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戎光祥出版が発行する『戦国武将列伝』も本書が最終巻。羽柴(豊臣)秀吉・秀長兄弟をはじめとする一門や宇喜多秀家、京極高次、杉原家次ら親族衆蜂須賀正勝・家政、竹中重治、黒田孝高・長政親子などの譜代家臣団加藤清正、藤堂高虎、石田三成ら子飼い家臣そして蒲生氏郷、長岡(細川)忠興、池田輝政という旧織田家臣(主な活躍時期が本能寺の変以降となる世代)の順に計40名の武将の列伝が解説されています。最新研究に基づく解説により、旧来言われてきた「蜂須賀小六(正勝)は野盗あがり」などの俗説を一蹴しつ
ランオフして17日。歩行はまぁまぁマシになってきました。痛み、0から時々1くらい。こちら京都のヨーゼフです🤠足に痛みがあったので、仕事以外はお出かけを控えていました。ちょっとは歩けるようになってきたので羽柴秀長が統治した、大和国、紀伊国、和泉国の中心地の奈良県大和郡山を散策🚶自宅を車で9時過ぎに出て、10時15分頃駐車場に到着。最初に目指すは郡山城跡。しばらく歩くと櫓が見えてきたぞ。カッコいい🥰追手門から入りましょう。石垣は野面積みで迫力がある。天守があった天
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😊先々週から先週の「豊臣兄弟!」では…新たに大和国を与えられた秀長主従の奮闘する姿が描かれていました🆕前編で大和郡山城の本格的な改修工事のシーンがありましたが…元々郡山には石垣に使う石が少なく…石不足を補うべく、領内の建造物などの礎石…さらには、墓石や石仏などを石垣に使っていました❗️こうして代用された石のことを…転用石と呼んでいました🆕劇中で天守台の下に組み込まれていた地蔵に向かって秀長が拝んでいるシーンがありましたが…その実際の写真をアップしま
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日も、18時からのBSNHKの放映を見ましたので少し投稿が早いです。前回のお話では、「羽柴秀長」が「四国攻め」の褒賞で得た「大和国」の支配を始めます。既得権を持つ寺社勢力に阻まれながらも検地を推し進め「大和郡山城」の築城も進みました。そして今日のお話ですが、「大和国」の支配を強めていく為
『豊臣兄弟!』羽柴秀長と狩野永徳の関係とは?史実とドラマからわかりやすく解説こんにちは、名古屋スタバ番長なつです。今日の大河ドラマ『豊臣兄弟!』を見ていて、気になったのが狩野永徳(かのうえいとく)。「あれ?この人、羽柴秀長とどういう関係なの?」歴史好きとしては、ここがちょっと気になりました。今回は、羽柴秀長と狩野永徳の関係について、ドラマだけではなく、史実や後世に伝わった話も含めて調べてみました。先に結論を言うと、秀長と永徳が直接深く関わっていたことを示す史料は、実はそれほど多くあり
おはようございます☀️歴史人タケ海舟です😊久々の午前中の更新です🆙三好信吉から羽柴秀次への改名話の続きです❗️「信吉」という名前に改めたのは、清須会議前後の時期であった❗️とされているのですが…織田信孝と三好康長の養子縁組が解消されたことを受けて…新たに信吉が養子になったことに伴い改名しました🆕注意すべきは、養父康長の名乗りを含めずに…「信吉」と改めたことで、「信」は織田家の通字❗️「吉」は秀吉の下の字から名前を構成していたことであり…清須会議での決定事項、すなわち織田新体制
今晩は🌙歴史人タケ海舟です🙂小牧・長久手の戦いの前後に秀長が改名した話をいたしましたが…同時に甥の三好信吉も名前を改めています🆕ところで🎌よくよく考えますと、この秀吉・秀長の甥は…何度も養子に出されては呼び戻され…その度に、何度も改名をしていますまさに、叔父兄弟の急激な出世ぶりを象徴するかのような足跡を辿っていることが窺われまますね😥こうした傾向は、この後も変わるどころが…ますます加速して💨遂には彼自身を破滅させることになるのですが☢️今回の「豊臣兄弟!」がそこまで描くの
【土岐定政の系譜⑭】「暮に及んで小幡城に入せたまひ、人をして敵陣の形勢をうかがはしめたまふ。かへり来り、敵すでに襲ひ来たらんとすと言上す。」(「寛政重修諸家譜」)家康は長久手の戦いに勝利すると小幡城に入った。秀吉は、長久手の敗報を知ると龍泉寺に急行した。しかし本多忠勝に行く手を阻まれるのである。その後、「家康が小幡城に入る」との情報が入ると、秀吉はすぐに朝駆けを決意するのであった。家康は斥候を派遣して、敵陣の様子を探らせた。物見の武将は戻って来る
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😋秀長と信吉…改名の話の続きです✏️羽柴小一郎が、それまでの名乗りであった長秀を秀長に改めた時期は…⁉️天正十二年(1584)の小牧長久手合戦の頃とされています🆕この前年に、今で言う肩書きに相当する官途名(かんとめい)である美濃守を名乗り始めていた秀長ですが…今回は名前を変えることになったのです🆕何故改名をしたのか⁉️はたまた、何故この時期には改名したのか⁉️「豊臣兄弟!」のストーリーでは…もう一人の長秀こと丹羽長秀が…「前から思っていたのだが、
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😋滝川一益の話が長引いていますね(^_^;)天正十一年(1583)正月…事実上の織田家当主となった織田信雄は、安土城に参集した家臣より新年の拝賀を受け㊗️秀吉が主導する体制が本科的にスタートしました🆕面白くないのが、体制から除外される形となった信長と柴田勝家と…清須会議に参加できず、領地配分にも与れなかった滝川一益でした‼️勝家の本国である越前はまだ雪解けを迎えてはいませんでしたが…これ以上、秀吉の専横を許す訳にはいかない‼️と考えていた勝家は、信孝
大河ドラマ「豊臣兄弟!」新旧タイトルバックより。主人公の小一郎秀長をご演じの仲野太賀さん秀長に改名して総髪姿から月代・髭姿に変貌したところに目が行きがちですがよく見ると初期の頃よりもお顔もふっくらされ役作りで増量されましたか?月代・髭姿は勿論、お顔がふっくらされて貫禄がさらに増しました⚔️✨✨新(下)旧(上)タイトルバック画像。また、アイメイクにも注目すると初期の頃から睫毛は長かったですが現在は睫毛の長さと毛量がさらに増し(おそらく、付け睫毛やマスカラ)上瞼には黒の
おはようございます☀️歴史人タケ海舟です😊先週の「豊臣兄弟!」より大和統治編がスタートしました🆕既に与えられていた紀伊国と和泉半国と併せて…三カ国の大名となった秀長が…畿内の中でも最も支配が難しいと言われていた大和国を如何にして統治するのか⁉️今後の展開が楽しみです😋さて、その秀長と甥の信吉の改名の話の続きですが…実は改名の一年前、天正十一年(1583)に秀長は美濃守の官途名(かんとめい)を名乗り始めています🆕時期としては、賤ヶ岳の戦いの頃に羽柴美濃守秀長の名前での書状が出さ
前稿では中国大返しは準備がしっかりとされていてそれほど難しい移動ではなかったことを紹介した。しかし羽柴秀吉にはもう一つ大きな大返しがある。それが賤ケ岳の戦いの勝敗を決定させた「美濃大返し」である。天正11年(1583)織田信長の重臣であった柴田勝家と羽柴秀吉の間で覇権争いが起こり、余呉湖周辺を戦場とした賤ケ岳の戦いが起こった。織田家臣としてお互いの戦略を知り尽くした両者は、双方をけん制するように陣城を築き相手の出方を見て後の先を取る策となってしまい膠着状態になる。この隙をついて、勝家に
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日も、18時からのBSNHKの放映を見ましたので少し投稿が早いです。前回のお話では、裏工作で「関白」となった「羽柴秀吉」は、「四国攻め」に闘志を燃やし出兵を逸りますが、「蜂須賀正勝」の説得で「羽柴秀長」に任されます。一方「秀長」は、四国制覇に意欲を燃やしていた「長宗我部元親」に、「長宗我部家」
いつの間にか9月も終わりですこちらは雨も少なくまだ暑い日が続いています日中は30°を超えることが多くっていつの間にか時間だけが過ぎてしまっていましたそれに何よりもパソコンが変わって覚えるのに必死でした「豊臣兄弟」も「アッ」という間に「小牧・長久手」も終わってしまってやはり秀長だけでは難しいのだなぁという感じですメインはやはり「奈良」「大和郡山統治」だと思うので10月からはやっと「羽柴美濃守秀長」大河ドラマ「豊臣兄弟!」日曜夜8時onInstagr
先日、NHKの大河ドラマ『豊臣兄弟!』の巡回展に行ってきた!展示スペースはそこそこ広くて充実した内容で、お客さんも結構来ててほどよい盛り上がり。近隣の施設を含めて3ヶ所以上回ったらオリジナルトートバッグをプレゼント!とのことなので、全部回るつもりだったけど、ちょっとしんどかったので3ヶ所で手打ち無事にトートバッグ、ゲット小さめで可愛い俳優さんたちのサインや兄弟の衣装の展示なんかもあっていろいろ見ててすごく楽しい!他にもオリジナル缶バッヂを作ってもらえたり、登場人物のカードがもらえた
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😀この数回にわたり、秀吉・秀長兄弟の甥である三好信吉のお話をさせていただきました❗️万丸(よろずまる)の幼い頃より人質同然に養子に出されるなどして…秀吉の政略の駒に使われ続けていましたが…小牧長久手合戦前後より、天下一統に向けて爆進する羽柴家の第二世代のリーダーとして、周囲の期待を一身に受けることになります🆕しかしながら、三好康長の養子となって程なく…加えて、事実上の初陣にも拘らず、いきなり二万の軍勢の総大将を任せられたことについては…あまりにも荷が重
おはようございます☀️歴史人タケ海舟です😊シルバーウィーク、如何お過ごしてしょうか⁉️瀧川一益のお話の続きです🫲関東の領地を放棄して帰還した一益に対する織田家中の目は厳しく…清須会議によって発足した織田家の新執行部から外されたばかりではなく…領地配分の対象からも除外されてしまいました😭関東の領国を失ったとはいえ、それまでの織田家への貢献度から見ても、一益はこれに変わる新領を賜って然るべきだ❗️という想いからか、四宿老に領地配分のやり直しを求めたのですが…せっかく得た分け前を減じ
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日は、18時からのNHKの放映を見ましたので少し投稿が早いです。前回のお話では、「織田信雄・徳川家康」との「小牧長久手の戦い」で苦戦した「秀吉」が「信雄」と和睦して、結果「家康」は梯子を外された形となりました。和睦を終えて「丹羽長秀」から「羽柴(小一郎)長秀」が同じ名前であることから改名を進め
今晩は🌙歴史人タケ海舟です😊先週の「豊臣兄弟!」では、小牧・長久手合戦の始まりから終わりまでの話が描かれました🆕そして、この回で織田家中における…羽柴兄弟の先輩、同僚(ライバルともいうべきかもしれませんが…)であった三人の武将が退場となりました🥲😿まず最初に🫲清須会議の四家老の一人であり、信長の乳兄弟でもあった池田恒興について…当初はあまり目立った武将ではなかったのですが…叛旗を翻した荒木村重一党の掃討に活躍❗️その功により摂津国における村重旧領の多くを与えられました❗️信
今晩は🌕歴史人タケ海舟です😊先週は更新が思うに任せず…でした😔気を取り直して٩(^‿^)۶先週の「豊臣兄弟!」は秀吉兄弟VS信雄・家康の対決が描かれていました🆕戦国時代の天下分け目の戦いといえば…❓ズバリ関ヶ原の戦い❗️という意見が主流を占めると思いますが…信長亡き後の天下人は誰になるのか⁉️という視点で考えるならば…小牧長久手の戦いこそが、天下分け目に相応しい大戦であったといえます🆕羽柴軍は犬山楽田城❗️織田・徳川連合軍は小牧山城❗️それぞれ本陣を構えて対峙していたの
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第35回は、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い、「小牧・長久手の戦い」が描かれました。歴史に疎い私ですが、地理的に近い所での歴史ドラマですので、ちょっと特別な思いで観ておりました。わがルーツが尾張にあり、現役の頃には尾張で勤務した私ですからね。第35回放送の冒頭で登場した絵図に記された、合戦に関わる城はすべて場所が分かります。中央に記される小牧山城は、キングスロード名古屋が在る現在の愛知県小牧市です。左下の長島城にいたっては、三重県桑名市です
大河ドラマ「豊臣兄弟!」34話「最強のライバル」を見ました。徳川家康のバックグラウンドが映し出されましたね。幼少期、今川義元の人質でひどい目に遭い。織田信長に従ってた時は、謀反の罪で正妻・築山殿と嫡男信康を自ら手にかけました。天正壬午の乱の後で、旧武田領を手に入れ急拡大するも、完全に治めるには時間がかかる。しかし秀吉は待ってくれない。秀忠を人質に出そうかと思ったが心変わり。ここで家康が上洛してるかしてないか問題。母なかと妹あさひは切り札でない?この辺のいきさつがよう分からん
ここも、井伊直虎命日法要の前に寄った場所気賀の堀川城跡です。堀川城といえば、『おんな城主直虎』では、瀬戸方久によって築城された水城で、徳川家康の遠州侵攻において落城した城として描かれました。それは、歴史的にもほぼ同じで、生き延びた瀬戸方久はのちにこの辺りの住民のために江戸幕府に訴えを起こして処刑されることになります(ドラマのあとの話)。そんな流れで、一時期は全国的に知られていた堀川城ですが、実は瀬戸方久が築城する前にもすでに城はありました。そして、それが羽柴秀長の重臣にも関わってきます
備中高松城を水攻めにしている羽柴秀吉のもとに本能寺の変の報が届いたのは6月3日深夜と言われている。本能寺の変が6月2日早朝に起こっているので使者という形ならばたった1日半で京都から岡山市を移動できることとなる。5日には毛利氏の交渉ラインを駆使した停戦が実現し、高松城主清水宗治らの切腹を見届けたあと、秀吉は京に向かって軍を進めた。6日には約100キロ進んで姫路城に入城。9日に姫路を出発して13日に山崎の戦いが起こっている。姫路城から山崎までは約130キロ、合計して約230キロの行軍が常識では
https://ncode.syosetu.com/n7250mf/51継ぐ者源義経〜鬼の弟〜[源頼朝戦記続編]但馬、竹田城。篠のもとへ、源氏の援軍が到着した。率いるのは、前田利家。だが利家が携えてきたのは、京からの報せでもあった。――京は、守られた。なれど、失われたものがある。挿絵1:ハイライト篠「利家様……よくぞ、駆けつけてくださいました……」気丈に振る舞っていた篠であったが、竹田城に源氏の援軍が到着し、前田利家の顔を見た途端、身体から力が
今晩は🌙歴史人タケ海舟です❗️昨日の「豊臣兄弟!」…秀吉・秀長兄弟と市との間に築かれていた良好な関係が…遂に終わりを告げる時が訪れましたね😔秀吉の本性を見抜いた市が秀長に対して…「お前には兄を支える覚悟があるのか⁉️」という厳しい言葉を投げかけていました😱信長の天下一棟を自分がやり遂げる‼️そのためには織田家を滅ぼすことも辞さない😱たとえ立ちはだかる者が市であっても…決して容赦はしないだろう‼️秀吉の野望を阻止すべく、市はその秀吉から懇願された柴田勝家との結婚を決意‼️
今晩は🌕歴史人タケ海舟です😋清須会議のお話の二回目‼️何故清須で会議が開催されたのか⁉️前回の投稿で二つの理由があるとお話しました❗️一つは尾張国が織田家の本国であり🤚尾張における信長の本拠が清須だったこと‼️そして今一つのそれについてですが…多分に偶発的な要因によるものでした🆕信長は本能寺で自害🔪同じく京に滞在していた嫡男の信忠は二条新造で明智軍を迎え討ったのですが…衆寡敵せず😔最後は城に火を放って自害を遂げました🔪この時、信忠は家臣の前田玄以に…(のちの五奉行の一
https://ncode.syosetu.com/n7250mf/48継ぐ者源義経〜鬼の弟〜[源頼朝戦記続編]但馬、竹田城。水源を守る出城で、秀長は身を横たえていた。起き上がる力も、もはや残ってはいない。それでも、その男が縄張りした砦は、毛利の大軍を跳ね返し続けている。――やがて、水を運ぶ隊が襲われたとの報が入る。挿絵1:ハイライト源頼家「爺!これまでにない大軍が、こちらへ向かっておりますぞ……!」秀長「他の砦との繋ぎは、取れておるか」源頼家「途
呪)亀姫:棘のある三葉葵呪)羽柴秀長:太閤の右腕呪)朝日姫:日輪飛翔の献呪)徳川家光:大権現の尊崇呪)尼子経久:十一州の太守呪)大内義隆:文芸遊興の憧呪)真田昌幸:戦巧者の英才呪)真田阿梅:勇士の血筋呪)竹林院:永春の色染呪)大友宗麟:普蘭師司怙©コーエーテクモゲームス