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生誕500年を記念して、静岡駅北口に新たに今川義元公像が建立されました。今川家の五男として産まれ、決して家督をつぐ位置にはいなかった義元公は、太原雪斎の臨済寺にて僧侶として育ちました。太原雪斎は竹千代こと徳川家康公の教育もされてます。今川家での英才教育が無ければ、徳川家康公は天下人にはなれなかったでしょう。静岡に来て、広島にいた頃の今川義元公の見方は180度変わりました。名古屋のほうの桶狭間古戦場にある、今川義元公像は東海一の弓取の名に恥じぬ立派なものです。歴史研究家の方が史上最強
コンスタントにイベントを開催してくれる、イケメン戦国。嬉しくもあり、気が抜けない毎日です。乙女磨きとか、油断してるとあっという間に100になってて、「時間無駄にしたー!」ってことが多々あります。いつ、どこでアイテムを使うかも考えどころです。。。現在開催中のイベントは光秀さんと謙信様に義元さん。まずは光秀さんから攻めていってますが、どこまで攻略できるかな・・・『過去』、気になる~~~人の過去ってどこまで踏み込んでいいか悩むし。聞いてもないのにベラベラ話されても困りますが(笑)
今川氏は武人ではなくて、文化人の家系だったのではないのかと思う。だから、桶狭間の戦いの後も子孫は文化人として生き残っている。江戸時代は高家として幕府のために働き、明治まで生き延びたらしい。武人の時代に文化人として生きることは非常に大変だったことだろう。桶狭間の戦いに敗れたらこそ、自分の居場所を見つけることができたのかもしれない。静岡駅に建てられた今川義元公の銅像を見ながら考えていた。義元公の前に立つのは竹千代君(徳川家康の幼名)の銅像です。
今夏は、市営プールの解放は、無理だろうな~。暑くなると、涼みたいので、プールや海に行く。夏の海やプールは混雑しています結果、密を作ってしまうので、休館は、仕方がないかな・・・。今朝も早く目が覚めたので、歩いてきましたダンスも50分大汗です。「麒麟がくる」愛之助、義元。もう、さようなら・・・。戦に勝った信長、もうすでに歪んだ怖さを感じました。来週は過去の大河「独眼竜正宗」の放送。⇒懐かしい!図書館で予約した本が、また、3冊受け取れそうです。
こんにちは(*´∇`)ノ本編応援のもラストスパートですね!私は緩参加でぼちぼちやってます笑今回も甘いシーンのスクショは無いです(´>///<`)💦ハズカシイカラすみません・・・(´;ω;`)↓占いの場面からスタート結果はあまり良くなかったのですが・・・このセリフかっこいいですよね!全国の姫が射抜かれたに違いないセリフ(?)この後謙信様はあのお香が媚薬成分があることを知ります。ここからスクショがないので文で( ̄▽ ̄;)その後姫ちゃんがお香を使う占いを見つけますが(確か)媚薬効
うたうたい青山仁司です。大河ドラマ麒麟がくるでも桶狭間の戦いが近づいてきています。毎年行なわれている桶狭間の戦いも延期?になってしまいました。信長&義元公の銅像も少し寂しそう?私の歌とおけわんこのなんちゃって敦盛で、桶狭間の戦いを感じてね!https://youtu.be/BYPkRsH6kn4
ここは異世界。バトルフィールド・センゴク。今川領土らしき場所。駿府城🏯・城内・大奥方の間。………………義元の息子・今川氏真「お義母たま🎵お義理母たま🎵お義母たまたまぁ〰️✨(((*≧艸≦)ププッ!!義元の母親・寿桂尼「(´-ω-)y‐┛~~…(なんでこんな子供👦に育ったかねえ…もっと武士のように品があって、義理人情がわかる者にならないのかねえ〰️…まったく困ったもんだよ)今川氏真「デヘヘ〰️。…お母たま❗寿桂尼「(´-ω-)y‐┛~~なんだい。今川氏真「僕
潜入されました( ̄∇ ̄*)ゞ笑この辺は創作でしょうが、一緒の菊丸(岡村隆史)って秀吉とダブりません?秀吉は三河出身じゃないから、いずれ他の名のある武将になったり( ̄▽ ̄;)序盤だけのキャラで、農民のまま終わるのかな?そして出ました竹千代(家康)(* ̄∇ ̄)ノ(NHKから拝借)(同じく)この後、古渡城から熱田神宮の南の加藤順盛の屋敷に預けられます。刈谷城には伯父の水野信元が居て、母・於大は城下の椎の木屋敷で暮らしてる。光秀との出会いなんですが、何か含みがありそうな?本能寺の
モッ君道三の存在感がハンパないですね。長谷川博己も主役の雰囲気を纏っていて好印象。川口帰蝶は、ついつい先入観が邪魔をしがち。これから、川口さんが帰蝶でよかったなるような好演に期待したいですね!次週は、愛之助義元が登場。駒ら、架空人物の展開も気になりますね。
TokukenYoshimotovs.TentaroKimura2019.12.12ダイヤモンドグローブ★バンタム級6回戦△義元得拳(神奈川渥美)判定0-1ドロー(56-58,57-57,57-57)アマ17戦10勝(1KO・RSC)7敗'19中日本バンタム級新人王△木村天汰郎(駿河男児)
10日(金)、JRAが義英真(よし・えいしん)騎手の引退を発表した。義元騎手はその理由として「モチベーションの低下」をあげているという。義元騎手は2014年にデビュー。初年度は17勝をあげ、翌年は18勝。3年目も16勝をあげるなどしていたが、4年目から乗鞍、勝数ともに減少。近年は1桁勝利に留まっていた。さらに今年は、5日の新潟競馬場・第6Rのハーキーステップに、55キロの負担重量で騎乗するはずが、0.5キロオーバーでレースに臨んだとして、30日間(開催日11日間)の騎乗停止処分を受けていた
奥州・伊達家伊達政宗公「小十郎!!片倉小十郎「(。・д・)ノ政宗様!何用で?伊達政宗公「(。>ω<)ノじゃ❗…何か宴はないのか❗❗片倉小十郎「(´ε`;)ゞそんな事急に言われてもねぇ…有るわけねぇだろ!伊達政宗公「また、次元が歪んで魔物どもが這い出て来ぬか?片倉小十郎「(・`ω・´)OROCHIは仙人界隈に戻ったでしょ❗伊達政宗公「(-公-;)…相模の獅子奮迅はどうして居る❗片倉小十郎「(・`ω・´)私が知るよしもないでしょう!伊達政宗公「(-公-;)…甲斐の虎はどう
ソラーテ!セクシー!昨晩は映像がないため、参考写真。え?ユニホーム?ですょね…ま、参考資料ないんです。虎、うたんから(笑)巨人になんと!逆転!満塁!あ!、逆転2ラン!!!あ、勝ち越し!2ラン!ホームラン、勝利!4対2!これで、ようやく、吉本の話題見んでもすむかも!!!義元の乱テレビ、阪神弱すぎてこればっかり!今日のおは朝は、間違いなくソラーテ一色関西に明るい話題、ありwww
山ぎわまで軍勢を寄せた時、激しいにわか雨が石か氷をなげうつように降りだした。北西を向いて布陣した敵には、雨は顔に降りつけた。味方には後方から降りかかった。沓掛の峠の松の根方に、二抱え三抱えもある楠の木が、雨で東へ降り倒された。あまりにも幸運なことに、「この合戦は熱田大明神の神慮による戦いか」と皆が言った。空が晴れたのを見て、信長は槍をおっ取り、大音響(だいおんじょう)を上げて「それ、掛かれ、掛かれ」と叫ぶ。黒煙を立てて打ち掛かるのを見て、敵は水を撒くように後ろへどっと崩れた。弓・槍
続き…信長が善照寺まで来たのを知って、佐々政次(さっさまさつぐ)・千秋季忠(せんしゅうすえただ)の二将が兵三百ほどを率いて今川勢に向かい、勇躍して突き進んだところ、敵方からもどっと攻めかかってきて、槍の下で千秋季忠・佐々政次をはじめとして五十騎ほど討ち死にした。これを見て義元は、「義元の矛先には天魔・鬼神もかなうものか。よい心持ちだ」と喜んで、悠々と謡をうたい、陣を据えていた。信長は戦況を見て、中島へ移動しようとしたところ、「中島への道は両側が深田で、足を踏み込めば動きが取れず、
我が殿、今川さんが全国ネットになった上、義元公フェア(違)を建仁寺で行うと聞いてすっ飛んできました!ウフフ、殿実は建仁寺に来る前に、素っぴんのお稽古に急ぐ舞妓さんを見かけてテンションMAXかんわいー声かけたい、写真撮りたい、握手してほしい、そんな願望を理性でこらえて(だって10代の女の子がいきなり見知らぬおばさんから声かけられても怖いもんね)急ぐ彼女をお見送りさせていただきました「あの子本物じゃない?」って夫に声かけた時、チラッと彼女と目があったので、それで満足です!(理性)
2019.1.12DANGAN220★52.8kg契約4回戦×義元得拳(神奈川渥美)判定0-3(56-57,56-58,55-58)○吉野ムサシ(八王子中屋)
それでは今回も。1月21日(土)に後楽園ホールで開催されたボクシング「DANGAN220」第40回チャンピオンカーニバルの第4試合、吉野ムサシ選手VS義元得拳選手の試合の様子です。第2ラウンド以降。第1ラウンド。第2ラウンド。第3ラウンド。第4ラウンド。・・・と試合は進んで。吉野ムサシ選手にとっては未知の第5ラウンドに突入します。しかしながら、吉野ムサシ選手はずっと足を使って最後まで動き続けました。もうね。義元得拳選手の放つストレートをダッキングでかわし
今回も1月12日(土)後楽園ホールで開催された「DANGAN220」注目の第4試合義元得拳選手VS吉野ムサシ選手の試合の模様をお送りします。まず、立ち上がりの第1ラウンド、両選手ともに右構えのオーソドックススタイルからともに距離をとってのジャブの刺し合い。しかしながら、第1ラウンドの半ば、吉野ムサシ選手の右ストレートが義元得拳選手の顔面を直撃!ダウンを取ります。立ち上がった義元得拳選手に対してレフェリーがカウントを取ります。そして試合再開!ダ
先日から続いているこのシリーズ後楽園ホールで1月12日(土)に開催されたボクシング「DANGAN220」注目の第4試合義元得拳VS吉野ムサシこの試合の模様をお送りします。今回の試合は52.8kg契約ウエイトで行なわれます。赤コーナー!義元得拳選手1985年8月11日(33歳)戦績8戦5勝3KO1敗1分スタンスは、オーソドックス対する青コーナー!吉野ムサシ選手1993年9月23日(25歳)戦績10戦6勝2KO4敗スタンスは、オーソドックス両選手、
昨日からの続きです。後楽園ホールに、ボクシング「チャンピオンカーニバル」「DANGAN220」を観て来ました!第2回です。2019年1月12日(土)後楽園ホール午後5時30分開場午後6時00分試合開始試合は第1試合第2試合第3試合・・・と進んで、いよいよ第4試合。52.8kg契約ウエイトで行なわれる義元得拳VS吉野ムサシ・・・この勝負の決着やいかに?つづく。
毎度こんばんは富山県でお昼まで営業をして、同僚と高速ぶっ飛ばして名古屋まで帰って来ました。帰宅途中名古屋駅で信長と義元の銅像(桶狭間の戦い)恒例の夕飯はかき揚げきしめんと天むすを、立ち食いしています。美味しくいただきました。
今日は寒いですね~((+_+))私、冷え症なので人と体感温度が違いますが、みなさんはちょうどいい気温なのでしょうか?昨日は暑かったし、着るものに困ります(;-Д-)昨日ですが、一人でふらっと吉田城へ行ってきましたよ(^^)/以前は土日のみ模擬天守に入館できましたが、続百名城に選ばれた辺りから?水~日まで入れるようになりました(^^)しかし、時間は短い(。-∀-)10時~15時までなので、お気をつけください( ̄▽ ̄)吉田城は、安祥城主・松平長親を警戒するため、1505年に長山一色城
こんにちは今回は、3年前くらいに行った、名古屋市緑区にある、桶狭間古戦場公園を紹介します。↑桶狭間古戦場公園の織田信長の銅像(左)と今川義元の銅像(右)です。桶狭間の戦いは、1560年に当時、尾張の領主だった織田信長が、駿河と遠江と三河を持つ今川義元を打ち破った戦いです。義元の軍は、約45000の大軍を率いていましたが、信長は、その10分の1ほどの軍で今川義元を破りました。ちなみに義元を討ち取ったのは、信長の家臣の毛利新介です。↑桶狭間古戦場公園の入口です。
タップダンス、踊れる?桶狭間〰️🎵桶狭間〰️🎵隙間があったら🎵隠れなさい?(((*≧艸≦)ププッ!信長ちゃん「一人足りとも、逃すな❗💢💢💨義元ちゃん「信長ちゃ〰️ん❗蹴鞠やろう❗d=(^o^)=bイェイ信長ちゃん「オリャアアア❗💢💢💨ヽ(・∀・)ノ┌┛Σ(ノ`Д´)ノドワ〰️ッ❗💢💢💨秀吉ちゃん「信長ちゃん「▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
うたうたい青山仁司です。桶狭間の朝信長公、義元公にご挨拶にいきました。桶狭間古戦場公園に凛とたたずんでいました。今年も桶狭間を盛り上げていきたいと思います。
清瀧寺の下(北)に信康堂。中には左に武者バージョンと右に公式行事バージョンの信康像。手前には願意龍。お賽銭は龍の口の中へ(゚ε゚;)噛まれないかドキドキしながら手を入れる(>Д<)ノ◎誰か居たらローマの休日を真似るのだが(笑)お金を入れると、、、これは入れてのお楽しみで。一番の願いは母の回復( ̄人 ̄)そんな母は低い所で安定中。回復したので見送った胃ろう(直接胃に栄養を送る管)の手術も受けた。鼻のチューブが取れ、抜かない為の拘束が無くなったのは喜んでいる。私の事を父と思
10月8日は日本最大級の語学検定である「英検」の1次試験でした。受けられた皆様、大変お疲れ様でした。そして、その夜には大河ドラマ「おんな城主直虎」(第40回天正の草履番)の本放送が。井伊の家名を徳川の元で復活させ、お家の完全再興を志す万千代(のちの直政)に、跡継ぎを失う事になる養家の松下に対する手前、徳川家臣や直虎たちが難色を示します。直虎は松下や井伊家所縁の人達の要望に応えるために、浜松へ家康に直談判をしに。但し、前々回のドラマ考(大河ドラマ考268直虎22)でも示しました様に、ここの
美濃路を北上し、県道127号線を越えると正覚寺。入口に案内。関ヶ原の戦いの功で清洲城主となった松平忠吉(家康の四男)が、亡母・西郷局(三男秀忠も同母)の菩提寺として、前任地の武蔵国・忍より移しました(1603年)関ヶ原で忠吉を後見したのが舅の井伊直政ですね(* ̄∇ ̄)ノ「直虎」では関ヶ原までしませんよね?(´Д`)「その後は、、、」とかナレーションベースで良いので、菅田将暉の活躍も観てみたい(;´・ω・`)欲を言えば、彦根まで別枠のドラマを正月にしませんかね♪(´ε`*)
静岡駅から在来線で下る。2つ目の用宗駅で持舟城がある山を見るも、人が多くて良く分からず(^^;更に3つ進み藤枝駅で下車。6つ目のスタンプゲット(* ̄∇ ̄)ノ改札のフェンス際にあり、出なくても押せそうでした( ̄▽ ̄;)無理なら親切で暇そうな人にお願いする(笑)一般的に夏休みは終わっても24日までは置いてます。花倉の乱は今川氏の家督争い(1536年)駿河今川八代氏輝(七代氏親の嫡男・母は寿桂尼)と彦五郎(同次男・同母)が同日に急死(暗殺とも)寿桂尼(氏親正室)や太原雪斉(義元の教