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丹田歩法足指は虚空と下丹田をつなぐ最下端のスイッチであり、下丹田は虚空の器の零点である。この縦の繋がり(天地貫通の縦軸)が活性化すると、「下に落とす」=「奥行きが生まれる」という自他(有と無、現実と虚空)の反転運動が体現されるので、丹田を軸とした丹田歩行で意識の座標の身体の中心を調整する。〇全体のイメージ「丹田が体を運び、足裏が地面を押して反力を丹田に返す」ループ。力まず、流れるように。〇足裏意識毎歩で「小指球→母指球→土踏まず」の順に地面を押す波を感じる。足
人は「虚空」(こくう)で動いている人間というか、生き物全体が動いている本質的な原動力は“虚空”であり、電気信号とか神経伝達とか脳の活動は、あくまでも後から出てくる現象でしかない。「多分」と付けるが、江戸時代の丹田の制限で、「丹田」と「虚空」の繋がりが消されたと同時に「虚空」の存在も消されたのだろう。「多分」。自分は江戸明治を跨いだ曾祖父から明治産まれの祖母が「虚空」の口伝を受けていたので、祖母から「虚空」は聞かされていた。昔は「虚空」が常識範囲だった。「虚空」は何
丹田を練る=自分の体を知る丹田は内面的な自分を映し出す鏡のような存在。外見の筋肉を鍛えるのとは違い、内側の自分と向き合う鏡を磨く作業。丹田を練り始めると、身体の中心軸が整う過程で、心の奥底に溜まっていた感情・思考・記憶・エネルギーの「澱み」が浮上してくる。「いろんなものが出てくる」。例えば、変な言葉がどんどん湧いてくる人も居るけど、それは順調なサイン。◎「熱感」が出にくい(じんわり温かくならない・熱塊が出来ない)場合丹田の熱は「気血の集積・循
丹田を練る=自分の体を知る下丹田を本格的に練り始めると、体が「今まで気づかなかった不足や歪み」をかなり敏感に教えてくれる。これは気功・内丹・武術系の実践者によくある現象で、練る過程で「気の流れが強まる」→「詰まりや不足が浮き彫りになる」というメカニズム。感覚が出にくかったり、練っている途中で不調・違和感が出る場合、以下のような体の「不足・不調」が隠れていることが多い。以下はそれらのまとめ。「丹田を練るで顕在化しやすい不足・不調」そのサイン〇マグネシ
丹田と空間(虚空)の関係「丹田」について現代ではいろいろと言われてるけど、丹田単体の話ばかりで、現代では人間の構造である「丹田と空間(虚空)の関係」が抜け落ちてる。丹田を撫でるや温めるは健康的にいいけど、そんなレベルでは終わらない。〇三丹田は三次元の軸下丹田→地(重力方向・物質界・過去)中丹田→人(横の空間・現在・感情)上丹田→天(頭頂方向・未来・意識)三つの丹田を一本に通すと、自分の「内側」と「外側」の混線状態の真ん中が出来て自分全体が空間に開いたアン
「自分(丹田)に火を灯す」「丹田に火を灯す」この感覚は、聞いた瞬間にピンとくる人と全くイメージが湧かない人とはっきり分かれる。「東洋人」と「西洋人」「欧米育ち」で反応が二極化する。欧米人で東洋の身体文化に触れていない人だと「丹田に火を灯す」を即座に理解できる人は少ない。残念だが今の日本人でも…イメージが湧かない人が居るようだ。「丹田を温める」行為の本質は、漢方的な「温補法」ではなく、より広範な意図・動作中心の「温め」である事。カイロ・漢方
昔の人達がやっていた体を温める手法(肚文化)〇立肚呼吸(りつはら)☆立ったまま、両足を肩幅に開く☆両手を下腹部(へその下3〜5cm)に軽く当てる☆鼻からゆっくり息を吸うとき、下腹をふくらませる(逆腹式)☆口からゆっくり吐くとき下腹を凹ませる☆1分間続ける〇肚締め歩き(はらじめ)☆歩くときに下腹に軽く力を入れて骨盤を少し前傾させる☆イメージは「股関節から足が生えている」感覚で歩く☆普通に歩くより体温が0.5〜1℃上がりやす
(thepictureisborrowed)ネイティヴアメリカンの智慧は、日本の神道と武士道に通じるものがある。同じエネルギー、匂い、種族のような感じがする。言葉にするなら、「光の戦士」「虹の戦士」というような感じの人間だ。霊性と物性を融合して、天地同一な命の種族だ。こういう種族は、人は人でないことを知りながら、同時に人であり続ける。霊と地のどちらも包括できるからこそ、どちらにも自然とただ偏らない。目に見えないものと、目に見えるものを瞬時につな
スピリチュアルなことを教えているある日本人の方のブログを読んでいると、このようなことが書かれていました。”今、時代のスピリチュアリティーは急速に移り変わっているから、日本という国がかつて持っていた刀や武士、こうあるべきと信じていた道、などはもはやどんどん崩れていくことは仕方ない”うん。確かに一理ある、と私も感じます。戦後という時の流れに組み込まれて、自然と出てくるエッセンスなら、そう感じるでしょう。今の日本や世界から見てみたら、古の日本人という人間の持っ
「宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を、正しく産みまもり、育てる神の愛の力を、わが心身の内で鍛錬すること」合気道創始者植芝盛平師範この日の植芝先生のお話や、合気道についての本から得た私の感じでは、合気道と云う武道の一種と見られる道は、空を行ずる事が根幹であり、そこから生まれる自由無凝の動きであり、大調和、愛気の動きである、と思ったのです。空を行ずると云う言葉を云いかえれば、自我の想念を無く
日本の肚文化は繊細なエネルギーが糸となり、美しい唯一無二の織物を紡ぐかのようでした。その糸とは仏教、禅、道教、儒教、そして神道です。これらの微妙なミックスが鍵でした。自然が人間のエネルギーと発想と意識を感化して、またその反対も同時に起こる。日本古来の「自然」とは、おのずから然らしむる。すなわち、事物のあるがままのあり方に逆らわないさま。そこから「いまここ」の一瞬の変化、美、命を見逃さない精神、無常の美、儚さ、幽玄、わび、さび、もののあはれ、武士道など