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ひと昔前の日本人ならば、「人は死んだら、遺族や友人に見送られて、火葬され、灰になったら、骨を拾って、お墓に納骨する」という、一連の流れを、当然視し、それに従わなければ、「故人が哀れ」だと、多くの人から、非難ごうごうになったことでしょう。ところが、彼は、「そのまま灰になるよりも…」と言って、「灰になってしまう」ことの、非合理性よりも、「誰かにあげた方がいい」という選択、つまりは、「灰になる前に、誰かに自分の臓器をあげて、その人の命を助けるほうがいい」という
この些細なやり取りは、思いのほか、私を勇気付ける要素を、たくさん含んでいました。この若者が、現代の日本の若者の典型であるとは、もちろん、断言できませんが、もはや、彼ら・彼女らは、「和田心臓移植事件」などとは、無縁の存在ですし、「脳死」を「うさん臭い死」だと、懐疑的に見下すこともありません。また、(仏教信仰自体は素晴らしいものですが)「他者の身体を傷つけてまで、自分が助かろうとするエゴイスティックな行為」なのだと、否定的に臓器移植を捉える、日本の仏教僧侶
ガス器具点検を終えて、立ち去ろうとした、その若者に、私は思い切って、『あなたの意思で誰かの命が救われます』と書かれた、NPOのチラシを、「読んでもらえませんか」と、手渡しました。若者は、驚いて、「なんすか、コレ?」と言いつつ、チラシを読み始めました。そこですかさず、若者に向かって、「私は『脳死になった時に、ドナーになって頂けませんか』という活動をしているんです」と、少しドキドキしながら、説明しました。すると、その若者は、「全然いいです。もう死ぬとなったら
例えば、「脳死」という死のあり方が、うさん臭い判定によって、もたらされるものではなく、「絶対にくつがえることのない死」「不可逆的な死」なのだと、明確に定義されていることが、広まるようになり、それに伴って、「脳死も人の死である」と、認められるようになってきています。また、「脳死ドナーになる」という、意思表示をすることが、「誰かの命を救う」ことにつながる、という、一番大切な「利他の効用」が、広く知られるようになってきています。昔、よく言われていた、日本社会に、
タトゥーには、シールタトゥーや、ペーパータトゥーなども、ありますから、ネイルアートが、市民権を得たのと同じ経緯を辿って、オシャレの一形態として、タトゥーも市民権を得て、流行っていくのではないでしょうか。『入れ墨イコール悪』だと、ずっと思われてきた日本でも、この流れは、一過性ではなく、これから、加速していくことでしょう。そう考えると、以前のような、「親からもらった体に傷をつけるなんて」という、仏教的あるいは、情緒的と思われる理由で、「臓器を摘出したくない」と
例えば、『入れ墨』についてですが…入れ墨(刺青)は、彫りもの、とも呼ばれ、従来の日本社会では、「入れ墨を施す」行為は、まっとうではない人(暴力団員や、闇の仕事を生業にしている人)が、行うものだとみなされていて、公衆浴場やプールなどでは、現在でも「入場お断り」の告知が、なされています。ところが、最近の若者には、入れ墨への嫌悪や忌避意識がなく、(そもそも、『入れ墨(刺青)』なんて、時代がかった言葉など、使わず、『タトゥー』と言いますよね)逆に、タトゥーは、「ス
「親からもらった大事な体に、傷をつけるなんて!」という感覚…昭和世代の私には、分からないでもありません。耳にピアスの穴を開ける、という行為は、現代の若者にとっては、ごく当たり前の、オシャレに必要な施術なのでしょうが、私には、ずっと培われてきた、心理的な抵抗があるので、「イヤリングでいいじゃないの」という感覚を、捨て去ることができません。それに加えて、和田移植が行われた、昭和の中頃は、世間体意識や右へならえ意識、従属意識が強かったので、仮に、脳死状態に陥った
和田医師の、強引な心臓移植手術の強行が、国内で、日本独自の、脳死下移植をタブー視する原因を作り、日本の心臓移植のみならず、臓器移植全般の遅滞を招いた、と言われています。臓器移植という、特殊な医療は、社会風土・倫理・人生観・宗教・博愛精神など、様々な要素によって、受容されたり、拒否されたりする、デリケートな医療です。和田心臓移植が、強行されたのは、昭和43年。まさに、昭和精神が、色濃く息づいていた時代です。当時は、昭和のまっただ中…『脳死』などという概
のちの調査によって、和田医師が、ドナーとレシピエント、双方の主治医を務めていたことや、心臓外科医である彼が、専門外の脳死判定を行っていたこと、(移植のために、ドナーには必須である脳波を、そもそも取っていなかったこと)なども、明らかになり、和田心臓移植は、疑惑だらけの事件として、刑事告発されましたが、2年後の1970年夏に、札幌地検は、嫌疑不十分で、不起訴の決定を下しました。この事件に関しては、同大学の講師だった、作家の渡辺淳一が、「白い宴」(原題は「小説心
金医師が、日本の改善点として、最初に取り上げているのは、脳死を人の死と考える社会的な合意を、浸透させることです。実は、この点こそが、日本での移植が、低迷したままで、臓器移植法が制定・施行されてから、4半世紀以上もの月日が流れてしまった、最たる理由だと、思われます。この「社会的合意形成に、時間がかかっている」元凶要因として、しばしば、取り上げられるのは、1968年(昭和43年)8月に、札幌医科大学附属病院で行われた、世界で30例目、日本では初の、心臓移植手
韓国の飛躍的な移植件数の増加と、日本の低迷状態とを、比較考察した上で、金守良医師が、10年前に提言した、日本への4つの改善点のうち、4番目に挙げられている、『移植を施行する医療機関の集中化』については、2026年の現時点でも、時期尚早(そのような段階には、10年経った今でも、至っていないのではないか)と、私は感じています。その理由は、前述した通りです。情けないことに、『窮状やトラブルが、公にならなければ、改善しようとしない』という、日本の先送り体質と、低迷
日本の移植医療体制は、いつも、『困ったことが生じると、そこの穴をふさぐための、応急措置を施して、世間の批判をかわす』ことに終始して、維持されています。本来ならば、困ったことが起きる前に、『そうならないために、対処可能な各分野の医療スタッフ、医療設備、十分な手術室や集中治療室が、担保されるべき』なのに、常に、後手後手に回り、「ちょっとだけ前進させました」と、アピールして、終わりです。それでも、心臓移植に関しては、東京科学大学が、移植医療部を、立ち上げたので
ただでさえ、毎日死と向き合う、追い詰められた状況の中で、生き延びることを願う重病患者にとって、移植を可能にする、脳死ドナーの存在は、一縷の望みです。それなのに…「脳死ドナーの臓器が、運び込まれても、自分たちや移植施設の処理能力を、越えているので、受け入れられません」と、キャパオーバー(処理能力不足)を理由に断る、という、韓国の移植関係者にしてみれば、あり得ないことが、起きていたのです。この『脳死ドナーが出現したのに、ウチでは移植できません』事案は、マスコミ
集中化による、新たな課題とは…脳死者からの臓器提供が少ない、日本国内で、貴重な(脳死ドナー)臓器が、せっかく提供されたのに、その臓器を移植するのに必要な、医療スタッフや、手術室、集中治療室が確保できずに、「残念ですが、受け入れられません」と、移植断念となる事案が数年前に、頻出し、大問題になったことがありました。特にマスコミで、問題視された臓器は、肝臓ではなく、心臓でした。もともと、日本国内の心臓移植施設は、12施設しかありませんでした。(肺の移植施設も、12
金守良医師の論文によると、(今から10年前の)2016年時点で、韓国の肝移植医療施設は、国内の大部分の大学病院に、設置されているそうですが、生体肝移植に関しては、どこでも移植ができるわけではなく、国内10前後の、専門肝移植センターに集中している、といいます。そこで、こんなことを考えました。韓国の国土面積は、日本の4分の1で、人口は、5181万人(2024年)と、日本の2分の1以下です。こうした両国の、国土面積と人口の差を、考慮すると、4倍の国土、しかも、
なぜ、そんなことが分かるのか…具体的に、例を挙げると、私たち夫婦が、生体肝移植手術を受けた、2014年当時、東京都内の肝移植実施施設は、6施設ありました。それが、現在では、2施設にまで、減少しています。あるいは、最近の、肝移植実施数の内訳を見ると、315件の肝臓移植のうち、東京大学医学部付属病院が70件、京都大学医学部附属病院が38件、九州大学医学部附属病院が36件、など、移植件数上位5施設で、196件と、全体の6割を占める一方で、地方の国立大学の附属
また、別の視点~移植後の生存率~で、日本と韓国の差異を見てみます。先述したように、熟練移植医の多い韓国と、韓国に比べて、肝移植件数が、大きく下回る日本とでは、移植後の生存率に、どれだけ差があるのかと言えば…意外にも、脳死肝移植の生存率は、韓国で、1年生存率78,4%3年生存率73,2%5年生存率70,7%ですが、日本での脳死肝移植生存率は、1年85,8%3年82,7%5年80,3%と、日本の方が、脳死肝移植の生存率は、上回っています。
そのため、脳死者発生率が、日本と同様に、低いにもかかわらず、韓国では、脳死肝移植手術に手慣れた医師が多く、国内の移植経験だけで、熟練した技術を習得し、良好な移植実績を、積み上げています。この優れた移植実績によって、「末期肝臓病患者にとっては、肝移植手術が、最良の治療方法である」という認識が広がり、『臓器提供者の増加→脳死肝移植数の増加』という好循環を、生み出しています。その結果、2022年の統計では、全体ドナーに占める、日本の脳死ドナーの割合は、11%と
ただ、(4)の「移植実施機関の集中化」という、改善ポイントについては、対象臓器を、肝臓に限定せずに、全移植可能臓器に、広げて考えた場合、首肯できない自分がいます。(私見で、対抗論を述べるのは、大変おこがましいのですが)日本の移植医療の現実は、論文発表から10年経った今でも、まだまだ遅れていて、集中化以前の状況、~せっかく貴重な脳死ドナーが、出現しても、特定指定病院の、移植医療体制が、対応しきれずに、移植手術ができない~という不手際が、問題視されている、と
前章では、金守良医師が、韓国の移植事情について、「肝臓移植」という、ご自身の専門領域から、詳細に説明し、その上で、日本で、脳死肝移植数を増やすための方策を、4点、挙げています。その4点の改善ポイント(必要なこと)を、今一度、書き出してみます。(1)脳死を人の死と考える、社会的な合意を、浸透させることが、重要である。(2)臓器移植に対する、政府の直接的な関与が、不可欠である。(3)潜在的な脳死患者の発掘のための、法的措置と、医療スタッフの、継続的な
金守良医師のこの論文を読んで、まず驚くのは、状況に応じて、矢継ぎばやに繰り出される韓国政府の対応の的確さと、いくつもの移植関連組織を、立ち上げて、脳死患者やその家族の元に、その組織から、もれなくかつ迅速に、コーディネーターが、駆け付けて、移植の説明や手続きが、スムーズに進められる、臨戦体制が、整えられている、という点です。日本で長らく、国内の肝移植の現状を見てきた、金守良医師が報告する、韓国の移植事情を読むと、日本の移植政策が、いかに後手後手に甘んじ続け、
韓国には、前述のように、KONOS→韓国臓器移植管理センターKODA→韓国臓器提供機構脳死決定委員会、といった中央機関のみならず、さらに、DMH→臓器提供者管理病院HOPO→脳死判定対象者管理専門機関があるため、韓国内の、どの中小病院で、脳死臓器提供者が発生しても、KODAあるいはHOPO所属のコーディネーターが、直ちに駆け付けて、脳死判定や臓器提供の手続きを行うように、体系付けられている。(3)第三に、潜在的脳死患者の発掘のための法的措置と医療スタッフの
すでに述べたように、日本の脳死肝移植の症例数は、世界最下位に近いが、この現状を打開するために、日本の肝移植医の中では、脳死肝移植において、実績のある、スペイン・アメリカ・韓国の中でも、とりわけ、アジアの先進国である、韓国の取り組みに学ぼうという気運が、高まっている。ここまで見てきた、韓国と日本の現状を踏まえた上で、日本の脳死肝移植を、増やすために必要なことは、次の4点だと、筆者(金守良医師)は考える。(1)第一に、脳死を人の死と考える社会的合意を浸透さ
長崎大学の江口晋・曽山明彦医師の論文によると…脳死発生から脳死移植までのプロセスは、全世界ともに、共通しているという。だが、脳死移植を多数施行している、欧米諸国や韓国と、日本とでは、決定的な違いがある。その違いとは、脳死発生(予測)の報告を、KODA(韓国臓器提供機構)や、KONOS(韓国臓器移植管理センター)などの中央機関が、各々の医療機関に、法的に義務付けているかどうか、及び、脳死判定する医師と、臓器移植の諾否を家族に問う医師とを、分けているかど
「精神と肉体は一体である」という、死生観は、日本よりもはるかに、脳死肝移植が多く施行されている、韓国においても、当てはまる。韓国でも、2000年に施行された法律によって、臓器移植は、容認されているが、日本と同様に、脳死は、臓器移植の時にのみ、『ヒトの死』として定義されている。韓国においては、「脳死を人の死とするか」否かについて、日本のように、社会全体を巻き込んだ、論争となったことはない。ただし、キリスト教信者が、人口の3分の1を占める韓国においても、死者
〈肝臓の脳死移植についての韓国と日本の比較〉韓国では、2013年の、人口100万人に対する脳死肝移植数は、世界で37位、人口100万人に対して8人であるが、日本に至っては、2013年で、世界60位、人口100万人に対して1人と、世界最下位に近い。その後の2015年における、脳死肝移植数は、韓国で456例となり、アジア最多であるが、アジア諸国では、生体肝移植が70%~90%を占め、移植の主流であるのが、特徴である。(生体移植の比率は、韓国では約70%日本で
また韓国では、脳死間近の患者の家族に、主治医以外の医療スタッフが、臓器提供について、説明することを義務付けた、法的条項が用意されており、施行されている。(ただし、この義務条項を守らなくても、法的に罰せられることはない)韓国では、2010年に発足した、KODA(韓国臓器提供機構)によって、医療機関や医療スタッフへの、脳死に関する教育が、継続的に行われている。55時間の講義のあと、4か月半の実地トレーニングを、終了すると、脳死ドナー管理のための上級コースが
2010年以前の韓国では、中小病院で発生した、脳死臓器提供者は、脳死判定対象者管理専門機関である、大学病院級の大型病院に、移さなければならず、不便であった。そこで、2010年に、KODA(韓国臓器提供機構)が、発足し、2016年時点では、韓国の臓器提供手続きは、ドナー家族が、臓器提供の意思表示さえすれば、全国どの病院でも、KODA(韓国臓器提供機構)もしくは、脳死判定対象者管理専門機関所属のコーディネーターが、直ちに駆け付けて、脳死判定と臓器提供の手続きを行う
2008年に、世界チャンピオンのボクサーが、競技後、脳死状態となり、臓器提供したことから、停滞していた、脳死への注目度が、再び上昇し、社会的論争を、引き起こした結果、臓器提供申請者数は、著しく増加した。続いて、2009年には、韓国のカトリックを、長年導いていた枢機卿が、死亡時に、角膜を提供したことが、報じられると、再び、臓器提供申請者数は、急増した。韓国では、マスコミやキリスト教信者を中心に、広範囲、かつ継続的に、臓器提供に関する広報活動が、行われて
臓器提供を行う根本の理由は、故人または家族の、利他的な提供意思である。遺族にとっては、たとえ、故人の身体の一部でも、生き残ることが、大きな慰めになると思われている。韓国では、故人を記憶し、栄誉をたたえる、記念公園などを作り、定期的に遺族を招待して、社会的次元で、追慕行事を行っている。このような気遣いの継続により、韓国では、脳死臓器提供が、『栄誉ある選択である』と、社会的に認識されるようになっている。広報にも、力を入れている。移植関連団体や宗教団体が