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初日の午前の記録京都駅豊國神社耳塚方広寺大仏前交番
インスタで同じような作品を見て!以前に作った思いが・・・ブログを振り返ると15年前の京都への旅行で行った豊富秀頼の命で作られたと言う方広寺の梵鐘にある、「国家安康」、家と康が分断されていると家康のいいがかりで大阪城冬の陣へと・・・衝撃は方広寺近くにある「耳塚」、秀吉の二度の挑戦出兵で樽に入れられた敵兵の首(樽が大変で)耳・鼻が10万人以上、戦果のあかしとしての「耳塚」でした。そんな思いの時に焼成した角つの鉢でした。大二鉢はミセバヤ鉢・・
今年初の朝ウォーキングいつものように朝6時に集合夜明け前の鴨川🦆を渡り・・豊国神社へみんなでお参りもちろん秀吉の銅像あり午の巨大絵馬すぐ近くにある耳塚へも行きました。秀吉ゆかりの神社と耳塚はNHK大河ドラマも始まってこれから人が増えてくるかも。全国ニュースによると、今日明日と寒波だそうです。暖かくして過ごしていきましょう
先日はほぼ確定の織田信長公廟がある阿弥陀寺だったので今回は豊臣秀吉を祀る豊国神社に出かけてきました。歴史現場探索家のローバーは豊臣家滅亡のきっかけとなった方広寺の鐘をこの目で視ることも大きな目的でもありました。これがアカンカッタんか国家安康そして秀吉朝鮮征伐の黒歴史耳塚へで豊国神社宝物館では豊臣秀吉の歯が展示されていました。摩耗激しい下顎大臼歯だったで豊臣秀吉は豊国神社近くの阿弥陀ヶ峰山頂の豊国廟に葬られているそうなローバー独自検索によると明治時代
特別展「宋元仏画〜蒼海を越えたほとけたち」@京都国立博物館を見に京都に急遽やって来ました。今月の後半を予定していたんですが、お目当ての仁和寺の国宝孔雀明王像が前期(9/20〜10/19)で展示が終わってしまうようなので慌てて来ました。前期後期の展示入れ替えって良かれ悪かれですね…同じ展覧会二度行こうとは余程じゃ無いと思えませんが。こないだ日曜美術館でも取り上げていたのを見て予習できたのも良かったです。京都駅に昼過ぎに着いたらカンカン照りの暑さ厳しい天気でした。東京はかなり涼しくなってきてい
三十三間堂、方広寺の次は、耳塚に。社会科を生業としている三人に欠かせない場所を訪問。豊臣秀吉が行った朝鮮出兵の際に、敵兵の鼻や耳を削ぎ塩漬けにして秀吉のもとに送られたものを供養したもの。江戸時代になり朝鮮通信士の人々が江戸に向かう途中、耳塚に寄ったという記録も残っています。朝鮮出兵の話のときには必ず耳塚のことに触れました。耳塚について耳塚(みみづか)もしくは鼻塚(はなづか)とは戦死者の耳や鼻を弔ったとされる塚です。文禄・慶長の役における朝鮮および明兵の戦死者の鼻を弔ったものが有名。これ以
高山城跡こんにちは、よっこん日記のよっこんです。松山市桜ケ丘にある、高山城跡へ行ってきました。高山の斜面石垣が積んであります。山の斜面を左手に見ながら、周囲の道を進んで行きます。左斜面にミカン畑が見えてきました。ミカン畑のそばに石碑が見えます。ここが高山城跡です。愛媛県松山市桜ケ丘8−15コープ三津店と、くすりのレディ三津店の裏に、高山城跡があります。平成9年8月吉日建之石碑近くの建物の外壁に、説明書きが掲示されて
石田三成公友の会に入って2年目。今年も、『三成公ゆかりの地を訪ねて』に参加してきました💕昨年、初めて参加して、感動しまくり✨✨✨感動をあまりにもじっくりと思い温めているうちに、ブログを書き損ねてしまいました💦昨年のは、後日アップするということで、今回の様子を取り急ぎ、お伝えさせていただきます❣️(といっても、もうすでに1週間以上、経過していますが)今回は京都市内を巡りました。集合は、京都駅八条口。観光バスに乗車します。参加者は、38人。昨年のツアーや三成祭で知り合った人もいて、嬉し
京都国立博物館に行く前、開館時間までに間があり。近くにある『耳塚(鼻塚)』に。文禄・慶長の役。豊臣秀吉が、大陸への進出を考えてはじめた、無謀な戦争。大きな犠牲が。殺害した相手の耳、または鼻を切り取り、日本に。そして、塚を築き。秀吉の、権威の誇示か。それとも、供養か。と、あれこれと考えます。どちらにしても、双方に、大きな犠牲があったことは、確かで。当初は、『鼻塚』と呼ばれていたようですが。鼻を削ぎ落とすことは、日本のみならず、確認出来ます。その周囲の石柵には、歌舞伎役者
森といずみ4月のYoutubeをご覧になったケッチャップさんよりご感想をいただきました♪4月のYouTube動画見ました。いつもありがとうございます。文字起こしや地図の解説などがどんどん手厚くなって進化しているので、見るのが一層楽しみになっています。耳塚削ぎ取った耳の場面がとても衝撃的でした。そこで流れていた音楽が胸に刺さりました。タマヨリ姫紀元前の記録が残っているのは凄い事です。ホツマツタヱの本は真実を読み解いているようですね。祇園自然と同様
先日(4/29)、京都市東山区にある耳塚(鼻塚)に行きました。豊臣秀吉の朝鮮征伐の際、切り落とした耳や鼻を供養した塔だそうです。歴史の息吹を感じました。(=^x^=)
2025年4月9日水曜日晴れ今朝の比叡山です。朝食を済ませ、ゆっくり。昨日は外出せず、空気清浄機のある部屋にいたので今日はちょっと花粉症が楽です。今朝は息子の1歳10カ月の孫が遊びに来ました。女の子です。ちょっとだけ喋れます。(笑)しばらくは家の中で遊んでいましたが、やっぱり外で遊びたいようです。妻と嫁と一緒に公園へ行きました。私は部屋でCDでも聴きましょ。きょうのBGMです。MX110+JensenA-12+エルサウンドです。フレンチジャズです。ロマーヌとローゼ
昨年の秋、釜山や対馬を巡ることで行っておきたい場所が京都にありました。豊国神社と耳塚です。私達は手を合わせるために訪れました。
みなさま、こんにちは。ピアノ講師もmeishan(メイシャン)です。今回、私が京都訪問で立ち寄ったところをもとに「京都おすすめツアー」ができました。タイトル通りに豊臣秀吉公にちなんだプランです。私は歴史は好きですが、それほど詳しくはありません。ただ、調べるにつれて面白くなっていきますね。単なる教科書に載っていたことではなく、今も残る文化の数々が現代と繋がっていることが興味深いなあと思います。さて、秀吉公にちなんだ神社と言えば京都市東山
四週間前(京都滞在中)の散歩記事です。悪しからず(^-^)京都には豊臣秀吉縁の場所が数多くあります。有名どころだけでも①北野天満宮(大茶会)②醍醐寺(醍醐の花見)③方広寺(大阪冬の陣のきっかけ)④高台寺(北政所創建)⑤豊国神社(全国にある豊国社の総本社)⑥豊国廟(秀吉の墓)⑦智積院(嫡男を弔った菩提寺)などなどこの内、訪れたことがないのが③方広寺、⑤豊国神社、⑥豊国廟の3ヶ所。何気なく地図を見ていたら・・・「あれっ⁈この3ヶ所って近いな!歩いて周れるじゃん!」ってことに
2024京都回想記7月編③。前回の五条楽園から正面橋耳塚豊国神社今回はお参りしませんでした。太閤塀耳塚以外は講座の資料使いました。どうしても上手く撮れない三十三間堂南大門😮💨。法住寺あまりの暑さにめげてきた😓。こちらも資料で使いましたね。五条橋を渡ってホテルに戻り暫し休憩後黄金の龍馬像気が遠くなる霊明神社で久坂玄瑞供養祭に参列後は記念講演。昨年は私
豊国神社方広寺耳塚京都大神宮安祥院
豊国神社前から、鴨川方面に進む道もすきな場所だ。京扇子の「なかにしや」も好きな風景だ。「なかにしや」の隣に専定寺がある。拝観は不可になっている。浄土宗西山禅林寺派の寺院だ。寺伝では、専定という僧が木陰で休んでいると、松の枝で二羽の烏が「きょうは熊谷蓮生坊が極楽往生する日」と話すので、みると、烏が南の空へ飛び去り、同時刻に蓮生坊は死んだという。烏は熊野権現のお使いである。これに因んで烏寺の別称が生まれた。寛文6年(1200)開創で、御本尊は、御白河上皇の念持佛である。専定寺の前に耳塚
7月京都回想記未公開画像編のつづきです。東山七条へ講座で使う画像を撮りに行く途中、旧五条楽園を散策。元お茶屋「新みかさ」お茶屋建築には、カフェ建築と遊郭建築の②種類があります。毎回🆙するたび何だったんだろうとブログに書いていましたが、makkii-1128様からメッセージをいただきまして、元お茶屋「芙蓉」さんと判明しました🤓。教えていただいたサイトにはお茶屋建築の種類も書かれており、大変勉強になりました。makkii-1128様ありがとうござ
大和大路通りから西方向夏雲もくもく後ろは豊国神社・方広寺大仏殿跡鴨川正面橋へと続く正面通りの一角に耳塚があります慶長2年(1597年)に秀吉の命で大仏殿の門前に築造されました石垣の形は八角形古墳状の盛り土をした上に五輪塔昔の写真耳塚の向かい側同じく京都大仏の門前にて1865年に創業した京都を代表する老舗和菓子屋の一つ甘春堂東店名物は大仏餅でも今はかき氷が食べたい🥵ぴったりなのがありました大仏餅氷にしよーっと
【史跡】耳塚(鼻塚)京都府京都市東山区豊臣秀吉の朝鮮の役で、朝鮮人の耳や鼻を埋めたものです。朝鮮人の観光客が見たらなんと思うのでしょうか。この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)にかかる遺跡である。秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋めら
『献血291回目と心電図』9か月ぶりに献血に行きました。291回目。前回の献血の後、脂肪腫摘出の手術をしたり、父が亡くなったりして、献血に行けなくて、献血に行く習慣が途絶えました。…ameblo.jp私が社会奉仕活動している間、아내は京都国立博物館で特別展「雪舟伝説」を見ていました。私は献血が終わって国立博物館へ行ったのですが、まだ아내は観覧中だったので、周辺を散歩して待ちました。まずは耳塚(鼻塚)。耳塚とは何か?こちら↓のサイトに説明されています
2024年2月17日(土)18日(日)大文字山と東山地区散策1日目南禅寺~インクライン~粟田神社~東山山頂公園~清水山~方広寺~京都駅東京ハイキング協会まだご飯の時間よりも早い時間に起きてしまったので、朝の南禅寺を散歩しました朝ごはんです宿坊らしい朝ごはんです食事のあと南禅寺へポツポツと雨がありましたコースを入れ違えて正解でしたでも雨具まではいらない雨でした宿泊者特典として無料で拝観ができるところがあるのでそちらへ三門です石川五右衛門の
京都観光最終日となる三日目。ホテルのチェックアウトが10時、帰りのバスが16時20分。毎回この日の過ごし方だけには事前の準備をしっかりしておきます。チェックアウト前に予定していたのが「豊国神社」と「耳塚」。堀川を渡って歩いていると突然お茶屋さん(もちろんお茶は売ってません)が並ぶ石畳の雰囲気のある小径に出たり、京都の散策は飽きることがありません。(お茶屋の並ぶ小径)「豊国神社」はその建物も立派ですが、境内には豊臣秀吉の像があって、その鋭い眼光で今も京都市街を見下
DAY2京都2日目は朝ラン!梅湯に荷物預けて京都東側を走る豊臣秀吉が朝鮮出兵した際首ではなく耳を持ち帰ったので耳塚豊国神社秀吉のひょうたんが印象的方広寺先週のどうする家康で見た大阪の陣のきっかけとなった鐘への書込み五重の塔聖徳太子が建てたらしい日本初らしい法観寺八坂の塔維新の道を駆け抜けてこの度の大きな目的である龍馬の墓参りお隣は中岡慎太郎龍馬のお墓にはウイスキーがお供えしてありましたとても景色の良い場所でした桂小五郎のお墓にもお参りねねの道を走り
『おもしろ雑学日本史』ー樋口清之●日本人はもともと首狩り族だった✪日本人が首狩り族の流れを引いているというと、そんな野蛮なはずはないと言うかもしれないが、そんな人はつい400年ほど前の戦国武将たちが、相手の首をあげるのに血眼になっていたことを忘れているのである。もともと日本人の戦闘は「首狩り」であった。敵の武将の首をとって証拠とするのは、古くからのやり方である。文化人類学者にいわせれば、この風習は、台湾の首狩り族などと結びつく南方系のものだそうである。江戸時代になっても、罪人の首をはね
晋州南江流灯祭りの始まりは、文禄・慶長の役に遡る。そう、豊臣秀吉の朝鮮出兵。晋州城に攻め入るため南江を渡ろうとする日本軍を、流灯を浮かべることで阻止したと言われており、それが10月の初旬だった。戦死した人々の霊を静かに慰める行事というより、華やかな光の祭典になっているのは、防衛に成功した栄光の証なのだろう。ところが第2次晋州城の戦いで城は陥落。加藤清正の軍が勝利の宴を行なっていた時、李氏朝鮮の妓生、朱論介(チュ・ノンゲ)が武将を誘い出し、その武将を抱きかかえ身を投げたとされる場所、義
先日の大河ドラマ「どうする家康」での事…2回目の朝鮮出兵で戦利品として朝鮮人の耳や鼻を削ぎ落として塩漬けにして持ち帰るというシーンがありました。私は前に京都でその供養をしている耳塚に行った事があります。場所は東山7条あたりで、国立博物館や三十三間堂の近くです。国立博物館に行って、豊国神社に行く途中偶然見つけました。結構大きいので何かな〜と思い近づいたら…耳塚(鼻塚)でした。内容を見てびっくり‼️なんてエゲツナイ事をするんや‼︎と悲しくなりました。ショックでした。
昨日の「どうする家康」は豊臣秀吉と徳川家康が大阪城で対面する場面がありました。今回は豊臣秀吉や豊臣家にゆかりの場所を。三十三間堂や国立博物館のすぐ近くに、秀吉を祀った豊国神社があります。豊臣家滅亡後全部取り壊されるところ、北政所のたっての願いで社殿だけが残され、明治になって再建されたました。東側にある阿弥陀ケ峰麓に豊国廟があり、一度夏に京都へ行ったときにお詣りしましたが、高台寺の北政所と向き合うような位置関係と聞いていたので、簡単に着くかと思っていきましたが、途中で倒れるのではないかと思った
『取る』という字の耳辺を調べると「捕虜や敵の耳を戦功の印としてしっかり手に持つことを表す」とある。たしかに秀吉の耳塚、鼻塚がある。大規模戦なると戦果の首は邪魔だろうから携帯しやすい耳や鼻になった様だ。ベトナム戦争でも北ベトナム兵の耳で作った耳首飾りを首に下げ記念撮影をする韓国兵の画像もある。日本だけでなく世界の戦史をみても珍しい事ではないが『取る』がそこから来ているとは思わなかった。いかがでしょうタメになったでしょう?暑い中笑ってばかりいるとほんとバカにります。