階段のすぐ下は江ノ電の線路。階段を転げ落ちたら危険!(゚ω゚)こちらは源義経が、腰越状を書いたと伝わるお寺です!腰越状というのは、平家を滅ぼした
続きです、、2018年2月17日(土)東京&甲府&神奈川の旅、最終日!この日はまゆゆのソロライブに参加するため、朝から友達と別行動をしました!帰りの新幹線が新横浜からなので、横浜で待ち合わせることにしておきました✋まゆゆライブは昼から川崎であるので、とりあえず鎌倉のほうへ行くことにしましたちなみに友達は秋葉原のメイドカフェへ向かいました(笑)昨日いったのに(笑)9時29分錦糸町→11時8分腰越腰越の萬福寺です✨ここ来たかったんですよ!腰越は、檀ノ浦で平家を滅ぼした源義経が
源義経恐ながら申上候意趣者、御代官の其一に撰ばれ、勅宣の御使として、朝敵をかたむけ、会稽の恥辱をすゝぐ。勲賞おこなはるべき処に、思外に虎口の讒言によッて、莫大の勲功を黙せらる。義経をかしなうして咎をかうむる。劫あって誤りなしといへ共、御勘気を蒙るあひだ、むなしく紅涙に沈む。讒者の実否をたゞされず、鎌倉中へ入られざる間、素意をのぶるにあたはず。いたづらに数日をおくる。此時にあたッて、ながく恩顔を拝したてまつらず。骨肉同胞の義すえにたえ、宿運きはめてむなしき
同梶原申しけるは、「今度の合戦には、舟に逆櫓をたて候ばや。」判官、「さかろとはなんぞ。」梶原、「馬はかけんと思へば、弓手へも馬手へもまはしやすし。舟はきッとおしもどすが大事候。ともへにも櫓をたてちがへ、わいかぢを入れて、どなたへもやすうおすようようにし候ばや。」と申しければ、判官の給ひけるは、「いくさといふ物は、ひッとひきもひかじと思ふだにも、あはひあしければ、ひくはつねの習なり。もとよりにげもうけしてはなんのよかるべきぞ。まづ門出のあしさよ。さかろをたてうと
断食少旅行。北鎌倉鎌倉江ノ島です北鎌倉に降りると観音様がそっとお出迎え。旅の目的のひとつは、源義経さんの、腰越状を見ること。私自身は平家がた出身ですが。頼朝お兄ちゃんにわかってほしい一心のお手紙下書き。歴史が動いてたかもしれない、お手紙なんです。展示しているお寺にあった写真。昔の江ノ島がすごい。北鎌倉でメルヘンといえば、「香り仕事」さん。釣り飾りの可愛さといったら。欲しい!メルヘンのシャワーに打たれつつ、江ノ電にゆられて着いたファスティング施設は、セラピストさん手作
鎌倉腰越にある満福寺。義経は「腰越状」を出す前に何通かの起請文を頼朝に提出している。しかし、何の返答もないことから書かれたのが「腰越状」なのだという。結局、頼朝の許しはなく、義経は再び宗盛父子を護送して京へ引き返すことになる。
「遙かなる時空の中で3ultimate」九郎さんルート頑張っております❗相変わらずネタバレありありの自己満足ゲームブログですが、宜しくお願い致しますね~(人´3`*)~♪「福原」で平家に勝利した源氏は、九郎さんの名と共に広く知れ渡り法皇様から官位を授かることにまで発展❗本当ならば、とても名誉でおめでたいことなのだけど。。(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル京まで制するようになった九郎さん。頼朝さんは、巨大な力になることを恐れたのでしょうか。「捕らえ
こんばんはー☀︎今日は、朝から鎌倉に行ってきました!!一緒に行った大先輩のゆたかさん。鎌倉駅から江ノ電に乗って向かったのは腰越!源義経が兄、源頼朝に書いたとされる"腰越状"がある場所です。義経の歴史を辿ると、涙なしには語れないこの手紙。平家を滅ぼした後、兄である頼朝に会いに鎌倉まで来た義経を、頼朝は鎌倉に入れなかった。その時に、その悔しき想いを、綴ったのがこの腰越状。その後、義経は追われる身になるんですねー、、せっかく鎌倉まで来たので、しらすかき揚げそばをいただきました✨✨
前回まではこちら⬇️目次諸行無常の世の中…我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。1185年5月、鎌倉で我が父・北条義時(ほうじょうよしとき)は久しぶりに会った金剛(こんごう、泰時の幼名)をあやしていました。義時「金剛、母者はどこへ行ってのかの…」金剛「ははうぇっ」義時「おぉ、金剛は居場所を知っておるのかの〜、ははっ…」そこへ源頼朝(みなもとのよりとも)様の側近・大江広元(おおえのひろもと)が入ってきました。大江広元大江広元さんは元は京の朝廷に仕える貴族だ
今日は一足早く夏休みを頂き信州に来ていますこれは2017年3月4日の記事です収玄寺の後に訪れたのは満福寺江ノ電の腰越駅で下車します少しだけ歩き線路を渡ってすぐの所に山門が見えました緑の幟がたなびき山門に到着龍護山の扁額境内の様子は笛供養…初めてです水子地蔵鐘楼義経腰越状の石像美しい慈悲観音弁慶の腰掛石影が写ってしまいました手水鉢も趣があります本堂正式寺名:龍護山医王院満福寺宗派:真言宗大覚
江ノ電の江ノ島駅から、一つ鎌倉寄りに腰越駅があります。江ノ島から一駅乗ります。腰越駅の写真、ないデスm(__)m江ノ電は、ふつう4両編成なのですが、この腰越駅では、鎌倉寄りの1両の車両、ドアが開きません。駅のホームがが短いからです。私が子供だった頃は、江ノ電は1両とか2両でした。家並みすれすれにある腰越駅では、拡張工事もできなかったのですね。一旦道路に出て、海岸方向へ進むと、この看板が出ています。お寺の文字より、しらす丼の文字が大きい!しらす
天王祭で、腰越を賑わしている、小動神社の御神輿と、人形山車はここからやって来た。海に突き出た小山に、こゆるぎ神社はある。まだ残るアジサイの参道の坂道を上っていくと、左側に、各町の山車人形をしまう倉庫がある。そして、坂を上りきった所にある、小動神社に、この天王祭で、江の島の八坂神社の御神輿と大通りで再会していた、小動神社の御神輿が、普段は納まっているようだ。海に突き出たここには、昔は見張りが立っていたらしい。確かに、素晴らしい
しらすを食べた後は、近くにある満福寺へ。江ノ電の線路を渡ってすぐのところにあります。満福寺は、源頼経が兄頼朝の許しを得るために腰越状を書いたお寺だそう。一緒に行った歴女に教わりました。^_^御朱印いただきました。こちらで御朱印をいただく際、社務所に行ったら、中に猫ちゃんがいました。お寺の裏で産まれたそうです。お嫁に行った猫ちゃんもいたみたいですが、まだこちらでお世話している猫ちゃんもいるみたいでした。大事にされてるようで、よかった。^_^