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前回のポストから随分日が経ってしまいました。自宅で倒れた独身の叔母の一件については、姪の立場からの介護について色々と学ぶことが多かったので、時系列的に整理して後日投稿していきたいと思います。肺MACの方は投薬もなく定期的に経過観察を続け順調に推移していたのですが、前回術後3年目のCTで呼吸器外科の主治医、ドクターXに甲状腺の腫れを指摘され、念のため血液検査を受けるよう指示されました。後日結果を聞きに再度ドクターXの元を訪れるとTSH(甲状腺刺激ホルモン)の値が「めっちゃ高い」と
総合病院は、幸いなことに自宅から自転車で10分ぐらいの場所にあり、紹介状をバッグに入れ自転車で向かいました🚴ここに来たのは出産の時以来だな…と思いながら、混雑している雰囲気に慣れないまま受付を済ませました。診察の前に、体重、血圧測定、パルスオキシメーターをしながらの看護師さんとの問診、血液検査をし、肺のレントゲン、CT検査をしました。12年前髄膜炎になり、夜間救急で同じ病院に運ばれた際にしたMRIみたいなものを想像していましたが、CT検査はそれほど構えないで時間が過ぎました。全ての
翌朝🌞気持ち落ち着かないまま、ただ喉が切れただけかもという気持ちも半分あるまま、子どもの送迎準備をしていたところ、知らない電話番号から電話がかかってきました📞こんな朝早くから勧誘電話ではないよね?…と思いながら電話に出たところ、予約していた呼吸器内科からでした。「Web問診を拝見し、院長先生が夕方まで待たずに朝一で来た方が良いと言ってます。すぐに来られますか?」子どもを幼稚園へ送迎後、そのまま向かい、レントゲンを撮って先生から言われたのは、「急な血痰で驚きましたね。胸の音も
私の、非結核性抗酸菌症治療記録についてお読みになる場合は、コチラ↓のまとめブログからどうぞ♡非結核性抗酸菌症治療記録〜まとめ〜【お知らせ】是非ご視聴ください①NPO法人非結核性抗酸菌症・気管支拡張症研究コンソーシアムNTM-JRCによるWEB市民講座(第1〜6回)視聴チャンネル②FM軽井沢ラジオ放送「患者の声が薬を動かす感染症との闘いは続く──非結核性抗酸菌症に挑む学会の力」FM軽井沢バックナンバー12月☆☆☆☆〜〜〜☆☆☆☆〜〜〜☆☆☆☆
波乱万丈の2023年の締めくくりは12月の第九演奏会である。合唱団は公募で集まった150人、オケは日本センチュリー、指揮は川瀬賢太郎マエストロ。ソリストも第一線で活躍する方々である。ほぼ満員の聴衆を前に、若きマエストロのエネルギッシュな指揮に引っ張られ、オケは言わずもがな、合唱団も最高のパフォーマンスを発揮できた(......と思いたい)。歌い終わったときの高揚感は格別である。第九の生演奏を初めて聞いたという知人のお母さまが涙を流すほど感動してくださったと伺い私もウル
イタリアではローマに連泊した。現地に着いてからも古い教会の集会室で練習を行い、本番に備えた。演奏会場はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂とアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂である。こんなところで歌える日が来るなんて、長生きはするものである。もちろん観光も楽しんだ。21世紀の都市に古代の遺跡が忽然と姿を現すローマ。絢爛豪華なカトリックの総本山、バチカン市国。静謐な佇まいが美しいアッシジの街並み。ヴェスヴィオ火山(フニクリ・フニクラ)を彼方に望むポンペイの遺跡。駆け足の旅
ツアーの目的はあくまでも演奏会なので、手術から1か月半後の5月から本番の10月まで月2回のペースで練習があり、本番が近づいてくると臨時練習も次々と追加になった。誤算だったのは、『戴冠ミサ』が簡単なのは1曲目だけだったということである2曲目以降はぐんと難易度がアップし、何度も心が折れそうになったしかしこの時代にはYouTubeという頼もしいツールがある。幾つかのサイトでパート別の音源が無料で公開されているのだ。学生時代の譜読みの苦労を思うと隔世の感がある。日頃の発声練習もYouT
その後も友人からは身体を気遣うメールなどをもらっていたのだが、手術が無事終わり、退院したことを報告すると、その数日後、彼女からレターパックが送られてきた。何やら紙の束が入っている。『戴冠ミサ』の第1曲「Kyrie」の楽譜のコピーだった……恐る恐る楽譜をめくってみると、シンプルなハ長調の旋律で、歌詞も「Kyrieeleison」だけである。しかも半分はソロで合唱のパートは少ない。これならいけそう?いやいや手術したばかりだし、術後は半年間点滴だし、しばらく歌ってないし……。
もちろん手術をして終わりというわけではない。S病院の主治医からは、術後は3剤の投薬に加え、アミカシンの点滴を週3回、半年間続けると告げられていた。この際徹底して菌を叩いてしまおうというのである。そこでS病院で外来の時間外になる午後に枠を確保してもらい、5月から月水金の週3回点滴に通うことになった。午前の外来受診と重なる日には、採血後、注射針を留置したまま続けて点滴をしてもらえた。こうすれば針を刺すのが一度で済むのでとてもありがたかった。アミカシン点滴に伴う定期的な聴覚検査も院内
教授回診のあったこの日、ようやく胸腔ドレーンから解放された。ドレーンの抜去はX先生配下の若い医師2人がかりである。うつぶせで処置を受けながら「何センチくらい体内に入っているんですか」と聞くと「10~15センチくらいですね」という。結構長い。同じ日に最後に残った硬膜外麻酔の管も抜けた。その後一時的に吐き気に襲われ、この日の夕食は食べられなかったが、翌日には回復した。術後は嘘のように痛みを感じることがなく、X先生に「グローニャさんは痛みに強いわ」と言われた。グ「鈍いってことで
術後は歩けば歩くほど回復が早いと言われていたので、ホスピタルパークを散歩することにした。お天気も良く、1階のカフェでコーヒーを買って外に出たまでは良かったが、パークの通路は石畳である。この上を身体に付いた色々なものをがたがた引きずりながら歩くのは至難の業で、一瞬で後悔した。それでも何とかベンチまでたどり着き、爽やかな外の空気に触れ、花や鳥を見ながら気持ち良い時間を過ごした。帰りはまた石畳の上をがたがた言わせながら歩かなければならなかったのだけれど。術後5日目、看護師さんから
朝にはベッドごと病室に戻った。しばらくしてX先生が「どうですか?」と様子を見に来られた。手術は予定通り上葉の剥離だけで済み、出血量も少なく、輸血の必要もなかったという。「どのくらいの出血量だったのですか」と尋ねると「200ml」というお答え。えっ、計量カップ1杯分も……でも献血1回分だから少ない方なのか。午後には身体に付いた色々なものを引きずりながら、理学療法士さんの指導で早速リハビリを開始。術後すぐに歩かされるとは聞いていたが、本当だった。なかなかのスパルタである。指に
手術室には麻酔科の先生や看護師さんが既にスタンバイしていて、和やかに談笑している。なんだか楽しそうな雰囲気である。X先生の姿はまだない。手術用ガウンを身にまとい、かっこよく登場する先生の姿を見てみたかった。手術台は意外と狭く、ほんのりと暖かい。横になると麻酔科の先生から「若手の指導に協力をお願いしますね。大学病院は教育機関でもあるのでね」と言われた。私の身体で役に立つのなら、どうぞ、いくらでも使ってください。身体を海老のように丸め、若い医師に硬膜外麻酔の針を刺す部位を指導する先
前回の記事はこちら私の手術当日も、ある病院スタッフの対応がZさんの逆鱗に触れ、病室内にはそのスタッフを叱責するZさんの声が響き渡っていたZさんの医療データの不要な個所をスタッフが誤ってコピーしてしまい、そのことが個人情報への配慮とコスト意識を欠いた「親方日の丸」的(若い人には分からないかも)な甘えであるとしてZさんの怒りを買ったのである。本来なら手術を前に緊張感がMAXに高まるところ、その緊迫感あるやり取りの方に気を取られて手術への不安などどこかに吹き飛んでしまった。やが
病室は4人部屋だが入院していたのは私も含めて3人だった。全員違う病気で主治医もばらばらである。そのうち1人は、病院のスタッフに対してはっきりと物を言う人で(便宜的に「Zさん」と表記)、傍から見るとハラハラさせられることも多かったのだが、お陰で入院生活は忘れがたいものになった。たとえばこんなことがあった。前回のブログにも書いたように、手術中はテープ型の紙おむつを着用する。私は入院当日にそのことを聞かされて、病院のコンビニまで買いに行った。看護師さんはZさんにも紙おむつを買っ
午前中に病院に入り、PCR検査を受けて陰性が確認された後、病室に案内された。見晴らしの良い上層階の4人部屋である。病室ではまず病院スタッフの方に助けてもらいながらPCを使えるようにネット環境を整えた。また次々と病室を訪れる看護師さんや薬剤師さんから入院計画や手術の手順、薬の説明などを受けた。シャワーも浴びておく。手術が翌日なので準備に忙しい。手術中はおむつを着用するので、看護師さんの指示で病院内のコンビニまで紙おむつを買いに行った。パンツ型ではなくテープで止めるタイプのもの。人生初の
前回の記事はこちら全身麻酔の手術を受ける場合は事前に歯科の受診が必要になる。気道挿管時に歯が抜けたり、口腔内の細菌が肺に入ったりすることを防ぐためである。私は数年前に虫歯を治療したことをきっかけに定期的に歯科で口腔クリーニングを受けていた。歯科医に勧められるままにケアを続けてきたことが幸いした。色々なことが重なって、この病院で手術を受けるのは運命だったのかも、と思ったりもした。術前のX先生の説明によると、抗酸菌症の手術は確かに肺癌よりも複雑であるが、手術死亡率は低く、肺癌が0.
前回の記事はこちら抗酸菌症の手術では菌の拡散を防ぐために特殊な処置が必要になる。そのため肺癌の手術よりも難易度が高くなるという。そこでこの手術を多数手がけた実績を持つ先生を紹介してもらった。大学病院の呼吸器外科に所属する40代の女性医師である。ここではドクターXに因み、敬意を込めてX先生と表記する。はきはきした朗らかな先生で、診察室の雰囲気がとても明るい。CTの画像から私の肺にはかなりの癒着があることが分かっていたが、「これくらいは想定内」という頼もしいお言葉である。さすがに「
前回の記事はこちら主治医の先生から手術の話が出たのは、投薬再開から1年を過ぎた頃である。主な病巣が右肺上葉に限局しているので、この部分を切除すれば、軽々しく「根治」という言葉は使えないが、かなりの効果が期待できるだろうという。その頃には咳が出ることもなく、投薬でこの状態を維持できればいいのでは…と甘く考えていて、手術の提案にもぐずぐずと煮え切らない態度を取っていた。しかし現実は私が考えるほど楽観できる状態ではなかったようで、先生には「自分のことなんやで」と呆れられたり、「かなり
前回の記事はこちらその後もS病院の呼吸器内科と眼科に通いながら投薬の日々が続いた。症状はすっかり落ち着き、服薬と通院時以外病気のことはほとんど忘れて普通の生活を送っていた。この間、愛猫、愛犬との別れという悲しい出来事があった。とくに愛犬を失ってからは朝夕の散歩の習慣がなくなり運動する機会が激減したため、体重は入院時から10キロ近く増加してしまった。在宅で一日中パソコンに張り付いて仕事をしているので、身体を動かすことがないのだ。肺MAC的には体重増加は好ましいことなのだが、
前回の記事はこちら覚悟を決めて臨んだ気管支鏡検査だったが、結論から言えばイントラセルラーレ以外の菌は検出されず、CRPが高いのはこの菌が原因だろうとの結論に至った。投薬の効果がイマイチなのは不安だったが、他に原因となる菌が見つからない以上、薬がじわじわ効いてくるのを待つしかない。そこで、CRPはまだ7台という高レベルにとどまっていたが、入院期間もすでに3週間になろうとしていたこともあり、いったん退院することになった。退院後は3剤の服用を継続しつつ、主治医の手配で、最初に受診した
前回の記事はこちら検査は朝10:30から。朝食は抜き、血糖値の低下を防ぐためにリンゴジュースを飲む。検査着に着替え、点滴が必要になった場合に備えて腕に針を留置した後、ストレッチャーのある部屋に移動。肩に筋肉注射を打ち、30分間横になって順番を待つ。時間が来ると看護師さん2人にストレッチャーを押してもらって検査室に向かった。検査室には主治医はじめ、医師と看護師さん数人がスタンバイしている。まず5分ごとに血圧を測るために腕に血圧カフを巻かれ、足の指に酸素濃度を測る器具を装着された。
前回の記事はこちら入院初日からアミカシンの点滴が始まり、4日目からは1日3回ユナシンの点滴が追加された。6:00ユナシン、10:00アミカシン、14:00ユナシン、22:00ユナシンというルーチンである。その後看護師さんの計らいで、10:00のアミカシンを14:00のユナシンの後にずらしてもらうことになった。お陰で入院6日目には短い時間だったが外出し、シャバの空気を味わうことができた。お好み焼きが美味しかった。ところがユナシン点滴後も炎症反応は一向に下がらず、レントゲンの影はか
前回の記事はこちらリファンピシンの副作用で尿がオレンジ色に染まったこと以外(血尿が出たかと思って焦った)、とくに薬の影響も感じず、このまま通院で様子を見ることができるのでは…とも思ったが、私の肺には、主治医いわく「かなり派手な」影と空洞があり、CRP(炎症反応)は10を越えていて(正常値は0.14以下)決して軽症と言えるレベルではなかった。せいぜい1週間から10日程度の入院だから、という主治医の言葉に背中を押され、覚悟を決めて入院することにした。自分としては、咳とちょっとした息
前回の記事はこちらこの時点で疑われていたのは、肺癌か結核か非結核性抗酸菌症の3つ。専門病院(便宜的に「S病院」と表記)では喀痰検査を行ったが、痰から菌が出なかったため、翌日鼻孔からチューブを挿入して胃液を採取した。…すごく気持ち悪かった非結核性抗酸菌症なら人にうつす心配はないが、結核ならそうはいかない。実はその数日前にある集まりに参加していたので、もし結核なら友人たちに多大な迷惑をかけてしまう…。結果が出るまで気が気ではなかったが、果たして胃液から非結核性抗酸菌の1つ、イントラ
私には非結核性抗酸菌症(肺MAC)という持病がある。2年前に右肺上葉を切除し、今は数か月ごとに経過観察をしている。この病気が分かってから、同病のブロガーさんたちの記事に随分助けられたので、備忘録として私自身の経験をつづっていきたいと思う。誰かの参考になれば幸いに思う。診断が下ったのは2017年4月。前々から咳が長引くことは気になっていたが、他にこれといった自覚症状もなく、また呼吸器科は何となく敷居が高かったので、耳鼻科で咳止めを出してもらうなどしてごまかしながら症状を抑えていた
前回5/17に行って肝数値を指摘され、リファピシン半量になりました。『非結核性抗酸菌症定期検診➕大人のりんご病』昨日、りんご病かも、疑惑のブログを投稿しました。今朝。相変わらずの発疹、かゆみ、浮腫。そして、関節痛がヒートアップしていた。階段を降りるのがとても辛い。二本足…ameblo.jpさて…BMI25.2と健診だと指摘されてしまうレベル💦血圧は84/49。年取ると上がる上がると言われているけど、まだ低空飛行中✈️低血圧でも倒れたりふらつかないなら、薬はないということで、気にしないで
私の、非結核性抗酸菌症治療記録についてお読みになる場合は、コチラ↓のまとめブログからどうぞ♡非結核性抗酸菌症治療記録〜まとめ〜☆☆☆☆〜〜〜☆☆☆☆〜〜〜☆☆☆☆呼吸器内科受診記録です。前回の喀痰も抗酸菌陰性でした。採血結果は肝臓の数値がやや高めに出ていましたが長期にわたって薬もたくさん飲んでいるし、あまり気にしなくて良いとのこと。秋までは肺MAC治療薬を続けますが、その時まで陰性が続いていたらCTを撮って投薬終了の判断をするそうです。遂に?!18年も薬を
私の、非結核性抗酸菌症治療記録についてお読みになる場合は、コチラ↓のまとめブログからどうぞ♡非結核性抗酸菌症治療記録〜まとめ〜☆☆☆☆〜〜〜☆☆☆☆〜〜〜☆☆☆☆手術へのリ・スタートということで、娘2人も『しっかり話を聴く』と付き添いを申し出てくれて行きました。が…正直言って今まだ私自身が受け止めきれていないというか、消化しきれていない…そういう内容となりました。外科は、「母が生きているうちは難しいです」とストップしてから1年以上の間隔が空いたので、
年明けから、体調的に穏やかな日々を過ごしていました。咳は時々あるけど、股関節の痛みは、リハビリを休んで、自分で丹田をカイロで温めて、痛い部分に手をあててさすっていたら、なぜか治ってきました。温めて、血行をよくするって大事なんですね。一時は右足をひきずって歩いてたのに。そうそう靴専門店でピッタリの靴とインソールを買ってから、歩きやすくなりましたただ、肺の持病の方がちょっと・・・・・喘息もそうだけど、持病は根気よくつきあっていくしかないのかなと思いました。受け入れて、自分なりにうまく