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目次0.はじめに1.鳥取城2.丸山城(現:河原城)3.打吹城(倉吉城)4.羽衣石城目次を開く0.はじめに中国5県の中で最も小さな県である鳥取県。しかしかつて池田家が統治した因州藩(鳥取藩)は32万石、実質石高は41万石にもなり因州藩(鳥取藩)は中国地方随一の大藩であり池田家は西日本でも指折りの有力大名であった。今回はそんな因州藩の藩主である池田家の居城で織田軍の中国征討で織田方を苦しめ「難航不落の名城」と呼ばれた鳥取城を初め、かつて武田高信が築き羽柴秀吉が中国地方攻略に利用し
田後城(東伯郡湯梨浜町田後)別名:田尻城羽衣石城の出城として南条元続が築城、元続の弟、備前守元信が居城とし、その子兵庫頭元周が跡を継いだ。後に吉川元長に攻撃され落城、元周は羽衣石城へ退いた。田後城跡立派な門構えの家がある田後城跡祠田後地区公民館城跡からは北の方向にある田後神社旧東伯郡羽合町の城
天女伝説残る伯耆・羽衣石城(後編)この図によると主郭前後に二段づつ腰曲輪を配備しておられます。ほんで、南(正確には南西)の腰曲輪から主郭を囲むように帯曲輪を巡らせていらっしゃいますね。これより下に見える天女ちゃんの羽衣石より南西部の腰曲輪に突入します。主郭より二段下の南西部にある腰曲輪。そこからの眺望。日本海の海岸線は鳥取砂丘じゃなくて北条砂丘という農地があり、風力発電のプロペラがようさん並んどるのが見える。右へ視線を移すと温水が湧く東郷池が望める。
伯耆国(鳥取県西半部)へ日帰り城攻め遠征。クソ暑いのにほんまようやるわ。鳥取県東伯郡湯梨浜町伯耆・羽衣石城「はごろもいしじょう」ではなく、「うえしじょう」と読む。羽衣石城跡は東郷池の南、羽衣石川上流にある羽衣石山(標高372m、比高280m)にあり、山陰道と東郷池(池の中央から温泉が湧き出る驚きの池)に臨む東伯耆の要衝にある。永禄から天正年間にかけてこの地を治めていた南条氏(佐々木流塩冶氏説。平氏説。賀茂氏説など諸説あり)の本拠地で、伯耆の支配権を巡り尼子氏や毛利氏が
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)406城目は景石城ですよぉ~本日3城目の山城探索となるコチラ先客1台いらっしゃるようでしたが山活中には遭遇せず( ̄▽ ̄)いかにも『コチラ入口よ』っつう"山麓遊歩道"に誘われしばし進むも城跡と真逆方向であるのに気付き無駄に30分ほどウォームアップ改めてYAMAPでルート確認しましていざ登城~~本日3城目ってこともあり35℃越えの猛暑ってこともあり初っ端からドSな登りってのもあり距離はさほどぢゃな
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)405城目は太閤ヶ平ですよぉ~標高263mの久松山山頂にある鳥取城跡の山上ノ丸跡一帯2017年7月の100名城2022年4月の桜名所100選に続き3度目の訪問となる鳥取城跡今回ようやく山上ノ丸跡へ※このてっぺんまで登るでね↑入城後の序盤戦は3年ぶりの再会を懐かしみ最近マイナー城跡ばっか巡ってるせいか改めて100名城の驚異を痛感が、本日の目的はこの先クソ暑い中登っていくでね登城道には都度●
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)404城目は羽衣石城ですよぉ~旅は2日目朝からクソ暑い鳥取エリアでござんすが今日は山城登り4連チャン目覚めの1城目は羽衣石城跡へ先客はもちろんゼロ登城口で杖を拝借しいざ入山時刻はまだ朝7:40だっちゅうのに5分と登っただけで汗ダクダクで暑さのせいかカメラもブレブレ登城開始10分ほどで石垣残骸ゾーンへ続いて天女のあしあととやらを経て城名由来の羽衣石を経て二の丸まで到達~ご立派な模擬天守
2024.10.8.雨も上がり、気になった羽衣石城跡へ羽衣石城は東伯耆の国人、南条氏の居城として貞治五年(1366)から慶長五年(1600)まで約二三四年間使用された城であるが、城主の南条氏をはじめ羽衣石に関する記録は「羽衣石南條記」などの少数のものしか伝えられていない。また、これらの諸本の成立年代は南条氏が滅んだ後、百数十年たった江戸時代の中頃のものであり、どこまで事実を伝えているかは疑問であるが南条氏を知る一つの手がかりである。さて、これらの諸本によると南条氏の始祖は南条伯耆守貞宗
おはようございます。4月2、3日、鳥取県へツーリング。スカイウェイブ号でGoGo!してきました。さて、羽衣石城祉に登ったよ展望櫓もあったりして、眺望が楽しめる。東郷湖、さらに奥には日本海が見える。登山でほてった身体に、山の風が気持ちいい。風邪ひかなきゃいいけど・・・ふと、思い出す。出雲の月山富田城址からのながめもこんなんじゃなかったけ?中海から日本海の展望・・・城地なんて、どこも似たようなものという
おはようございます。4月2、3日、鳥取県へツーリング。スカイウェイブ号でGoGo!してきました。さて、羽衣石城祉に登るよ結論から言うと、最後の最後まで階段。休みなし。たかを括っていたこともあり、休まず上る、上る。はるか先に熟年夫婦を見つけるも、あっという間に追いつく。意地もあり、休まずとにかく上る、上る。途中、とにかく山中なので被写体には困らない。とか、徒歩15分とは、とても思
おはようございます。4月2、3日、鳥取県へツーリング。スカイウェイブ号でGoGo!してきました。さて、羽衣石城祉に向かうか・・・実のところ、さいごまで迷っていました。羽衣石城に行くか、どうか。さして興味があるわけでもないし、有名でもない。うーむ・・・されど案ずるが産むが易し、というわけで行ってみました。三朝温泉からはそれほど遠いわけではないけれど、naviが古いせいか迷いまくる。よ
ようこそ我が武録へ南条左衛門尉元清此処に参上!羽衣石城は南条貞宗によって築かれた城。貞宗は南条家の始祖であり拙者の「※五世の祖父」にあたるお方に御座る。※父の父の父の父の父羽衣石城は標高372mの羽衣石山の山頂にある所謂「山城」で御座り登るのが難義なのじゃ。してその羽衣石城は「関ケ原の戦い」にて南条家が西軍に属したために領地没収となり廃城と相成った。されど!!昭和6年に南条家の子孫により本丸跡に私財を投じて模擬天守を建立され、その後平成2年に現在の模擬天守へ改築され、平成1
ということで低予算鳥取旅2日目最終日でございます👍久々にお酒2杯も飲んで若干頭が痛いのでありました(笑)いきなり裸(笑)まだまだ絞りが足りない特段何を目指してるわけでもないけど😅はいということで2日目いってみよう〜朝食兼ブランチのため、パンケーキが美味しそうなホテル近くのカフェへ見てくださいこの景色〜(笑)ふわっふわトロトロでとろけましたあ〜😍メープルの海に溺れた(笑)そして道の駅で車を停めて今日巡る場所へレッツラGOそれにしても駐車場に咲いていた梅がまあ〜ピンクが濃いこと
過日の十万寺城に合わせて羽衣石城の北側、番城も訪ねてみました。スーパー地形で見ると羽衣石城の北側になにやら堀切なのかわちゃわちゃした空間が!羽衣石城から北東の尾根伝いに行きます。北東の尾根は十万寺への周回コースになってますので道も比較的きれいなのですが番城方面にはいると、もう笹薮笹薮ささやぶぶぶぶぶぶぶb自分は厚手のスウェットを履いてますが下手したら足切っちゃうかもしれないです。ちなみにかつての林業関係なのかうすーく切通みたいなのがこの笹薮の下に走ってる場所があって、その周辺だと笹も薄
今回初めて、鳥取にある十万寺城を訪れてみました。かわいらしい模擬天守で有名な羽衣石城。その南に、スーパー地形で見るとあり得ない広大な扁平区画。それが十万寺城。南麓の道の終点付近に車を停めて登ります。しばらく車が通れるような(軽トラかな)道をひたすら歩きます。やがて車道も終点になりますが、しっかり登山道はあるので歩きます。途中「ギャゴール」?の水という場所も通ります。看板があります。ありがたいです。ちなみにこの看板の左隣にあるまっすぐな道を歩いていけばOKです(自分は勘違いしてこの
【問題】羽衣石城(鳥取県湯梨浜町)は、次のうちどの大名の居城か?【選択肢】亀井氏田結庄氏三村氏南条氏【正解】南条氏【解説】羽衣石(うえし)城は戦国時代、伯耆南条氏の居城であった。一時、尼子氏に城を奪われることもあったが、南条元忠の代までその本拠地として機能した。
軽バン(ホンダN-VAN)で車中泊しながら、山陰地方の史跡と道の駅を巡ってきました。新型コロナの第4波が大きくなる前の2021/4/19~4/25の7日間、感染者が少ない鳥取・島根両県の今まで行ったことがない史跡と道の駅を、温泉で疲れを癒しつつ道の駅で車中泊しながら一人旅をしてきました。1日目は、岡山県の自宅から、鳥取県の東端の道の駅まで移動2日目は、白兎神社、鹿野城跡、青谷上寺地遺跡、はわい温泉、羽衣石城2日目の最後の史跡訪問は、東郷湖の南にある「羽衣石城(うえしじょう)
【4月10日(土)】山陰に侵攻した織田軍に呼応し織田方となった羽衣石城の南条元継に対し、毛利氏は吉川元春が馬ノ山に布陣し南条氏に迫った。南条氏を援護するため羽柴秀吉が毛利方の馬ノ山砦に対し付城を築き対陣、これが十万寺城とするのが有力な説となっています。※秀吉が本陣を敷いたのは御冠山との説もあります。所在鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石①十万寺城手前の集落に車を止め登ります。②主郭北東側の堀切、かなり広い!!③土塁に囲まれた広大な主郭。④主郭南東側の堀切⑤主郭南東側堀切の先の曲
こんにちは(´・ω・`)ノ上海生活を共にしたmyパソコンの寿命がやってきたっぽくヤヴァイ!!いつ消えるかの問題ながらドキドキ使っている...今のところ調子いいっぽくてホッ。ブログの更新ぼちぼちペースになるので4649哀愁とか言いながら......あだ~ん。ドキドキ学園しながら毎日アップしてるとかネ(myパソコンがように使えんや~になるまでテンプレで貼り付ける)さて、先頭を歩いていた膝が死んだ夫が「頂上に到着した!!」詐欺にあい体力を無駄に使ってしまいながらも頂上に登り切り脳内"Rocky
こんにちは(´・ω・`)ノ上海生活を共にしたmyパソコンの寿命がやってきたっぽくヤヴァイ!!いつ消えるかの問題ながらドキドキ使っている...今のところ調子いいっぽくてホッ。ブログの更新ぼちぼちペースになるので4649哀愁とか言いながら......あだ~ん。ドキドキ学園しながら毎日アップしてるとかネ(myパソコンがように使えんや~になるまでテンプレで貼り付ける)昨年、鳥取県ブロガーごんたさん(http://gonta266.blog62.fc2.com/)のブログ記事を見て今年出かけようと思
今日も今日とて。やりたいことを探しながら倉吉出張途中に寄り道。湯梨浜町にある羽衣石城。南條家の居城です。何十年か前に登りましたがすごく整備されてます。今日は登り口まで。ここから20分くらいで頂上です。頂上には再建された天守閣があります。
『鋼の錬金術師』の超名言3選――薄っぺらい名言、安っぽい名言に飽き飽きしているあなたへダ・ヴィンチニュースその代償としてエドは右腕と左足を失い、アルは全身を失いますが、エドの尽力でなんとかアルの魂は甲冑に定着。アルはその当時10歳の少年でしたが、大柄で...中学生40人が鉄打ちに挑戦明珍火箸の職人が指南神戸新聞明珍火箸は、甲冑師の流れをくむ明珍本舗(同市伊伝居)が制作し、県が「伝統的工芸品」に指定。触れ合った時の音色の良さから、近年は風鈴などとしても珍重...自動運転車
3連休の鳥取旅行の二日目です。今日は、倉吉発6:54の列車に乗る予定でした。が、予定していた時間に起きたものの、中途半端に時間が出来、余分な事をしている間に時間が無くなって、この列車に乗り遅れてしまいました・・・空しく、倉吉駅の跨線橋から見送る6:54発の列車です。元々は、一駅先の松崎まで乗って、そこで6分後に出るバスで、少々戻り、その後4㎞の道のりを歩いて、羽衣石(うえし)城に行く予定を立てていました。次の列車は、7:20ですが、松崎からのバスは日に数本しかないので、もう無理です。
4月が、そして平成が終わろうとしてますねー。もうすぐ新元号【令和】の時代がやってまいります。このブログもこれが平成最後。始めたばかりなのでなんの感慨もなければ令和になるからどうこうはございませんが、続けることを目標に掲げているのでこのままいきたいと思ってます。読んでる人がいるのかとかは決して考えない…そんなこんなで4月。なんかやたら忙しかった、そんな印象。ではこのブログのメインである麻雀…やれていたのか?🤔!!!!!なんてことだ、もう10日以上も打ってない!休みこそホントにほ
■アクセス数が伸びているなぁと思ったら...。『ポツンと一軒家』効果かいな?!湯梨浜町羽衣石の先にある十万寺が紹介されとりました。テレビを見て検索されたのか?我がブログがヒットするとかネ...。お出かけしてみようかな?!と思われた方もおんさるかな?!個人的には見所があって好きな地域なので嬉しかったデス。(過去ブログ記事をご参考ください)ただ、車でお出かけても駐車場がありません。ゆっくり地域を楽しむのであれば徒歩が一番いいと思います。ポツンと一軒家の方だけでなく住民の皆さんがおら
前から気になっていたけど…本当にお城🏯があるとは信じられなかった。観光案内所で聞けば駐車場から20分くらい登るって!一度駐車場まで行きながら諦めた事があるでも、今なら登れると思ったのは桜が咲いているから。1人では無理だから姉を誘っていざ🎶先ずはお城の写真から凄い!満開とまではいかないけど桜も咲きいい時に登って良かった。眺めも最高です。少し霞んでる。こんな山道を登りました。こんなお花も咲いてた。駐車場の桜🌸かわいい花だね。
にほんブログ村永禄3年5月。山形城を包囲した伊達家だったが、包囲軍の後方から襲撃を受けたので、包囲を解いた。しかし襲撃者はいつの間にか消え失せ、付近を捜索しても見つからなかった。永禄3年5月。蘆名盛氏隊は再び城を包囲したが、この時もまた背後より襲撃が起こり、包囲を解いた。遠くでは真室城や天童城へ向かう軍勢も確認できたため、盛氏は焦ることはあるまいと思い、背後からの襲撃者を捜索した。永禄3年6月。山形城城主は筆頭家老の氏家定直に変わった。軍事的な能力では安東愛季の方が上だった
小冊子『殉国七士の墓』殉国七士廟資料〈1〉.林逸郎弁護士と三浦兼吉氏戦争犠牲者顕彰会.○.三ヶ根山頂に廟が完成した昭和三十五年八月十六日、最初の墓前祭が行われました。この年、林..5775代外・鈴木長翁斎墓(谷中3-10-22・宗林寺)酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』5775代外・鈴木長翁斎墓(谷中3-10-22・宗林寺)-代外・鈴木長翁斎文政7年7月14日~明治32年4月14日(1824-1899)錺師(か
伯耆の國磐座巡礼⑥羽衣石湯梨浜町羽衣鳥取編201512.31大晦日地元鳥取県磐座巡礼続きます。案内図から磐座の位置は把握できた都内にいる時に事前リサーチしたところなんと自分の育った町内に磐座がある事が判明!しかも羽衣(うえし)天女降臨の言い伝えのある山でした。驚きを禁じ得ません。こんなこともあるのものかと。徐々に話題に上がってきている仮想通貨は銀行資本家の1極ピラミッド型経済を変える革新的な要素があります。