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今日の店休日午前中は弁当作りで出勤午後、私より年長の知り合いの方から電話を頂く「どうだい・・・」といつもの気合いである多少戻りつつもあるが一気に以前の様には戻らない・・・とこの数年間で人の意識が変わったようにこの3~4年間は実に長い日々である変わる事が出来ないのは団塊の世代のみ新しい生活様式が良い悪いでは無く人が長年続けた生活様式が良いのではと思うものの「結婚式、葬儀」と言う慶事、仏事・・・「退職祝い」「節目の祝」「子の祝」等の祝い事はコロナ禍の行動自
毎年、群馬高崎の友人が送ってくれるおいら一押しの上州榛名の梨”南水”今年も届きました~!150年の伝統を継ぐ群馬の名産南水は、通常の梨より収穫時期が遅く、糖度が高い上、酸味が少なく、ジューシーで貯蔵性にも優れてる。こちらでは、豊水・幸水・二十世紀ぐらいしか売ってないんで南水が食べられるのは年に一度、デカくてもぎたてYさんいつもありがと~!おもしろ発信地JAMSESSIONアクセサリーCafeFacebookはこちら!アクセサリーとお茶とお食事のかわいいお店
当店も来月、十二年を通過する開店して一年後の六十五歳の時私は変身した。表彰も賞状も無縁の単なる「洋食屋のおやじ」になった回りの同業者への気遣いも無く・・・気楽なものである。自身が覚えた昭和四十年代の横浜ニューグランド系西洋料理を自信を持ってお客様にお出する何処にもいる「洋食屋の職人」にたとえ世間、業界からは認められなくても、お客様が満足する料理を作る事が自身、この道を歩んだ原点である事を人生の定年時に気が付く同業料理人から見れば「近年のフランス料理」よ
やっと手に入った26日分当店の納入業者で加工鮭の端材昨年秋に長寿で表彰された我が家の猫長寿のご褒美は鮭のフレークである私が厨房で皮と骨を綺麗に取り除きブッ切りにするそれまでは病院で買う薬が混じったキャットフードと鰹節の二点それ以外は食べる事の無い18年間昨年から1日30gの鮭を食べ出した良いか悪いかは別の事、これだけ長生きしたから良いかと「タマ」の前に飼った猫が8年の寿命であった・・・「タマ」ちゃん夕方が待ちきれない感じで5時前になるとウロウロ・・・
私は「○○県立商業高等学校」の三期生丘陵地帯の緑地公園の一部を造成した学校であった毎朝朝礼の最後は石ころ拾い一番上に校舎グランドは段違いの下に麓の駅から無舗装の道を30分以上歩けばに学校着くが梅雨時は抜かる坂道を登って登校する難儀さが・・駅には一台の公衆電話ボックスがあった私の人生を決めた「公衆電話」当時、市内中心部にある伝統ある商業高校と違いOBの少ない当校進路指導部の先生も大変であったと思う市内二つのホテルの就活に不採用の私通知翌日には指導室に呼び出し
当地にて猛暑というのか38℃は流石にきつい身体はともかく、ストーブに掛けっぱなしのソース類は毎朝する火入れも、先人が実行した朝晩二回にしなければもたないかも・・・冷蔵庫内のスープ、ソース、肉、魚の素材類、ボイル野菜とポテトサラダ、マカロニサラダの冷製サラダ類も悲鳴を上げる外気気温にて冷蔵庫もフル回転で設定温度、品質を維持する。大規模なレストランと違い当店のようなゴミのような店厨房内の設備、装備全てが原始的というか昔の間々である只ひたすら先人の知恵を第一と考える素
今から六十年前の高校時代、一番仲が良かった同級生彼は庭に当時流行のプレハブ住宅を建て優雅な一人暮らしお陰で当時覚えた麻雀、喫煙は自由の身で彼の家に行くのが楽しかった二人は高校時代の夏休み二十日間はアルバイトで稼ぎ残りの日々は旅に出掛けた当時、国鉄で人気のあった期日周遊券を使った夜行列車内宿泊旅行紀伊半島・・・三重県側を観光し朝方は大阪天王寺新世界、通天閣、じゃんじゃん横丁スマートボールに掛け将棋に驚き又夜行で反対側へ富山、能登半島・・・富山からトロッコに乗
今日は暑かった何故か?暑いと食欲が出る私今年初めての「そうめん」を食べた元々は「そうめん」「ひやむぎ」「うどん」「蕎麦」といった麺類は好きでないがこの歳になって好物になった品物である。只、「そうめん」だけでは栄養不足と思い鶏の照り焼き丼、キャベツと豆腐のサラダ仕事始めの今日は近来にない豪華な賄いである。先日の市が行う定期検診で知った体重減少による本人の自覚である。私の場合の痩せ体型は所詮、食に対して我が儘な性格からで食べ物の好き嫌いが激しく食べても途中で味が
店の厨房、休憩室、暑さ全開の中又一週間が過ぎ、明日は楽しい店休日である。何故か厨房、休憩室は夏は暑く、冬は寒いが当たり前に成った本人最近では厨房内でも汗も余り掻かない「しなびた身体」になり休憩室では暑くても毎日昼寝をする「無感覚」な老人になった人には「若い頃、外洋船で赤道を渡ったコックさん」と・・・明日の休日、予想気温は37度との事早めに用事を片付け、冷房の効いた家でゴロゴロか・・・職場に冷房は不必要人間でも休日は冷房にて極楽気分を満喫するわがままな老人である
久しぶり一番上の姉さんの声を聞く私の育ての親のような姉上である一回り、歳の差がある子育て、百姓仕事で忙しいお袋に変わって私を見守ってくれた姉の記念行事、高校入学、成人式・・・写真が趣味の親父が撮る写真全てが私とのツーショットである末っ子と長女・・・不思議な関係である以前大病を患った姉さんが今年米寿を迎える今でもよく食べ本人「死ぬ事を考えた事ない」というやはり長寿の秘訣は「食欲」と「普段の気持」である当店へお出掛けになる八十歳以上の高齢老人の方料理
料理という味に携わって56年を通過したもののいっも疑問が蘇る昔の味と今の味の違い・・何故違うのか現代人と半世紀前人とは「これは美味い」という感覚が多少違うのかも?昔と違い多種多様の食べ物が存在する今例えば「餃子」一つ取ってもお店により多少変化がありスーパーでは冷凍商品が生餃子に変って主流になり脂が要らない餃子など便利で尚且つ食べて美味しいラード脂を餃子にまぶして冷凍にし、更に片栗粉で羽根つきに半世紀前の路地裏、横丁にあった「○○飯店」では中国からの出稼ぎ料理人が
誰もが悩み考える厳しい状況が続く飲食店自営であろうが勤めていても今のコックさんは皆同じであるそんな中予約が二ヶ月先まで一杯なんていう店がこの世にあるなんて・・この違いは何であるのか?勿論、料理が違うのはわかるが・・・都会という場所なのか・・・いやそればかりでは無い地方都市にも人が住み普通の生活を営んでいる楽しい事も、つまらない事もどこに住んでも同じ数だけある料理人誰もが今作れる最高の料理を提供している今時、料理が美味しくなかったら直ぐお客様から見放される美
先日野菜を頂いた先輩の姪御さんがお食事に店内にある叔父さんの若い頃の写真に感動久しぶりに昔話が出来た楽しい一時であった朝時には同業の友達との電話による会話数日前に催された協会会員数が激減の話題で当たり前の事である今現在の若者、団体幹部は親分子分が存在しない個人の世界本人が嫌なら誰に気兼ねする事なく退会する事が出来る我々の一生は初めて会った人が一日でも先にいれば死ぬまで先輩であるこの歳になっても親方、先輩は心の支えであり先輩は先輩は死ぬまで後輩を気に掛ける
今朝の上毛新聞に掲載された記事100歳のお婆さんが作ラーメン1960年代に開店したお店で現在でも週6日厨房に立つという「100歳の人生が込められた美味しさだ」と記事は終わっている。やや、痩せ形ではあるが素晴らしい気力のおばあさんである。私の25年後の姿であるが・・・想像も出来なければ考えた事もないチヨット忙しいければ「疲れた疲れた」と言い暇なら暇で「暇疲れだ」と愚痴を言う私先ずは根性が違うし仕事、働く事への意欲が大きく違う今の私などに「人生が込められた
毎日、一日が始まり一日が終わる何年、何十年、同じ事を繰り返して時代というものを築くのか何時も思う飲食店の賞味期限は「十数年」時が来ればどんなに美味しくても飽きが来るお客様も歳を重ねる問題は飽きが来ないように今の料理に満足しないで「手間という工夫」をする事かも「工夫」でも誰もやらない新しい料理は直ぐに飽ききられるのが時代の流れ我々が「工夫」の手本となるのは過去に於ける先人の料理だけ工夫に工夫を重ねてこの世に送り出した先人料理人の美味しさ私も何かしなくてはと・・
「十年一昔」とは上手い事言ったもので壊れるときは皆同じ電話が故障、玄関のセンサーが故障とどちらも十年近く使用していた調理器具のリースが八年から十年上手く出来ている。人の生活文化、特に仏事、慶事にかかわる食事会も「十年一昔」と言うように十年前と現在・・随分、様子が変わった当店にて法要後の「お清め食事」お子様の「お食い初め」などの御予約、お問い合わせが昨今、大変多く、時代の変化を感じる何故なら、元々これらの行事料理は和食で送迎用のマイクロバス対応これが十年
本来なら休日ではあるが夕方お弁当作りにお店へ帰宅途中にお店から転送電話が車内に市内の小学校から7月20日のお弁当注文もう一学期の終業式なんだ・・・とつい最近桜が満開になり・・・散り始め若葉が生い茂る季節となったら、直ぐに台風、豪雨と驚くスピードにて月日は過ぎる歳を重ね「人が生きる道程」も長く感じるか、短く感じるかは人それぞれ人生を器用に生きれば短く感じ私のように不器用な生き方しか出来なければ長く感じるかも「生きる事に下手な人間」こそ長く感じる不器用な人の
今日から新しいスープが始まった今までのスープも美味しかったし、当店のお客様から絶大なる支持を頂いたが更にその上を目指す深みあるスープとは思い作成したのが今回のスープである古来伝わるスープの基本を今現在の素材のレシピに照らし合わせて自分なりにメージャーを改正して作った品物一世紀前・・・百年前の野菜と今の野菜では当然の事ながら大きな違い・・・旨味、甘味等々美味しさの基を作る素材の味が違う私の子供の頃、キューリ、トマトは塩をかけて食べるのが今で言う「おやつ」であり、今
最近製薬会社の営業利用に於けるお弁当が少数ではあるがコンスタントに続く状況である営業マンの方に聞けば・・・町の小さなクリニック、医院はかなり営業が可能になったが大手病院はまだまだ大変な状況と言う事である。有り難い事に町の小さなクリニック、医院の院長先生からの逆指名が多く・・・当店の「古典洋食弁当」が気に入られている事の様これら医療関係のお弁当に家庭向けのお弁当が加わりかなり良い成績ではないか今後、ネットによる大手弁当注文サイトの不振が回復すれば有り難いが・・・
昨日珍しいお客様が・・・「お父さんはお元気ですか」「呼んで頂きたいのですが」お客様の名前から思い浮かぶのは県内で二人でも、お店に来るとなると・・・記憶のない名前である。誰だろうと思いながらホールへ何と私が東京でお世話に成った先輩の弟さん長男の先輩は五十二歳で東京で亡くなり、県内の実家の墓に納骨された先輩とは不思議な縁で亡くなった何年後に私が入れ替わりに私が先輩の実家がある県内に移住する事になった縁である。正に世の中不思議な出来事があるものだ。その後、墓の
台風、豪雨と騒いでいる内に今月も10日過ぎた・・・此といって、良い事も・・・面白い事も・・・今思えば何もない10日間であったが一語で言えば「無事、無難な日々、これ最高」と心の中で思うもののどこか頭の片隅に「変化」と言う、突飛な事を求めるのが老人の戯言である。歳を重ねる事はその分米を食べ米粒の数だけの世の出来事を経験した事になる尚更、歳を重ねれば無駄な行動をしない分単なる暇老人になってしまうのが通常であるが老人が求める「変化」と言う「刺激」があれば
昨日は大変な思いをした牛乳パック1000cc15本分のチキンブィヨンを作るには寸胴に鶏ガラ8kg、香味野菜2.5kg、水15000ccを加える私の歳ではとても一度ではストーブに持ち上がらない重さである鶏ガラ5kgなら大丈夫だが3kg増え更に寸胴の重さの増えれば不可能である事を知った本日のポタージュスープ作り再び香味野菜を炒め小麦粉を加え、昨日のチキンブィヨンで繋ぐ開店以来作り続けたポタージュスープを今回更に進化したスープに変身する仕込で期待通りの味わいになったものの
いよいよ梅雨入りである・・・毎年の梅雨入り時には必ず思い出す事がある高校入試の前年の暮れにラジオから流れた曲ザ・カスケーズの「悲しき雨音」・・・大好きな曲であった高校入学後の梅雨時、当時のTV番組「シャボン玉ホリデー」で雨の曲目でハナ肇とザ・ピーナツがこの曲をカバーした場面何故か鮮明に記憶していてこの時期が来ると毎年思い出す1963年梅雨時に放映のTV当時の我々はラジオの歌番組、特に洋楽に興味があり夜遅く放送される「ビルボード・ヒット・100」など必ず聞く番組であっ
「昭和の和風醤油ドレッシング」基本材料は変えずに当時のまま細かい味は幾つものレシピを照らし合わせて作った今回の令和一号「昭和の醤油ドレッシング」である。昭和の料理に共通する味口に入れ呑み込む時に舌で感じる「味の深さ」を追求したものになり鼻に抜ける時に感じる「素材の強弱」を再び味わえるもの我々の年代の料理人は今まで色々なドレッシングを作った専門書に掲載された西洋料理に登場するドレッシングから日本の洋食店のドレッシングまで「フレンチドレッシング」「トマトドレッシ
本日の仕事も無事終了爺さん、親父、兄貴とっくに三途の川を渡った歳なのに何故働くか?「楽しい事7割、嫌な事3割」だからが答えである何事も7対3ぐらいの割合が一番良いのでは昔の一般人の髪型7.3だけではなく地球の陸と海・・・等々全てが7:3である7:3は美しく綺麗であり我々の料理も仕込7に調理3である。当店も月初めの天候不順により急降下の不安定さだが仕込だけは毎日続くのが洋食である。本日も牛筋、鶏ガラ、香味野菜などを入れては漉し又入れては漉すという作業を繰り返し
今日は醤油ベースの、世で言う「和風ドレッシング」を作った当店は今まで「オレンジドレッシング」だけであったが何か新しい物と考え古びたノートを開き「和風ドレッシング」を捜す何十年の前から遡れば何十種類のレシピ・・・メイジャー分量を捜し出した油にまみれ厨房の汚れにまみれたノート紙面一体どれが最高の味なのか・・作った自分でさえ判らない表題は「改No○○和風ドレッシング」記入されたレシピノート基本的な使用材料は変わらないものの20代の頃、30代の頃、40代の頃・・・と不
今日来店した中で初めて当店をご利用のお客様話をすれば・・・時たまお弁当をご注文するお客様の家族で今日はかなりご高齢の母親と娘さんの組み合わせ判りずらい場所・・・しかも町中心からも離れた当店これといった何の取り得えもないお店だが利益はなくとも、只ひたすら昔の記憶を蘇らす職人仕事を続けた店当店のお客様は何時もお見えになる常連さん昔行ったお店のお客様何かの事態で店を知ったお客様親族、知り合いからの話題でお出掛けになったお客様常連のお客様を除けば全て「口コミ」というお
新聞を見れば大きく掲載される記事は○○では××支援開始とか○○市町村では××助成金開始と華々しく書かれているものの本当に国民、県民、市民の為なのか判らない昨今その一方で○○破産宣告とか××倒産という記事が紙面片隅に小さく掲載される世の中、肝心な小さな事は何も決まらなくても大きな発表はする時代になってしまった。昔の学校には必ず存在した二宮尊徳が残した言葉「小を積んで大と為す」今の世の中は全くの逆の現象である我々の業界も「何かしなければ」と一発の大ヒット
明日の朝一仕事はクリームコロッケの仕込大量の玉葱をバターで丹念に炒め・・溶けたバターの中に小麦粉を加えオープンで色付けしないで作り上げたベシャルーを加え牛乳でのばす火が入ったならオーブンで表面に脂が浮くまで10分おきにかき混ぜ、面倒見るこれが大変な手間作業である。古来、日本のコロッケはポテトコロッケであるガキの頃の我が家、日曜日の昼飯はポテトコロッケが定番であった商店街外れの肉屋さんへ1個5円のポテトコロッケを18個買いに行くのが私の仕事であった新聞紙に包まれたコロッ
今日は「この料理を・・・食べたい」という拘りのあるお客様がお見えになった他のお客様は色々でもこの二組は別格一組は「海老フライ」通常は大きな有頭海老が一本付くメニューに特別に二本付ける頭から尻尾まで綺麗に食べるお客様帰る時「海老フライは美味しいですね」と一語昔からどのレストランでも存在したメニューで他の料理よりちょっと高価な「海老フライ」当時一般庶民では高嶺の洋食である。もう一組は毎週お出掛けになり、当店の「ロールキャベツ」を美味しそうに食べるご夫婦本人も