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12/14は入院中の父との面会を予約していたので母と一緒に行ってきました来週は言語聴覚士さんとの面談があるけど今日会った感じでは身体機能は問題なく回復しているようですが言語コミュニケーションは難しいなーーってところいやー(笑)だけははっきり聞こえる面会といってもパネル越しだしお互いにマスクしてるし伝わってるのか伝わっていないのかそれすらもわからないけども笑ってたからま、いいかって(本人的には言いたいことが伝わらなくてもう笑うしかなかったの
…って言うのか、どうなのか分かんないけど今日は脳出血記念日!笑まだ2回目だった!(もう何年もこのカラダってカンジw3年目って事だ聞かれてないけどこー?なった経由を話すと2年前の今日39歳ん時ですたサーフィン🏄♀️してたら、みるみるバランス取れない…喋れない…歩けない…急性期の病院はイヤな思い出しかない笑(看護師さんサイテーでした♡)一刻も早く移りたかっただから8/30に入院して、9/21に移ってる。1カ月も居なかったんだな回復期のリハビリ病院に行ってからかなち
さて、今回も全く妊活関係ありませんなんならガッッッツリ夫婦の事なんですが、備忘録として書かせてください。興味ない人は全力スルーでお願いします!さて、今回は以前からちょこちょこ話題にあげた主人のこと。法曹界に戻りたいかどうか、直球で聞いてきました。今日明日は珍しく2連休!今日はダラダラdayです。昨夜はキングダムハーツクリアまで頑張ったので、起きたのはお昼前(笑昼食はささっとトマトとカニ缶の冷製パスタをつくってさらっと食べました。食後にわたしはコーヒーコーヒーの飲めない主人には
今日は、日本列島は南から大雨が降り続いていますね。月曜日に大阪で起きた地震から、まだ充分なインフラの回復もされていませんし、家が損壊されている方々にとっては、不安が続いていることと存じます。心からお見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈りしております。地震学者の方が、今回のような地震は、日本中いつどこででも起こり得るのだと、解説されていました。いつも地震が起こると、3.11の時のことが蘇ります。あの時は、震源地から遠く離れたこの東京のはずれでも尋常ではない揺れ方でしたし、余震が絶
退院が決まったものの、持ち込んだ衣類や持ち物など、とても一人では持ち帰れませんそこで、売店に宅急便があった事を思い出しました。なんてたって、午後にいわれて、明日の10時半までに、です。ダンボールに重いものや大きいものをまとめて突っ込んで、手で持ち歩けるモノは持ち帰る。しかしこの時点でも点滴は刺さったまま。結局夜の八時頃にようやく点滴が抜けて翌朝清算を終えて、やっと退院しました。
さて、体から次々点滴が抜けていき、私は暇があれば病院の売店で雑誌を買っては読む日々を送っていました。少し内容が頭に入って来づらいなとは感じていましたが、、いつくらい退院ですかと聞いても、曖昧な返事ばかり。ある日友人が見舞に来てくれました。そこにふらりと担当医の一人が。あ、明日退院決定しましたから。は?!明日?しかも10時半までに?あまりに急で妻も来れません。これには、見舞いに来てくれた友人もびっくりしていました。
ソメイヨシノはすっかりちりましたね。そしてこれからは八重桜の季節。私、すきなんですよね、八重桜。やはりイメージとして桜=ソメイヨシノじゃないですか。パット咲いて葉も芽吹かないうちにパット散る。潔いとされたのでしょうか。対して八重桜。八重というからにはある程度まとまって咲きます。また、葉が芽吹いてから。いわゆる桜のイメージと違います。でもいいじゃないですか。普通じゃなくてもいろんな理由で普通ではなくなってしまった人もたくさんいます。でもその人たちも今を一生懸命いきています
失敗ではない、という言葉に不安を感じつつも、まだいくつかの検査が残っていました。その検査が終わったら、退院の日が決まるとの事。患者は私だけではないから、しょうがないかなとは、おもいながら、病室と売店の行ったり来たり。昼のテレビはあまり興味ないですしねえ。スマホを弄って時間潰す日々。あ、あとコレは絶対必要なのがふりかけ!基本栄養補給ですから、あじは、ちょつとね。オススメは永谷園の大人のふりかけ。ご種類が3つ入っているから飽きませんでした。
一般病棟の看護師さんは、一度4月に入院しましたので、知っている方ばかりでしたから、だいぶリラックスできました。しかし、改めて思うのは、本当に看護師さんは大変。人の命を預かっていますからねえ。昼夜関係なくナースコールで呼び出されるし。改めて、ですが、全ての看護師に感謝します。でも、相変わらず点滴の機械の警告音にはは、なんとかしてね?wwさてさて初日は行っていいのはといいのはトイレのみでしたから、褄に持ってきてもらった本を読んでいました。そこに微細な違和感を感じたのです。なんか、内
少しづつ少しづつ点滴は抜かれていき。ようやく一般病棟に移る日がきました。本当は歩いていきたいんですけどね。もちろんストレッチャーに乗って。やっぱり私ストレッチャー苦手かもしれません。どうも目眩がして。ようやく戻った一般病棟。いらした人は殆ど変わりませんでした。皆様、交通事故や脳腫瘍で脳にダメージ受けた方々。「コレからの生活どうする、コレじゃ仕事できないよ」「障害者の申請ってどうするんだっけ?」そんな会話が聞こえてきました。この時点での私は左手に多少痺れがあるものの、失語
ICUは、二泊3日で一般に移る予定でした。一応個室でしたが、入り口が一緒の隣の個室がありました。そこでなにかあったのか、動けないので分かりませんが、叫び声とひっきりなしにナースコールと看護師の出入りがします。おかげでゆっくり眠ることができませんでした。こっちまでこないだろうなと怯えつつ。看護師に隣はなにがあるんですか?と聞いてももちろん答えてくれません。少し寝ては叫び声で起きる。そんな日々でした。
しばらくして、妻から入ってきました。大丈夫?と前回より慣れた様子、水を飲むわけにはいかないので、うがいを手伝ってもらっていたりしました‥この頃はまだマシだったんですけどねえ、そして徐々に抜けていく麻酔。ここで予想外の激痛が。尿道カテーテル。これね、まさに激痛。あまりの痛みに看護師さんに抜いてくれと懇願したところ、あえなく却下。このときついていた看護師さんが全くの新人らしく、年配の看護師に何度も怒られてました。まあ、採血とか確かに下手でしたが、、とりあえず、最初は誰で
いくつかの検査を受けて、ようやく病室へいわゆるICUです。手術前、看護師さんからは、ICUで本を訓む人居ますよと聞いていたので一冊だけ文庫本を持っていったのですが正直それどころじゃありません。痛みもありますし、何より体中がチューブだらけで、寝返りすらできない状況。目に見えるのは、壁にかかった時計のみ。これが時間が立つのは遅いなと本当に思いました。
書類の整理を言い渡されましたものの。結構な困難の日々が続いていました。全然違うファイルに入っているもの。そもそも全く違う商品が入力されているもの。それらを見つけ出し、修正。結構な苦労しましたよ、ええ。しかしおもえば、それもリハビリだったのかも知れません。
退院日が決まってからは、バタバタと。事前に持って帰れるものは、別日に見舞いにきた妻に預けて。そして会社に電話。退院日と手術日を報告しました。社長からは、手術する場所が場所だし、兎に角無理するな、退院したその週はまるまるやすんで、次の週から、身体馴染ませるために、月水金、半日で出社して、いない間ぐちゃぐちゃになっている業務の整理をしてくれ、と依頼されました。有り難い事です。そして退院当日。妻と子供が迎えに来てくれて。ナースステーションに行き、お世話になった看護士さんにご
昨日の記事と前後しますが。それは夜、ベットの上で見慣れないテレビを見ていたとき。「検査の結果がでたので、ご家族に説明のですが、○○日か、○○日の夕方はどうかな?」もう四年の付き合いだから、すっかりタメ口。それだけ信頼している証なのですが。「とりあえずは聞いてみます。子供の事があるので」色んな事が複雑に絡むよなあ。どうしても。妻と父に連絡とり、○○日で決定。夕方、先生がこられて、小部屋に通されます。机の前にあるディスプレイに写し出される画像。まあ、頭の断面図です。「前回のバイ
さてさて。「あす、SPECT検査ありますから、鼠径部のあたり、剃っておいてくださいね」これが検査で一番いやなんですよね。以前思い切り拒否して、足首に注射してもらった事もありましたが、今回は✗しゃあない、覚悟きめて、ジョリジョリ。「剃ったあと、確認しますから、声かけてください」コレもイヤな理由の一つ。そんなにたいしたものじゃないけど、やっぱり女性にぎりぎりまでみせるのは、抵抗あります。「うーん、もう少し剃ってくれますか?」あえなく✗。ヤケになって結構剃りましたよ。んで、検査当
それは。あさの血液検査の時。「今日、午後にアンギオ入っていますのでお昼抜きですからね」と言われました。アンギオ。かあ、、簡単に説明しますと、カテーテルを足首などから脳まで伸ばし、脳の中に直接造影剤をいれて、血流の流れを確認する検査です。痛みはあまりないのですが、造影剤を入れられた瞬間、脳の中が熱くかんじたり、冷たく感じたり、、、なんとも言えず、気持ち悪い。まあ、必要な検査ですから、覚悟決めて検査に挑みました。「では、針指しますよ」先端恐怖症の私にとっては、コレが一番緊張する瞬間