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「癌は神様がくれたプレゼント」新しくサブチャンネルを開設した理由の一つが母です。母の余命は分かりませんが肺扁平上皮癌です。母の生き様を残しておきたくて開設しました。母の生き様だけを撮るのも何となく違う気がして、私の人生の一部として撮っていこうと決めました。母は今、とっても元気だから実感が湧いていません。「5月13日に生前葬をする」と私達家族をアルゼンチンタンゴのショーに招待してくれました。きっと素晴らしいショーになると思います。この先どんなふうに私自身が変わっていくのかも
母ちゃん、いよいよ喋れなくなった。水も飲むのも一苦労手は、握り返してくるがわしを認識してない。そして、壁を見つめる。体臭も山椒の香りが漂ってくる。フェンタニルも0.1から0.2に増えた。いよいよ、覚悟が必要だ後、どれくらいかわからないが、頑張れ母ちゃん
去年7月に肺扁平上皮癌が見つかり治療が始まりもう少しで一年になります。去年癌と分かるまではあちこちの病院に行って辛かった事を思い出します。最初におかしいと思いだしたのが2月頃だった。乾いた咳が出始め1ヶ月たっても咳が止まらず、肋骨にそった辺りが痛くて、そのうち食べ物を飲み込む時のつかえる症状が出てきて。その頃にはもうすでに4箇所の病院に行きました。レントゲンは勿論、胃カメラもやり、呼吸の検査もしたり。特に何もないと言われ咳止め・痛み止め・逆流性食道炎の薬も処方され、もう痛み止めは手放
月曜日、無事に両親が退院しました。退院の日は妹と私の夫が仕事を休んで病院まで行ってくれました。本当はキーパーソンである私が退院のお迎えに行くべきだったのですが、この日に限って2年半不登校の長女が学校に行くと言いだしたので、そちらを優先させてもらいました。退院前の土日は私が実家で過ごしていた部屋を空にしたり、介護用ベッドを2台搬入したり、バタバタでした。子連れで2年以上住んでいた部屋なので荷物がいっぱいすぎて、何度も2階にあがったり降りたり。もうフラフラでした。でもその甲斐があってか、退
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄ですゼロがんチャンネルでちょうど4か月前、5/19にアップした肺がん動画に質問がきました4か月経っても見つけてくれる人がいるのですね、、、シミジミこんな質問ですまとめるとこんな感じです声かすれと3年間の眼瞼下垂があり、他の動画を見たら、肺がんの症状と書いてあったしかし、ゼロがんチャンネルでは、その症状に触れていない私の症状は肺がんによるものなのか?回答にも書きましたが、パンコースト型肺がんの場合には、眼瞼
今日は朝から一日中病院と家の往復でした。日曜日に発熱して、歩くのもやっと、少し動いただけでも息切れして辛そうな父が、タクシー乗って1人で通院して行くのを見ていられず、朝だけでも付き添うことにしました。本当は、朝は父の病院行って、検査と診察まで一緒にいて、抗がん剤が始まったら次女を25キロ離れた幼稚園へ送り届けて、すぐまた実家に帰って今度は長女を大学病院まで連れて行って、受診が終わったらまた25キロ離れた次女の幼稚園にお迎えに行く…というハードスケジュール(ミッションインポッシブル)
1月に、肺扁平上皮癌ステージ4の告知をされた父。その後抗がん剤の治療を始めて4ヶ月が経とうとしています。1月の入院時には、体調はあまり良くなくても、まだ自分が癌だなんて信じられない!というような状態でしたが、流石に70歳過ぎて、抗がん剤の治療をしていると、糖尿病などのもともとの体調の悪さに加えて、抗がん剤の副作用もかなり出ているので、4ヶ月前の父とは別人のようになりました。当初は、抗がん剤治療で痩せこけていく父を想像していましたが、見た目はその逆で、顔が浮腫み、スキンヘッド、癌患者じゃな
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です。前回のブログ『肺がんの遺伝子検査は普及しているのか?』昨年12月に行われた肺がん学会の演題わが国の非小細胞肺がんの遺伝子検査は本当に普及しているのか?(WJOG15421L/REVEAL)/日本肺癌学会2022|…ameblo.jpなかなか難しかったと思うので、個別化医療についてまとめてみました現在、肺がんではこのような個別化医療が進んでいますただ、前回お話ししたように、省略されていることも少なくないので、”非小細胞肺がん
先日セカンドオピニオン先の先生から父の主治医に送られた手紙についてと、父の今後の治療の計画について、主治医の先生とお話をして来ました。思っていたより元気そうで、安心しました。来週には一旦退院出来るそうです。治療や抗がん剤云々というより、日々の生活を大切にと言われました。そこでポジティブな父は、「私はそんなに長生きをしたいわけじゃないんですよ。私まだ◯◯歳なんでね、あとせいぜい5年くらい生きられれば良いんですよ」と、話していた…5年って…(すごいポジティブって思ったけど、なんで
今日は切ない1日でした。まずは父。肺扁平上皮癌ステージ4で抗がん剤治療のため入院中です。抗がん剤治療5日目です。2日目までは何の副作用もなく元気に過ごしてましたが、3日目の午後になって倦怠感がひどく、発熱もしていて食欲もないようです。そんな中、外出の出来ない軽度認知症の母を心配して、病院からネットスーパーで食べ物をたくさん注文して送ってくれます。でも、今日ゴミ箱を見たら、父が買って送ってくれたパンや惣菜が捨ててありました。神経質な母は賞味期限が過ぎたら全部捨ててしまいます。何の罪悪感
今日、父が病院に入院しました。タクシーで行くからいい、って言い張っていた父ですが、長期間にわたる入院の為荷物がどんどん増えて行って、いつの間にか私が送るというシナリオになっていました(私は最初から送ると言っていたから良いのですが)。最初は、父を病院玄関でおろして、その足で役所へ行き地域の見守りセンターで長女の(介護などの)事を相談する予定でした。その後はすぐ、長女が検査入院する予定の病院に予約が入っていたので、本来なら忙しい一日になる予定でした。でも、あの荷物を持っ
一昨日、父の主治医に呼ばれて父と妹と病院に行きました。先日の父の通院時に何となく「疑い」については聞いていたので、どんな話になるのかは大体わかっていました。まず、画像の確認。そこで肺に悪性の癌があり、その癌が腺癌ではなく、肺扁平上皮癌であるということ。次に脳の画像で、2箇所に転移が認められたこと。これで肺癌のステージ4と告知されました。転移があるので手術は不可。肺の方は抗がん剤治療、脳には放射線治療という方向でいきなり来週から入院が決まりました。いつもポジティブな父は、「想定外の
久しぶりの投稿です9月末から体調を崩しCT検査で肺炎とがんの疑いが見つかり10月半ばに入院まず肺炎を直して一時退院、11月はじめに検査入院結果癌が見付かり、肺扁平上皮癌ステージ3bとのことでした、MR検査で詳しく調べ治療方法決めて来ました、僕の肺は放射線治療に耐えられないかも知れないかも、放射線肺炎に成るリスクが高いと言う事で11月29日から抗がん剤治療をする事になった、をする事が決まりました、
論文No3244APOBECmutagenesisandselectionforNFE2L2contributetotheoriginoflungsquamous-cellcarcinomaVincentL.Cannataro,ShalleyKudalkar,KrishnaDasari,...BonnieE.GouldRothberg,KarenS.Anderson,JeffreyP.TownsendLUNGCANCER,VOLUME1
2020年7月21日主人が15日に亡くなってから1週間。この日、告別式を無事に終えました。私たち家族と妹さん家族、8人だけの小さなお葬式。主人には菩提寺から「抱心・・・」から始まる戒名をいただきました。いつも穏やかだった主人らしい戒名です。棺には読書が好きだった主人愛用のブックカバーや、病院やボウリングに行く時、必ず被っていたデニムのキャップ、コンビニで見ると欠かさず買っていたゴルゴ13のコミックなどを入れ、会場には私の大好きなマーラー「アダージェット」を流しました♬式を終え
2020年7月20日誕生日の主人をボウリングに連れてきました主人の重いボウルは、長男が軽々と投げてくれました帰りには何年ぶりかで息子たちとプリクラもパパもきっと私たちの隣にいるよねパパ、誕生日おめでとう夕方、お坊さんにお経を上げていただきました。21日は私たちと妹さん、2家族だけの告別式。パパ、わたし頑張るね!
1行だけのブログに、たくさんの訪問、いいね!、コメントをありがとうございました。体調をご心配いただきありがとうございます。私は何とか元気です。亡くなる前の主人の様子を綴りたいと思います。2020年7月14日朝、病院から個室に空きが出たので大部屋から移動する旨の電話がありました。入院から16日。やっと面会できる!うれしくてうれしくて、その日はウキウキ過ごしました。夕方面会に出かける準備をしていると、再び病院から電話が。「ご主人の呼吸が朝と明らかに変わっています。移動中にも万が一の
2020年7月14日主人が息を引き取りました。
2020年7月11日土曜日の午後、着替えを持って主人の病院へ行ってきました。外来時間も終わり、救急入り口から4階のナースステーションまで、誰にも会わずに到着。面会ができない今の状況をよく表しています。そんな中、4日連続で通っている私の存在は相当珍しいのか、看護師さんに「こんにちは^o^」と声をかけると、すぐに気づいてもらえました。着替えを手渡して、いつものように主人の様子を聞くと「午前中、胸水を抜きましたよ!」とうれしい報告を受けました再入院して13日目。ついに念願叶って、
2020年7月10日仕事の帰り、主人の病院まで歩いたらどれくらい掛かるんだろう?とふと思い、途中駅で下車してみました。軽い気持ちで歩き始めたら、これが想像以上のキツさ。しかも地図アプリにとんでもない道へ誘導され、気付いたら大きなお寺のお墓の中を歩いていました(゚o゚;;迷いながら行ったり戻ったり。山あり谷あり起伏の激しい道。それでも少しでも主人の近くに行きたい。「パパ、がんばれ!パパ、がんばれ!」と念仏のように唱えながら、根性で病院にたどり着きました実は昨日も用事があって車で病院に
2年前の今日、主人の肺に腫瘍が見つかりました。この時点ではまだ悪性かどうかも分からなくて、結果が分かるまでがとても長く感じ、ご飯も喉を通らないほど心配だったことを思い出します。検査結果は「肺扁平上皮がんステージ3b」。あの頃は5年生存率が20%もないと聞かされても、主人はその中に絶対入れるはず!と信じて疑いませんでした。今年に入ってからは徐々に体力が落ち、現在主人はホスピスに入院しています。以前は差し入れに大好きな甘いものをリクエストしてきましたが、今は欲しいものを聞いても「何も要ら
2020年6月29日退院して、自宅で過ごす9日目。私が主人の異変に気づいたのは前日でした。口にしたのはスイカとゼリーくらい。大好きなテレビをつけることもなく、時々引きつったような呼吸をしながら、主人は口を開けて寝てばかりいます。たまにトイレに立ち戻ってくると、荒い呼吸はなかなかおさまりません。心配で何度も様子を聞く私に、主人は「大丈夫」と繰り返すだけ。ひと晩はオプソの回数を増やしながら様子を見たものの、状態は変わりませんでした。夜が明けて、体調を尋ねる私に「明日の診察で見てもら
2020年6月23日4日間の退院期間を終え、主人が再び入院する日。家での主人は、介護保険でレンタルした、ふかふかの介護ベッドでくつろいで過ごしました。退院前からの食欲旺盛っぷりは相変わらず。手巻き寿司やピザ、生姜焼きなどを美味しそうに食べてくれました。コロナ下の病院と違い、自宅ではいつも家族と一緒。消灯時間もなく、ずっとテレビも見ていられるし、周りに気をつかうことなく、大きな音を立ててお菓子の袋を開けたり、納豆みたいな匂いの強いものを食べてもへっちゃらです。もちろん1日のうちで好不調
2020年6月18日痛みのコントロールを目的にした入院から10日が経ちました。主人はこのところ、病院の食事も残さず食べ、差し入れも口にしている様子。「また甘いもの持ってきてください!」というリクエストに応え、次男と2人で病院へ行ってきました。立ち入り禁止の赤いラインを挟んで向き合う私たち。差し入れは直接手渡しできません。主人は今までより足取りも軽く、血色も良いように感じます。久しぶりに次男の顔を見られて、うれしそうにニコニコ顔主人の現状を知りたい!本人が「じゃあまた」と差し入れ
2020年6月9日ここ数日、食欲もあった主人が、前日からぐったり。元気がありません。今日は痛み緩和のため、H病院へ入院する日。自宅でリクライニング用に布団の下に置いていたスーツケースを引っぱり出し、パジャマやら下着やら、入院期間が長くなるのを想定して、色々詰め込み、辛そうな主人を車に乗せて病院へ向かいました。まずは身体の中の現状を知るため、CTや血液検査を。その後、名誉院長先生の診察を受けました。「右の肺は気胸を起こしているし、潰れて胸水がだいぶ溜まってますね。がんが転移した肋骨がとこ
2020年6月2日主治医から紹介を受けたH病院緩和ケア科へ。名誉院長先生による2回目の定期診察を受けました。主治医の意向で今回から薬は全て、この病院で処方されることになりました。名誉院長先生は、主人に何が1番辛いかを聞きました。主人の答えはもちろん「身体の痛み」。「オキシコドンを飲んでもおさまらず、オキノームを1日10包くらい飲んでいます。胸はずーんとした痛み、背中は凝ったような痛み。脇腹はズキっとした痛み。1カ所治ったと思うと、また別の場所が痛み出してしまって、、、」これまで主治
2020年5月28日この1週間で、主人の体調はさらに悪くなりました。1日のほとんどは布団にいます。私が家じゅうのクッションや枕、スーツケースまで動員して手作りしたリクライニングの寝床が気に入った!と笑ってくれた主人に、今は笑顔もありません。背中や脇腹の痛みでまっすぐ寝ることもできず、苦痛に耐える日々。背中を丸めてじっと座っているか、その姿勢のまま重ねたクッションにもたれかかっているか。睡眠は長くて1〜2時間。痛みで目が覚めてオキノームを飲み、私にあたるわけでもなく、静かにひたすら痛
2020年5月21日本来なら3次治療3回目の「カルボプラチン+S-1」を予定も、レントゲンと血液検査の結果が共に悪く中止になりました。レントゲンで、肺が完全に潰れている右側の胸水が、4/5くらいまで増えていることが分かりました。血液検査の結果○白血球14430○腫瘍マーカーも上昇・CYFRA3月37、前回60、今回87・CEA前回10、今回20.8希望を持って始めたカルボプラチン+S-1療法は、たった2回で耐性が現れてしまいました。主治医からは「抗がん剤を止め
久しぶりの投稿です。最近、精神的に弱っていたせいか、なかなかブログと向き合うことができませんでした。2020年4月30日。3週間ごとの定期診察日。血液検査の結果分かったこと。○白血球9790○CRP13.7(前38)前回より改善したものの良くはない○胸水がちょっとずつ溜まっているとのこと。主治医による問診には・夜になると38度超える発熱。朝には下がる・オキシコドンとオキノームで何とか睡眠確保できてる・右胸から脇にかけて攣るような変な痛みあり。と答えました。