ブログ記事82件
木下小一郎豊臣秀吉の弟豊臣秀長もしも秀吉に従い武士になっていなかったら…秀吉よりも長生きしていたら…世継ぎがいたら…もしもの多い人物です
当時、千利休は豊臣秀吉に茶頭として仕えていました。その豊臣秀吉の弟である羽柴秀長。この秀長は、千利休をたいそう慕っていたんですよね。それは、兄である秀吉の利休への行き過ぎた行いに対し、兄の代わりに本人である利休に詫びるほどだったとも言われています。そんな秀長は、病弱で体が弱く、ある日、公の場で咳き込み、吐血するんですね。その頃は、ちょうど兄秀吉の傲慢さが露呈し始めた頃だったということもあり、弟である秀長の中にも、自分がどうにかしなければという見えぬ圧のようなものが重くのしかかっていたのか
前回、平井山ノ上付城跡(羽柴秀吉本陣跡)の主郭に到達。今回は、そこからさらに奥へ進む。道は2手に別れており、右へ進むと大手口、左は櫓台状の遺構がある郭へと行ける。左を行く。↓櫓台状遺構なかなかの高さがある。本当にこの上に櫓が建ってたかどうかは、不明。さらに東の郭と、大手口方面の分岐点だったと思うが右手の大手口のみ、攻めてみる。↓大手口跡大手口跡。枯れ葉もあって少々分かりにくいが、切通し状になっている。立入禁止のロープがあり、これ以上近付けなかったはず。ショートカットして
期間:2022/07/18〜07/19天井:100倍率:2倍初回:半額薬)荒木だし:霜枯れの八重葎薬)妙向尼:森厳なる嫗煦薬)羽柴秀長:豁達大度の仁薬)清浄院:清爽たる徳室©コーエーテクモゲームス
今回のガチャは過去に吟味済みなので、またもやリンクとなる。まあ、前後編に分けたのものにここで一気に行けるので、便利と言えば便利だが。で、それがこちら『【信長の野望20XX噺】名補佐の誉れ(前編)』星5が3人、星4が5人……これまたバラけるガチャが来たなぁ。さて、回すに値するか……。今回も人が多いので分ける。4人くらいまでにしたいのよね。先ずは20XXの…ameblo.jpとこちら『【信長の野望20XX噺】名補佐の誉れ(後編)』さて、昨日『【信長の野望20XX噺】名補佐の誉れ(前編)
星5が3人、星4が5人……これまたバラけるガチャが来たなぁ。さて、回すに値するか……。今回も人が多いので分ける。4人くらいまでにしたいのよね。先ずは20XXの主役(?)官兵衛さん。敵ラ4体物ダメ2.40確かに、この範囲ではこの数値は強力だ。星5に恥じぬ値と言えよう。だから疑問なのだが……私は何故、彼にこんなにも魅力を感じないのであろう?攻撃範囲?攻撃回数?それとも合わせ技?多分、使い途が思いつかんってのがあるな。他の人で良いじゃん感がある……少なくともウチではな。固有
期間:2022/02/15〜03/08天井:300倍率:2倍初回:半額覇)黒田官兵衛:不撓の軍師戦)武田信繁:一言九鼎の賢呪)明智光秀:弑逆の赫焉薬)羽柴秀長:豁達大度の仁戦)本多正信:非常の器戦)太原雪斎:宝珠護国禅師戦)片倉小十郎:致智蹶然武)直江兼続:万世不易の忠星2薬)前田玄以:技巧家©コーエーテクモゲームス
期間:2022/01/28〜01/30天井:100倍率:2倍初回:半額薬)荒木だし:霜枯の八重葎薬)妙向尼:森厳なる嫗煦薬)清浄院:清爽たる徳室薬)羽柴秀長:豁達大度の仁©コーエーテクモゲームス
織田信長と毛利輝元との戦年月日:天正5年(1577年)-天正10年(1582年)本能寺の変の後、秀吉との講和をきっかけに毛利氏は豊臣政権に服属した。場所:播磨・但馬・因幡・伯耆・淡路・備前・備中・美作毛利氏は秀吉軍との攻防におわれ、摂津の有岡城、次いで尼崎城で籠城作戦をとる荒木村重からの後詰(援軍)要請に十分に応えることができなかった。交戰勢力織田信長織田信忠羽柴秀吉羽柴秀長黒田孝高宮部継潤蜂須賀正勝尼子勝久VS毛利輝元吉川元春小早川隆景赤松政範別所長治
おはようございます、たけちです。今日も仕事頑張りますよ今回は、続100名城がひとつ、宇陀松山城を紹介しますよ『三重とちょっと奈良の旅(その4)』おはようございます、たけちです。昨日、奈良に日帰りドライブ行って来ました唐招提寺→薬師寺→大和郡山城となかなかのアクセスの良さでした。大和郡山城に行かれる方に…ameblo.jp石垣跡宇陀松山城は、山城、南北朝時代に国人秋山氏が築城したといわれています。本丸跡1585年羽柴秀長の大和郡山入部に伴い秋山氏退去その後秀長の子飼いの武将が次々と
期間:2021/11/12〜11/19天井:100倍率:2倍初回:半額薬)羽柴秀長:豁達大度の仁戦)一条房家:中村御所の栄武)相良義滋:聡明叡智の治戦)本多正信:内府の輩©コーエーテクモゲームス
皆様、ご機嫌YOです!さて、またまたYOUTUBE動画から今回は藤堂高虎の生き様を見ていきたいと思います。彼に対しては七度主を変えた変節漢、無節操と言ったイメージを持つ人が結構いるだろう。信長の野望シリーズでもマスクデータである「義理」の値が低く、「革新」では100段階でわずか1と言う有様で「ギリワン」ってな有り難くないあだ名を頂く始末である。ちなみにこのゲームにおいて他の「ギリワン」には松永久秀、斎藤道三と言った油断できない面子が並んでいる。あと宮部長房も。果たして彼は本当に幕末の
期間:2021/07/13〜07/27天井:300倍率:2倍初回:半額呪)明智光秀:弑逆の赫焉呪)南光坊天海:天下随風武)織田信長:第六天魔王覇)羽柴秀吉:立身出世の星薬)羽柴秀長:豁達大度の仁星3薬)明智光慶:心眼・参星2戦)明智光安:疑心暗鬼
期間:2021/07/09〜07/11天井:100倍率:2倍初回:半額薬)荒木だし:霜枯れの八重葎薬)妙向尼:森厳なる嫗煦薬)清浄院:清爽たる徳室薬)羽柴秀長:豁達大度の仁
与呂木村上ノ付城(三木市与呂木)三木城攻めの包囲陣の一つ。羽柴秀長が布陣。尾崎八幡宮与呂木村上ノ付城跡与呂木村上ノ付城遠望軌跡ログ三木市の城
期間:2021/02/01〜02/02天井:100倍率:2倍初回:半額薬)荒木だし:霜枯れの八重葎薬)妙向尼:森厳なる嫗煦薬)清浄院:清爽たる徳室薬)羽柴秀長:豁達大度の仁
うっちーこと宇都宮芳綱です前回の合戦のことですが、読者様から応援メッセージをいただきましたグッジョブ♪('-^*)/応援の兵1凸を強襲しちゃったので、陣名を紹介させていただきました今後ともよろしくお願いしますさて、本題に入りますね昨日、まずは1-3の影城主で、息子に天下くじを2枚引かせてみました今までは天上くじの方を引かせてましたが、譲与出来ない覇を引いちゃうと悲しくなるので、
期間:2020/11/27〜12/22天井:300倍率:2倍呪)明智光秀:弑逆の赫焉呪)南光坊天海:天下隋風武)織田信長:第六天魔王覇)羽柴秀吉:立身出世の星薬)羽柴秀長:豁達大度の仁星2戦)明智光安:疑心暗鬼薬)山崎片家:馬印の結・弐射)井戸良弘:馬印の結・弐修正11/30ver
君ヶ峰城(三木市君が峰)三木城の包囲陣の一つ。羽柴秀長が陣を築いたと云われる。西三郭西二郭西二郭の北土塁主郭主郭の北土塁土橋状の北尾根大幅に整地されており、それらしく見える上記のそれらも、遺構なのか不明…三木市の城
期間:2020/06/15〜06/16天井:無し倍率:2倍初回:半額薬)荒木だし:霜枯の八重葎薬)妙向尼:森厳なる嫗煦薬)清浄院:清爽たる徳室薬)羽柴秀長:豁達大度の仁
期間:2020/05/15〜05/22天井:無し倍率:2倍初回:半額薬)羽柴秀長:豁達大度の仁戦)一条房家:中村御所の栄武)相良義滋:聡明叡智の治戦)本多正信:内府の輩
【問題】明智光秀の家臣・松田政近は、山崎の戦いに際して次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】光秀を見限って秀吉の陣に駆け込んだ光秀の下を去り地元の丹波で帰農した光秀の命で参戦するも途中で逃亡した光秀に従い参戦し壮絶な討死を遂げた【正解】光秀に従い参戦し壮絶な討死を遂げた【解説】松田政近は丹波出身で、丹波を治めた光秀の麾下となっていた。山崎の戦いでは、天王山麓で羽柴秀長・黒田孝高らと戦ったが、衆寡敵せず討死を遂げた。
奈良県大和郡山市の大和郡山城に行ってきました🏯お花見には少し早いようですが日本桜の名所100選に選定されている名所でこの日は所々で桜が咲いておりました🌸大和郡山城は豊臣政権時代、秀吉の実弟の羽柴秀長の居城です🏯現在は天守閣はありませんが天守台には登れ、そこから奈良平野を一望出来ます👀✨ドッシリとした天守台を離れて見るとかつて豊臣政権時代に天守閣が建ってたことをイメージしてしまいます💁♂️城跡ですので天守閣が無いぶんお城でお花見というイメージは湧きませんが唯一お城らしいのが東隅櫓が復元
続日本100名城に行こう166番目宇陀松山城へ行ってきました~宇陀松山城は戦国時代に秋山氏が築きます。秀吉の世となると1585年に秀吉の弟である羽柴秀長が大和郡山城に入城し大和・紀州・和泉百万石を所領。大和支配の拠点の一つとなる宇陀松山城は秀吉・秀長兄弟の家臣の居城となりました。関ヶ原の戦い後は東軍に味方した福島高晴が宇陀郡98ヶ村3万1717国を領しますが1615年に所領没収宇陀松山城は幕命により破却されます。では宇陀松山城へ行ってみます。私たちはレンタ
大河ドラマ麒麟がくるも始まる事だし秀吉軍記天王山シナリオをもっかい最初からやってみました。ソロプレイなので今回の明智軍は赤軍野外教令なみの可能であれば攻撃を行うこととします本能寺の変は成功したが織田信澄が神戸、丹羽の追い込みから逃げる事に成功し明智方侍大将として京に登場、この効果あってか中川清秀三千、筒井順慶七千が光秀に呼応した、秀吉には高山重友、池田信輝計五千がついた、4イニング(全8イニング)終了時点で細川藤孝、蒲生賢秀は中立したままです開始前高山右近はうっかりで勝竜寺城を占拠し
豊臣秀吉が母親の大政所なか(1516?~92)を「母者」と記している書状が東京大学史料編纂所の未調査古文書から見つかり、8月19日に発表された。秀吉関連では、甥の豊臣秀次に切腹を命じる3ヶ月前にその息子を大和国の国主とするようとりなす文書も見つかっている。編纂所の村井祐樹准教授が所蔵品の「堅田文書」を調査した。「母者」の書状は1585年に秀吉が弟の羽柴秀長に宛てたもの。私的な書状ゆえ花押や印はないが、内容から年代を鑑定した。徳川家康との小牧・長久手の戦いで敵方だった織田信雄の女房衆が大坂に
本日この本を読了しました。安部龍太郎氏の「下天を謀る」です。主人公は藤堂高虎。何度も主君を変えながらも戦国時代を生き抜いた武将として有名です。気を見るに敏な計算高いしたたかな武将という印象もありますが、著者は彼を秀長の遺志を継いで人の世(下天)を平和に納めていくために我が身を顧みずに働き続けた武将として描いています。最近藤沢周平ばかり読んでいたので違う人の本を読もうと思って著者の名前は知らないまま高虎の本ということで買ってきたんですが、主人公も秀長も家康も良い意味で人間臭くて
「竹田城は、雲の海に浮かぶ軍船のようにも見えますね」「天空の城竹田城最後の城主赤松広英」奈波はるか【前回より】秀吉は本能寺の変を知り、ただちに毛利側と停戦の合意をとりつけ、高松城主清水宗治に切腹させたあと、京へと駆けました。その際蜂須賀正勝は、赤松広英軍に殿(しんがり)を申し付けました。殿(しんがり)とは、退却の際、敵が追ってくるのを防ぎながら退却し、本隊
郡山城天守台出土瓦2014.9.20今は整備され展望台となった郡山城跡の天守台。そこで出土した瓦の写真です。大坂城の同笵(どうはん)と書かれています。笵は型のことを指します。つまり同笵は、大坂城の軒丸瓦と個の瓦は同じ型を用いて制作されたことを意味します。豊臣政権だった時、城主は秀吉の弟・羽柴秀長でした。瓦の模様も気になる自分には、近世のものも興味津々。※※※今日のもう1枚豊臣政権期の武家屋敷跡とみられる建物遺構が初めて見つかったと、今朝の新聞
-豊臣政権の軍需と内部調停を任された小西行長-2021/03/13豊臣政権の様子を知る上で、特異な存在だった小西行長について、続いて触れていく。1582年、備中(岡山県西部)の高松城攻め(毛利氏攻め)の最中だった羽柴秀吉は、本能寺の変が起きると急いで姫路城(播磨)に引き返し、ろくな休息もなく慌ただしく摂津、山城に進出した。そして動揺していた織田氏の有力者ら味方に引き入れながら明智勢に決戦を挑み、制圧することになる。(詳細は後述)今後の中央裁判権のあり方を巡る清洲会議、賤ヶ岳の