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https://ncode.syosetu.com/n7250mf/51継ぐ者源義経〜鬼の弟〜[源頼朝戦記続編]但馬、竹田城。篠のもとへ、源氏の援軍が到着した。率いるのは、前田利家。だが利家が携えてきたのは、京からの報せでもあった。――京は、守られた。なれど、失われたものがある。挿絵1:ハイライト篠「利家様……よくぞ、駆けつけてくださいました……」気丈に振る舞っていた篠であったが、竹田城に源氏の援軍が到着し、前田利家の顔を見た途端、身体から力が
今晩は🌙歴史人タケ海舟です❗️昨日の「豊臣兄弟!」…秀吉・秀長兄弟と市との間に築かれていた良好な関係が…遂に終わりを告げる時が訪れましたね😔秀吉の本性を見抜いた市が秀長に対して…「お前には兄を支える覚悟があるのか⁉️」という厳しい言葉を投げかけていました😱信長の天下一棟を自分がやり遂げる‼️そのためには織田家を滅ぼすことも辞さない😱たとえ立ちはだかる者が市であっても…決して容赦はしないだろう‼️秀吉の野望を阻止すべく、市はその秀吉から懇願された柴田勝家との結婚を決意‼️
今晩は🌕歴史人タケ海舟です😋清須会議のお話の二回目‼️何故清須で会議が開催されたのか⁉️前回の投稿で二つの理由があるとお話しました❗️一つは尾張国が織田家の本国であり🤚尾張における信長の本拠が清須だったこと‼️そして今一つのそれについてですが…多分に偶発的な要因によるものでした🆕信長は本能寺で自害🔪同じく京に滞在していた嫡男の信忠は二条新造で明智軍を迎え討ったのですが…衆寡敵せず😔最後は城に火を放って自害を遂げました🔪この時、信忠は家臣の前田玄以に…(のちの五奉行の一
https://ncode.syosetu.com/n7250mf/48継ぐ者源義経〜鬼の弟〜[源頼朝戦記続編]但馬、竹田城。水源を守る出城で、秀長は身を横たえていた。起き上がる力も、もはや残ってはいない。それでも、その男が縄張りした砦は、毛利の大軍を跳ね返し続けている。――やがて、水を運ぶ隊が襲われたとの報が入る。挿絵1:ハイライト源頼家「爺!これまでにない大軍が、こちらへ向かっておりますぞ……!」秀長「他の砦との繋ぎは、取れておるか」源頼家「途
呪)亀姫:棘のある三葉葵呪)羽柴秀長:太閤の右腕呪)朝日姫:日輪飛翔の献呪)徳川家光:大権現の尊崇呪)尼子経久:十一州の太守呪)大内義隆:文芸遊興の憧呪)真田昌幸:戦巧者の英才呪)真田阿梅:勇士の血筋呪)竹林院:永春の色染呪)大友宗麟:普蘭師司怙©コーエーテクモゲームス
只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」
https://ncode.syosetu.com/n7250mf/44継ぐ者源義経〜鬼の弟〜[源頼朝戦記続編]但馬、竹田城。篠と、頼朝の遺した子らが、静かに暮らしていた山あい。その地にもまた、毛利の大軍が押し寄せる。――病の床にあったはずの男が、鎧をまとって立ち上がった。挿絵1:ハイライト「母上!豊国様の此隅山城が、毛利の大軍に囲まれましてございます。鳥取城から、雪崩のごとく……!間もなく、この竹田城にも……!」廊下を鳴らして、鎧姿の頼家が駆
今晩は🌙‼️歴史人タケ海舟です😄昨日の「豊臣兄弟!」…本当に見応えがありましたね‼️色々と思うところがあるのですが…私が気になったシーンを…一つだけピックアップします‼️それにしても…豊臣兄弟の絆の深さとは対照的に…織田兄弟の救いようのない仲の悪さは…次世代でも引き継がれることになります🆖信長VS信勝兄弟から…信雄VS信孝の確執へ‼️次回以降の清洲会議への伏線が早くも貼られていましたね🆕明智討伐戦において総大将の役割を務めことになった信孝の所に…異母兄信雄の書状が届
秀吉秀長兄弟の運命を大きく変えたのは天正10年(1582)6月2日の本能寺の変である。主君織田信長が明智光秀の謀反によって生涯を終えた出来事は日本史だけではなく世界史にも大きな影響を与えたと考えられている。個人的な話で申し訳ないが私は毎年六月二日に本能寺で行われる信長公忌のMCを担当しており本能寺の変について深く考える機会を毎年いただいているが、いまだにその本質は見えてこない。確実なのは明智光秀が織田信長を討ったということであったが、近年光秀が本能寺ではなく鳥羽に本陣を置いていて本能寺の現場に
ついにこの日が来てしまった…。個人的には、お直や長政が逝ってしまったときに匹敵する程のつらい回。毛利軍との戦の最後を締めくくるにあたって信長を呼びにいけと小一郎は兄・秀吉に命じられる。信長の元に戻り来て欲しいと頼む小一郎だったが、信長は拒否。自分が出向くのではなく、あちらから来るべきであろう、と。晩、お市の命で信長を訪ねる小一郎。信長は自分は呼んでいないと言うが、酒を酌み交わすことに。信長は羽柴兄弟を自分たち兄弟と重ねている。小一郎は「兄のことを殺したいと思ったことはないか」と信
こんにちは‼️歴史人タケ海舟です😄梅雨明けまだですが、暑さはいよいよ本番ですね🥵蝉の鳴き声も活発になりつつあります💦安藤守就の追放ついて…甲斐の武田に内通した‼️というのが追放の理由でした‼️「信長公記」にも記載されており、当時としてもそのように認識されていたのかもしれません🆕しかしながら、内通したとされた時期は武田信玄がまだ在世中の天正元年(1573)であり…追放された同八年よりかなり前ということになり…何故八年前の内通嫌疑が問題とされたのか⁉️明確には不明です💦林秀貞
私:源義経・足利直義の失敗と、羽柴秀長の成功豊臣秀長(羽柴秀長)が主人公のドラマが進行中、ということで、ネット上にも秀長に関する話が沢山上がるようになって、当然玉石混淆だけど、有名な歴史学者の解説も目にすることができるようになっている。で、この秀長について思うのは、源義経・足利直義という二つの失敗例を経ての成功例ではなかったのか、と思う。源義経と足利直義については、兄と弟、得意分野が違うので、(政治と戦)担当する分野で役割分担すればいい、で
さてさて…竹中半兵衛から軍師の任務を引き継いだ黒田官兵衛は…その無双なる軍略と切れ者ぶりを存分に発揮‼️秀長共々、秀吉の天下統一に多大なる貢献を果たしました🆕織田政権と同じく、豊臣政権の軍事における基軸は西への拡大戦略でした‼️本能寺の変直前には中国経略に加えて新たに四国経略が開始されようとしていました🆕中国の雄である毛利氏との戦いは…序盤では、将軍義昭を擁することになった毛利が播磨・摂津国内の反信長陣営を支援することで優位に立っていましたが…その後、織田方(秀吉)の執拗な調略に
羽柴秀長の家臣団か形成されたのは、兄秀吉が長浜城主となり秀長が秀吉の家臣になった頃からだと考えられているが、織田信長の直臣として長島一向一揆の戦いにも参加しているため、秀吉に仕える前から何らかの家臣団は形成されていたと考えられる。しかし、明確な史料でこれらを確定できないどころか軍記物語など史料性の乏しい書き物でも信長直臣時代の秀長家臣団を知るすべはない。このため不本意であるが秀吉の家臣としての秀長家臣団を考えてゆきたい。名家の出身ではない秀吉秀長兄弟は、譜代の家臣を持っていなかった。このため
イーコールの守護により、久しぶりに大河ドラマ『豊臣兄弟!』を取り上げてみる。「本能寺の変」が近付いてきた。更に“宇宙戦艦ヤマト”をオマージュしてるゼ。本作品では、何説を採るのだろうか?ドラマはフィクション。ある程度のお遊びは必要サ。だがな、『GO』のような荒唐無稽なのは、御免被りたいゼ。少なくとも、織田信長は本能寺の変の最中、『GO』の事を全く考えてねぇ事だけは確実。まぁ、今の所光秀は「ノイローゼ」気味だゼ。光秀が変の時期、精神的に不安定だった事を否定する人物は
6月に雲海は見られるのであろうか?JR山陰本線の和田山駅から円山川沿いに進み、竹田城と城下町を巡る自転車旅。前日、夕陽が差す竹田城の光景を目の当たりにした私は、翌朝、順光の朝陽が差す石垣の風景と、未だ雲海への一片の期待を胸にホテルを出発した。目次再び、立雲峡へ早朝の登山と山裾の靄順光の朝陽に照らされる石垣再び、立雲峡へまだ肌寒い国道312号線を南下する。山の方に雲がかかっているのを目にし、淡い期待を胸にペダルをこ
6月に雲海は見られるのであろうか?JR山陰本線の和田山駅から円山川沿いに進み、竹田城と城下町を巡る自転車旅。竹田城の石垣をゆっくりと歩いた後、帰りはもう一つの登山道、表米(ひょうまい)神社登山道から下山する。登山道を抜けた頃、陽は傾きだした。夕景の竹田城を目指し、立雲峡へとペダルを進めていく。目次竹田城の日没は?峡谷に佇む夫婦檜立雲峡の最上部へおおなる池と神社への林道逆光の夕陽差す石垣と城下町目次を開く竹田城の
さてさて…先週の「豊臣兄弟!」では…救えた命、救えなかった命‼️残酷なまでのコントラストが描かれていました🆕その中で…今回は→病のため余命いくばくもなかった竹中半兵衛の置土産についてお話します🆕いうまでもなく、信長から殺害を命じられていた小寺官兵衛の嫡男松寿丸を始末したい🗡️と信長に嘘の報告したうえで、密かに自領の美濃菩提山城で匿っていたのです🆕その直後、播磨三木城攻めの陣中に戻った半兵衛は戦場で短い生涯を閉じることになりました😭三木城攻めと並行して進められていた荒木村重の
6月に雲海は見られるのであろうか?JR山陰本線の和田山駅から円山川沿いに進み、竹田城と城下町を巡る自転車旅。竹田駅裏手の登山道を進んでいくと、やがて、木陰の間から、穴太(あのう)積みで積まれた石垣が見えてきた。目次寺町のせせらぎと赤松氏の供養塔竹田城、どこから上る?山城と城下町「天空の城」たる由縁生野へと続く道目次を開く寺町のせせらぎと赤松氏の供養塔JR播但(ばんたん)線の線路を北側へ渡ると、そこは四つの寺が隣接する
さてさて…色々とあって二日ばかり更新をサボりましたが…「豊臣兄弟!」の本日の放送では…①荒木村重の謀反‼️②村重の説得に赴いた小寺官兵衛が幽閉される‼️③官兵衛が裏切ったと断じた信長は秀吉に対して人質となっていた彼の嫡男である松寿丸の処刑を命じた‼️④官兵衛が裏切る筈がないと信じる秀吉・秀長兄弟の苦衷を察した竹中半兵衛は松寿丸を自らの所領である美濃国菩提山城で匿った‼️⑤信長には松寿丸は処刑したと嘘の報告をした‼️概ね上記のような経緯でした‼️順調に進んでいたかに見えた秀吉の播
竹中半兵衛が小一郎(秀長)の娘を抱いて泣いていた。そのシーンでもらい泣きしてしまった😭そこから少し時が経ち………半兵衛は逝ってしまった。あのシュチュエーションで逝かれたら……泣いてしまう😭
さてさて…先週の「豊臣兄弟!」では…秀吉のまさかの記憶喪失事件❓が描かれました🆕毛利方に寝返った別所氏が籠る三木城を攻めた際に羽柴秀吉が本陣を置いた書写山円教寺の堂の柱に刻まれた羽柴小一郎の文字へと繋げた面白いエピソードでしたが😅なかなかに奇想天外で機知に富んだストーリーでした😆それとは別に…若くてその溢れんばかりの才能と、そこから無意識に出てしまう野心を隠すことができない…小寺官兵衛こと、後の黒田官兵衛の言動についても…後々の史実を暗示するかのような伏線が張られていましたね🆕
さてさて…先週の「豊臣兄弟!」から…中国編がスタートしました🆕天正五年(1577)、石山本願寺に呼応して信貴山城に立て籠った松永久秀が…名器とされた茶釜平蜘蛛(ひらくも)を道連れに自爆💥(劇中において、羽柴兄弟は本物か贋物か区別がつかなくなった物を信長に献上していましたが…)これにより、先の北陸陣での無断撤退の罪を赦された秀吉ですが…安心する間もなく、信長から新しいミッションを与えられたのです🆕それは、中国地方を版図にする毛利家との境目に当たる播磨国の経略でした‼️畿内をほぼ制
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!今日は、18時からBSで見たので、少し早いですが投稿しま-す!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日のお話は、「織田信長」から「播磨攻め」を命じられた「羽柴兄弟」は、有岡城主「荒木村重」の中継ぎで、姫路城主「黒田孝高」を紹介されました。「黒田孝高」は、彼の主君である「小寺政職(まさもと)」から「姫路城」を「羽柴秀吉」に差し
こんにちは😊和歌山城に行ってきました🚗³₃和歌山城は羽柴秀長(秀吉の弟)を始め、浅野幸長を経て、徳川家康の11男(あれ?そうだっけ)である頼宣が城主として入封、城郭を拡大し、今に残る連立式の城を造ったと言われています(戦火で燃えたため、今の城は遺っていた縄張り図から、昭和33年に鉄筋コンクリートで建て直されたもの)というか、凄い✨フォトジェニック大賞受賞って書いてたけど、確かに結構な迫力がありますねぇ(笑)ちなみに、小天守の鯱で、弟くんと盛り上がっておりました(
さてさて…先週の「豊臣兄弟!」…本日、漸く録画を視聴することができました😇上杉謙信の攻撃を受けていた能登国七尾城の救援をすべく…織田信長は柴田勝家を総大将とする援軍を派遣したのですが…進軍途中の加賀国内での軍議の席で…羽柴秀吉と勝家が衝突💥何と秀吉は信長に無断で戦列を離れて帰国してしまったのです‼️既に秀吉は七尾城が陥落したという情報を入手しており…これ以上の進軍は無意味であるばかりではなく…満を持して待ち構えている上杉勢の餌食になるだけだ‼️秀吉は撤退を勝家に進言したので
2026大河ドラマ豊臣兄弟の本編終了後に紀行があります。第18回の紀行は、長浜。今浜と呼ばれていました織田信長から長の文字を貰い、長浜に変えたと言われます。太閤井阯長浜城長浜城羽柴秀吉が、北近江の浅井長政攻めの功績で織田信長から浅井長政の旧領を拝領。秀吉が最初に築いた居城🏯は、琵琶湖畔にあります。秀吉のあとは、城主が堀秀政、山内一豊、内藤信成と変わります。大坂の陣後に、内藤氏が摂津移封により廃城。現在の天守は、1983年に犬山城・伏見城をモデルにした復興天守。2024.
【問題】賤ヶ岳の戦いにおいて、羽柴秀長が陣を構えたのは次のうちどこか?【選択肢】別所山砦田上山砦橡谷山砦岩崎山砦【正解】田上山砦【解説】田上山砦(城)は賤ヶ岳の戦いで羽柴軍が築いた城のひとつで、羽柴秀長が在陣した。陣城でありながら複雑な縄張を有し、現在も土塁や堀切等の遺構が確認できる。
羽柴秀長が歴史に初めて登場するのは、『信長公記』巻七で天正2年(1568)7月13日に長島一向一揆攻めを行っている織田信長軍の先陣を務めた武将の一人といて最初に名前が記されているものとなる。この先陣には木下小一郎の他に浅井新八(政澄)や丹羽長秀・安藤守就・佐々成政・前田利家などの名前も挙げられている。兄秀吉は参戦していないため、秀長が秀吉の家臣ではなく信長の直臣であった可能性が示唆される一因となった記述でもある。この戦いで篠橋(桑名市)から出撃した一揆勢を秀長と浅井新八が応戦したとの記載も
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日のお話は、「上杉攻め」において「柴田勝家」と意見が合わず独断で帰国した「羽柴秀吉」は、「織田信長」から蟄居を命じられ死罪にすると申し渡されます。そんな中、「松永久秀」が「信長」に反旗を翻したとの情報が入ると、「信長」は「秀吉・秀長兄弟」に対して「久秀」所有の茶釜「平蜘蛛」を手渡せば「裏切り」