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「感じる前のもの」「感じた時にはもう遅い」。「感じた」時点で、脳のフィルターや思考のパターン、身体反応の回路が既に作動している。「感じる前」のものとは、言葉・感情にもまだなっていないレイヤーの空間(場)に漂っている極々微細な情報の揺らぎ。あえて言語化すると【引っかかり】。完全予定調和の虚空(空間)の情報の場のものを引っかけたもので、「予感」や「予知」などのレベルを超えたもの。「予感」や「予知」は既に何かを感じた後の解釈。【引っかかり】は空間(虚
空間の病自律神経とは。物質と意識を繋ぐ中間空間の調整機構。「肚と接続する空間(虚空)」を介した意識と物質の橋。「自律神経=空間」単なる生理機能ではなく、内面的空間の状態そのものが反映したのが「自律神経」。自律神経のバランスとは空間認識の質であり、自律神経の問題は「空間の病」である。自律神経のバランスは、人間力の土台そのもので、自律神経の乱れは空間の乱れ。内的空間を潰し、自身が分離した世界観を生む。結果。人が分離するので、人は「自分で自分を調整
人と塩の関係現代人は、塩をただの調味料やナトリウム補給に矮小化して、「意識の影の領域」に留め置いている。昔の人、古代の人は、塩を摂取する事で自分の影の領域の意識からの反転(影の反転)に使った。儀式や生活に塩を使った。そうゆう事を現代人には伝えられていない。歪んだ現代で知る余地もない。減塩で塩の摂取が少ない、精製塩を摂取してれば意識は影のままとなる。特に海や大地と直に繋がっていた現代の日本の土地に住んでいた古代の民は、塩を単なる保存食や味付けとしてではなく、意識の層を跨
あなたのお尻、チェックして下さい。どんな形になっていますか?温かいですか?冷たいですか?お尻は、肺を支える場所ですので、肺が落ちたり疲れていると、お尻も冷たく平たくなり、落ちてきます。特に台風が来て湿気が入ってくると、お尻の形はすぐ変わります。老若男女問わず変わります。pic.twitter.com/T9bvwxkD8P—吉田直樹naokiyoshida@せるふ整体(@tensinkai)June25,2026お尻は温かいエネルギーの要下丹田は気の根源
人の意識は常に途中性「人の意識は常に途中」というのは、単なる未完成の残念さではなく、最大の可能性と自由の源。意識が途中性であるからこそ、人は破壊と再生を繰り返せる。意識が途中性であるからこそ、他者と真に響き合い、新たな生成が生まれる。なぜ意識は途中なのか意識は「状態」ではなく「動的なプロセス」だから。一瞬一瞬の「今」を捉えようとした瞬間に、それはすでに次の瞬間に移行するものになる。意識が完璧に自己を把握したり、世界を固定化して「完成」さ
人間の本質は“途中性”「人間ってなんだろう」といつまでも答えのない事を問い続けること自体が、一番「人間らしい」行為だと思う。だから「人間ってなんだろう」と、考えるのが「人間らしい」。その答えが出ない理由は、人は生きてる間も死んだ後も。ゴールの無い“途中性の存在”だからだと気付かされる。なぜ「途中性」が本質なのか人は体を閉じたり開いたりできる存在。赤ちゃんや動物や鳥や昆虫は自然に体が開いているが、人間は一度閉じて自分で開くプロセスを経る
肚を通した変換・反転可愛いと思えば→体が空間に開く。綺麗と思えば→根が磨かれる。楽しいと思えば→内側に火が灯る。おかしいと思えば→芯がしっかりする。ダメと思えば→視野が広がる。悪いと思えば→チカラが湧いてくる。https://t.co/5yxJZyOEH9—しおぎ(@operaition)April17,2026人は「体」によって、この世と自分が常に反転・変換される存在人は、「体」(特に肚=腹の奥の空洞)という特別な場所を使って、外の世界で起きた
物質偏重の影の反転荒御魂=物質世界和魂=精神世界精神世界を拒絶して物質世界だけに留まると、精神世界から反転した自分自身のシャドウが攻撃を仕掛けて来るんだよ。—サスケ(@hvizDVYib03sRSf)April7,2026人はこの世(虚空含む)の世界と、人間が勝手に作り上げた、価値観・物語・常識・社会システムの高度なヴァーチャル設定の、ダブルスタンダードの中で生きている。2026年現状の話をダブルスタンダードの両方から書こうと思う。人が「物質」のコン
仰向け丹田落とし膝を立てて寝て、息を吐くたびに下丹田を床(地面)に向かって沈めるイメージ。5回〜10回の呼吸。下丹田が上に上がってくる感があれば、すぐに止めて腹部を優しくマッサージする。何故、仰向け丹田落としをやるのか胃腸を壊したり、弱ったりした後によく起きる現象として、特に下丹田の位置が上にずれてしまうことがある。その状態で無理に丹田を練ろうとすると、気が上へ上がりやすくなり、緊張や不調が悪化しやすくなる。このエクササイズは、仰向けというリ
春の体東洋医学では立春(2月4日頃)から立夏(5月5日頃)の前日までを、「発陳(はっちん)」と呼ぶ。「古いものを押し出して、新しいものを発生させる」の意味で、陽気が上昇し肝の働きが活発になる。この時期は体の気が上へ上へと上がりやすいので、春になると、だるさ・重さ・眠気・情緒の揺らぎが出てくる。「人の体は自然」。陽の気が自然に上へ昇るのは季節の流れそのものだから仕方ない..ではなく。「上へ昇った気を、全身にゆるやかに分散・巡らせる・下へ降ろす」をするのが
丹田を練り始めと「熱・温」を感じる程度だが、本格的に練ると「重さ」「膨張感」が出てきて自分の体を知れる。※反対に出ないは原因がある。丹田を練る=人の重さ地面にどっしり沈んでいく感覚。「腹が据わる/据わっていない」=重さ「地に足がついている/ついていない」=重さ上半身から下腹部を通って地面にスーッと落ちていくイメージ。立ってるだけで「根が生えたみたいに安定」して、風が吹いてもフラフラしない、どっしりした安心感。「心地よい安定感」「地面に吸い付く
丹田歩法足指は虚空と下丹田をつなぐ最下端のスイッチであり、下丹田は虚空の器の零点である。この縦の繋がり(天地貫通の縦軸)が活性化すると、「下に落とす」=「奥行きが生まれる」という自他(有と無、現実と虚空)の反転運動が体現されるので、丹田を軸とした丹田歩行で意識の座標の身体の中心を調整する。〇全体のイメージ「丹田が体を運び、足裏が地面を押して反力を丹田に返す」ループ。力まず、流れるように。〇足裏意識毎歩で「小指球→母指球→土踏まず」の順に地面を押す波を感じる。足
人は「虚空」(こくう)で動いている人間というか、生き物全体が動いている本質的な原動力は“虚空”であり、電気信号とか神経伝達とか脳の活動は、あくまでも後から出てくる現象でしかない。「多分」と付けるが、江戸時代の丹田の制限で、「丹田」と「虚空」の繋がりが消されたと同時に「虚空」の存在も消されたのだろう。「多分」。自分は江戸明治を跨いだ曾祖父から明治産まれの祖母が「虚空」の口伝を受けていたので、祖母から「虚空」は聞かされていた。昔は「虚空」が常識範囲だった。「虚空」は何
丹田を練る=自分の体を知る丹田は内面的な自分を映し出す鏡のような存在。外見の筋肉を鍛えるのとは違い、内側の自分と向き合う鏡を磨く作業。丹田を練り始めると、身体の中心軸が整う過程で、心の奥底に溜まっていた感情・思考・記憶・エネルギーの「澱み」が浮上してくる。「いろんなものが出てくる」。例えば、変な言葉がどんどん湧いてくる人も居るけど、それは順調なサイン。◎「熱感」が出にくい場合(じんわり温かくならない・熱塊が出来ない)丹田の熱は「気血の集積・
丹田を練る=自分の体を知る下丹田を本格的に練り始めると、体が「今まで気づかなかった不足や歪み」をかなり敏感に教えてくれる。これは気功・内丹・武術系の実践者によくある現象で、練る過程で「気の流れが強まる」→「詰まりや不足が浮き彫りになる」というメカニズム。感覚が出にくかったり、練っている途中で不調・違和感が出る場合、以下のような体の「不足・不調」が隠れていることが多い。以下はそれらのまとめ。「丹田を練るで顕在化しやすい不足・不調」そのサイン〇マグネシ
丹田と空間(虚空)の関係「丹田」について現代ではいろいろと言われてるけど、丹田単体の話ばかりで、現代では人間の構造である「丹田と空間(虚空)の関係」が抜け落ちてる。丹田を撫でるや温めるは健康的にいいけど、そんなレベルでは終わらない。〇三丹田は三次元の軸下丹田→地(重力方向・物質界・過去)中丹田→人(横の空間・現在・感情)上丹田→天(頭頂方向・未来・意識)三つの丹田を一本に通すと、自分の「内側」と「外側」の混線状態の真ん中が出来て自分全体が空間に開いたアン
「自分(丹田)に火を灯す」「丹田に火を灯す」この感覚は、聞いた瞬間にピンとくる人と全くイメージが湧かない人とはっきり分かれる。「東洋人」と「西洋人」「欧米育ち」で反応が二極化する。欧米人で東洋の身体文化に触れていない人だと「丹田に火を灯す」を即座に理解できる人は少ない。残念だが今の日本人でも…イメージが湧かない人が居るようだ。「丹田を温める」行為の本質は、漢方的な「温補法」ではなく、より広範な意図・動作中心の「温め」である事。カイロ・漢方
昔の人達がやっていた体を温める手法(肚文化)〇立肚呼吸(りつはら)☆立ったまま、両足を肩幅に開く☆両手を下腹部(へその下3〜5cm)に軽く当てる☆鼻からゆっくり息を吸うとき、下腹をふくらませる(逆腹式)☆口からゆっくり吐くとき下腹を凹ませる☆1分間続ける〇肚締め歩き(はらじめ)☆歩くときに下腹に軽く力を入れて骨盤を少し前傾させる☆イメージは「股関節から足が生えている」感覚で歩く☆普通に歩くより体温が0.5〜1℃上がりやす
(thepictureisborrowed)ネイティヴアメリカンの智慧は、日本の神道と武士道に通じるものがある。同じエネルギー、匂い、種族のような感じがする。言葉にするなら、「光の戦士」「虹の戦士」というような感じの人間だ。霊性と物性を融合して、天地同一な命の種族だ。こういう種族は、人は人でないことを知りながら、同時に人であり続ける。霊と地のどちらも包括できるからこそ、どちらにも自然とただ偏らない。目に見えないものと、目に見えるものを瞬時につな
スピリチュアルなことを教えているある日本人の方のブログを読んでいると、このようなことが書かれていました。”今、時代のスピリチュアリティーは急速に移り変わっているから、日本という国がかつて持っていた刀や武士、こうあるべきと信じていた道、などはもはやどんどん崩れていくことは仕方ない”うん。確かに一理ある、と私も感じます。戦後という時の流れに組み込まれて、自然と出てくるエッセンスなら、そう感じるでしょう。今の日本や世界から見てみたら、古の日本人という人間の持っ
「宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を、正しく産みまもり、育てる神の愛の力を、わが心身の内で鍛錬すること」合気道創始者植芝盛平師範この日の植芝先生のお話や、合気道についての本から得た私の感じでは、合気道と云う武道の一種と見られる道は、空を行ずる事が根幹であり、そこから生まれる自由無凝の動きであり、大調和、愛気の動きである、と思ったのです。空を行ずると云う言葉を云いかえれば、自我の想念を無く
日本の肚文化は繊細なエネルギーが糸となり、美しい唯一無二の織物を紡ぐかのようでした。その糸とは仏教、禅、道教、儒教、そして神道です。これらの微妙なミックスが鍵でした。自然が人間のエネルギーと発想と意識を感化して、またその反対も同時に起こる。日本古来の「自然」とは、おのずから然らしむる。すなわち、事物のあるがままのあり方に逆らわないさま。そこから「いまここ」の一瞬の変化、美、命を見逃さない精神、無常の美、儚さ、幽玄、わび、さび、もののあはれ、武士道など