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(https://ameblo.jp/ave-blo/entry-12626314212.htmlの続きです。)今回は国際平和に貢献したということで命のビザの杉原千畝さんの顕彰を兼ねた展示で、リトアニアでも10月に開催が予定されています。9月の京都にもリトアニアの作家の作品がいくつかありました。西洋画でよく使われる聖ゲオルギウスが龍竜を倒すモチーフ龍は旧ソ連を表していて、閉じ込められた人々の苦悶の表情が見えます。太陽と月のある十字架もともと北欧にあった太陽や月の
エチオピアの地方空港で目立つのは、あちこちに絵画が架けられていることだ。後に僕たちはアディスアベバの昼食を摂ったレストランで、併設した店にたくさんの絵が販売されているのを見たが、どうやらエチオピア国民は絵が無類に好きらしい。空港ロビーに架けられる絵アクスムに向かうラリベラ空港ロビーの絵に描かれた聖ゲオルギス教会を背景にした白髯の老人は、岩窟教会群の建設を命じ、ラリベラの地名の由来ともなったラリベラ王であろう(写真)。もう1枚、目にとまったのは岩窟教会か(写真)。ラリベ
エチオピア旅行6日目(実質5日目)の朝が明けた。僕は、例によって朝早く覚醒し、モゾモゾとベッドから起き出した。全身に注意を向ける。ありがたい!2日間、同じベッドで寝たが、ダニに刺されていなかった。暗いうちから白衣の人たちが道を行くラル・ホテルの敷地を出て、ラリベラのメインストリートに出る。早朝で、まだ暗く、空には月が残っている。それでも白衣を着た人たちが、街と反対方向に向かって歩いていく(写真)。昨日、聖職者を先頭にした祭礼の列が向かった方向だ。どうやら聖ゲオルギス
ラリベラ岩窟教会群の最後に訪れた聖ゲオルギス教会から出発した、いつ尽きるともない行進である。みんな白衣などをはおり、正装している。日傘がないのか、雨傘を差している人もいて、面白い(写真)。歩いて1時間、やっとラル・ホテルに近い三叉路へ行列の後について歩いて、もう1時間近くになる。お祭り騒ぎの人波は、牛の歩みのようにゆっくりとしているうえ、後から後から人が増えていく。赤道直下に近いラリベラの強い日差しの下だが、意外と行進する住民たちは薄着ではない。乾燥していて、さほ
昨日から郵便はがきが値上がりした。10円だが、まめにはがきを書く人には痛いだろう。封書は据え置き。日本郵便は、これで赤字のはがきを黒字に持っていくという。はがきも封書も、配る手間は同じだ。人手不足で、52円の安価はもう維持できないということのようだ。墓地を見てさて、しばらく中断していたエチオピア紀行である。ラリベラ岩窟教会群の聖ゲオルギス教会から、底にわずかにヨルダン川の流れる深い谷を右手に見て、僕たちはその谷添いの道を祭礼の行進について歩く(写真)。行列の切れ目
聖ゲオルギス教会を出発した祭礼の列に続々と加わってきた若者たちの熱狂は、あちこちで見られた(写真)。まるでどぶ川「ヨルダン川」道路の右に深く落ち込んだ谷がある。これが、ヨルダン川だ(写真)。「川」と聞いていたから、もっと大きな流れを想像していたが、ただの溝だ。ラリベラ岩窟教会群を創建したザグウェ朝のラリベラ王は、1187年に聖地エルサレムがイスラム教徒に占領されると、アビシニア高原のキリスト教徒がエルサレム巡礼ができなくなったことを憂え、首都を「新たなエルサレムにするように」と命
聖ゲオルギス教会を出発した聖職者の行列の後に付き従う人並みは、さらに膨らんでいる。そしてお祭り騒ぎの熱狂だ。ティムカットは終わったばかりだが、その後の祭礼はなお続いているのだ。1000人規模の大行進にスティックを持った若者たちの乱舞赤道直下に近い熱帯の直射日光の下なのに、日光の強烈さに比べればさほど暑くはない。乾燥しているからだが、それだけにやたら誇りっぽい。周辺の集落からも集まってきたのだろう、列はいつの間にか1000人規模には膨らんだ。人並みをかき分けて前へ進むなど、とうに不
聖ゲオルギス教会から地下通路を出てきた聖職者の行列(写真)を、穴の縁でたくさんの信者・住民たちが人垣を作って見ている。聖職者を先頭にする列は進むこれで、よく事故がおきないものだ。誰かが足を滑らせたら、前の人もろとも12メートルの穴の底に真っ逆さまだ。行列は、聖ゲオルギス教会の穴を離れ、さらに先を進む。群衆も、僕たちも、みんな付いていく(写真)。この時、聖ゲオルギス教会の入り口と反対側から全体像を見下ろした(写真)。見事に穴の底に人は残っていない。道路いっ
聖ゲオルギス教会につながる溝に待っていると、まず司祭かそれに次ぐ職階の人なのか、美しい祭礼の服を着た人が先導し、次に緑・黄・赤の三色のエチオピア国旗を掲げた少年たちが次々と現れた(写真)。その数、十数人。下にこんなにたくさんの少年たちがいたのだ。気づかなかった。聖ゲオルギス教会の中で祈りの後にその行列を、溝の上からたくさんの人たちが見ている。次には、十字架を抱いたり、傘をさしかけられたりしている高僧たちが続く(写真)。僕たちがつい先ほど参観した聖ゲオルギス教会
聖ゲオルギス教会を見下ろす穴の縁で下を見下ろしていると、やがて豪華な衣装を身にまとまった高位の聖職者が、青々と敷き詰められた教会の階段に出てきた(写真)。主教クラスも参加?僕たちは、中を拝観した時、気がつかなかったが、祭壇の奥で、お祈りしていたのに違いない。衣装の豪華さから見て、聖ゲオルギス教会の司祭ではなく、この地区の主教クラスの人が含まれているのだろう。十字架を意匠した白いパラソルや赤いパラソルが広げられ、それがさらに高位の聖職者がいることを教えてくれる(写真)。
とうとうエチオピア紀行は100回目になってしまった。いまだ旅程の半分である。さて、聖ゲオルギス教会の周囲の壁の横穴墓でミイラを見ていると、いつの間にか祭式が進み、信者たちが日本のイグサのような青々した草を教会の階段や周囲に敷き詰め始めた(写真)。教会の階段と前に清めの草これは、聖なる祭が行われるための清めのものらしい。キリストの洗礼を祝うティムカットは、もう数日前には終わっている。何なのだろうかと思った。僕たちは、元のトンネルを通って、地上に上がった。穴の縁に
聖ゲオルギス教会の中は意外と狭い。平面プランは十字形なので、正方形に造るより半分近くになっている。ここは、ラリベラ王の夢間に現れたという聖ゲオルギスに捧げた教会なので、巡礼者や信者のために内部をさほど広くする必要は無かったのであろう。司祭の十字架を掲げてポーズを取るサービスも無し先程来、外から聖職者らしい人たちが入り、何か祭式の準備に余念が無い。それまでどの岩窟教会でも、僕らを見ると必ず現れて、十字架を掲げてポーズを取ってくれた司祭の出現もない。そして狭い教会内は、けっこう混んで
ラリベラ岩窟教会群の最も美しい聖ゲオルギス教会の底に立つ(下の写真の上)。見ると、これまでの教会で必ず備え付けられていた大きな太鼓が、外に運び出されていて、子どもが番をしている(下の写真の下)。おそらく修道士の卵なのだろう。見事な絨毯が虫干しかまた虫干しよろしく、絨毯も天日干しされている。よく見ると、色も意匠も美しい。きっと熟練した女性が何年もかけて制作したものだろう。素晴らしい名品だ。エチオピアには、毛を採れるヒツジがいないようだから、はるかトルコかペルシャから交易
ラリベラ岩窟教会群の1つ、聖ゲオルギス教会を、午後の強い日差しの中で見下ろしていると、スピーカーから祈りが流されてきて、白い布を着た聖職者らしい人たちが丘の上から歩いてきた(写真)。白衣の聖職者らは傾斜路から地下へ一行は、緩やかな傾斜面をやや下った、聖ゲオルギス教会の十字架の穴の下手近くの溝に入っていったのだ(写真)。どうやらここから傾斜路になっていて、やがて地下道になって、岩の下の底にある聖ゲオルギス教会の入り口に行けるらしい。午後の日差しは強いが、湿度が低く、カラ
僕たちは展望台となっている小丘から降りて、ラリベラ岩窟教会群の1つ、聖ゲオルギス教会のそばに近づいた。足がすくむ教会の立つ穴の周囲近づいてツルツルの緩やかな岩の傾斜地に、フェンスのないことの恐怖感を身にもって知った。大きな穴に十字架の教会が建っている。下をのぞくと12メートルの底が見える。聖ゲオルギス教会は、その底から旧地表までまっすぐに立っている。雨が降ったら、危ない。降らなくとも、後から押されたりしたら危険極まりない。ただ、日本ならすぐに防護フェンスを、と「識者」なる
ラリベラ岩窟教会群で最後に残された、これから訪れる聖ゲオルギス教会の聖ゲオルギスとは、すなわちセント・ジョージである。この名前のビールは、エチオピアで最も一般的だ。聖ゲオルギス教会が1基だけ孤立の訳前にも述べたことがあるが、最貧途上国のエチオピアには、缶ビールはない。ビールはすべて瓶ビールだが、セント・ジョージのラベルには、白馬にまたがった聖ゲオルギスが描かれている。エチオピア正教の聖画でも、聖ゲオルギスはかなり頻繁に描かれているから、きっと聖人でも最高位なのだろう。聖ゲオルギス
ラリベラ岩窟教会群最後の教会見学は、聖ゲオルギス教会だ。この教会だけ、第1、第2のグループから離れている。そしてラリベラ岩窟教会群は知らなくても、また聖ゲオルギス教会の名を知らなくても、この教会の写真だけはどこかで見た方もおられるのではないか(写真)。掘り残した岩塊を教会に、屋根の上を十字架に造形実のところ、僕も訪問前の日本で、この写真だけは見たことがある。それを見て、ちょっと信じ難かった。赤色凝灰岩の岩の丘の上に、大きな穴を掘り、十字架型の教会を掘り削っている。これ