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11月6.7.8日、私と夫は楽しい楽しい沖縄旅行していました。翌9日は日曜で、夫は身体を休め、出勤に備えていました。10日(月曜日)に私が沖縄土産を持参して義母に旅行の報告をするつもりでした。その10日の朝6:40電話が鳴り、私はすごく嫌な感覚がありました。自分の母が亡くなった連絡が朝だったから...夫を駅まで車で送り、自分が朝ご飯を、と思った時でした。サ高住のスタッフさんからの電話でした。「お母さまが口から泡を吹いて意識が混濁しています」この言葉どおりだったはずです。「
お元気ですかこんにちは。安静ならず、えっちゃんです。先週、病院より安静を言い渡されたアタイ。しかし、その翌日の水曜日義母の危篤の連絡。とりあえず夫が行き、様子を見ながら状況を実況。それから2日。こどもらに荷物を持ってもらい、友人に駅まで送ってもらい、何とか電車&新幹線&タクシーで義母の病院へ!!最期、顔見れて手を握れて、子供たちの姿も見せれて、その1時間後に亡くなられました。ギリギリ会えて、後悔なしです。翌々日、小さく短く葬儀して、実家じまいも多少して夫の車で帰宅
こんにちは~あまのっちです私のブログにご訪問いただいてありがとうございます🍀私のプロフィールはこちら10月に入って急に秋を感じ‥‥🍂🍁私の住んでる秋田は朝夕は「寒い」と感じるほど!ストーブが稼働する日も近いなー🤔昨年から怪しげな動きをしてた(笑)我が家のストーブ😥まだ試運転はしてないけど夏にエアコンが壊れた事もあって思い切って買い替えることにした十数年使ったストーブだった秋田の冬は極寒だから🥶お世話になったなーそして
タイトル通りです。6/3に義母が他界しました。そして、6/7に葬儀を終えました。昨年からの経緯をお伝え出来ていませんでしたが、ザッと説明します。11月の上腕骨骨折の後、義父と同じ施設に入所しました。そして、転倒で大腿骨頚部骨折をしてしまい、手術は一応しましたが、その後、ADL(日常生活動作)が低下し、あっという間に寝たきりになってしまいました。元々認知症も酷かったですが、二度の入院を経て更に進み、ほぼ何も分からない、受け答えも出来ないような状態になって。先月に親族と施設で話し合いを
ご訪問いただき、ありがとうございますみしぇぅです。前回、大好きな義理の母が亡くなって、私が自分を受け入れる事ができた大きな気付きを与えてくれた事を書きました大きな事だけじゃなく、小さな事にも『気付き』をくれました小さな事は…なんと!メイクアップ✨きっかけは…所謂『死に化粧』をする時に、葬儀屋さんが持っていたメイク道具には、母に似合う色のリップがありませんでしたそこで妹が、母がいつもつけていたリップを持って来ました『暗めな赤』いつも母は、可愛いピンクをつけていたので、妹に『ホ
ご訪問いただき、ありがとうございますみしぇぅです前回、大好きな義理の母が亡くなった事を書きました年末から入院し、入院中は勿論、退院してからも、自由に外に出歩けず、外の景色が見られなかった母に、よく写真を撮っては送っていました下⬇️のバラの写真は、残念ながら送る事はできませんでしたが…亡くなってからもなお、母は私に色々と教えてくれます大きな事から小さな事まで…『大きな事』は、私の課題だったこと私は、自分の能力を信じる事ができません主にスピリチュアルな力…特にその中でも『感じる力
ご訪問いただきありがとうございますみしぇぅです大変に大変にご無沙です今年に入ってから、私の周りで色々な心配事が起こりましたそして、先日、大好きな義理の母が旅立ちました人が亡くなる瞬間に初めて立ち会いました亡くなった瞬間にその『身体』が『抜け殻』になったのがわかりました…悲しいけれど、そこに『魂』はない…88歳ガンでしたが!87歳12ヶ月まで、出産以外の入院も大きな病気もしたことがない!!去年の末に肺炎と心不全で緊急搬送→入院。肺炎から復活するのに時間を要し、その間にガン
「スマイルさん、お久しぶりです」あのカウンセリングルームの、あの空気、あのコーヒーの香りが蘇る。北海道に引っ越して行ったスマイルさん、こうして会うのは10年ぶりだろうか。「わざわざ来てくださりありがとうございました」「お義母さまのこと…お悔やみ申し上げます」スマイルさん、本名は須磨郁子さん。今は北海道帯広で牧師をし、地域の方たちに神の愛を語っているという。実家の教会を継ぐと聞いた時、ああやっぱりそういう人だったんだとあつ子は腹落ちした。もう70代だそうだが、初めて会った日から歳を
こんにちはtwo-miracleですはじめましての方はこちらからご覧ください→☆玄関先の椿が咲きほころんでいます。最近、ブログを書く気力がなく遠のいていました。※ゆる〜い詩なら取り組みやすいのですが。義母の葬儀から12日。我が家は通常モードに戻っています。義母の死によって気づいたことがあります。夫は私が思っている以上に精神の強い人だったこと。夫は、結構なお母さん子でした。(ハタチの頃から夫を知っているので)実は私の婚約指輪をお母さん
2025年2月26(水)~27日(木)※(注意)※この記事は葬儀の記録を残しておく為、家族の同意のもと故人(義母)の写真を掲載しています。このような記事を不快に思う方や苦手な方はご遠慮ください。2月21日(金)、義母(享年92)が眠ったまま静かに息を引き取りました。『秘密基地で聞いた訃報』2025年2月21日(金)昨夜から秘密基地に来ています。朝食を済ませ、作業着に着替えていた8時頃、珍しく電話が鳴って嫌な予感がしました。電話の主はOKUさん…ameblo.jp毎
2025年2月21日(金)昨夜から秘密基地に来ています。朝食を済ませ、作業着に着替えていた8時頃、珍しく電話が鳴って嫌な予感がしました。電話の主はOKUさんからで、施設に居る義母(享年92)が息を引き取ったとの連絡でした。で、すぐに大阪へ戻ると言うと「もっかい電話するからそれまで作業してて」と言われたので、とりあえず予定していた落葉掃除を始めました。今回の訪問目的は『落ち葉や枯れ木を放置していると白蟻がコロニーを作る』と聞いたからです。実は以前、部屋の壁の中まで攻め込まれた事があ
ちょっと話は反れるけどこういう風に改めて書いているけど義母が亡くなる前に別れた時にすごーく酷いことを言われてもう、別れよう。もう、追わない。と決めたあの出来事があの出来事だけが記憶にないえー?記憶喪失〜辛すぎて記憶抹消〜LINE見返しても数年前のは消えてるしブログも消したしあぁ~なんかすごーく頭に来たことを言われてこんな事になったのになんだっけか藁忘れてるなぁ〜忘れられる程度の事だったのか?Tパンダさんと付き合ってから喧嘩したりキレられたり
先日、久しぶりに主人と義実家へ訪問しました。高知のお土産を早く持っていきたい主人でしたが、義弟が忙しいというので二週間越しになりました。昨年夏、義母が急に弱ったという知らせをもらってからほぼ毎週通っていましたが、今回は久ぶり。最後に義父・義弟に会ったのは9月初めの義母の49日の納骨時です。もう二か月近く立ちます。丸々半日、義父から完全に無視されつづけた私。主人もさすがにこれはひどいと、義父に問いただして、原因が、義母の見舞い時に私が義母を十分ケアしていない、と感じたからだ
母はもうじき96歳。なんとか自力で歩けて、トイレも行けるし、食べられるしまあ、よわよわでわあるけど自分のことは自分でできる。いろいろ、気にしてやらなきゃならないけどね姑、母より2か月若い、やはり95歳が、2週間前に、亡くなった。義妹が看てたけどやっぱりお世話にもなってるし、気を遣うでも旦那は、行こうとしないなんで?なんで?自分の母を思い、妹に気遣いすればよけいに行くんじゃないか半年以上前、義母が倒れて入院してた、そして退院した。私
中学・高校と同級生で親友の友人(女性)がいます。彼女は短大卒業直前に、ハワイ在住の男性と電撃結婚でハワイの住民となってしまいました。彼女がハワイに移ってから、当初はずっと文通で、その後はお互いを行き来し、常に親交を絶やしていません。お互い波風にもまれる人生で、他の人には言えないこともぶちまけあって、支えあってきました。そんな彼女、LINE電話でも良く話します。昨日たまたま電話があり、義父とのことを話してみました。急激に弱ってしまった義母を、毎週
今朝も7時過ぎに目が覚め、そのまま一時間くらいベッドにいました。私の睡眠時間目標は7時間半以上。現役時代、睡眠時間が5時間以下だった不足分を取り戻したい。毎晩12時半くらいに眠るので8時までは目が覚めていてもベッドにいたいのです。一晩に3回は目が覚めます。リンパ浮腫気味で、横になると下半身に溜まった浮腫みが一気に循環するので頻尿になるようです。起きてもすぐまた眠れれば良いけど、憂鬱な考えが浮かぶとストレスで眠れなくなる。このところは気持ちが沈む考
昨日書いていたこのテーマの記事が残っていない、、うじうじ書いたから神様が怒って消したのかな?でも、やはりもう一度、なるべくあっさりと書いてみます。以前の記事はこちらです。気になる義父との「溝」|父母との死別、早期退職を経て、自分を見つめる暮らし。(ameblo.jp)義母の死によって私が居場所を失った義実家もう一つの大きな要因は義父の態度です。義母がまだ元気だった昨年夏、訪問時に義父が横になっている部屋にいきましたが、寝ているとばかり思い、挨拶
今日はお盆(旧盆?)です。お花を買い、ぼんぼりを飾りました。義母はまだ49日前なので、呼ぶまでもなく義実家にいると思います。義母が亡くなって3週間あまり、久し振りに義実家で長時間過ごしました。それまでは義母の葬儀や、山梨での叔父の葬儀の打ち合わせなどで慌ただしい訪問だったのです。義実家に行くと、途端に居場所の無さを感じました。義父とは溝ができたまま、義弟はもともと自分の事以外は基本、関心がない人。義母が座っていた場所には洗濯物や新聞が置かれて
去年、義実家についてこんな記事を書いていました。あの時の不安が現実に今はなっています。ただ、実感がまだわいてきません。
昨年末にすい臓がんが見つかり、すでにステージ4で手術不適応、余命3か月から半年と言われた友人。先日会うことが出来ました。旅行先からマンゴーを送ったら、お礼にと巨峰のお裾分けを頂くことになりまして。お互いの家は車なら15分くらいです。今うちはとても人さまにあがっていただける状態ではないですが、お話もしたかったので、近くのカフェを提案したら喜んで来てくれた。以前一度そのカフェで会ったことがあり、彼女も気にいったお店だったのです。時間よりちょっと遅れて
その後、義実家からは特に進展の知らせがありません。義母の死はまるでなかったかのように主人はほぼ話題にはせず淡々と今日も暮らしています。忘れられない義母の仕草があります。すでに余命を言い渡され、私たちが毎週義母を訪問するようになった昨年冬。その年の初めから異常に寒さを訴えるようになった義母。一年中、部屋の温度が30℃になる日もこたつに入っていました。そのとき、季節は冬に入っていたので、私にも「こたつに入りなさい」と勧めてくれました。義母の側に入ると、義
義母の告別式から二日経ちました。義実家の事が心配ですが、義弟がまだコロナ罹患から日が浅いので主人は連絡を控えています。血縁ではない私はともかく、主人の方に感情の爆発が来るのかなと思っていましたが、今のところ淡々としています。主人は義母の妹(叔母)が70代で亡くなった時は葬儀の最後の最後にお棺に手を添えて泣き崩れました。大好きな叔母(私も)でしたから。叔母は女性として初めて日赤のセンター長を務めたキャリアの持ち主で、生涯結婚をせず、子供も持たず、主人を息子
義母の葬儀、一段落しました。昨日は通夜、本日が告別式でした。予定通り家族四人だけのお見送りです。夫から始まったコロナ感染、義母の知らせを聞いた当日発覚、その後私に遷り、次に義父に遷り、一人無事だった義弟についに感染してしまいました。様子がおかしくなったのは3日前、それでも昨日一杯まではそれほど辛そうではなかったのですが、朝、義父から主人に電話。体調悪化し、車の運転が心配だから、主人に自宅まで迎えに来てほしい、と。ある意味想定内でしたので、急いで
旅行から戻った直後、義叔母、義母の相次ぐ死去に加え主人のコロナ、自分の中耳炎、外耳炎、そして主人からのコロナ感染、と目まぐるしい私です。今年の流行株はJN.1?わからないけど今回罹ったのもこれかな?主人は初感染です。ワクチンは5回接種しています。声がおかしくなり、続いて酷い咳。以前かかった熱中症に酷似していたため、コロナ対策が遅れ、家庭内感染しました。主人は翌日の夜から発熱。この時点からようやく隔離や消毒を始めましたが時すでに遅し、でした私の場合は熱っぽさ、だるさ
義母の死から一日経ちました。本来なら世話好きの主人はたぶん手作りの料理をもって義実家に行くと思うのですが何しろ体調不良。私の見立ては「コロナ」。喉の痛み、筋肉痛、微熱。熱中症と同じ症状ではありますが、以前熱中症にかかった時のような熱の後の大量の汗、かいていないのです。病院へ行こうとしましたが近隣の医療機関が軒並み本日は休診。とりあえず「隔離」「消毒」で今日は過ごすと思います。そして普段は世話される一方の私が今日は料理番(の予定)。今のところ私には影響が出ていない模
義母、今朝亡くなりました。昨晩旅行からの帰宅後、夫が体調不良に。熱中症だと本人は言うけれど、風邪またはコロナの可能性も捨てきれないので念のため別の部屋で眠りました。必要な時に夫が私を呼べるようにと枕元にスマホを置いていました。朝寝坊を決め込んでいた朝7時ごろ電話で起きました。表示を見るとかけてきたのは義弟。主人の携帯の電源が切れていて私にかけてきたそうです。「おふくろさんが息をしていない」すぐに主人を起こし、急いで支度をして義実家に向かいました。
今日の俳句万葉が歌の始まり梅の花見目も好し花に名もあり梅の花日和好し今が盛りの梅の花酒一献花を浮かべて梅の花枝垂れ梅天界高く竿をさし今日の短歌2月10日「家内」点滴でつなぎし命四十日空しく母は天に召されり「私」義母死して気丈の妻も元気なし空しく時は通り過ぎ行く「愛の定義」愛は身近なもの。愛のキーワードは六つ。詳しくは下をクリック思いやり、相互理解、信頼尊敬、相思相愛、対等自由、創造英語訳もつ
半月ほど前に義母が突然他界😇しまして、、、、通夜やら葬儀はもう流れに乗ってしまえばサクサク進むのですが、問題はそのあと、、、、義母がいなくなった途端に匣から魑魅魍魎あらゆるものが飛び出してきた感じで😱💦田舎の親戚付き合いなどは義母に任せっきりでそれがある意味『砦』となり私たちは、その煩わしい事から守ってもらっていたのだと亡くなって気づくのですが、、、、(まぁすこし前から不穏なモノが漏れでてる予兆はあったのですが。)その辺り不定期ながら備忘録兼ねて記します
先日、父に頼まれて母の遺品整理を少ししました。とりあえず、ぱっぱっぱっと母の遺品を袋に詰めて、「持ち帰って捨てるね!」と言ってみたものの、自宅に帰って一つ一つ手にしてみたら生前の母の様々な思いが垣間見えてきました。普段口にしないこと、普段話さなかった母の思いがそこかしこにありました。捨てていいのかな…捨てれないな…そんなことを考えながら分別し、悩んだものはもうしばらく手元に…と残しました。来週からは義母の遺品整理も始まります。また、心がザワつきはじめるだろうな…
今年も残すところ今日を入れて後3日。年越しの準備は出来ていますか?今年は喪中という事でお正月は静かにする。と主人と決めたので気持ちが緩みすぎていて年越しの準備はなかなか進みませぬこんな年末年始も良いよね(^◇^;)と書きつつ今回はお節は作らず子どもらが来る時(1日)にはオードブルを買おう。な〜んて主人と話してたのにお節の材料買いはじめてるーー😅なんてこったい!今年を振り返るまえに「今度ランチ行こうな😀」と、先輩(高校時部活の先輩)と言いながらコロナ禍