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「群盲象をなでる(評す)」という話があります。数人の盲人たちが、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合います。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まるばかり。しかし、何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というものです。それぞれの宗教の教えは、神様の真理の一部分を伝えてくれています。「いや、わが宗教は真理の全てを解き明かしている」と反論される方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも限りあ
このサイトのインデックスに「精神を観る」というコーナーがあります。そこでは精神を病んだ芸能人を取り上げて解明を試みたのですが、思い通りに行かずに挫折しました。算命学のおもしろさは、その人の学んだ知識なりに解明できてしまうというところです。起こった出来事を、星からでも、運勢からでも、位相法からでも、それなりに解説ができてしまいます。だからいいかげんということではありません。「郡盲象を評す」という比喩をプラスに考えれば、人間の視覚ではとらえきれない大きな存在を部分を集積することで
数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合うインドの寓話。目が見えない盲目の人間が数名集められ、その人たち全員に象を触ってもらいます。全員目が見えないので、象という動物が何かわかりません。そこで、触った感触から象という動物がどのようなものか、感想を述べてもらいます。象に触れた盲目の人々は、象の体のすべてを触ることなく、それぞれの触った感触から感想を述べます。足を触った人は「柱のようです。」と答えた。尾を触った人は「綱のようです。」と答えた。鼻を触った人は「
⒑日間のお盆休みでブログを休みましたが、今日から再開します。経験を踏まえ、毎日2千字前後でブログを書いていますが、使い慣れた言葉、用語が実は差別用語で、読者から指摘されることがあります。私は団塊の世代ですが、長年使い慣れてきた言い回し、諺、用語が使えなくなってきました。いわゆる差別用語に該当するというのが、その理由です。言い得て妙な表現ではあるものの、それは差別を前提としたものだったというワケです。そもそも、言い得て妙と思ってきたことがいけなかった!ということです。昔は目が見えない人
\魂から/ブレない発信力と自立マインドで「高額」でも自信をもって販売できお客様に感謝されながら購入されていく魂の自立起業プランニング➐日間無料メールセミナーブログに来てくださってありがとうございます♪プロフィールはこちらから阿部ちかこです。最近の私は自分の中の光と闇自分が信じて疑わなかった真実や正しさを見直すタイミングのようです。群盲象を評すを知っていますか?インド発祥の寓話
晴れた金曜日いい天気です。バーゲンだったのでヘルメットを新調しました。ショウエイのHornetADV。バイザー付きにしたのは夕方になると陽射しが眩しいことが多いから。マットグレーがクラウドブルーのZ650に似合います。ウェアがだいたい適当なのでそれなりなんですけど。:-PZ650は面白いバイクなのですが、荷物を積みにくいのが欠点です。昨日はヘルメットを運ぶのに苦労しました。って、そういうバイクじゃないか。ヘルメットを含むバイク用品はここ半年くらいでずいぶんと値上がりしました
❝群盲像(ぐんもうぞう)を評す❞という言葉を聞いたことはありますか?古くからインドに伝わる寓話です。昔、ある王様が盲人を集め、像を触らせた。彼らは、それぞれ象の一部分だけをさわって、象の姿を思い浮かべた。そして、王様に「象とはどんな動物か?」と聞かれると次のように答えた。足を触った者は「柱のようだ」尾を触った者は「ロープのようだ」鼻を触った者は「ヘビのようだ」耳を触った者は「うちわのようだ」腹を触った者は「壁のようだ」牙を触った者は「ヤリのようだ」
自分が何者かなんていうのは、極端と極端の間のどこにあるかを知ることでしかない。たしかに。「少食が健康に良い」ということは、誰もが一度は聞いたことがあるし、私のような、万年ダイエッターには憧れでもある。少食で、活発で、猫のようにしなやかな私!に、なりたいものである。世の中には、理想を実行してしまえる人が案外いて、二年ほど、少食を通したそうだ。ところが、全然、理想とはかけ離れた結果になった。やけくそになって、普通の食事を
こんにちはライトコピーライターの風谷海斗ですいつもお越しいただき感謝していますこのブログでは愛と調和の世界を創造し潜在意識を活用してがんばらないでゆる~くらく~に願望をどんどん叶えるノウハウを発信しています『メンターとひまわりさんの教え』で潜在意識を愛の波動領域に根こそぎ変えて整えています本日もブログを通して愛の波動の波紋を広げております記事にいただいたコメントなどは感謝しながら全て大切に読ませていただいております●〇━━━━━━━━━━━
ご訪問ありがとうございます♪いつも“いいね”をくださる方々励みになります。本当にありがとうございます先日に引き続き↓↓↓今日も午前中はお仕事。昼からは先週と同様のセミナーがあったので『四国大学オープンカレッジ』ご訪問ありがとうございます♪いつも“いいね”をくださる方々励みになります。本当にありがとうございます今日から四国大学のオープンカレッジの講座が始まりました。前…ameblo.jp昼食をコンビニ飯で済ませました。今日はミニストップに行ったのですが時間が無さすぎて運転し
こんにちは、どんぐりです。わたしの自己紹介ですたくさんのブログがある中で当ブログをご訪問頂き誠にありがとうございます。皆さん『群盲象評す』(ぐんもうぞうをひょうす)という言葉を知っていますか?意味は、『物や人の一部、一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう』です。インドの昔話でこんなお話しがあります。ある国の王様が数人の目の見えない人を集めてゾウ(象)を触らせました。そして、ゾウとは、どんな生き物か?と質問しま
こんにちは内乃燈ですこのブログにお越しいただきありがとうございます心から感謝したします今日もゆる〜くお付き合いいただけると嬉しいです6人の盲人と象あなたは「群盲象を評す」というインド発祥の寓話をご存知ですか?あらすじは数人の盲人が登場してそれぞれが象の鼻や牙など別々の一部分だけを触りその感想について語り合うと言うものですジャイナ教の伝承では6人の盲人が象に触れてそれが何だと思うかを問われる形で進んでいきますお話の内容
こんにちはライトコピーライターのoioi101ですこのブログを引き寄せてくださりありがとうございます時空を超えてあなたと出逢えてとても嬉しいですコメントやいいねとても励みになっています心から感謝いたします今日の想ふことは・・・混ぜないです6人の盲人と象「群盲象を評す」というインド発祥の寓話をご存知ですか?あらすじは数人の盲人が登場してそれぞれが象の鼻や牙など別々の一部分だけを触りその感想について語り合うと言うものです
「病は気から」昔の人はそう言いました。しかし、なぜ人は気を病むのでしょう?SNSの広がりで、いろんな人が自由に発言できるプラットホームができました。政治的な工作に利用され、「頭の悪そうなハッシュタグ」で数万件集まったからこれが民意だ、なぁどという輩もいますが、大抵の「普通の人」はちゃんとわかっているのでまぁいいでしょう。スマホが出来て、「承認欲求という病」、特に、日本人はこれを気にしますからね、だから「お墨付きのようなものを求めたがる」特に、差別に関するものはそうですね。
今の人間は「群盲象を評す」になっている。だから、すべての困難な問題が解決できなくなっている。人間が時代とともに無限に進化していくというのは錯覚です。明らかに今の人間は退化して馬鹿になっている!
晴れた水曜日。今は陽が射しているけれど、だんだんと曇るのだそうな。今朝は屋根の上で騒ぐ鳥に起こされました。たぶんハトかヒヨドリかムクドリ(カラスではない)だと思うけれど、妙なところに営巣されると困るなぁ。逆光でうまく撮影できなかったミニミニ藤昨日は所用があって駅前に出て、そのついでに馴染みの百貨店で書店を冷やかしたりしたのですが、なんだか百貨店の階段近くにある休憩所にたむろしている老人がとても多い。彼らはいったい何をやっているのでしょう?と言うか、ただ座っているだけなのです。ちょ
倉庫の中から、「そういうのを、めくらが、象を撫でるって言うだぞ。」と、大声がして、「さすが、所長経験者、学がある。(笑)」と、相手との会話。OBの年寄りが、訪ねて来て、話していたようだ。旧知の間柄の会話に、入るほど無粋ではないので、そのまま、通り過ぎた。「群盲象を撫す」の図の、目貫の拵えの脇差を、持っていたので、私には、その意味が解る。今では不適切な表現ですが、「群盲象を撫でる」「群盲象を評す」(撫す、撫づ)などある国の王様が、献上された象の前に、盲人を集めた。この盲人達を象の
このブログでは歴史のことを度々取り上げますが、ここでは学校の歴史と違って何年に何が起こったとか、そういう記憶しなきゃいけないこととして捉えなくて結構です。日本の歴史は大河ドラマなどで見られることが多いとは思いますが、それを通して人はどういう状況でどういう風に判断するのか、その判断が後にどう影響を与えていくのかということを学べます。まあ昔も今も、いろんな面であまり変わりがないことが非常に多いです。ですからその歴史を通して人はどういう時に失敗しやすいのか、なぜ成功できたのか、いい教訓もあれば
こんにちは、どんぐりです。わたしの自己紹介ですたくさんのブログがある中で当ブログをご訪問頂き誠にありがとうございます。皆さん『群盲象評』(ぐんもうぞうをひょう)という言葉を知っていますか?意味は、『物や人の一部、一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう』です。インドの昔話でこんなお話しがあります。ある国の王様が数人の目の見えない人を集めてゾウ(象)を触らせました。そして、ゾウとは、どんな生き物か?と質問しました
ブログへのご訪問、そしていいね!やコメントにフォロー、どれもありがとうございます最近、子ども達の中で鬼ごっこがブームになっているようです。とは言え、一番上と下では6歳の年の差があるので普通にやっていては成り立ちません。そこで長男が考え出したのが、お尻歩きをしての鬼ごっこですこれならば3人が楽しめるようで、お尻で移動しながら遊んでいます。ところが、最初のころ、ダウン症がある娘がどうしても「鬼」になることを受け入れられず、娘が鬼になるたびに鬼ご
「群盲象を評す」という教訓的な言葉があります。何人もの盲人を「象」という動物の身体の一部に触れさせて、これは何だと王様がたずねる。足を触った盲人は「柱のようです」尾を触った盲人は「綱のようです」鼻を触った盲人は「木枝のようです」耳を触った盲人は「扇のようです」腹を触った盲人は「壁のようです」牙を触った盲人は「パイプのようです]それを聞いた王様はこう答えました。「あなた方は皆正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウ
世間では『気』というものについて、様々な意見があります。科学的な研究から、スピリチュアルなものまで、幅広く見受けられます。その中には、堂々と名称に『気』をつけている『合気道』と言う武道もあります。私も武術派、護身派の合気道である、合気道S.A.の師範として、過去の様々な武術や修練から『気』について個人的考えを持っています。合気道S.A.を創設された、天才合気道家である櫻井文夫代表は、気について語りません。師範になる少し前であったと思いますが、そのことを直接、尋ねたことがあります。櫻井
「群盲象を撫でる」または「群盲象を評す」という成句がある。インドの寓話に発する語で、何人かの視覚障害者を大きな象の身体のあちこちに触れさせたところ、ある者は脚に触れて「象は柱のようなもの」と言い、またある者は鼻に触れて「木の枝のよう」耳に触れて「扇のよう」体に触れて「壁のよう」…「木を見て森を見ず」的な意味とか、宗教の恩恵を未だ受けていない衆生に例えるとか、いずれにしても目の見えない人にずいぶん失礼な話であり、近年公の場に取り上げられることはほとんどないように思われる。
くどいようですが、今日は「主権回復の日」です!大切なことなので、2日続けて言いました。みなさんこんにちは、像は動物園でしか見たことがない佐々木泰久です。もっとも、バンコクのワニ園では象に触ることもできました。ワニ園も動物園のうちでしょうから・・「象の日」もなかなか由緒正しい記念日です。詳しい話をするとそれだけお腹いっぱいになるので、今日は割愛象といえば、「群盲象を撫でる」です。「群盲象を評す」とも言います。意味は同じです。有名な寓話なので、あえて説明しなく
曇り空の火曜日。ときどき陽射しはあるけれど、これからときどき雨が降って、気温はなかなか上がらないらしい。昨日はちょうど昼ぐらいから雨になって自動的に外出自粛になりました。それでも予定していた必要な食品のお買いものには出かけましたけれど。雨なのでスーパーが空いていて助かる。最近、スーパーの食材が高くなっているような気がするのは気の所為かなぁ?象、間近で見たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようあります。1729年の今日、ベトナムから献
BodyVoice加藤です今日もご訪問いただき、ありがとうございます♥♪ヽ(´▽`)/プロフィールはこちら⇒★push実は昨日から体調がいまひとつ…自覚症状としては・からだが冷たく、寒い・やたら眠い・からだが動かない・胃の辺りがムカムカする・胸が痛い・頭痛・膨満感(お腹の張り)等一瞬流行りもののアレか?(((;゚Д゚)))と震撼しましたが、熱はないし、喉、気管支に炎症なしおまけに、取り方次第ですが正論で攻撃?なこともいや、正論にこだわることが悪いと
No.213独立開業で失敗するオーナーをゼロにしたい☆相談数のべ500件超世田谷区の開業サポーター小松です昨日のつづき…アクションラーニングのセッション中にファシリテーターが問題は明確になっていますかと問いかける理由人が『問題』だと捉えているものの多くは“暗闇で象にさわる”がごとく全体のほんの一部分にもかかわらずその一部分が本質だと間違えてしまうからですさてアクションラーニングの
No.212独立開業で失敗するオーナーをゼロにしたい☆相談数のべ500件超世田谷区の開業サポーター小松です私が抱えている問題は○○ですでもそれは本当の『問題』じゃないこんなことが起こる理由が“群盲象を評す”というインド発祥の寓話でこんな風に表現されています暗闇で(または目隠しして)象にさわると耳をさわった人は“これはうちわだ”牙をさわった人は“これはヤリだ”鼻をさわった人は“これはホー
おはようございます札幌市西区宮の沢にありますオステオパシー整体院セルフリライアンス院長の小田直矢です先日受講したセミナーの中でこんなお話をしていただきました“群盲象を評す”象を見たことの無い盲目の方たちがそれぞれ象に触れ象を表現する尻尾に触れた人が「象がひものようだ」脚に触れた人が「象は柱のようだ」胴体に触れた人は「象は壁のようだ」鼻に触れた人は「象は蛇のようだ」それぞれの表現は決して間違っていないしかしそれが象なのかと言えば、象ではないつまり一部だけを捉えていては