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正倉院正倉2024.2.18正倉院正倉は、奈良市の東大寺さん大仏殿の北北西にあります。校倉造(あぜくらづくり)の大きな高床倉庫です。聖武天皇の御遺物をはじめ、天平文化を中心とした宝物が多数収蔵されていました。宝物は現在、防災設備がある新宝庫にてほかんされています。※※※今日のもう1枚正倉院正倉は外観のみ見学できます(平日のみ)。詳しくは宮内庁の正倉院のページをご覧下さい。正倉院-正倉院このホームページは,奈良・平安時代の重要物品を納める東大寺
東大寺(とうだいじ)は、奈良時代の中頃に聖武天皇の発願により、大和の国分寺として創建された。本尊の大仏さまは、華厳経の教主である盧舎那仏で、天平勝宝四年(752年)に盛大な大仏開眼供養が行われた。その後、講堂・東西両塔・僧坊などの大規模な伽藍が営まれた。治承四年(1180年)に兵火により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失し、復興されたが、永禄十年(1567年)の兵火に罹り、現在の建物は江戸時代に建て直された三度目のものである。宗派:華厳宗御本尊:盧舎那仏(るしゃなぶ
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第45回遷都聖武天皇、孝謙称徳天皇の無責任極まりない政治によって疲弊した国家を立て直すには、天武天皇→持統天皇→草壁皇子→文武天皇→聖武天皇→孝謙称徳天皇と続いた、独裁と無責任の血筋を排除する必要があるという合意のもとに、壬申の乱で負けて日の当らない皇族になっていた天智系から立った光仁天皇のあと、井上内親王と他戸親王を生贄するかたちで、帰化人の母を持つ桓武天皇が即位します。桓武天皇は河内の交野で郊祀を二度行っています。郊祀とは中国で
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第44回桓武天皇井上内親王と他戸親王の冤罪から殺害に関して光仁天皇が同意していたかどうかですが、いくらなんでも妻と息子の殺害に同意することはないでしょう。同意も拒否も出来ない状態で、擁立した藤原永手らにやられてしまったといった感じではなかったかと思われます。光仁天皇が能力の乏しい人だったこともありますが、虚弱体質で鬱病気味の聖武天皇でもやりたいことを好きなようにやっています、ここで大事になってくるのは、天皇個人の能力ではなく権力があ
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第43回白壁王孝謙、称徳天皇は、弓削道鏡を天皇にすることに失敗すると不貞腐れたように、後継者を決定することをせずに死んでしまいます。天皇家の相続は、天皇が急死しても困らないように、皇太子を立てておくものですが、孝謙、称徳天皇は皇太子も立てず、後継指名も行わないで死んでしまいます。聖武天皇には子どもが5人いました。男子の基王、安積親王は早死にして、不破内親王は藤原仲麻呂の乱に加わった塩焼王に嫁いでいたので、まずそこで相続権を失い、その後
万葉館4月の企画展のお知らせです令和6年4月5日(金)~7月7日(日)※最終日は午後3時まで万葉日本画展万葉集に詠まれた風景や、「椿」「梅」といった花々を日本画で表現しました見ごたえのある力作揃いの展示会となっています約30点を展示していますので是非ご来館下さい開館時間:9時~5時(入館は4時半まで)休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌
日本における戒名の起源と意義日本での戒名の伝統は、754年に東大寺で行われた授戒式に始まります。この時、聖武天皇が鑑真和尚から「勝満」という戒名を授けられたことが、日本における仏教受容と戒名の伝統の始まりを象徴しています。戒名とは、仏教徒が仏道を歩むことを誓った証として授けられる名前であり、本来は生前に受けるものです。この慣習は、お釈迦様の教えを守ることを約束した際に、仏弟子としての新たな身分を示すために行われます。戒名の歴史的背景鎌倉時代には、上杉謙信や武田信玄などの武将も
伊坂幸太郎の螺旋プロジェクトを読み進んでいる。全8作家による共通テーマを持つ作品群です。このプロジェクトの特筆すべき点は、これらの作品が、同時期に一斉に連載されていることです。私は古代を終わり、聖武天皇と光明子の時代を終わり、平将門に入ったところで、思う所あり、明治を先に読み出しました。光る君へを今、楽しく見ていて、奈良時代ではありますが聖武天皇編は、重なるところもありおもしろく読みました。天皇家=山族、藤原家=海族と定義して天皇家が蝕まれていく様を聖武天皇の心根を慮りながら探っていく展
歴史は好きですが時代物小説は自分はあまり読みませんでもこの本は面白かったです月人壮士(おとこ):澤田瞳子/著天皇家と藤原氏の血を引くが故の天皇の悩み母が藤原氏の血をひかず皇族の出身なら彼の人生観は変わったモノだったのでしようか?東大寺大仏を建立した聖武天皇の真実に迫る物語母への想いと出自の葛藤に引き裂かれる帝――国のおおもとを揺るがす天皇家と藤原氏の綱引きを背景に東大寺大仏を建立した聖
朱雀門から平城宮跡内を東へ移動。第一次大極殿が見えてます。そしてこちらが、第二次大極殿跡建物はありません。大極殿跡。若草山、霞んでます。西の方角に第一次大極殿。天平17年(745年)聖武天皇が紫香楽宮から戻って、第一大極殿があった東側に第二次大極殿を造りました。この大極殿の南側に東区朝堂院、さらに南側に朝集殿院があり、壬生門まで続きます。いまは大極殿、朝堂、壬生門の土壇が残っているのみで、広々とした広場になっています。平城宮跡内を移動しました。推定宮内省。見学します。役人の
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第41回我儘女性天皇阿倍内親王、即位して孝謙天皇ですが、父親の聖武天皇が上皇でいるうちはおとなしくしていたのですが、死ぬと箍が外れたように好き勝手なことをやり出します。ふつうの女性であれば、美味い物を食べるとか、高い衣類を着るとかになりますが、最高権力を持っているのですから人事になります。好き嫌いの人事というか、聖武天皇が決めて行った皇太子に道祖王が気に入らなくて、聖武天皇が死んだ翌年には廃太子にしてしまいます。理由が、聖武天皇の喪中
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第40回孝謙天皇聖武天皇には5人の子どもがいました。皇后の藤原光明子との間に、基王と阿倍内親王、側室の県犬養広刀自との間に、井上内親王と安積親王と不破内親王がいました。2男3女で当時としてはふつうに子どもが出来ていたように見えますが、皇后の腹の男子で最優先の相続権を持っていた基王は、生後32日で皇太子に立てられます。皇太子が政治を見ることがふつうだったこの時代では異例の年齢であり、草壁、文武、聖武と続く流れからは絶対に皇位を外に出さ
令和6年辰年は、三年に一度の神事【椿宮獅子神御祈祷神事】の舞年です。ー由緒ー国中に悪疫が蔓延した奈良時代、第四十五代聖武天皇は各地を巡幸され、平安の祈りを捧げられました。当社へは『天地泰安・四海静穏、風雨順時・百穀潤屋』の勅願とともに、時の右大臣・吉備真備を遣わせます。当社の椿の木で猿田彦大神の顔を模した神面と、天之鈿女命の化身である獅子頭を彫らせて奉納し、天皇御自ら祈りを捧げられ、平安の世が訪れたと伝えられています。以降、
こんにちは今日も由希絵の『歴史の窓』へようこそ前回の記事でも告知していたとおり、旅行記は一度終了し、今回の記事からまた人物紹介に戻りますまた歴史人物関連の地域に旅行したときや、過去に行った旅行先でその時代に関連する記事になったときに随時旅行記も紹介させていただきますね今日は奈良時代後半に登場した、聖武天皇と光明皇后との間に生まれ、孝謙天皇、そして称徳天皇として二度にわたって天皇となった(一度位を退いた天皇が再び天皇の座につくことを重祚(ちょうそ)といいます)女帝、孝謙天皇についてご紹介い
節分は、「みんなが健康で幸せに過ごせますように」という意味をこめて、悪いものを追い出す日だそうです邪気祓いとして、「鬼は外、福はうち」と言いながら豆まきをしたり、恵方巻を食べたりしますいわしは食べたり玄関に飾ったりしたそうです私は日本そばも食べました節分の豆を買ったらついてきた鬼とおかめのお面大報恩寺(千本釈迦堂)鎌倉初期の安貞元年(1227)、義空上人によって開創された真言宗智山派の寺院国宝の本堂は応仁・文境内には本堂造営の折、大工の棟梁に助言をした妻お
今年のテーマは藤原氏紫式部も藤原氏大和西大寺駅。安倍さんの襲撃場所奈良ファミリー。秋篠川。見えてきました。再訪です。静かで貸切良い空間です第46代孝謙天皇陵・第48代称徳天皇陵(重祚)称徳天皇高野陵。阿部内親王(藤原氏出身)。聖武天皇(首皇子)と光明皇后(安宿媛)の娘史上6人目の女性天皇で、天武系からの最後の天皇聖武天皇と光明皇后の間にはついに男子が育たず(基王は早世)、阿部内親王のみであった。聖武天皇と県犬養広刀自との間には安積親王が生まれたが、後ろ盾を持たなかったた
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第39回大仏建立聖武天皇の愚かさは、仏教を政治が支配してその道具にするのではなく、自分が仏教に救われようとしたところにあります。仏教への接し方が為政者としては逆なのです。身体が弱くて心も不安定だったので、仏教によって自分が救われようとしたのですが、もっと悪いのは、国家を治めるという天皇の仕事まで仏教に丸投げしてしまったのです。国家鎮護の仏教という考え方ですが、仏が国家を守ってくれる、だから天皇である自分は仏を崇めていれば良い、こん
朝ゆっくりだったので久しぶりに朝から張り切って買い出しに行ってきた~ヘルシーご飯な日🧅🍆🥒🍓•••••cut•••••・749年(天平21年)2月2日、行基が亡くなる→聖武天皇が東大寺の大仏像をつくるときに、大いに力を発揮したのが僧の行基です。しかし大仏が完成する3年前に亡くなってしまいました•••••cut•••••頭痛を和らげる方法教えて▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
こんばんは‥(^_-)今の奈良は昨夜からいまは寒かったが、今は4℃と寒いですね?・・(^_-)-☆今日も二度寝をしてしまい起きると10時半前でした。先日に足がよろけて、襖に頭を打ったんですが、昨日は肩の痛みだけだったのに、今朝も、熱がありまだ首が痛いです?・・だから眠ると痛みが分からないので昼寝するかも?・・マリア猫も朝は枕元で寝ていましたが、今朝は先に起きて触りに行くと身体を触ると手を噛まれて引っ掻かれました。だけど、私が起きると、なぜか2mほど離れて開
今回はこういうお題でいきます。奈良の東大寺の大仏って有名ですよね。ついでに奈良公園の鹿も有名です。ですが、じゃああれは何の仏様だ?と聞かれると、答えられないことが多いんです。あるいはお釈迦様と答えたり。大仏は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」といい、もちろんお釈迦様(釈迦牟尼仏)ではないんですが、完全な間違いともいえません。さて、仏教を始めたのはお釈迦様ですが、その教えは生活哲学のようなシンプルなものでした。それがだんだんに、悟りを開いて仏になったのはお釈迦様一人ではないと考えられ
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第38回聖武天皇天皇家の近親婚ですが、蘇我氏の全盛時代は、蘇我氏の娘が天皇家に嫁ぐかたちで近親婚が繰り返されました。藤原氏の勢力が巨大化すると、藤原氏の娘が天皇家に嫁ぐかたちで近親婚が繰り返されます。大化の改新から聖武天皇までは、蘇我氏が衰退して藤原氏が勃興するまでの豪族の端境期で、天武天皇あたりで天皇の独裁が決定的になり、豪族との縁組がなくなり皇后は天皇家から出るようになります。天皇家のなかでも大化の改新というクーデターをやった天
今年のテーマは藤原氏紫式部も藤原氏聖武天皇陵のお隣の光明皇后陵へ行きます。再訪です。柵で入れない。。。仁正皇后佐保山東陵って書いてますねぇ。光明皇后(安宿媛・光明子)。藤原鎌足の孫。藤原不比等と橘三千代の子。よって、光明皇后も藤原氏光明皇后(光明子)は藤原不比等の娘で、初の民間からの皇后となり、藤原氏の血を引く天皇である孝謙天皇を産みました。光明皇后は、聖武天皇に習って仏教の普及に心血を注ぎ、新薬師寺や法華寺を創建したり、施薬院(病院)や悲田院(孤児院)を作って人々の世話をした
「与楽の飯」のレビュー‥‥‥例によって、一回では書き切れませんでした(一応、1000~2099字くらいを目安に設定しています)そんな訳で今回も"はみ出し記事”を書きます。※※とにかく、私に刺さったのは、聖武天皇が結構ボロクソに書かれている点です私が数十年前に授業で習った時の聖武天皇は―仏教を厚く信仰し、全国に国分寺や国分尼寺を建てる。そして、その総本山(総国分寺)として、東大寺とその本尊たる盧舎那仏(大仏)を建立―。なんかとっても徳のあ
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第37回草壁皇子の血筋奈良時代の最大の事件は大仏建立で、教科書などでは日本人による偉大な事業であると書いています。日本にもやっと先進国の建造物に匹敵するものが出来た、嬉しい、といった書き手の気分が伝わって来るような書き方なのですが、ノイローゼの天皇か始めたバカな事業というのが実際のところです。大仏造りを言い出した聖武天皇という人は、壬申の乱で勝って成立した天武政権が、皇位を継ぐべき正しい血筋としていた系譜の終りの方に存在しています。
今年のテーマ藤原氏お茶の京都トレインに乗って。吊り広告、一休寺。ジェイなら到着。平城宮大極殿跡の石標。油阪船橋商店街。登大路を東へ。聖武元明元正天皇陵左へ六丁廿丁の石碑。きたまち案内所(旧鍋屋交番)。奈良女子大学。東大寺大仏殿と若草山が見えます。前日の山焼きで黒くなってますねぇ。🔥一条通り法蓮橋。到着。再訪です。聖武天皇佐保山南陵拝所。参道を進みます。
女帝の手記里中満智子著舞台は平城京、時は奈良時代長屋王残照記の続き主人公は史上唯一の女性皇太子であった孝謙天皇=称徳天皇(上皇になってまた天皇になっている)主要人物、奈良の大仏を作った孝謙天皇の父、聖武天皇敵対する藤原仲麻呂そして坊主の行基と天皇と同じ位である法王道鏡道鏡が美しく描かれるこの人の漫画はハズレがない
にほんブログ村にほんブログ村「たった1人だけ『自分用』でないものを着けていた…」愛子さまの頭上に見えた"借り物のティアラ"の輝き今年の新年祝賀の儀で女性皇族方は4年ぶりにティアラを着用1月2日に予定されていた新年一般参賀は、前日に起きた能登半島地震の被害を考慮して中止された。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「一般には知られていないが、正月の皇室では、新年一般参賀以外にも多くの重要な行事が行われる。それは、元日早朝の真っ暗闇で極寒の中、屋外で行われる」という――。www.goog
2022年は、天皇陵、御陵参りがテーマでした。畿内に起居してるメリットかなぁと。完結してないけど。何か『天皇陵リンク第1代〜40代』天皇陵・皇后陵リンク集第1代神武天皇陵①②③第2代綏靖天皇陵①②第3代安寧天皇陵第4代懿徳天皇陵第5代孝昭天皇陵…ameblo.jp『天皇陵リンク第41代〜第80代』天皇陵・皇后陵リンク集第41代持統天皇陵岡宮天皇(草壁皇子)陵長屋王の墓(平群町)吉備内親王の墓(平群町)第42代文武天皇陵第43代元明
NHK総合MISIAPEACEFULPARK慶讃奉納公演奈良県奈良東大寺聖武天皇飢饉疫病早魃大地震廬舎那仏坐像良弁僧正行基菩薩