ブログ記事13件
先日、このブログでご紹介した、姉のイラスト。元ネタはA子さんの夢(第87話)この絵が姉から送られて来た時、思わず『上達してる〜!!』と即レスしちゃいました。だって、特にシンボリックな衣装を着てる訳でもないし、何かの写真を見て描いた訳でもない。普段着の、あくまで想像上の秀樹さんなんだけどちゃんと秀樹さんに見えるこれって、案外難しくないですか?勿論、秀樹さんを書いてる事が前提だからそう見える、というのはありますそれでも、秀樹さんらしく見えるのは確か『何故だろう?』と思っていました。
第2の大谷翔平を潰すな!子どもの好奇心を育む子育てスタイル「ママこそ脱常識」今日は、ちょっと強めの口調ですね💦なぜなら、Nicottoライブで我が家の「子どもの自立」をテーマにお話をさせて頂き、ちょっと興奮しています(笑)私が子どもの好奇心を伸ばしていくのに一番意識していること。子どもの可能性に蓋をしない。潰さないです。子どもの可能性を伸ばしてあげたいという思いはもちろんなのですが、実は、一番注意しているのは逆なのです。なぜかというと、制限を教え
ふわふわ⛅️⛅️⛅️感謝してます✨✨✨淡路島🌈南あわじ🌈まるかん南あわじ店✨城主✨里村ゆうこです😊たつや部長の新刊💖肩の荷が降りすぎて肩がなくなるくらい楽しい本です〜😆⛅️⛅️⛅️めちゃめちゃ軽くなります😄✌️軽くなりまくります😆✌️お家に一冊あるだけで、いっつも、ひとりさんとたつや部長の楽しいやりとりを身近で聞けてる感じがします💕『脱✨常識』でいこう💖一人さんのあとがきより〜常識という鎧はそろそろ脱いで、ふわふわの軽い心で好きなことやりな。人生楽しみな。〜たつや
当たり前は当たる前。当たり前なんてことなんかない。ひとつもない。当たり前の基準は一体なんなんだろう⁇当たり前って言葉に感謝や愛は一切感じられない。普通も同じ。個人のカラーが出過ぎないように基準が普遍的に行き渡るように見えない仕掛けがしっかりしてある。これからはみ出た人間は、常識がない変人だと言われる。そう言われるのを、思われてしまうのをどこかで恐れてみんな外では仮面をかぶり、素直な自分をなかなか出せなくなっちゃってる。他人と関わると自分ぢゃないからアホみたい
言葉というものは、力を持ってます。一つの言葉を聞くと、大なり小なり、人は何らかのイメージを浮かべます。イメージや実際の物事に言葉という符号をつけて、理解しているので、正に言葉とイメージは連動しています。言葉を発した瞬間にすでにイメージングは始まっているのです。同じ物事でも、言葉選びを変えるだけで、イメージが変わります。題名の通り、試行錯誤と実験は、似たような意味を持っています。新しい物事を試す時、より良い解を探す時、新発見を追い求める時、上手くいか
ここ最近、久しぶりに気持ちが揺れるというか、自分と向き合っていました。漠然とした不全感。鬱積していた怒り色んなことへの不平不満。自分やだなと、思ってしまうのも久しぶり。でも、具体的な策もなく、ただ悶々とする様な日々が続いていました。こんな時は、大概が新しい気づきが待ってるので、そいつぁ、どんなんだい?と、待っていたら、ようやく気づいて来ました。一言で言うと、クソが!と、思う奴が沢山いたということ。で、そいつらに合わせていた自分がほとほと嫌になっていたのでしょ
僕は子どもの時から、強くなりたい!と願って生きて来ました。子どもの頃から、青年期までは、腕力的な強さに憧れ、中学から、筋トレにいそしんだ後、そういう強さは、自分の中には存在しないということに気がついて、腕力的な強さへの憧れは薄れていきました。そして、その後に求めたのは、精神的な強さ。初めはたくましいブレない強さに憧れ、次第に柔らかくしなやかな強さへの憧れに変化をしていきました。しかし、残念ながら、たくましさもしなやかさも僕の心は持ち合わせることはなく、ただ単に傷つ
内向的か、外交的かの話を続けたいと思います。僕は、最近自分が内向的な人間であると知りました。薄々は気づいていましたが、やっぱりそうなのかぁと、気づきました。そしたら、色んなことがミステリードラマの謎解きの様にわかって来ました。自分が変わろうとして来たこと、若い頃から苦しんで来たこと、弱点だと思っていたことは、脳の個性であったということに。この社会は、基本的に外交的な人間が牽引しています。割合はよくわかりませんが、7割くらいは外交的な人になのではないかと思っています。学
弱いことは、ダメなことっていうのは、定説みたいになっています。強くあることが正しくて、弱いことは間違っているこんな風な認識がどうしてもあると、生まれ持ったものを否定してしまいがちです。生まれ持って気が強く生まれる人もいるし、生まれ持って気が弱く生まれる人もいます。強く生まれた人は、図々してくて、ストレスにもつよくて社交的。それが持って生まれたものであるなら、普通の話で、ラッキーなだけで、偉いわけではありません。人は色んな個性を与えられて生まれて来ますが、生まれ持って与
僕は道徳が苦手です。だから、世の中で信じられている、多くの人として美しいとか、正しいと、言われる道徳像から、日に日にかけ離れています。人には優しくしましょうといういかにも道徳っぽい標語が苦手です。優しくした方がいいから、優しくしようとすると、自分の本心を抑圧しながら、優しいフリをすることが多い。結局、優しさは振りまいても、見返りを心の奥では、見返りを求めているから、不満の塊になっていたりします。目的が優しくなるだった時に、正しいからそうなるでは、結局つづかねぇだろ。
仕事が遊びだとしたら、仕事という響きがまるで違って聞こえてくる様に思います。仕事はしんどいものというイメージが日本では浸透しています。実際、僕も日曜の夕方あたりから憂鬱になってきます。日本人は勤勉だ。と、よく言われます。実際そうなんだと思います。ですが、江戸時代の落語やら歌舞伎やら、版画やら、祭りやらから、見ていくと、本来日本人って面白がりな国民性を持っている気がします。実際に昭和のテレビを始めとした文化振り返ると、かなり破天荒でバカなものが満載です。そんなバカなこと