慶応3年(1867年)10月13日、慶喜は二条城に10万石以上の大名の在京代表者を集めて政権返上の意思を伝え、希望する者には慶喜自身が直(じか)に説明する、と言明した。参加者の大部分は、この驚愕の大事件を一刻も早く国元に伝えるべくただちに城を去り、後には薩摩の小松、土佐の後藤、芸州の辻将曹(しょうそう)が残った。小松は後藤と共に慶喜の決断を賞賛、速やかに朝廷への奏聞(そうもん)と全大名の招集を行うよう提案し、彼自身も朝廷に政権返上を認めるよう脇から強く働きかけることを約束した。小松は、すべての問