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http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/345/00.html豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。この脇指は身幅が広く、切先がやや延びた豪壮な造り込みで、刀樋に添え樋をあしらった手の
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/344/00.html阿波徳島の海部師久を祖とする海部鍛冶は銘鑑によると鎌倉末期より始まると言われ、現存が確認出来るのは応永頃からで、江戸時代には蜂須賀家のお抱え鍛冶として徳島城下で鍛刀し、幕末まで永く栄えた一派です。三好長慶家重代の指料名物「岩切海部」は、室町時代後期明応~永正頃の氏吉による作とされ、海上での使用に適した実戦的な作を遺しており、俗に「海賊刀」との異名をもって親しまれ
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/343/00.html疵欠点皆無。匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼く。刀剣趣味初心者入門用、脇指での居合や試斬、武用刀としてお薦めいたします。裸身重量488グラム。
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/342/00.html寸法の割りに反り深く付き、重ね厚い造り込みに互ノ目乱れを焼いた作品。乱れの谷には沸筋が連なり、吊橋の如し。時代の割りに焼刃しっかりとしていて、刀剣趣味を始められる初心者にもお薦めの一刀です。互ノ目を焼いた吉則銘と言えば吉井派が思い浮かばれますが、無鑑のため吉則銘に関しましては真贋保証致しかねます。無難に無銘の古刀脇指としてお求め下さい。※古研ぎ身につき、所々にヒケ
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http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/551/00.html小板目肌良く練れて詰み、少しく肌立ち、疵気無く、刃文はふわりとした小沸本位の直刃に所々足が入り、刃縁の地鉄に絡んで働きを見せる。出来良い一刀ですが、荒い砥石目を残した研磨がなされているため、この一刀が持つ良さをじゅうぶんに発揮できておりません。筋切り作業で失敗して横手を下げたものと思われ、本来はもう2ミリ程上に横手を切るべき姿が損なわれています。特に目立つ錆はありま
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/145/00.html藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を
脇指備後國三原住人貝正則作弘治三年二月吉日http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/339/00.html三原正則は、末三原の一派である貝三原の刀工で、作刀時期は弘治頃、現存する作刀は比較的少ない。備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、
刀無銘http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/550/00.html板目肌杢交じり良く練れて肌立つ。刃文は直刃調で匂口やや沈みごころ。刃縁は肌に絡んで砂流や金筋等を顕著に表す。製作年代を室町中期から後期と表記しましたが、古い時代の再刃刀です。しかしながら上手な再刃ですので、再刃物特有の嫌な地鉄の変化や刃中匂口のムラや匂切れなどと言った欠点は無く、刃幅もたっぷりと焼いているので、細身ではあるものの、今尚じゅうぶんに刀としての役目を
短刀無銘(伝固山義次)~御守刀に最適~http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/144/00.html義次は幕末の名工、固山宗次(初代)の次男で、父である宗次晩年期には、その代作を手掛け、彫も上手かったと定評の高い刀工です。この短刀は柾目鍛え良く練れて詰んで少しく肌立ち、匂口締りたる互ノ目乱れを二つ一組に焼き上げています。指表の帽子は掃き掛け、地に向かって火炎がかった出来口となっています。附属の拵は同時期に製作された江戸期の
刀関住福田兼丈作http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/546/00.html本名、福田丈太郎。戦前戦中に活躍した関の刀匠です。この刀は洋鉄丸鍛工法にて鍛造された品で、関刃物工業組合による検査合格刻印(桜に昭)が指表銘上に刻されています。現在無知識な登録審査員によって、刻印ある刀を登録対象としない風潮にありますので、こうした刻印入りの刀は貴重な存在となっています。折り返し鍛錬(古式鍛錬法)にて鍛造された刀には、刃がらみが出た
刀一心昭和十八年三月~陸軍受命刀工~http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/545/00.html一心とありますが、満鉄刀とは関係ありません。刀工銘“一心”は岐阜県関市にて活躍した昭和の刀工です。本名を谷川慶治と言い、昭和16年9月12日に陸軍受命刀工に任命されました。この刀は戦中に打たれた刀身に稀に見る、匂口が無いタイプ。そのため刃文写真は割愛させていただきます。刀身には鍛錬時の疵欠点はありません。刀工銘の上と柄の兜金(頭
刀無銘~拵新調済み~http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/544/00.html杢目肌、鎬地と刃縁柾がかり少しく肌立つ。匂口明るめの小沸本位の互ノ目乱れを概ね三つ一組に焼き上げ、刃縁盛んに砂流かかり、金筋交える。附属の拵は新調したばかりで一切のガタツキ無く、武用刀として存分にお稽古にご使用頂ける状態です。縁頭と目貫は気が利いた現代金具を用い、鐔は江戸期の本歌を装着。柄は親鮫を一枚ぐるっと巻いた贅沢な腹合着に、柄巻きは黒正絹柄
刀無銘(末手掻)~現代刀並みに見幅広く重ね厚い健全無比なる一刀~http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/542/00.html大和五派の一つ手掻派は、奈良東大寺の西の正門である輾磑門(てんがいもん)の門前に住して東大寺に従属していたことから、手掻と呼称されています。大和五派の中でも最も規模が大きく、鎌倉期から室町期に渡っておおいに栄え、技量が安定していることでも著名であり、その名跡は手貝町、包永町などの地名として今なお残っていま
刀濃州関住兼一http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/541/00.html兼一は室町時代後期の永禄頃に美濃國で活躍した刀工です。この刀は、切先延びた鋭い姿に杢目肌練れてよく肌立ち、刃縁に映りごころが見られ、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを焼き、尖りごころの刃交じり、刃中には金筋や稲妻が見られ、刃縁には砂流や乱れの谷を繋ぐように沸筋が連なり、帽子は激しく掃き掛けて沸付き、火炎となった迫力ある出来口です。附属する黒塗鞘半太刀拵の縁頭
月刊『秘伝』11月号も日本刀情報満載!!前田日明×町井勲“斬れ者たち”の新・日本刀論10月14日発売!書店へGO!!!
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/143/00.html短刀無銘(千子)~村正一派の短刀~刀剣趣味人でなくともその名を知る者が多い千子村正。この短刀は村正個銘極めには至らなかったものの、村正を含める千子派と極められた短刀です。千子村正は南北朝時代の貞治より銘鑑に名を連ねます。現存する在銘品は室町時代中期に入ってから見られ、年紀の入りの作は文亀から天文までの五十年間に及び、この間、初、二代あるとも云われています。この時期の俗
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/142/00.html短刀駿河守藤原盛道初代駿河守盛道は慶長頃の美濃の鍛治で同時代の美濃国岐阜の鍛治としては陸奥守大道と双璧をなす名工です。数代続いており本刀はその代別が記載されておりません。
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/537/00.html刀陸奥運寿兼友作慶応三丁卯秋会津兼友は銘鑑を紐解くに、元禄から明治まで七代に渡ってその名跡が続いており、この作品は幕末に活躍した五代兼友の作と鑑せられます。この頃、会津藩は悲劇的な運命を辿ります。戊申戦争では一ケ月にもおよぶ会津城籠戦を凌ぎ、兼友、長道、道辰ら会津の刀匠達は弾丸の製造に尽力。十一代会津兼定は城外に討って出たとも伝えられ、一藩総力戦ともなった戦いは、白
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/536/00.html刀濃州住兼光美濃の兼光同銘数人あり。該当刀工については不詳ですが、上の出来から鑑ても美濃伝の作であること間違いなく、銘も雰囲気良く感じます。元先の差開き、切先やや延びごころの体配が美しく、手持ちバランス最高で、片手操作の居合形稽古にも最適な一刀。地鉄は杢目よく練れて総体に白気映りが立ち、匂口明るく冴え、美濃伝ならではの尖りごころの互ノ目を焼き、乱れの谷には幾重にも砂流
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/535/00.html刀和州斑鳩住源貞弘鍛之模名物二筋樋貞宗昭和五十七年八月日本名喜多弘。月山貞勝門人で、人間国宝であった故月山貞一とは兄弟々子の関係です。鍛錬場は大和斑鳩法隆寺の近くに有り、昭和44年の毎日新聞社長賞を初め、新作刀展では数々の栄誉を受け、晩年は奈良県の重要無形文化財に指定されました。貞弘刀匠は当時、古作写し、特に相州伝の刀を作らせると右に出でる者は無いと、刀剣界の大家
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/534/00.html刀肥前國住忠時作肥前國住忠時作…銘鑑を紐解くに該当する刀工は見当たりません。銘鑑漏れの脇肥前刀工でしょうか?中心尻に向かってたなご腹ごころにすぼんでいることや、肥前刀工が大刀には太刀銘に銘切るのに対し、刀銘になっている点などが気になります。或いは肥前刀とは無縁の刀工でしょうか。旧家からのうぶ出し委託販売預かり刀で、これまで未鑑定故に銘の真偽に関しては、然るべき鑑定
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/532/00.html特筆すべき疵欠点無し。小板目柾流れの地鉄良く練れ、中直刃匂口明るく、刃縁に細かな働きが随所に見られ、鼠足、打除、稲妻等顕著。お求め易い価格で御案内致しますが、価値低い御刀ではございません。刃中の働きが楽しめる優刀だけに、然るべき研磨を施していただき、はばきや白鞘を新調して頂きたく、その諸工作代金を考慮しての低価格設定です。つきましては試斬目的で御購入される方への販売はお