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2011-02-19浮岳の登ったときに立ち寄った神社です。浮岳の龍神の伝説、その子、龍起の伝説、さらに神宮皇后、羽白熊鷲の伝説など謎が多い興味深い神社でした
御笠の森福岡県大野城市山田2-9(以下、大野城市HPより)日本で最も古い歴史の本といわれている「日本書紀」や、元禄時代に書かれた「筑前国続風土記」という本に仲哀天皇のお后である神功皇后が、荷持田(甘木市秋月字野鳥)に住む羽白熊鷲という豪族を従わせようとして、香椎の宮(福岡市東区香椎)から松峡宮(朝倉郡夜須町)へ向かわれていると、突然つむじ風が起こり皇后の被られていた笠が吹き飛ばされて、この森の木にひっかかったため御笠の森というようになった。そして、この地方の地名も御笠郡
美奈宜神社から3分ほど歩いて行った所(福岡県朝倉市片延838辺り)。白鷺塚(しらさぎづか)昔、むかし(約千八百年前)古処の山から見下ろした里には筑後川が流れ、よく土地の肥えた豊かな村がありました。古処山と筑後川を繋げて考えたことなかったけど、下の筑後川の図でいくと「福岡(県)」って文字の辺りが古処山なんだな。福岡地区水道企業団HPよりしかし、古処の山には羽白熊鷲と言う悪者が住んでいました。時どき山を下りてきて、村人を苦しめました。村人は本当に困りました。神
今年も神功皇后伝承地を中心に、様々な場所に行き、それを紹介したいと思います♪去年12月に訪れた場所のことがまだまだ終わっていないので、こちらの続きをば……。飧那尾神社(美奈宜神社上宮)福岡県朝倉市三奈木4933秋月カントリークラブの入り口が目の前。飧那尾(くいなお)山にあるから飧那尾神社という名前になっている。けれど、美奈宜神社(朝倉市荷原)の上宮という扱い。鉄の階段を登り切ったところから振り返ってみた風景。更に進む。
神功古道福岡県朝倉郡筑前町三牟田神功皇后の名前が付いた道だ!『日本書紀』には、神功皇后は羽白熊鵞を討つために進軍しました。熊鷲の本拠地である荷持(朝倉市秋月字野鳥)へは、砥上方面から侵攻したと想定されます。ここは、神功皇后が香椎宮から羽白熊鷲の本拠地に向かうのに通ったと考えられている道よ。侵攻した道は森山峠を越えて栗田~弥永~秋月へと山麓を縫うような山道です。侵攻した皇后軍は、栗田の「松峡」(現在の栗田八幡宮)に宮を定め、ここで陣容を整えて熊鵞軍との戦い
五社神社福岡県朝倉郡筑前町赤坂2608『筑前国続風土記附録』によれば、「クマモトにあり。神殿一間四方拝殿一間半二間祭祀大内田備前。」とある。由緒不詳。祭神は天照大神・住吉大明神・春日大明神・神功皇后・応神天皇の五社である。室町時代は大内氏の支配にあって、康正二(一四五六)年赤坂対馬守の給地であった。境内に須賀神社あり、観音堂・薬師堂・高木・猿田彦・庚尊天の石神がある。「ベット押し」の奇習がある。平成二六年三月筑前町教育委員会鳥居を引きで写真撮りたかったのだ
稲荷山2024年9月23日(月)伏見稲荷大社御本殿参拝のつづきです。『伏見稲荷大社』伏見稲荷大社2024年9月23日(月)京都滞在2日目瑞穂舞福岡クラスの舞仲間出雲大社を巡ったときと同じメンバーで翌日の奉納のご挨拶を兼ねて参拝へ。「お稲…ameblo.jp伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山は標高239m(海抜233m)の霊山で稲荷山に登り、神蹟やお塚を巡拝することを「お山する」というそう。稲荷山はtacosさんの記事を事前に拝読していました🙏『関西帰省珍
ご訪問ありがとうございます。さて、仲哀天皇の急逝で、天皇の位は空位になりました。そこで皇后気長足姫オキナガタラシヒメ尊が代わりに政務を執ったということで、ここからは「神功皇后紀」になります。ただし、この年(仲哀天皇9年)は空位のままで、12月に次の応神天皇が生まれて、翌年が神功皇后の摂政元年になります。気長足姫尊オキナガタラシヒメは、開化天皇の曽孫、気長オキナガ宿禰王の娘である。母を葛城高額カヅラキノタカヌカ媛という。神功皇后の出自については、かなりややこしいので、後で別にま
矢野竹(田)神社福岡県朝倉市矢野竹984googleマップで検索しても、入り口が分かりにくかった。↑の所の道を進んで右側から入った。そうするとこんな感じの、裏口って雰囲気の場所。小ぶりながらも高床式って感じの社殿。階段が新しくて、つい最近置かれたであろうちょっとしたお供え物もあった。矢野竹(田)神社の由来御祭神神功皇后、植安命(土の神)、大山祇命(山の神)御祭例御願立て(七月の最初の丑の日)御願成就(九月の第一日曜日)田神祭(十二月の
羽白熊鷲の塚福岡県朝倉市矢野竹831(あまぎ水の文化村内裏)左奥に見えるのが、せせらぎ館。こんな風な、立地的にすごく良い場所にある。羽白熊鷲の塚由来記「水の文化村」建設時此処に羽白熊鷲の遺跡ありせせらぎ館の建設地と重なりし為に七十米南に移転せり平成十四年四月甘木商工会議所施設運営の委託を受けし後羽白熊鷲の存在を知る仲哀天皇の御代領土を統治せし豪族羽白熊鷲の塚とは余りに貧弱不敬に亘るとし此処に再度移転せるものである元々は、今、せせらぎ館がある辺りに、丸い石が置かれ
大根地神社(おおねちじんじゃ)福岡県飯塚市内野2507-3社殿のある場所へ上る途中の鳥居の側にある烏帽子岩。神功皇后はここで、羽白熊鷲征伐を指揮したのだとか。朝倉の方が羽白熊鷲の本拠地で、神功皇后そっちにも軍事拠点いくつも置いてたよね。羽白熊鷲はそれだけ広範囲にいて、神功皇后もこまめに移動しながら戦っていたんでしょうね。神功皇后はここで一夜を過ごし、寝手山・寝床岳と山名を名付けたとも伝わっていて、それで名前が大根地山となったという。大根地神
羽白熊鷲は神功皇后が退治していた。「高良玉垂宮神秘書」の異類である。脊振には、白日別の二柱の神が祀られている。Amazon書籍(ペーパーバック)と電子書籍発売しました。ブログの集大成です。(二版*完全版*関係図写真あり)https://amzn.asia/d/6aSFXDz★前の記事『儺の國の星~34、志賀星~岩戸の神*二柱の天照』鶏は岩戸開きの功労者である。神社に祀られるものは、神の由緒を示唆する。彼らは岩戸の神なのだ。★前の記事『儺の國の星~33、菜稈火星~
疋田一直です。私は福岡県嘉麻市の山中で生活しながら、武道と整体を通じて、みなさんがより良い人生が送れるよう、お手伝いをしております。日々の気付きをブログに綴っております。みなさん、いつも読んでいただき、ありがとうございます。~~~~~~~~~~~~~先日、アスレチックから転落し膝を負傷した息子ですが、おかげさまで、状態は良く、今ではもう走り回っています。お気遣いいただきましたみなさま、ありがとうございました。そうそう。先日の山登りでは、良い機会ですので、その道すがら、
大己貴神社前の歴史の里公園に車を停め、目配山(標高405m)を巡りました。大己貴神社は仲哀天皇9年(200)の創建と伝えられています。神功皇后が新羅征討を起こすにあたり、兵士がなかなか集まらないため、大三輪社を建て刀と矛を祀まつりました。その大三輪社が起源とされます。また一説には神功皇后が討伐した羽白熊鷲を鎮魂するために建てたと言われています。私には、熊鷲鎮魂説の方がしっくりきます。(現地解説板より)神功皇后と羽白熊鷲(説話)所在地筑前町弥永字谷口459-
美奈宜神社にまつわる神から、彼らへと繋がる。これも彼らの「異類退治」。Amazon書籍(ペーパーバック)と電子書籍発売しました。ブログの集大成です。https://amzn.asia/d/95jdkEs『美奈宜(みなぎ)神社1*荷原*喰那尾山1~荷原*神功皇后の伝承地~』前回の記事にあった、荷原(いないばる)の美奈宜神社。『饒速日命と神功皇后2~大国主神の正体~』続きです。『饒速日命と神功皇后1~神功古道~』神功古…ameblo.jp『美奈宜神社2
Amazon書籍(ペーパーバック)と電子書籍発売しました。ブログの集大成です。二柱の天照:『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼|三島ひみか|本|通販|AmazonAmazonで三島ひみかの二柱の天照:『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼。アマゾンならポイント還元本が多数。三島ひみか作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また二柱の天照:『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼もアマゾン配送商品なら通常配送無料。amzn.asia
美奈宜神社(みなぎじんじゃ)福岡県朝倉市荷原2421一旦バイクを境内に停め、鳥居の前の橋を渡り切った所から写真を撮る📸ダムと、おくんちのお知らせが見える。橋の下方には猫がいた。じっと見てたらこっちに気付いたみたいだった。この辺りの神社には保存樹林の案内板がよくあるなぁ。祭神天照皇大神、住吉大明神、春日大明神相殿神功皇后、武内宿禰由緒第14代仲哀天皇は古処白髪山を本城とする敵「羽白熊鷲」を討つため軍を進められていたが、途中
垂裕神社なんだけど、一般的にはここは秋月城跡🏯垂裕神社(すいようじんじゃ)福岡県朝倉市秋月野鳥784この神社は第十代藩主黒田長元により、安政六年(一八五九)五月、垂裕大明神(藩祖長興を祭神として勧請されたものである。当初は秋月八幡宮に祀られていたが、元治元年(一八六四)現在地の一角に遷される。明治六年(一八七三)旧家臣の出願により、社殿・拝殿が造営され、さらにその後数回の改修を経て、現在に至る。秋月城門(黒門)この門は、二回移築されている。もとは秋
老松神社福岡県朝倉市下渕840写真撮る為にさがったらイヌサフランがあった。神社自体の案内板はなくて、神社境内の樹林の案内板はあるという不思議(笑)古くは神功皇后が当地の豪族羽白の熊鷲を征伐するために布いた七つの陣の跡である七つの森のひとつである御府の森と伝えられ、秋月種実があやまって太宰府天満宮の本社を焼いたので、この地に神体を移し祀ったとされている。その後小早川隆景が太宰府天満宮を建立し、神体を移した後に老松大明神を祀ったと言われている。ここでのポイン
大己貴神社(おおなむちじんじゃ)福岡県朝倉郡筑前町弥永697-3おくんち直前だった様子。あと、あえて写らないように撮ったけど、バスツアーのおじさまおばさま方のバスが停まっていた🚌祭神大己貴命・天照皇大神・春日大明神ってあるけど、名前からして大己貴命の神社。大己貴命=大国主。大物主は大国主の和魂とされている。また、大国主が大物主を三輪山(奈良県)に祀ったので大三輪→大神(おおみわ)と呼ばれる。地元では「オンガサマ」と呼び親しまれています。このお宮は神功皇后の伝承地で、皇后が新
『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社*総まとめ」なども記載(スマホで見ると埋…ameblo.jpAmazon書籍(ペーパーバック)と電子書籍発売しました。ブログの集大成です。二柱の天照:『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼|三島ひみか|本|通販|AmazonAmazonで三島ひみかの二柱の天照:『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼。アマ
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『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社*総まとめ」なども記載(スマホで見ると埋…ameblo.jpここで、神功皇后と高良神が退治した羽白熊鷲について。高良玉垂神秘書には、異類とあり。筑紫の伝承では、羽を持ち人を攫う。同じ悪神の命尽くし伝承では、峠を通る人の半分を殺害する。決して、尊き山の神では無かった。他ならぬ神々が助力しているのだ。それは人でもない。大
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11月23日(勤労感謝の日)今日は近場をぶらぶらな一日でした。お昼は、瓦そばが好きすぎてお店を開いたという「瓦そばうぐいす」さんへ。瓦そばうぐいす|朝倉市のこだわり瓦そばとうなめし専門店uguisu-soba.comこちらは6月1日にOPENしたようです。山口へ行かなくても近場で瓦そばが食べられるとのことで行ってきました。GoogleMapに席の予約のリンクがありますが今のところ機能しておりません。また、土日祝日の予約も不可です。平日は電話での
皆さんこんにちは、珠下なぎです😊。今日も来て下さってありがとうございます!初めての方は初めまして。心療内科医でゆるく作家活動をしております、珠下なぎと申します。ちなみにチェリ家🍒です。文学・歴史・最近はサブカルチャーなど様々な面から、現代社会を論じております。(いや、最近はドラマ駄感想ブログ…いやチェリまほブログと化しているかも……)現在2冊の電子書籍📚をAmazonkindle版で販売(うち1冊は紙書籍化)、8月に短編が児童文学者協会編の「百物語」🪦に掲載される予定です。☆👘「遠の
セレンディピティという表現は既に死語なのかもしれませんねコロナ禍になって外出や人と会う機会が減り、セレンディピティが起こりにくくなった・・と言われているそうですが?そうなのでしょうか。先日、11年振りに献血をしました。時々チャレンジはするものの、毎回血液の比重が軽くてできなかったのです。お礼に筑前町の玉子いただきました献血会場で問診や検査を受けている時、目の前に五社神社で見かけた壁画と同じものを発見『五社神社』ごしゃじんじゃ住所:福岡県朝倉郡筑前町赤坂2608こちらは
ごしゃじんじゃ住所:福岡県朝倉郡筑前町赤坂2608こちらは仕事中、地図を眺めているときに見つけました。拝殿内の壁画が面白そうだったので行ってみることに。GoogleMapの印通りに向かったのですが、辿り着きませんでした。付近の田んぼで獣除けの柵を調整されていたご婦人にお尋ねしたところ、違う方向を指さされ、その通りに行くと在りました。ありがとうございます🙏GoogleMapの位置は報告して修正済です。ご婦人にどこから来たのか尋ねられ、「あそこは何かご利益があるとですか?」と不思
美奈宜神社(三奈木)|まにまに。(ameblo.jp)とってもきれいな写真が満載ですみてみてください・・・といっても今回私が行ったのはこのブログの記事で紹介されているこの神社の◆御由緒第14代仲哀天皇は白髪山を本城とする敵、「羽白熊鷲」を討つため軍を進められていたが途中病気で急逝。しかし神功皇后は喪を秘して武内宿祢等を從えて喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。これはお告げをうけた三神の助であるとして美奈宜川上「池辺」(こ