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今朝の大阪めっちゃ寒かったけどお天気は超~快晴!さっむ~と思いながら自宅に帰ったらルームメイトが暖房の設定温度を29.5℃にしていて入った瞬間あっつ~(><)信じられん…こいつバカじゃねぇ~???って思った今日この頃です天気もいいので仕事復帰のお礼参りに氏神様の枚岡神社へ参拝に行ってきました。神社お隣の枚岡公園から見た大阪平野です地平線中央ののっぽビルはあべのハルカスだよ~枚岡公園入口からの鳥居です12月23日10時よりあの有名なお笑い神事が開催され
今日はめっちゃ・・・めちゃ寒い大阪です最近のマイブームは近鉄線の22駅に120振りの刀剣男士が総出陣!歴史を辿るデジタルスタンプラリーです。因みに私はオタクさんではありません前回の続きです。入院中にお呼び出しされて術後説明を受けたんですが結論からいいますとリンパへの転移は・・・じゃじゃぁ~ンなかったです(^O^)/全摘した腎臓はハムの塊を大きめに輪切りにした感じでPCの画像に出ていて濃いワインレッドの臓器をイメージしてましたが、どす黒い腐ったレバ
どもどもども、昨日は立冬朝晩すっかり秋を通り越して寒くなった大阪です明日からけっこうな寒さになるようです・・・前回の続きですがいよいよ入院手術なんで荷造りと無事を祈り地元の石切神社と枚岡神社へ参拝手術は朝9時に始まり約6時間ほどかかったそうです本人のあっしは麻酔で寝てるので全く分からずです手術はロボット支援腹腔鏡下左腎尿管全摘除術で術後病室に戻り目が覚めたら身体じゅうから管が出てるわ~って感じです(><)管は点滴、心電図用と脊髄からの局所麻
前回の続きですが・・・まずはまたまた深夜出張帰り奈良の朝焼けのブルーモーメントが綺麗だったので写メしました。主治医から腎盂癌の告知を受けた後「これって治るガンですか?」と質問しました。先生は「・・・」無言で首を横に振ったように見えました。後から思えばまだステージも分からないし再発もよくある事なんで「治ります」なんて言う訳がないわなぁ~告知後、転移がないか調べるのでこの後すぐに肺のCT検査と明日骨に転移がないかのRI検査をして下さいとのこと次の診察日に
いやぁ~朝晩はちょこっと涼しくなった大阪です。先日深夜出張帰りの朝日が綺麗だったのでパシャリしました。奈良県天理市と桜井市の間にある山だと思います。さてタイトルのがん告知ですが・・・8月お盆のころ、深夜に突然強烈な下腹部の痛みがあり、のたうち回って救急車を呼ぼうかと思ったんですが、以前経験した尿管結石の時と同じような痛みだったのでジャンプしたり下っ腹をさすったり叩いたりして何とか石を流してやろうとしました。トイレに駆け込み尿を出そうとしたら真っ赤な血尿とぷにゅっとミミ
手術をして4年10ヶ月母、元気です膀胱癌への心配もなさそう。と先生に言ってもらえて安心また8ヶ月後の診察となり、やっぱり診察はドキドキだけど。今回4時間も病院かかって、めっちゃ疲れた
こんにちは。3月になって今年初めての投稿です。もう春が訪れようとしている時に‥遅ればせながら今年もよろしくお願いします🙇♀️2月20日、3ヶ月ぶりに経過観察の定期受診に行ってきました。憂鬱な膀胱鏡検査は半年に1度になったので今回は無く、久々の血液検査と尿検査と診察のみでした。採尿と採血を終え向かった泌尿器科は、いつも男性がほとんどで、人生の先輩方、同年代の方が多いですね。あっ、最近は女性の姿も以前より見かけるようになった気もします。でも1割‥に満たないかな(ご主人、親の付き添いの
【2022年】2年前の手術前の1ヶ月の備忘録です2月28日紹介状をもって◯◯大学病院へ市立病院とは比べ物にならないほどの大勢の患者さん(泌尿器科はやはりほぼ男性で、付き添いの女性がチラホラ…)で溢れていました紹介状提出採血、採尿診察…手術(腎盂尿管癌の標準治療である「腎尿管全摘出術」)の予約を取る→4月に唯一空きがあった「令和4年4月4日」に決定3月2日腎臓のMRI検査(人生初のMRI検査はとてもスリリングな体験でした3月3日採血→採尿→心電図→レントゲンと次
(記事タイトルですが…今回から令和→西暦表示にしました🙇♀️)※2年前の癌告知までの備忘録です【2021年】9月血尿も無く受診もせず10月職場の健康診断で再検査を指摘され「大腸検査」(ついでに胃カメラも)…異常無し※初めて静脈麻酔しての検査で寝ている💤間にいつのまにか終わってました11月インフルエンザワクチン接種12月初旬薄い血尿あり12月6日◯◯市立病院受診(当日は血尿無し)単純CT(下腹部、骨盤部)…異常なし尿細胞診(後日結果…たぶん1か2)次の予
こんにちはGWですが、普段と変わらない生活でーす今日は腎盂癌告知、入院、手術に至る前の症状、受診の経緯を話しますね…LINE履歴等見ながら(備忘録として…かなり長いです🙇♀️)【2020年】7月1日(真夜中)突然の血尿(色は忘れましたがかなり濃い色でした)この後トイレに行く度にだんだん薄い血尿になる←最初ビックリし過ぎて、どこから出ているんだろう婦人科系からいや、違うみたいと1人パニくる私でした7月2日この日は🏠の外壁塗装開始日で…夕方何とか最寄りの泌尿器科へ(その時には尿の
((2年前の入院生活の備忘録です)令和4年4月9日・10日…術後5日目、6日目体調も安定、尿の色も正常になってきました…ただ笑ったり、咳が出ると右下腹の傷口が痛たたたたーと…処置的なことは特に何も無く(コロナ禍で面会は禁止)、夫に📲したり、ひたすら歩いたり、外に見える行き交う🚃を眺めたら、遠くにちっちゃく見える東京スカイツリーを写真(動画)に収めてLINEで送ったり…時間がゆっくりの土日でした令和4年4月11日…術後7日目ついに最後の管(尿道カテーテル)が抜けました🙌朝の9時過ぎに
(2年前の入院生活の備忘録です)令和4年4月6日…術後2日目傷口の痛みは続くが点滴は終了になり、カロナール1日に2錠✖️4回服用に。採尿バックを下げてガラガラと廊下を何周か歩き始めました(まだ血尿出てた)この日、またまた病室変更最初に希望していたトイレ付きの4人部屋の明るい窓際へ令和4年4月7日…術後3日目夜中に目覚めた時、傷口が痛み、ナースコールしてセレコキシブ2錠服用…その後はぐっすり眠れ、すっきりした朝を迎えました体調も安定してきて、離床時間も長くなり、術後初めて洗髪しました(
手術の翌日の4月5日は…まだまだ辛い1日でした朝、心電図モニターは外されたけど管はまだたくさん体に…手の甲には点滴が…背中には痛み止めが…膀胱には尿道カテーテルが…お腹には(青いポーチに入った)ドレーンが…血栓予防のフットポンプが外されたので、何とかスマホ📱を取り出そうと決意…しかしそれが至難の業でしたまずスマホが入ったキャリーケースはベットの右側の近くにあったのですが、点滴台は左側…となるとやっぱり左側から行くしかないと一大決心してやっとの思いでお供(点滴台)を連れてキャリーケ
手術を終えて目覚めた時の記憶は曖昧なのですが…まずは手術前に居た個室から4人部屋(暗い廊下側)に移動してるーということだけはわかって軽いショックを受けたのでした(せめて術後あと1日個室で居させてほしかったと嘆いた厚かましい私です)目覚めた時はとにかく喉がカラカラで気持ち悪くて、長時間寝ていたので体や首が痛くて…そして人生初のナースコールを押したのでしたところがビックリ声がかすれて出なかったでも何とかかんとかかすれた声で「喉がカラカラで…」「体や首が痛くて、枕を…」と訴えたのでした来て
2年前の今日人生初めて病院で迎えた朝…外は土砂降りでした前の日下剤を服用していたので、5時頃トイレへ無事にスッキリ7時に人生初の浣腸を初体験(仕事柄、高齢者さんの浣腸には何度も立ち会いましたが…自分がされて初めて即効くことがよくわかりました)その後手術着に着替え、8時からNHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」(この週が最終週でした)を見ました弾力ストッキングを必死ではき、病棟の看護師さんが8時半に迎えに来てくださり、2人で歩いて手術室へ向かいました(コロナ禍でデイルームに来ていた夫と
1ヶ月ぶりの投稿ですまだまだブログを書く(投稿)することに不慣れな私です今年もあっという間に4月4月といえば…あれから2年が経ちました令和4年4月3日は人生初めて入院した日2月に「腎盂癌」宣告を受け手術を勧められ、2月28日に紹介状を持って大学病院を受診…そこでいつ手術できるか決める時、教授先生がカレンダーを見ながら「ここが空いてる」と4月4日を指差しました。私が「その後だといつになりますか❓」と聞くと「GW明けになるよ」と言われたので、早い方がいいかと4月4日を予約したのでした
2月28日は3ヶ月に1度の某大学病院泌尿器科へ定期受診に行ってきました。尿検査(細胞診検査…結果は次回受診日)と膀胱鏡検査を受けてきました。結果は異常無しで、前回(去年の11月)の尿細胞診結果も2でした😌という訳でホッとはしたのですが、今回の膀胱鏡検査の時にとても不愉快な出来事がありました。「ちょっとちょっと先生、ええかげんにして💢アカンでしょ😡…」と心で叫びながらも、診察台にあの体勢で座っていた私はグッと堪えて検査を終えたのでした。何があったかと申しますと…いつも通りに検査はスタート
今日の午後、マイケルたちがおじいちゃんの担当医に「詳しく説明したいことがある」と呼び出されたというのも…おじいちゃんの背骨のガンが神経に障って、身体に麻痺が出てきたという麻痺が出たら、早い段階で手術をしないといけないが…手術ができないということの説明をされたという『母、手術』昨日は母の手術だった。兄が手術の説明を受けたときは、説明書がもらえなかった上に、咄嗟のことでメモを取れなかったとのこと。だから、色々確認したいことがあったのだ…ameblo.jp2年前に母も首の骨が神経に障って、
夫は60歳になる年に前立腺がんが発覚既にステージ4と言われでも放射線治療ホルモン治療とにかく頑張って5年たってそろそろ前立腺がんの治療も終わりかとそんな矢先に腎盂尿管癌がわかった最初は膀胱がんかと思ったけど聞いたこともない病名医師もなんだかはっきりしない必ず再発すると思ってくれそんなことばかりはっきり言われても腎盂尿管癌が希少癌だとは全然知らなかった10万人に1人だから治療法もはっきりしない予後もよくないそう言われたのかもっとしっかり調べたらセ
二年前の今日父がコロナ肺炎後遺症で亡くなり夫は骨転移で歩けなくなり緊急入院した日父が亡くなったことよりも夫のことがやはり心の全てを占めていて父を偲ぶより夫を偲んでしまう親不孝な娘今日はとにかく何も考えたくなくてネイルに行って午後は母と妹とランチ父の好きだったお肉を食べて買い物へ車椅子に乗った母は久しぶりのウィンドウショッピングにウキウキしてて父の事を偲ぶより女家族で楽しんだでも頭には夫のことが離れない今日すべての予定が終わって母は寝てしまい一人になった夫
二年前の今日が夫が歩けた最後の日この日は右足が異常にむくんでいて胸の痛みもすごくてとにかくしんどそうだったコロナワクチンを打ったあとどんどん痛みが増していって主治医にそれを伝えてもワクチンの後遺症でしょうしか言わずカロナールだけ処方されていて夫はソファから動けない状態こんなに痛がってるのだから何かやれることはないのか?主治医に相談してもなにもしてくれない父は危篤で病院に行きたいけど夫が心配で家も出れず何かがおかしいそう感じていてもなにも出来なかった自分が悔
夫の死因は腎盂尿管癌死亡診断書に記載されてる出来ることなら私も同じ病気で夫のもとに行きたい死後の世界があるのだとしたらその世界で夫と再会したときに「腎盂尿管癌はしんどいね」とそんな話をしたい前立腺がんにはなれないからせめて腎臓の癌で夫のもとに行きたいどれだけ夫が苦しんだのか知りたい置いていかれる方と置いていく方それぞれ苦しいだろう夫も寂しがってるかな
「覚悟だよ」ケアマネさんと契約するときに言われた言葉「家で看取るということは並大抵のことではないよ」「あなたはこれからも生きなきゃいけない」「仕事をしながら家で介護できるようケアプラン組むからね」これから生きていくために仕事は休むなと私は実費になってもいいから夫が不安にならないよう痛みが少しでも和らぐようとにかく考えられるもの全てをお願いした沢山お金はかかったのかもしれないでもそれで少しでも夫が楽になれるならいくら使ったっていいでしょう「パパが逝くときは、ママと愛
夫の入院中夫を少しでも早く家に迎えるために私はケアマネと準備を進めていた一日2回、ヘルパーさんに来ていただき毎日訪問看護師の方にもそしてホルモン注射をしていただいていた医師に訪問医療も頼めた在宅医療の準備それは夫と一緒にまた生活するための準備歩けなくたって手が動かなくたって夫が側にいてくれるだけで嬉しい愛してるんだものそんな中、入院している市民病院から着信私は夫にもしものことが?と怖くなりすぐに出れなかったでも大きい病院だから折返ししたらもう繋がらなくな
前立腺がんの治療でずっとホルモン注射をしていた毎月欠かさず、尿検査と血液検査家に帰るまで待てなくて職場からよく携帯に電話して「結果どうだった?」と聞いていた毎回「大丈夫だよ、よくなってたよ」と答えてくれる夫その声はいつも穏やかで、優しくて私を安心させるためにそう答えていた腎盂尿管癌がわかる前尿検査で血尿が出ていて精密検査が必要だと医師に言われていたのに私には黙っていた精密検査したことも私には黙っていた癌のことを自分でネットを使って調べていて厳しいかもしれ
腰椎と胸椎、そして腰のリンパ節への転移骨転移による影響歩けない手も動かない寝返りもうてない、痛みが酷くて家で看取ると決めて色々看護師の方から引き継いだレスキューについてオムツのかえかた体位のかえかた食事の介助沢山色々言われて自分の使命として私は一つも聞き逃すまいとスマホにメモを残した一番はレスキューについて痛み止めを点滴でずっと刺していて痛みが酷いときにボタンを押すと痛み止めが流れる仕組み夫は手が動かないから押すのは私の役目夫は放射線治療の影響からか特
夫が入院してすぐ私はケアマネジャーと契約した放射線治療が終わったら夫を家で看護しようと思っていたから夫婦共通の友人夫婦やはりご主人が癌で最期は家で迎えた夫婦共通の友人で4人でよく旅行に行き4人でよく飲んだ奥様は私の姉さん的な人で憧れてた家で看護されてるとき絶対弱音を吐かず脳に転移していたから最期暴れたり会話も出来ない状態だったけどずっと抱きしめて声をかけ続けていた私も絶対最期は家で看取るとこの姿をみたときに決めていた夫は歩けなくなり手も動かないでも
コロナ肺炎で入院した父高血圧、糖尿病、高齢重症化リスクしかない誤嚥性肺炎や薬の副作用により、全く食べることは出来ず、立ち上がることはおろか、話すこともままならない状態終末期医療を受ける病院を探せという病院からの指示もう治ることはない、余命は半年ないと食べることが大好きだった父入院中も、ステーキが食べたい、ソーダが飲みたいすき焼き美味かったな食べることばかり終末期医療を受ける病院では、なるべく希望に添えると言われ、転院を待っていたアイスぐらいなら食べさせてあげられるかもしれな
右腎摘出手術のあとずっと体調はすぐれなかった手術の際、大量出血の可能性があるため貯血をしていたそのせいなのか、ずっと貧血は改善せずだるさ、食欲不振、息苦しさこれは、胸骨と腰骨に転移した癌のせいだったと今ではわかるけど当時は、骨の検査をしておらず抗がん剤治療の副作用だと言われてしまえばそれを納得するしかなく手術後、10ヶ月後の検診でリンパ節と膀胱への転移がみつかり抗がん剤治療をすることに治療前の血液検査で貧血がひどくて抗がん剤治療ができない日もありその日も貧血で抗が
前立腺がんがわかったとき組織を採取するため、夫は全身麻酔で手術夫はこのとき、尿管にまでのびた前立腺がんを切除していると思っていた術後、医師から私だけ説明をうけかなりの癌が尿管にあり、手の施しようがない状態と言われ私はその時医師に、夫には伝えないでほしいと伝えてなぜなら夫は、そのようなことを言われたら絶対に治療をしないと思ったから父親が肺がんで亡くなった姿をみていたから自分は闘病したくないと常々言っていて頑張らないで生きたいと言っていて私達夫婦には子供が居なかったから彼が頑