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今週、桜の咲き誇る高知でツアーをした。自分のルーツでもあり、また、年に数回業務をしていた高知だが、新型コロナ発生後3年ぶりの帰郷だ。午前中、欧米のゲスト38人を市内に案内し、午後は桂浜へ。この間約30分は龍馬33年の人生を解説。日頃、龍馬の解説をすることなどほとんど無いが、この日だけは龍馬全開だ。ThisweekIgaveatourinKochi,wherethecherryblossomsareinfullbloom.KochiiswhereIhave
こんばんは🌠今日もお越しいただいてありがとうございます『小さな幸せの積み重ねで、最高に幸せになって輝く人になる』ためのお手伝いをしているあやです高知でのひすいラボの第1回目終えて帰ってきましためちゃくちゃ充実した時間を過ごして、テンション爆上がりでした昨日は坂本龍馬が土佐藩を脱藩した日ということで、龍馬が脱藩する前、最後にお参りしたという和霊神社に参拝し、ガイドの方にいろんな説明を受けました今回は画家で作家のはせくらみゆきさんのセミナーも有り、和
こんばんは🌠今日もお越しいただいてありがとうございます『小さな幸せの積み重ねで、最高に幸せになって輝く人になる』ためのお手伝いをしているあやです今日からひすいこたろうさんの『ひすいラボ』に参加しています3月24日は坂本龍馬が土佐藩を脱藩した日で、ひすいこたろうさんは大の坂本龍馬ファンで3月24日という時間、高知(土佐)という空間、そこにひすいラボの仲間を集めてスタートしたいとの思いがあるそうで今日は高知に来ましたふと見ると私が使っているシャーペンは
今朝の最低気温はー4,9度、最高気温予想は5度、天気予報は晴れです。今日のお買得品洗いレンコン213円手羽元48円×0,7=33,6円×835g=280円浅羽かれい98円/100g三割引き231=159円レンコンはクックパッドで検索したが、唐揚げかな?それと、煮野菜麺に使ってみるかな。手羽元は昆布つゆ+醤油+料理酒+みりん風調味料+水で調理した。味見したが、十分甘みが出ていました。浅羽かれいは化粧包丁を入れ、唐揚げ粉をまぶし、レンチン(笑)。
テーマ:坂本龍馬「意欲に燃えるごく小数の人間が世界を変える。これは疑いの余地の無い事実である」社会学者マーガレット・ミードの言葉漫画の「おーい龍馬」を読みました。この漫画は本当におもしろい。全部で24巻程ありますが次から次に読みたくなります。坂本龍馬の魅力がよく伝えられています。さて、幕末の世の中は各藩に別れており、藩の利益で行動するのが当たり前でした。そんな中で龍馬は脱藩して、日本人というより大きなくくりの中で日本を外国の脅威から救いたい。日本の仕組みを変えて、み
街道をゆくも27巻まできました。まだまだ二年ぐらいかかりそうだが、今回は、今一番日本の中で行ってみたい因幡・伯耆。裏日本というと失礼だが、鳥取県と島根県は行ったことがない地方。47都道府県のうち、40ぐらいは行っただろうか、あと行っていない県がわずかになってきた。何といっても出雲大社に行きたい。なんか古代の日本に出合えるような感じがする。司馬さんの旅行記でもそーいったことを感じる文章。本当にいいなぁと感じる。次に檮原街道。サブテーマ脱藩のみち。まさに坂本龍馬の脱藩の道がテーマで、こ
司馬遼太郎の「街道を行く」27巻です。前半は「因幡・伯耆の道」、後半が「梼原(ユスハラ)街道」でした。鳥取県の東、鳥取市辺りが因幡の国、西、米子市辺りが伯耆の国である。私の鳥取市の思い出は、市民ホールだったか、堂、そこで行われた学会のシンポジウムで発表したという恥ずかしながらの記憶があるところです。仲間と作ったスライドに会場からどよめきがあったことを思い出す。その他は殆ど知らない土地だ。中国山脈に端を発する千代川(せんだいがわ)が鳥取市内を流れ鳥取砂丘から日本海に達する。せんだいというと仙台市
かつて拙ブログで、内村鑑三と彼の代表作、『代表的日本人』ををご紹介しました。(↓)同書の中では西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳という誰もが知る名前が紹介されていますが、彼らに次いで4番目に挙げられている人物(※5番目は日蓮)が、中江藤樹今日は、日本陽明学の祖にして〝近江聖人〟と呼ばれたこの儒学者の命日・没後365周年にあたります。1608(慶長13)年、近江国小川村(現在の滋賀県高島市)の農家に生まれた藤樹は、9歳の時に武士であった祖父・吉長の養子とな
こんにちは。いつも読んで下さり有難うございます。寺田屋。(前にも来てます)幕末当時、船宿として賑わう。坂本龍馬が、宿泊中、襲われた場所。(1866年)→でも、この時は逃げ切ったただ、現在のこの建物は、どうも再建された寺田屋らしい。。元の寺田屋は、どうも焼失してしまったらしい。。(1868年鳥羽・伏見の戦いで)現在の建物の東隣(現在、庭になってる)に、元の寺田屋はあったらしい。。でも、元の建物の造りは、ほぼこんな感じだったんでしょうね。。幕末
『ADVで脱藩中20230618』豊後国から伊予国、土佐国へと脱藩中。土佐から伊予へ脱藩中。ameblo.jp久しぶりに四国へ渡る。目指すは韮ヶ峠。途中大きな茅葺屋根の家に寄ってみる。狭い道を標高1000m辺りまで登って行く。左は土佐国、右は伊予国。
3月26日にバスで高知へ行きました。初日は、とさテラス広場で龍馬パスポートをゲットし無料のレンタル自転車で、高知城、ひろめ市場です。高知城では、ガイドさんに案内していただきました。27日と4月2日にも高知城へ行きました。ひろめ市場は、4回行きました。有名な「やいろ亭」のカツオのタタキも塩でいただきました。日曜日と言うこともあってメッチャ混んでいました。27日は、志士龍馬観光特急に乗りました。最高に良かった。千葉からの母子(大平さん)やカナダ人ルフィさんご夫婦と仲良くなりました。台湾の人とも(中国
『歴史の中の邂逅(かいこう)3』-司馬遼太郎●吉田松陰について-①✪明治維新というのは、藩というものが情勢推進のエネルギー源になったのが、フランス革命と違っている。ところで、その初動期ともいうべき安政年間のある時期までは、長州藩は動いていない。「時務」のために動いていたのは、水戸、薩摩、越前、土佐などであり、長州藩はただの大名であったにすぎない。吉田松陰という、29歳で死んだこの人のことを考える場合、このことをまず頭に入れておかねばならない。長州の暴走がはじまったのは、この松陰が松
国家が出来たのは弥生以降で縄文時代にはなかったのですから、”縄文の蘇り”を目指している人間にとって「国家はいらない」のは当然と言えば当然のことです。そうは言っても二千年以上前から日本国は出来上っているし、生まれた時から国家の枠組みの中で生活しているので、実際のところすぐに出ていくわけにもいきません。そして、普通であれば出ていこうなどとは思いもしません。でも、もしも、自分の所属している国家が「まともじゃない」ことがわかった
先日、龍馬脱藩の道及び、幕末の志士たちの銅像を見るために高知県梼原町へ行ってきたのですが、その記事の続きです♪『龍馬脱藩の道・維新の道!!幕末の志士たちの銅像in梼原♪』前回、高知県梼原町に幕末志士の銅像を見に行ったと記事にしましたが、昼ご飯に食べた鮎の姿揚げが美味しすぎて、そこで記事が止まっていましたね(笑)『梼原町の天…ameblo.jp幕末の志士たちの銅像は↑の記事をご覧ください幕末の志士たちの銅像がある場所から、歩いて10分ほどの場所に三嶋神社という由緒ある神社
〝鞭声粛粛夜河を過る・・・〟武田信玄と上杉謙信が対決した『川中島の戦い』を描いた、この漢詩の冒頭部分は、私のような信州人でなくてもご存知の方が多いはず。今日は、この漢詩の作者であり江戸時代後期に活躍した文人・画家・歴史家であったらいさんよう頼山陽の命日・没後190周年にあたります。山陽は1781(安永9)年、私塾・青山社を開いた儒学者・頼春水と、やはり儒学者の娘で和歌・書に秀でた頼梅颸(ばいし)の長男として大阪に生まれました。教養
環境を変えたいと思い、大阪にセカンドハウスを借りたので土佐を脱藩する事にしました🔥笑次の家は九条‼️浪速区歴がめちゃくちゃ長かったけど、はじめての西区‼️まぁ寝るだけやからいいかな?と思いめちゃくちゃ狭いワンルーム‼️笑リモート内覧して即決で申し込み。インターネット、水道、ガス、管理費、家賃、全て合わせて30200円の激安物件‼️笑10月3日入居予定高知と大阪のデュアルライフにしたいと思います。月の半分位は大阪にいてるつもりなので、何か大阪で儲かるお仕事があれば紹介して下さい☺
私は歴史人物の中で坂本龍馬に強く惹かれます。坂本龍馬のすごいところは日本全体からものを見ているところです。土佐藩の有力者に後藤象二郎という人物がいます。彼は土佐藩重臣。幼少の頃から乾退助(板垣退助)とともに、竜馬のいじめ役として登場するが、これは作り話。その後土佐勤皇党の弾圧で指揮を取り、竜馬の親友であった武市半平太らを死に追いやったのは事実。後日竜馬と手を結び土佐を近代化の波に遅れまいとする。竜馬に推され大政奉還のシテ役となる人物です。彼は龍馬にとって親友武市半平太を死に追いやった憎
今から行って来ます🙋♀️駅まで旦那が送ってくれました感謝です🙌💕運転したのは私ですが(笑)脱藩します!
【精神的に脱藩せよ】いつもありがとうございます。若い頃、坂本龍馬様に関する書籍を読んでいたら、「脱藩」という言葉が浮かんできました。もしかしたら、龍馬様からのメッセージをいただいたのかもしれません。あれから、さまざまな局面で、「脱藩」という言葉を思い出し、向上の原動力にしています。もちろんこれは、家や仕事や家庭や人間関係を捨てることを推奨しているわけではないですよ。環境以前に、みずからの精神を脱皮させるという意味です。御縁に感謝です。笑顔に満ちた日々となり
私に浮かんだ感じでは、導きの言葉でした。「脱藩藩士」と私は自分から使える言葉ではないからです。脱藩と藩士はつなげてもおかしくはない言葉なのでしょうが自分で表現しようとはまったく思えないのです。『だっぱんはんし』と調べますと、脱藩のコトバンクが先頭に出てきます。脱藩とは-コトバンク(kotobank.jp)そもそも不思議なのは、『外様大名』と浮かんだ体験ですでに始まっています。このところ毎晩、楽しみに大河ドラマの龍馬伝を結局、観てい
上司のMが事務室に来て私が目の前にいるのに「あれもう誰もいないなあ。」繰り返し言われた「お前の眼中に3月末に辞める俺は見えない」ということかもしこれがわざとなら何度も同じことを言ったことはいじめかパワハラだと思うあと2ケ月最後までがんばろうと決めている本人を前にすごいいじめだな俺は透明人間かお前にはもう見えないということか本日火曜日の午後心に決めたことがある4月になれば大学に行って教員免許を更新しよう何十年も使っていなかった教員免許の更新にど
「脱藩」坂本龍馬が27歳の時に、行った行動。今でいうと、土佐(高知県)の武士(竜馬はやや身分の低い郷士)という身分を捨てて、国を出て、藩に無許可で伊予(愛媛県)に逃げた。おそらく、国外逃亡にあたる行動である。21世紀の私は、「脱県」ともいえる状態です。長年、努めていた仕事をやめる決断をした。若い女性への配慮のないセクハラ・パワハラ上司への反発が、自分の早期退職を決めた。おかげで収入は0になる。嫁は病弱、子供は高校生。家族の収入0円。子供の頃の夢だった、物書きになると決めた。
ご旅行の際は国土交通省観光庁の提唱する「新しい旅のエチケット」も参考にしてください。「新しい旅のエチケット」←こちらをクリック投稿日現在、GOTOトラベル、GOTO地域共通クーポンの利用ができません。ご注意ください。こんにちは!おもてなしスタッフです12月、今年もまもなく終わりますね(しみじみ)。年の初めに立てた目標は、たぶん半分も達成できていない気がいたしますが・・・(いや、そもそも目標立ててたの?)そんな個人的な話はさておき。先日、ふいに龍馬脱藩の姿が脳裏
11月15日(慶応3年)坂本龍馬が近江屋で殺害された日です。「なぜ殺害されたのか」はまたいつかお話ししたいと思いますがこの当時、坂本龍馬ほどの人脈を持っていた人はいなかったのではないか、と思います。でもすごいのは、今より身分制度のあった時代。坂本龍馬は、上士ではなく下士だったんです。そこから幕末の重要人物へとなっていきました。それができたのは脱藩したからですね。歴史にたらればはないですが、龍馬が土佐藩
(月光庭の精霊たち:画像と本文は直接の関係はありません。)前回、脱藩して一介の浪士となって戊辰戦争に身を投じた青年大名の短い物語を書きました。配下の兵の命を思って、死罪を覚悟して投降するところで物語は終わりましたが、さて、その後の彼の運命はどうなったのでしょう。ここでは物語のモデルにした請西(現在の木更津)藩主、林忠祟について書きます。脱藩して浪士となり、戊辰戦争に身を投じた彼は死罪を免れ、明治5年に釈放されますが、これからの彼の人生も、なかなかに波乱に富んでいます。釈放され
「何事も千日継続できたら、人生が変わります。元気になる言葉たちを手帳に書き続けると人生がコロッと良くなります。人生というのは悪くなる時は、真綿で首を絞めるように、徐々に、徐々に悪くなっていきます。しかし、良くなる時は一気に良くなります。火柱が立つほどの復活劇を遂げることがあります。特に筆文字がオススメです。」ある怪しいセミナーを受講した時の話です。講師がゆるく勧める話を真に受けて、軽い気持ちで挑戦することにしました。Facebookに千日修行と称して、毎朝
0922/1000いつだって物語は、「脱藩」から始まります。脱藩とは、握りしめていた価値観を一旦、手放してみること。