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神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。麓の境内に社務所が、高い石段を登ったところに社殿がある。日本三代実録には貞観9年(867年)2月に官社に列せられたという記述があり、延喜式神名帳では小社に列している。江戸時代に入ると太平寺村の氏神として信仰され、熊野権現社と称していた。かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天
32歳でようやく裁判官になった藤原不比等がどうやって朝廷で力をつけていったのでしょう。まず彼が天智天皇の隠し子だという説があります。不比等の母、車持国子君(くるまもちのくにこのきみ)の娘与志古(よしこ)は、天智天皇の胤を宿した後に鎌足に下げ渡されたという伝承があります。『竹取物語』で、かぐや姫に求婚する車持皇子のモデルが不比等だとされるのは、この天皇落胤説にもとづいています。しかし、これを史実とするだけの確実な証拠がありません。次は、県犬養橘宿禰三千代(
この日は大和西大寺から、近鉄奈良線近鉄奈良🫎へ、🦌やって来させられたw。。∑(゚Д゚)鹿せんべい持ってないよw。。だから持ってないって。笑(゚д゚)まずは、🦌世界遺産古都奈良の文化財●東大寺[G]奈良時代に聖武天皇が創建。🦌🦌🦌🦌中門おそらく中学の修学旅行以来w。。💸世界最大級の木造建築、大仏殿(@ ̄ρ ̄@)🏯歴史街道デジタルスタンプラリー☆5個目。もういい加減にしろよw。。この日も文句ばっかり言いながら、笑本尊国宝盧舎那大仏廣目天( ̄◇
去年は忙しくて行けそうになかったので遠慮しましたが、今年は少しは時間が取れそうってことで、2年ぶりに年パスを購入しちゃいましたみなさまこんにちは!家でも職場でもない第三の大切な場所“株式会社THIRDPLACE”代表で、三重県津市でエステティックサロンLotusLandを経営している香月です年パスといえばディズニーでもユニバーサルでもなく『東大寺』に決まっていますこれさえあれば・大仏殿・法華堂(三月堂)・東大寺ミュージアム・戒壇院と全て顔パス気分昨年までは3,0
今日は、こちらのニュースからネタを引っ張ります。奈良時代の斎王宮殿、初確認井上内親王の正殿か三重・明和(外部リンク)https://yomotto.jp/2023/10/13/1436056/斎王というのは、皇室の祖神であるアマテラスを祀る伊勢神宮に仕える未婚の皇女さまのこと。飛鳥時代の40代・天武天皇の時代に整備されて、建武親政時代に消滅するまで(何度かの危機に晒されながらも)続いた制度でした。斎宮跡は1989(平成元)年から発掘が始まり、平安時代の方格街区や内院
東大寺(とうだいじ)は、奈良時代の中頃に聖武天皇の発願により、大和の国分寺として創建された。本尊の大仏さまは、華厳経の教主である盧舎那仏で、天平勝宝四年(752年)に盛大な大仏開眼供養が行われた。その後、講堂・東西両塔・僧坊などの大規模な伽藍が営まれた。治承四年(1180年)に兵火により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失し、復興されたが、永禄十年(1567年)の兵火に罹り、現在の建物は江戸時代に建て直された三度目のものである。宗派:華厳宗御本尊:盧舎那仏(るしゃなぶ
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は天平勝宝元年(749年)、奈良時代に聖武天皇が東大寺大仏殿を造営されたとき、九州豊前国の宇佐八幡宮より東大寺の守護神として、大仏殿の近くの鏡池の東側に鎮座したことに始まる。そして、鎌倉時代の建長二年(1250年)に北条時頼によって現在地に遷座した。御祭神:応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇所在地:奈良市雑司町434鳥居大仏殿・鏡池の東側の鳥居二の鳥居、右は宝庫法華堂(三月堂)前の鳥居楼門
2023年11月の国宝を巡る旅、3日目の25日は奈良市内の天皇陵を巡りました。写真は正倉院前から望む紅葉の東大寺大仏殿です。朝、奈良市内の宿を出て近鉄奈良駅近くでレンタサイクルを借りて向かったのは、約5km西にある第11代垂仁天皇陵。垂仁天皇は、実存の可能性が認められる最初の天皇である第10代崇神天皇の子で、父君の崩御後、即位されました陵の濠は、ため池のように大きく、周囲の田園風景と一体化していました。次に向かったのは、1.5km西にある第20代安康天皇陵。安康天皇は、仁徳天皇
・午後から上野へ。桜の花も昨日の雨・風で大分散ってしまったが、その分、新緑が目につくようになってきた。法隆寺宝物館の国宝展示は写真撮影可のものもあった。監視員の方に確認して写真を撮った・。・まず法隆寺献物帳。・・「「法隆寺宝物館」で4/9-6/2聖武天皇の供養のため皇女の孝謙天皇が父帝遺愛の品々を法隆寺に献納した際の目録。御璽と末尾の直筆署名(藤原仲麻呂ほか)が見どころという。」と4/9のブログに書いていた。・尚、中2階(M2)には、下記の「聖徳太子絵伝」のフルに壁面を使った、