ブログ記事47件
南瀬名町から北街道を静岡駅に向かい、7つ目の沓掛三丁目で降りる(静岡駅から8つ目)東南に5分ぐらい歩いて龍雲寺。本堂前に石碑と案内板。寿桂尼は公家の中御門宣胤の娘で、駿河守護今川七代・氏親に嫁します(1508年)氏親が亡くなる(1526年)と剃髪し、翠光院寿桂と号し、14歳で継いだ氏輝(八代・嫡男)・義元(九代・五男)・氏真(十代・孫)の補佐します。石碑にその時使われた「歸」(とつぐ)印。これは嫁入りの時に父の宜胤から貰った物と言われます。下には中御門家の子孫・宜子の歌「歸
桶狭間古戦場跡に到着。しかし遠かったぁ~(*´д`*)熱田神宮で集結して出陣したとのことですから、もっと近いのかと油断してました。まあ、なんとか「信長義元の銅像」を見ることが出来ましたので、また一つ念願が叶いました。
日航ジャンボ機-JAL123便墜落事故Naverまとめ日航ジャンボ機-JAL123便墜落事故(飛行跡略図Ver1.2&ボイスレコーダー)写真集に体験ない若い人に知ってほしい稲城・増田康雄さん、7年かけモノクロ78点/東京毎日新聞陸軍に供給する火薬を製造していた「陸軍多摩火工廠(かこうしょう)跡」(多摩市、稲城市)も紹介している。現場は現在、在日米軍に管理されているため、特別に...開山1300年の石畳と苔が彩る山岳信仰の聖地・福井「白山平泉寺」O
2017.7.25DANGAN189★東日本新人王バンタム級4回戦○義元得拳(神奈川渥美)2R2分5秒TKO×長岡舜也(角海老)
NHK大河ドラマ『女城主直虎』浅岡ルリ子さんか演じておられる『寿桂尼』。京都の中御門の出身でした🌱。戦国時代が長く続き、京都の公家であっても生活に貧窮していました。戦国大名は自分の息子に京都から嫁を迎えることで、『箔』をつけ、家の格を上げようとします🌱また、京都の文化から、有職故実を学ぶことは武士の教養にもなります。寿桂尼は駿河の大名、今川氏親に嫁ぎます。生まれたのが長男氏輝、次男彦五郎、5男義元でした。義元は京都の寺に預けられていました。氏親病死後に今川家を切り盛りしたのが、正室『寿
いよいよ最初のヤマ場です。すでに義元は桶狭間に滞陣。井伊勢も。異変を感じる直盛。そこへ、毎度おなじみの木瓜紋の指物の兵が襲いかかる。もう?祈る次郎法師に、雨粒ひとつ。この日の東海地方の天気が雨だというのは衆知。母も一緒に祈願。そこへ桶狭間からの急報。動揺を隠せない井伊。一番動揺してるのは次郎法師?特に目立った新キャラはなし。桶狭間決着。義元討死。元康は動揺?いや、怖いカミさんの叱咤が好機を嗅ぎとる。続々と帰還する井伊の敗残兵。玄蕃は討死。政次はみなに顔を見られないよう
なんだかんだいっても日常パートは好きです。タイトルにあるように、井伊一族はほぼ全滅が決まってるので、それを踏まえると。またも直前に『龍の歯医者』。清水富美加は失せて尚番宣。前回のあらすじ。そして、早速の笛皷で夫婦デュオを披露している直親しの。それを遠くに聞く次郎法師。幾人か新キャラが見えるけど、知らない人物だな。竹千代には()付きで松平元信。直親の家督相続をお願いに行ったら、今川から出てきたのは検地。ま、義元クラスのデキル大名が支配圏の生産力とか把握したいのは当然だし、今の今川は
まだまだとわ回。前回のあらすじから。とわの理屈は、これ以上なく「ガキ」だしイライラするけど、頭から血をダラダラ流しながら笑顔で断髪してる様は倒錯的。母激怒。当然。父、憐れ。政直、呆れ。お、太原雪斎が出るんだ。寿桂尼は、名前しか知らないな。とわの件は今川を怒らせたみたい。とわを人質に寄越せ、と。むしろ寛大な処置。それを口実に潰してもいいのに。直平爺は激怒だけど、バカっぽくて五月蝿いな。キャラは好きだけど。娘(肉親)を人質に出すという人情面でのドタバタは、昌幸が聞いたらどう思うかな
NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』第3話「おとわ危機一髪」鶴丸(小林颯)と夫婦になることを拒み、出家をしようとしたおとわ(新井美羽)の捨て身の策は、主家である今川義元(春風亭昇太)の怒りを買うことになる。義元は忠義の証として、おとわを人質に差し出すよう直盛(杉本哲太)に命じる。井伊家存続のため苦渋の選択を強いられる直盛に南渓和尚(小林薫)は、今川の怒りをしずめ、おとわの出家を認めさせて人質を免れることを約束し、おとわとともに駿府の今川館へ向かう。第3回の“KEY”!道は一本ではな
桶狭間の戦いで織田信長に討たれた、今川義元。顔に白粉とお歯黒を塗り、京都の公家風情で、愚将のイメージ。そんな評価も近年の研究では、評価が変わってきています。『海道一の弓取り』これが、本来の今川義元の姿でしょう。兄との後継者争いに打ち勝ち、18歳で今川の家督を継ぎ、勢力を拡げ、甲斐の武田や相模の北条に拮抗していきます。幼き日の松平竹千代(後の徳川家康)を保護し、育てます。『人質』とは言え、鷹狩りにも出れましたし、どこかに閉じ込められていたわけではありません。今川の本国駿河は文化先進
その他史実との細かな違いを思いつくまま挙げてみます。亀之丞と鶴丸はドラマよりも恋敵、政敵の要素が強い。ただし、お互い仲よくしようとした時期はあったはず。親今川に方針転換したはずの張本人の直平が反今川。史実の井伊家の反今川派は、直満・直義兄弟くらい。おとわのおじいさん直宗の存在はスルー。戦死した、くらいしか情報がなく、実在に疑問を呈する研究者もいるくらいなので仕方ないか。直満と共に粛清されたもう一人の大叔父直義の存在もスルー。簡素化ですね。連歌師谷宗牧の井伊谷訪問はスルー
「おんな城主直虎」第1話レビュー1月8日に放送された第1話のレビューです。冒頭の説明で、井伊家は今川に無念の屈従をしたとなっていました。通説通りですが、研究者の間からは、直平は思い切って方向転換したのではないか、という見解が出始めています。ぼくもそう思います。これは後述します。さて、おとわ(直虎)初登場は、亀之丞(後の許婚直親)と鶴丸(後の家老小野政次)との鬼ごっこ。鶴丸の鬼役は小野政次のその後の役回りの象徴のよう。鶴丸に捕まりそうになって崖から川に飛び込むお
おはようございます!最近ウイイレ2017をやりつつも職場の先輩が戦国立志伝を購入したということで、大河ドラマ井伊直虎ちゃんで始めてみました。とりあえず今川さんの部下の朝比奈さんの部下ですよっと!さくさく城主になると後々大変ですのでしばらく領地開拓、武功稼ぎを行い、末森城の城主になりました。とりあえず最初に登用で山村なんたらがいたけど、あまり能力高くないので義元さんにあげて代わりに配下にいただいた武将です。よし!このまま女性活躍社会を実現させてやる!と思ったのですが秀吉さん、忠誠低く
さてさて、昨日は相棒などの話をしました打ち上げ中に撮った奴ですが、改めて紹介をさせて下さい横田遼くんソロリの前に共演させてもらってからの仲ですが、殺陣が上手くてたくさんフォローしてくれましたとっても優しく熱い男です小口ふみかさんご存知、葵様稽古場から思ってたけど、メチャメチャ練習熱心なんですよしかもふみかさんは集中が凄くてみていて驚かされました根本大介さんご存知、義元様皆から愛される大ちゃん癒し系でした。とある人にはおじさんとアダ名をつけられたりしてね今回、一緒にできて嬉
来年のNHK大河ドラマは、『女城主直虎』だそうです。わたしは恥ずかしながら直虎を知りませんでした。主演は柴崎コウさんです。女城主にふさわしいですね🍀。直虎は女性で井伊家の一人娘として生まれます。直虎の祖父の直宗は戦死し、父の直盛も桶狭間の戦いで今川義元を助けようとして亡くなります。井伊家本家の養子になった、22代直親(直虎の親戚、ふたりは、許嫁)も、今川氏真(義元の息子)によって暗殺されます。井伊家の男子が次々に悲運な死を迎えていきます。松平家と井伊家は、親戚にあたります。井伊家
もう三日前の事ですが、大河ドラマ「直虎」出演者の追加発表がありました!「大河ドラマ「直虎」を面白くするVIP」シリーズで書いてきた人物がかなり出てきて、出演者コメントとNHKホームページの説明のギャップが面白いので、分析&要望を書きます!まずは、今川義元役が春風亭昇太!こんな記事出てます!「春風亭昇太“笑点効果”で3度目大河義元愛アピール「今川家復権を」」http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/12/ki
今日5/28に東京ニッショーホールで行われるBASARAファンクラブによるファンミーティングのグッズが発表されましたね。自分、ファンミが発表された頃は熱が消えていた為、チケット取ってなかったんですよね~。しかも今回のファンミ発表東京のみなんですね。去年の9月に初めてファンミ参加したんですけど、その時は東京と大阪の両方やってたと思います。私はUSJに行くついでに大阪でのファンミに参加するという贅沢スケジュールでした。今回は東京のみ。そしてグッズを見てみると…。推し武将バッジが新しくな
僧侶でありながら、軍師、政治家と複数の顔を持った人物。今川家に仕えた、雪斎禅師です。『徳川家康に学問を教えた人物』とも言われていますが、2人に直接の接点はありません雪斎は、今川家の重臣である庵原氏の子どもに生まれました。次男であったため、駿河の善徳寺に入り、出家して仏道修行に励んでいましたが、主人今川氏親の命令で5男義元の守役になりました義元の兄で当主の今川氏輝が亡くなり、義元と異母兄の恵探との間に、『花倉の乱』が起きます。このとき、義元の軍師を務めたのが雪斎です。勝利を治めた義元が今
中世の三河西条吉良氏は長氏から義昭まで14代続きますが、没年と享年の分からない人物が4人います。6代俊氏、9代義信、10代義元、11代義堯です。ただでさえ日本中世史で研究成果の少ない吉良氏ですが、そんな中でもこの4人は存在感が薄いように思われます。義元に至っては当主として数えてよいのかすら疑問でした。今回は応仁・文明の乱後を生きた義信・義元・義堯の3代に注目し、彼らの事績について不明点を補いながら、私なりのストーリーを組み立ててみたいと思います。まずは谷口雄太さんの論文「中世吉良氏の研究」
【系譜】で15世紀前半の三河吉良氏である「義尚」と「義真」について、系図上で親子だった両者を兄弟関係と論じた北原正夫さんに対し、谷口雄太さんが各種同時代史料を駆使して兄弟説を崩し、両者が親子関係であることを導き出しました。室町時代の三河吉良氏については、北原さんが1983年1月の『歴史研究』で発表した「室町期三河吉良氏の一研究」が通説とされています。谷口さんは2009年12月に提出された修士学位論文「中世吉良氏の研究」で、義尚と義真を親子関係と結論付けてみえますが、この1点をもって北原さ
バガボンドとか、大河ドラマの武蔵とかで、世の中がちょっとした「武蔵ブーム」だった頃なんで、戦国無双2にも、宮本武蔵、登場してます。但し、時代的には微妙にミスマッチ。猛将伝で追加されたキャラが、勝家、利家、ガラシャ、元親、復帰組の義元と、軒並み織豊時代の面々である事からも(ガラシャと元親がやや若めですが)それは明らか。更に言うなら、キャラデザインも「やっつけ仕事」。いかつい顔はいいとして、衣装が全く駄目。渋味もなければ、かといって若さもない。武蔵でプレイすると「ああ、若い頃の武蔵なんだな」