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小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~最終話牡丹の花の咲く頃にはしばらくイルチェから声はなかった。今度はキョンシルが気を揉む番である。ずっと以前、結婚したいと願う男性が現れた時、親に紹介するときはどんな気持ちがするものだろうと漠然と想像したことがある。今は、まさにその場面に遭遇しているのだ。祖父の顔を窺うと、イルチェの面には満足そうな笑みが浮かんでいる。ここのところ伸ばしている白い顎髭を撫で撫で、トスに言った。「そのとおりだ。いかにも、儂は君の気持ちを確かめたかった。キョンシル
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~最終話牡丹の花の咲く頃には「全く、何て奴だ。血の繋がった甥の娘を手込めにするつもりだとは。獣にももとる奴だな。もしミンチュがここにいたら、この剣で叩き斬ってやるのに残念だ」と、満更冗談ではなさそうな表情でさらりと言う。結局、トスに背負われ、キョンシルは納屋を出た。むろん、中にまだ女がいると見せるために、閂を元のようにかけておくことも忘れない。これで少しは時間稼ぎができるはずだ。「トスおじさん、私、重くない?」キョンシルが訊ねると、トス
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~最終話牡丹の花の咲く頃には花びら占い一枚、また一枚と深紅の花びらが風に舞い、いずこへと運ばれてゆく。キョンシルは先刻からもうずっと、同じことを繰り返していた。彼女の手には一輪の椿が握りしめられている。既に花冠に残っている花びらは数枚になっていた。無残といえば、無残な有様ではある。「結婚する」キョンシルが呟き、花びらをむしる。「結婚しない」また一枚、残ったわずかな花びらをむしった。今日の都は殊の外、風が強かった。空も今にも雪でも
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~最終話牡丹の花の咲く頃には聞いただけで瞼に浮かんでくる。心が温かくなるような光景だ。キョンシルは馬執事に心からの感謝を込めて言った。「父が亡くなったのは私が赤ン坊の頃だから、父の記憶は全くないの。今日は色々とお話を聞かせて頂いて、良かったです」帰りも来たときと同じように輿で馬執事が付き添い家まで送り届けてくれた。「それでは、お嬢さま。私はこれにて失礼致します」馬執事はやはり馬に似た顔を引き締め、丁寧に頭を下げて帰っていった。蒼く染ま
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~最終話牡丹の花の咲く頃にはキョンシルには祖父の言わんとしていることはよく判った。家門を継ぐといっても、何もキョンシルが継ぐわけではないのだ。次期当主となるのは、あくまでもキョンシルの良人となる男である。その次期崔家当主がどこの誰とも知れぬ人間でははばかりがあるだろう。キョンシルが黙り込んだのをイルチェは別の意味に受け取ったようだ。「さぞ呆れておるだろうな。十七年前、そなたの父と母の結婚をあれだけ反対して、けして認めようとしなかった罪を悔いてい
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~最終話牡丹の花の咲く頃には戻らぬ男静かな、ただ静かすぎるほどの静寂(しじま)が四方に満ちている。卿(キヨン)実(シル)は小さな吐息を吐き出し、前方へと果てしなく続いてゆくかのように見える薄闇を見つめた。時折、ミミズクの声が遠方からかすかに聞こえてくるのが余計に静けさを際立たせている。今夜もこうして、暁方までまんじりともせず、帰ってこない男を待ち続けるのだろうか。道(ト)洙(ス)の朝帰りが始まったのは、かれこれ、ひと月ほど前のことだ。年
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第三話むせび泣く月【王宮編】しかしながら、出てゆくといったソンの言葉は実現しなかった。というより、できなくなったのだ。翌朝から、ソンは高熱を発して寝込んでしまった。やはり、身体の方々に打撲を負ったこと、精神的な打撃、様々な要因がソンに負担を与えたのだろう。高熱で喘ぐソンをまさか追い出すわけにもゆかなくて、ソンは結局、そのまま家にとどまることになる。キョンシルは熱を出して荒い息を吐くソンの傍らに付き添い、手ぬぐいで額を冷やしたり、汗を拭い
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第三話むせび泣く月【王宮編】「そなたは生命の恩人だ。我が名に〝さま〟など付ける必要はない」ソンは鷹揚に言う。キョンシルは慌てて言った。「そう?何も生命の恩人だなんて、そんなたいそうなことをしたわけではないけど」キョンシルはまた、トスとソンを交互に見た。トスとキョンシルはやや大きめの小卓を二人で使い、一応、客人であるソンの前には一人用の小卓が並んでいる。卓の上にはキョンシルが拵えた雑炊と野菜のおひたしが並んでいた。「ソンは見るからに両班
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「どうして話してくれなかったの、トスおじさん」再度の問いかけにも、トスは依然として沈黙を守っている。苦い微笑がキョンシルの口許をよぎった。「どうせ私なんて、何の役にも立たないものね。それどころか、トスおじさんの荷物になるだけの存在だもの」「キョンシル、俺は」言いかけたトスにキョンシルは声高に叫んだ。「どうせ、私は厄介者なんだから」踵を返そうとしたキョンシルの手を咄嗟にトスが
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町からだが、ひと口に〝キョンシルの考えているような仲ではない〟と言われても、腑に落ちない部分も残っていた。恩人であり弟だと言い切るのならば、何ゆえ、深夜、人気のない寺で二人だけで逢う必要があったのだろう。しかも、抱擁と見紛うほどに寄り添い合い、深刻な面持ちで囁き合っていたのだ。あの光景だけ見れば、大抵の者はトスとシヨンが人眼を忍んで逢瀬を重ねている仲だと思い込むに違いない。あからさまに問うのは不躾な気がして、キョンシルは
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から李家の屋敷を出たキョンシルが次に目指したのは海辺―浜木綿が群れ咲くお気に入りの場所であった。一度離れてしまえば、もう二度と、この海辺の町に来ることはないだろう。ならば、ひとめ、あの場所を見ておきたい。大好きな男と過ごした大好きな場所を記憶にとどめておきたい。昼前にここを発てば、女の脚でも夕刻までには次の町に辿り着けるはずだ。夏の陽は長いから、そう焦る必要もない。二度と訪れることもない土地なら、悔いのないように至福
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から心のありか寺を出たキョンシルは、その脚で李家の屋敷に向かった。どうしてもウォンジュンには一度、逢っておかねばならなかった。これから先、どうするのかと途方に暮れもしたけれど、もうトスの側にいられないというのなら、この町にいる必要は何らない。元々、キョンシルの生まれ故郷は都なのだから、また都に戻るつもりだった。女ひとりの長旅は心細いといえば心細い。だが、父を早くに亡くし、母さえも失った今、キョンシルには頼る人とて
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「南無観世尾菩薩」キョンシルは両手のひらを合わせ、その場にひざまずいた。「観音さまがお泣きになるというのは、こういうことだったのね」呟きと共に、キョンシルの瞳からも澄んだ滴がほろりと零れた。この菩薩が泣くのは、煩悩多き衆生のためだという。ならば、今夜、キョンシルが導かれるようにしてここに来たのも、そしてトスの心の真実をかいま見たのも、すべては御仏の配慮だったのかもしれない。キョンシルはしばらく観音仏の前に座って、御仏
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「だから?」涙の塊が込み上げてくるのをキョンシルは堪えた。トスが苦いも薬でも飲んだときのように顔をしかめた。「ゆえに、この際、向こうの意を受けても良いのではと、俺は思うんだがな。そなたが李家に嫁いで幸せになれば、あの世のソンニョも安心して眠れるだろう」「トスおじさんは心からそう思うの?私が李家に嫁げば幸せになれるって、本当に信じてるの?」トスは泣き笑いのような表情で言った。「当たり前だろう。何しろこの町一といわれ
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「大きな声を出してしまい、申し訳ありません」トスは笑った。「俺のことは、気にしないで良い」が、次の瞬間、トスの貌から笑みがかき消えた。「それでも、君が何と言おうが、父上のやり方も間違いなく一つの愛情の示し方だ。父上の店はこの町いちばんと謳われている。それほどの規模を誇る絹店の店主という地位に誰もが容易くなれると思うほど、君も子どもではなかろう」世間知らずの子どもを宥めるような口調である。ウォンジュンは唇を噛みしめた
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「も、申し訳ありません」縮こまる乳母に、ソンジュンは威厳に満ちた声で命じた。「どうやら、まずは、そなた自身の口に気をつけた方が良さそうだな」頭を下げて見送る乳母を後に、ソンジュンは息子の室には行かずに引き返した。今、ここで何をどう言おうと、あの頑固者は聞く耳を持とうとはしないのは明白だ。「それにしても、あの幼かったウォンジュンがもう一人前に恋をする歳になったか」フッと、笑みを浮かべ立ち止まる。それも当たり前かと、
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町からトスはとりあえずキョンシルを自分たちが暮らす建物まで連れ帰った。もし、トスが来てくれなかったら、今頃、自分はどうなっていたのか。その先は考えるだに、怖ろしい。どんなにひ弱そうに見えても、ウォンジュンもまた男なのだ。改めて自分の無力さを思い知らされ、キョンシルは小刻みに身を震わせた。「あれは李家の息子だろう。俺も顔を見るのは初めてだが、ここまで案内してきた若い僧に自分の方から名乗ったと聞いた。何で、あんな奴がそなたの前に
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「それよりも、あなたの方こそ、どうしてここが判ったんですか?」「君のように綺麗な娘はなかなか見かけないからね。人相書きを見せて人づてに辿っていけば、造作もなく判ったよ」人相書きまで作らせて探し出さねばならないほどの用事でもあるのだろうか?訝しげに見つめると、ウォンジュンは小さく咳払いした。「迷惑だった、かな。突然、こんなところまで押しかけてきたりして」キョンシルは小さく首を振った。「いいえ、迷惑だなんてことはあ
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「待って」少女を求め伸ばした延ばした指先が空しく宙をさまよう。青年はがっくりと力尽きたようにうなだれた。そこに先刻の忠実な家僕が息せききって到着した。「若さま、どうなすったんです。まだ、ご気分が悪いのですか?あっ、そういえば、あの親切な娘は、どうしたんですか?ここいら辺りでは見かけない顔でしたが、随分と別嬪でしたねえ」と、傍らから年配の下男が若い下男の頭を軽くこづいた。「こら、何を無駄口を叩いてるんだ。早く若
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町からと、道端にうずくまる男と彼に取り縋っておろおろと慌てるお付きらしい二人連れが眼に入った。どうも主人が急に人混みで倒れ、側を通り掛かった女が驚愕して悲鳴を放ったらしい。通行人たちは怖々と横目で眺めながらも、うっかり関わり合いになっては大変とばかりに知らぬ顔で通り過ぎてゆく。全く、人情のない人たちばかりだ。キョンシルは半ば憤慨しながら、主従に近寄った。「大丈夫ですか?」主人らしい男はまだ若いようである。見たところ、二十歳そ
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町からキョンシルは緩くかぶりを振り、砂を踏みしめて歩き出す。今もトスが室に戻ってきたため、針仕事はひとまず止めて外に出てきたのだ。トスは疲れているのか、直に床に寝転び、片腕を枕にして眠り始めた。眠っているのなら、なおのこと意識する必要はないはずだが、トスが寝ていれば寝ていたで、自分が手を休めて寝顔に見入ってしまうことは判りきっていた。もし、そんなみっともないところをトスに見られでもしたら一大事だ。自分の恋心はあくまでもトスに
小説密恋~お義父さんとは呼べなくて~第二話はまゆうの咲く町から「今朝方、夢を見たのだ。そなたの父上の夢だ。儂(わし)はこんな爺(じじい)になってしもうたが、夢の中のそなたの父は若く、相変わらずの生真面目な顔をしておったよ」「父上が和尚に何か言ったのですか?」「息子をよろしく頼むと言われてな。ゆえに、もしや、そなたが近々、戻ってくるのではないかと思うていたが、まさか、こんなに早く現れるとは」「そうでしたか、そのようなことがあったのですね」トスは和尚の話に感じるものがあったよう