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妊娠出産赤ちゃん育児に追われていた数年間、あたしはよく縞模様の服を着ていた。縞模様?しましま?ボーダーか。特別意識したことはなかったのだが当時のあたしのブームだったのかも知れない。子ども達にも時々ボーダー柄を着せた。その日は長男が白と紺のボーダー柄のシャツを着ていた。それを見るなりに義父が、『長男、囚人服だな。』と言った。長男は言葉の意味が分からなかったようでハテナ顔をした。当時の長男6歳である。すると義父は楽しそうに笑いながら、『囚人服ってのはね、悪いことをして警察に逮捕
本日の体調不良・過眠・倦怠感・頭痛今日も重力に逆らえなかった。子ども達のこと以外で起き上がれる気がしない。逆に言うと、子ども達絡みのことならばギリギリ動けたのだから良しとしたいところです。高いハードルは無理だから、低いハードルを数多く跳ぶ方向で頑張りたいですね。高いハードルは跳ばずに潜ればいいという意識で行きましょう。日中、会社の固定電話から着信がありました。十中八九元義父です。とてもじゃないが出られません。その後、元夫が某ホテルの仕出弁当を1個持って来て、『これ食べて
末娘が誕生する2ヶ月程前の話。夫はめでたく念願の資格試験に合格した。その合格発表の前日、あたしは定期検診で末娘の性別を知ることとなった。産科の先生がエコーを見ながら、『性別は知りたい?産まれるまで知らないでおく?』とあたしに聞いた。あたしが食い気味に、『知りたいです。教えて下さい。』と言うと、先生はカルテをジッと見た後に、『上2人は男の子なのね。なるほど。お下がりも使えるだろうけど、女の子用のお洋服は新しく買わないとかもね。』と笑った。あたしは信じられない気持ちでエコーを見
亡き義祖母宅に親戚の皆さんと集まったりすると多少なりともゴミが出る。例えばケーキに付随していたトレイやフィルム、紅茶を淹れるのに使用した茶葉、子ども達が飲んだジュースの紙パックやペットボトル、義父が飲んだノンアルコールビールの空き缶等だ。それらを義祖母宅に置いて帰る訳にはいかない為、あたしは毎回自宅に持ち帰って捨てていた。ところがある日を境に義父が、『僕が捨てるからいいよ。袋にまとめて入れておいて。』と言うようになった。それならばと思い、不燃ゴミである空き缶だけでも持ち帰ろうとすると
長男が保育園年長組の時の話。保育園では1人1鉢朝顔を育てていた。夏休み期間は家に持ち帰り世話をして、観察日記を書き、種を収穫して来年用に園に提出するシステムであった。この保育園は教育熱心な園で、年少組から文字の読み書きの指導があった。年長組ともなれば観察日記も子ども1人でスラスラ書いちゃうレベルに育つ。長男は自分で育ててきた朝顔の鉢を持ち帰って来て以来、家でも毎日熱心に世話をしていた。花も咲き終わり、後は少し乾燥させてから種を収穫する時に最後の観察日記を書こうかと長男と話していたある
2月14日。愛する人に贈り物をする日。殊、日本においては女性が男性にチョコレートを贈る日とされているバレンタインデーである。あたしは毎年夫に手作りの生チョコを贈ることにしていた。それは結婚する前から離婚するその年まで欠かすことなく続いたあたしと夫の恒例行事であった。実は結婚当初から3年間、あたしは義父にもバレンタインチョコを贈った。実家の父にも毎年チョコを渡していたので「義理の父にも」といったところだった。実家の父は子どもの頃からホワイトデーには必ず何かしらのお返しをくれた。それ
今日も渋々出社しましたら、元義父が電話で誰かと揉めてました。元義父は耳が悪い影響でスマホの受話音量がやたら大きいので、会話筒抜け。相手方は、ある病院の人のようでした。元義父は、『僕の担当の医師を替えて欲しい。あの先生に診てもらっても全然よくならなくて不信感しかないんだ。あの先生じゃ治らない。困ってるから病院に行ってるのに。正直なところ、ヤブなんじゃないかと思ってる。』と言っていて、気持ちは分かるがその言葉を病院側に投げつけるのはどうなのかとあたしは思いましたよ。嫌なら別の病院に行けば
夫とあたしが家を新築する時のこと。家の話になる度に義父は、『僕の居られる部屋があるといいのだけど。』と執拗に何度も口にした。本当に執拗に。「何回同じこと言うの?」って本気で思った。それはあたしに向けてだったり夫に向けてだったり子ども達に向けてだったり来客に向けてだったりと様々であったが、とにかく暇さえあれば、『僕の部屋も欲しいな。』と言っていた。同居するつもりが皆無だったあたしと夫は白目を剥きそうな気持ちでその場をやり過ごした。夫は義父と一緒に住むのは嫌だと言っていた。普段
↓前回のお話はこちら↓『過去回想162義祖母のお土産』義祖母(義母の母)に会いに行った時の話。義祖母は毎回帰り際にお土産をくれる。それは主に食べ物で、乾麺の美味しいうどんであったり、果物であったり、お菓子だったり…ameblo.jpまた別の日は義祖母(義母の母)がミルクティーの500mlペットボトルを数本袋に入れて、帰り際の義父に手渡そうとした。『娘(義母)が大好きなやつだから飲ませてあげて欲しい。』と言いながら袋を差し出していた。それを義父は、『いいからいいから。お義祖母ちゃん、
結婚して最初の年末のこと。義父母に、『KITSUIちゃん、会社の年賀状を作ってくれない?』と頼まれた。自分達の年賀状はPCで作成して印刷していたのでソフトもある。当時いい嫁キャンペーン開催中だったあたしは快諾した。今思うと若干夫の誘導があった気がする。『KITSUIが年賀状作れるよ。』って義父母に言ったのは夫だったのだ。あたしや子ども達を使って親孝行しようとする節が夫にはある。『親孝行したいのなら実子である自分が親孝行しろ。』とよく喧嘩になった。何パターンか作って提示して義父
過去回想記事で義父の行いについて「これでもか!」というくらいあれこれ言っている。直近のものだとこちらだ。『過去回想160次男の小学校の入学式』義父はモンスター活動の成功により、地域の小中学校の式典や行事に来賓として招待されていた。長男の小学校の入学式から始まり、子ども達それぞれの入学式や卒業式に運動…ameblo.jp他にも色々あるので興味を抱いて頂けたら是非過去記事もご覧頂けると嬉しい。義父の態度についてあたしは常々「他人からの評価を気にしているにしては酷い態度だな」と思っていた。
『嫁は精々短大卒が限度。それ以上の学歴の女は小賢しい。』これは義父が言った台詞である。普段義父はあたしの前では、『KITSUIちゃんは優秀だ。』『僕はKITSUIちゃんを評価している。』などと口にしているが、本音は冒頭の通りである。あたしはそれを薄々感じてはいたので、冒頭の台詞を耳にした時の驚きは一切なかった。そう言えば、大学時代に付き合ってた人の母親も学歴主義な人で、息子の彼女(あたし)が国立大に在学中と知って「やめなさい」と付き合いに反対してたな。更にはあたしがひとりっ子なこ
義父母と利用する頻度が割と高かった和食屋さんでの話。長男4歳、次男2歳直前、末娘はまだ誕生前の話になる。このお店は春夏秋冬問わず、着席すると大人には温かいお茶、子どもにはお冷が提供される。その日は暑い夏の日だった。いつも通り義父母と夫とあたしに温かいお茶4杯、長男次男にお冷が2杯運ばれて来た。それを全員に配るのはいつもあたしの役目であった。義父、義母、夫、あたしの順に1人1人の席にお茶を配った。「さあお冷を長男次男に。」と思った瞬間、義父がトレイからお冷の入ったグラスを1つヒョイと
↓本編はこちら↓『過去回想153迷惑な笠地蔵』義父は地元で開催されるイベントというイベントに出掛けて買い物をする。これはモンスター活動の一環である。顔と名前を売る為にお金を使うのだ。そうして色々なブースに…ameblo.jp義父から押し付けられる物の中に「謎の広報誌」というものがある。その謎の広報誌の表紙には「倫理」という単語がよく書かれていた。どんな内容なのかは分からない。読まなかったから。ある日、笠地蔵現場に出会した。義父が我が家の玄関前にあれこれと置いている現場に遭遇したの
ある日、義父から、『今月の◯日に一緒に出掛けよう。』と日にち指定で誘われた。しかし、その日は子ども達も夫も都合が悪かった。スケジュールアプリを確認して「無理だな」と察したあたしは正直にその旨を伝えた。『その日は夫君も子ども達もそれぞれ予定があって無理そうですね。』と。義父は不服そうではあったが納得してくれたように見えたのでホッと一安心した。ところがである。翌日また仕事で顔を合わせた際に義父が、『◯日本当に無理なの?』と聞いてきた。内心「しつこいな」と思いつつも、『その日
近所にあるラーメン屋さんに義父母とあたし達家族5人で行った日のこと。各々食べるラーメンを決めたところで、『餃子は何皿にする?』という話になった。『餃子食べる人いる?』と聞くと、義父以外がスッと挙手。大体何個くらい食べたいかを聞いて、その合計数を満たす数で注文する皿数を決めた。あたしは念の為に義父に、『本当に餃子食べないの?』と聞いたのだが、義父は心底鬱陶しそうな顔をしながら、『食べない食べない。要らないよ。』と言った。こっちは親切心で声掛けてるのに、何なのその態度。我が
義祖母(義父の母)はメダカを育てていた。義祖母が亡くなった後、メダカが放置されていることに気付いたあたしはメダカが不憫に思えて世話を引き受けることに決めた。子ども達と毎日メダカを眺めて、餌をあげたり水を取り換えたりして過ごした。可愛い睡蓮鉢を買って引っ越しをさせ、子ども達と選んだ水草を配置して卵の誕生に喜び、稚魚の成長を見守り、亡骸は庭に埋めてお墓を作った。「義祖母メダカ」を絶やさぬよう、あたしは毎日毎日丁寧に世話をした。ある日、ふと外に目をやると、義父が我が家の目の前にある植栽に噴霧
結婚前の話。その日あたしは夫の実家へ遊びに行った。入籍前だったので、婚約者という立ち位置だったと思う。その日あたしは仕事で疲れていて、珍しく甘いものが食べたかった。だから夫のところへ行く前にコンビニスイーツを購入して持って行ったのである。お邪魔してその旨を夫に伝えると、『食べるまで冷蔵庫に入れておこう。』と言って義実家のガラガラの冷蔵庫にコンビニの袋毎入れてくれた。義両親にも挨拶をして、その時夫が義両親に、『KITSUIの物を冷蔵庫に入れたから。』と断りを入れてくれていた。
あたしは夫と結婚してから毎年1枚家族写真を撮ることにしていた。最初の1枚は結婚式の写真だ。夫とあたしの2人からスタートして、そこから長男がお腹にいて、長男が生まれて、次男がお腹にいて、次男も生まれて、末娘がお腹にいて、末娘が生まれてという感じで、少しずつ家族が増えていく様子を残しておきたかったからだった。実際にこのアイディアは悪くなかったと思う。年に1度みんなで写真館のようなところに出向いてプロに撮影してもらい、きちんとした写真にした。ある年、ふとした思い付きで、『今年の写真撮影には
ある年のお盆のこと。親戚の皆さんが同日に集まれたので記念撮影をしようと義父が言い出した。夫が子ども達に、『じいじ(義父)の隣に行ってあげなさい。』と言った。次男と末娘が渋ったのを見た長男が「仕方ない、俺が行くか。」といった様子で義父の隣に立った。その瞬間である。義父は長男の腕を押しながら、『長男はいい。僕の隣に来ないで。』と言った。夫は夫で義父の為に長男を義父の隣に派遣し、長男は長男で夫に言われたから仕方なく応じて義父の隣に並んだ。それなのに手で押されて追い払われた長男の顔
義父母とあたし達家族5人で外食に出掛けたある日のこと。当時子ども達は長男次男は小学生で、末娘はまだ幼稚園生だったと思う。その日は最寄りのファミリーレストランへ出向いた。当時の子ども達はドリンクバーにご執心の様子で、自分で好きな飲み物を注ぐという行為を喜んだのでファミレスを選択した。席に着いてメニューを広げようと思ったら、義父が末娘を連れて真っ先にドリンクバーに向かってしまい席に来ない。どんなジュースがあるのか見ているのだろうと思いつつ、長男次男にメニューを見せ始めた時である。義父に抱
また今日も元義父は電話を鳴らして、子ども達を呼びつけました。まず長男が偵察がてら行くと、お小遣い。離婚前は一切なかったお小遣いを、離婚後これで2回目になります。どうしてそれを昔出来なかったんだろう。理解不能。次男も身支度を整えてから行くと、やはりお小遣い。末娘は行きませんでした。お小遣い要らないそうです。末娘お金持ちですしね。そして元義父は、『今日は彼岸だから親戚が来る。顔を出しなさい。』と言ったそう。次男は「金やるから顔を出せ」と言われたように感じたようで不快そうでした
↓これまでの話はこちら↓『過去回想88義母の手術』義母は脳動脈瘤の手術を受けた。術前、義母本人は、『受けたくない。』と言っていたが、放置しておいても良いことはないだろうと義父が押し切った形で手術を受けることに…ameblo.jp『追記過去回想88義母の手術』↓本編はこちら↓『過去回想88義母の手術』義母は脳動脈瘤の手術を受けた。術前、義母本人は、『受けたくない。』と言っていたが、放置しておいても良いことはない…ameblo.jpちょっと待て。時系列を整理していて気付いたことがある
↓本編はこちら↓『過去回想1233.11』東日本大震災は本当に怖かった。当時まだ未就園児だった長男と乳児の次男を抱えての被災だった。経験したことのない大きな揺れに「あたしはここで死ぬんだ」と本気で死を…ameblo.jp当時あたし達の住んでいたアパートは電気の復旧がかなり早かった。これは駅が近い為だと後から聞いた。真偽のほどは定かではない。しかし、水道はなかなか復旧せず、復旧した後も暫くは茶色い水しか出ないので飲食用には出来なかったし、お風呂も入れなかった。あたしの実家地区は、少し
今日は元義父からの電話に出ました。耳が腐る。宅電をしつこく鳴らすので仕方なく。本当しつこいことこの上ない。用件は何かと思ったら、『子ども達で誰か僕のところに今顔を出せる子はいない?』でした。長男と次男は外出しており、在宅なのは末娘だけ。『誰もいません。』と答えました。嘘は言ってません。家にいないとは言ってない。義父のところに顔を出せる子がいないのは本当のことです。ところが義父もしつこいもので、『末娘は帰って来てないの?』と。誰もいないって言ってるのにこのしつこさ。
東日本大震災は本当に怖かった。当時まだ未就園児だった長男と乳児の次男を抱えての被災だった。経験したことのない大きな揺れに「あたしはここで死ぬんだ」と本気で死を覚悟した。水も電気も止まり、ガソリンも購入が難しく、物流が滞った影響で食料品も日用品も入手しにくい日々にあたしは不安だった。給水車が来ると聞いて行くと、水を貰うのに2時間も並ぶことになった。幼い長男次男を置いて行くことも出来ず、2人を連れての2時間は控えめに言っても苦行だった。調理をしないでも食べられるものはお店から姿を消し、水
義父の嫌いなところのひとつが、手土産を購入する場所についての配慮の無さである。義祖母(義母の母)は同じ県内とは言っても、高速道路を利用して1時間程度離れた場所に住んでいる。お盆やお正月にお邪魔する際に手土産を持参するところまではいい。問題はその手土産の購入場所である。あたしの感覚でいくと、自宅付近のお店で買って持参する物だと思っていた。例えば「地元の銘菓です」だとか「地元で採れた野菜です」のような。受け取る相手がなかなか自分では入手し難いような物を贈るような。マナーとまでは言わずと
元義父のことをどんなに「おかしい」と思っても、それをあまり周りに言えなかったんですあたし。モンスター活動のこともありますしね。身内がヘイトスピーチしてるみたいな格好になりますもんね。元夫にもいつも、『誰にも言うな。』って言われていまして。いや、違うな。『誰かに言ってんじゃねえだろうな。』でした、正確には。まあ多少は溢してましたけどね。だからあたしのストレスは溜まる一方だったんですよね。捌け口がなかった。せめて元夫が聞いてくれて同調してくれたならばもっと耐えられたかも知れな
振り返ってみると、1番最初に強烈な違和感と少しの嫌悪感を抱いたのは、夫を呼び出す時の義父の言い回しだったと思う。この頃はまだ「夫」ではなくて「彼氏」または「婚約者」の段階だった。『これから来い。話したいことがある。』と言って夫を呼び出すのだ。当時の夫は、『何?何の話?』と呼び出しの電話で聞くのだが、義父は決まって、『それは来た時に話す。いいから来い。』と言って、何の話なのかまったく明かさないまま呼びつけるのだ。あたしは義父と夫のそのやり取りを目にする度に強烈な違和感と若干の嫌悪
あたしは自分の出来る範囲の協力はその都度してきたと思う。例えば、乳飲児を抱えていても、寝る時間を削ってモンスター活動の事務作業を在宅でこなした。支援者に挨拶に回る為の地図の作成を深夜1人で眠い目を擦りながら、眠る夫を横目に、必死に取り組んだ。チラシを折ると言われれば必死に隙間時間に何百何千というチラシを折ったし、運べと言われた荷物は運んだし、諸々の支払いについても管理した。例えば、一緒に活動してくれる人達への昼食や夕食の準備や手配もした。その日に一体何個のお弁当が必要なのかも不確定な中、不足