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(前回「旧中山道:揖斐川から美江寺宿へ」より続く)美江寺宿を出て、旧中山道を河渡宿に向かいます。秋里籬島『木曽路名所圖會』(1805年)によれば、美江寺河渡まで一里六町。驛中左右相對して巷をなす。艅は散在す。ということで、河渡宿までは一里六町。上画像は「本田代官所跡」。大田南畝『壬戌紀行』(1802年)*によれば、ぼんでん村をへて板橋を渡る川をいつぬき川といふにや。『木曽路名所圖會』(1805年)によれば、糸貫川本
正覚院から北へ美江寺【みえじ】創建は717年で、天正天皇勅願で名張市の夏目廃寺の十一面観音を美濃国に移したことが起源とされています。当初は、現在の岐阜県瑞穂市美江寺(当時は美濃国本巣郡十六条)にありました。現在地に移したのは、1549年(天文8年)に斎藤道三と言われる説(織田信長という説もある)があります。稲葉山城(現岐阜城)の南西に位置し、裏鬼門を守護すると言われています。寺号の由来は、川の氾濫が収まり、荒れ果てていた川床も見事な清流となったため、美しい長江の意味からとのこ
摂社でしょうか、秋葉神社がありました。右の鳥居が見えているのが秋葉神社。火伏せの神として有名ですが一説には愛知県に次いで岐阜県が多いそうです。美江神社の本殿側から見た秋葉神社はゴツゴツした石もある上ちょっと小高くなっていましたので横から見たら富士塚かと思うくらい…。鬼太郎のポストの様なものが置いてあります。秋葉神社自体を撮るの忘れましたなぜなら…周りに崩れた石とかがあってちょっと荒れている感じ?なんて考えてどうやって撮ろうかと思っている内に他のことに気を取られて…
サクラも散り始めた頃。我、ふと思う。そうだ!夜桜を撮ろう!どうせなら杉屋佐助さんと一緒に撮りたい!!という訳で、真夜中に岐阜市の美江寺に行ってきました!「佐助さん、こんばんわ!」持参したライトで佐助さんの常夜燈を照らしてみるふ、不審者すぎる...桜の木は一本。柴山藤蔵さんの常夜燈の横辺り。道路の青看板を常夜燈で隠す寄ってみる。今回はどうしても「杉屋佐助」という彫刻を入れたかったホワイトバランスを青色寄りにしたらファンタジーっぽくなってしまった写真というよ
【所在地】岐阜県岐阜市美江寺町2丁目3【山号】大日山【宗派】天台宗【御本尊】十一面観音【電話】058-262-6793【HP】美江寺観音mieji.jp当寺はこの霊場で唯一の天台宗の寺院です。717年、元正天皇勅願により伊賀国名張郡の伊賀寺の十一面観音を美濃国に移したのが当寺の起源とされ、719年に現在の瑞穂市美江寺に創建、七堂伽藍を有する大寺院だったそうです。その後。1541年に斎藤道三の稲葉山城築城時に移転し明治の御一新では寺領を政府に召し上
今回の杉屋佐助さんは美江寺(岐阜県岐阜市)の灯籠ですはい、やってきました「美江寺(みえじ)」仁王門前実はこの美江寺は二つあります。えっ?一つはここ、杉屋佐助さんの灯籠がある岐阜市の美江寺。もう一つは瑞穂市(岐阜市の隣)にあります。もともとは瑞穂市にあった美江寺ですが、斎藤道三が稲葉山城(岐阜城)を築く際、城下の繁栄のために城の麓に移したそうです。なんとも強引なマムシ様その後、織田信長が元々の瑞穂市に再建させたため、同じ名前の寺が二つできたそうです。瑞穂市の美江寺は
鉄印帳の旅樽見鉄道編まもなく止まります美江寺駅何色の家に住みたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
岐阜県岐阜市美江寺観音を参拝しましたぎふメディアコスモスのお隣に所在しますかつては瑞穂市にありましたが、戦国時代に斎藤道三が城下町繁栄のために現在地に移したそうです可愛い猫ちゃんがニャルソックしてましたすぐにサボってました笑御朱印を拝受毎年4月18日のみご開帳される岐阜県最古の仏像(国の重要文化財)十一面観音立像にもお会いしたいです近くの更科さんでおひとりさまランチ定番の冷やしたぬき蕎麦早い!美味しい‼︎周りに新規のお蕎麦屋さんがたくさん出来てるけど、揺るが
中山道を西から東へ歩く旅夏の休足明けの2回目今週末は暑さが少し戻ってしまったので距離は短めにして、先週★の続き『中山道を歩く垂井宿〜美江寺宿その3』中山道を西から東へ歩く旅夏の休足からの再開後、久しぶりの街道歩きは、垂井宿から美江寺宿まで今回は養老鉄道の東赤坂駅まで歩いた前回★の続きから、ゴールの美…ameblo.jp美江寺宿〜加納宿を歩きます朝、自宅から電車でJR東海道本線穂積駅へ穂積駅南口穂積駅のある瑞穂市は富有柿発祥の地なので、ポストに柿がのっています「ほ
週末のウォーキング中山道を美江寺宿まで歩いた後帰りに樽見鉄道に初乗車樽見鉄道は、岐阜県大垣市の大垣駅と本巣市根尾樽見の樽見駅の間、34.5kmを結ぶ鉄道です初乗車とは言っても、乗ったのは南側の美江寺から大垣までの、ほんのちょっとの区間です中山道の美江寺宿に着いた後★『中山道を歩く垂井宿〜美江寺宿その3』中山道を西から東へ歩く旅夏の休足からの再開後、久しぶりの街道歩きは、垂井宿から美江寺宿まで今回は養老鉄道の東赤坂駅まで歩いた前回★の続きから、ゴールの美…ameblo.jp
中山道を西から東へ歩く旅夏の休足からの再開後、久しぶりの街道歩きは、垂井宿から美江寺宿まで今回は養老鉄道の東赤坂駅まで歩いた前回★の続きから、ゴールの美江寺宿までです『中山道を歩く垂井宿〜美江寺宿その2』中山道を西から東へ歩く旅夏の休足からの再開後、久しぶりの街道歩きは、垂井宿から美江寺宿まで昼飯大塚古墳まで歩いた前回★の続きです『中山道を歩く垂井宿〜美…ameblo.jp東赤坂駅を過ぎてから、街道は水田地帯を何度も直角に曲がりながら進みますなので(?)「七回り半」の
「ご朱印」平成21年に参拝した東海白寿観音霊場:「美江寺」平成21年分(2009年)32枚目:(通算404枚目)参拝日:平成21年(2009年)3月10日東海白寿観音霊場31番札所「大日山美江寺」宗派:天台宗本尊:十一面観世音菩薩住所:岐阜県岐阜市美江寺町2-32009年にご朱印を頂いた東海白寿観音霊場の元記事はこちらをご参照ください。https://ameblo.jp/kensuzu214/entry-12478436081.html?frm=theme
神戸で現実を目の当たりにしたわたし甘い…甘かった…でも決して後ろ向きな気持ちではなく「ちゃんと考えよう」と気を引き締めた感じですそして、向かった先は美江寺。なぜそこなのか??はこちらから『またしても移転?part5③』さてさて。しかし、またしても突飛な事を…というかやはり。というか…。まあそんな自分が好きだったりするのだけど前回書いたちょっと面白い事というのは…突然ですがわ…ameblo.jp名古屋から岐阜に向かいます数年前に宮古島にご一緒させていた
県を跨いだ移動が可能になった6月19日(金)の夜、忍び寄る夜の闇と共にこっそりと新幹線で名古屋に移動し、その翌日と翌々日の二日間、名古屋を拠点に太田宿から間の宿の新加納、そして新加納から美江寺(駅)までの道のりを歩いた、21回目の旧中山道歩き記事、その19、二日目の旅の第九弾、この旅の最終回です。今回歩いた区間は↓。二日目に歩いた新加納~美江寺駅周辺までは17kmほどでした。その18では、何度も何度も見かけた、「絶対にお参りさせないもんね~」的にガードの堅い秋葉神社を見て、この火伏
美江寺宿は中山道55番目の宿場岐阜県瑞穂市に存在しました。1589年(天正17年)、豊臣秀吉の下知により問屋場が設けられました。江戸時代になって中山道の宿場となりました、1637年(寛永14年)が公式の開設です。美江寺という名は、「美しき長江のごとくあれ」と祈念されて美江寺という寺院が建てられた事に始まります。719年(養老3年)創建の十一面観音を本尊とした寺院です。たおやかインターネット放送HP:http://taoyaka.at-ninja.jp歴史交流会メンバー募集名古屋市在住
せっかくなので、お出かけすることにしました(笑)まずは、お気に入りの喫茶店でモーニング今日はアントースト個人的にはもっとアンコ欲しいそしてお天気良かったので、手力雄神社へ・・・「君が代」の「さざれ石」ありましたそして御朱印が、こちらまだまだ、時間があったので次は「美江寺」へ・・・娘は良縁に恵まれますように小槌をなでなで・・(笑)こちらは「ぼけ封じ観音」お参りしなきゃこちらは、人形供養塔です。御朱印は、こちらありがとうございましたランチは、ラスティ
↓の記事の、つづき。本堂をいったんあとにして境内をブラブラと歩く。本堂以外に、もうひとつ趣の異なる大きなお堂がありそのお堂に惹かれました。扉の前に二体の木彫りの仏様が。この仏様を見た瞬間に涙の響きがありました。うん…うん…と滋味深くゆったりと頷きながら『お入り、お入り』と中に招いてくださる気配。お堂の中には、仏様特有の重心がすっと下がるような「安らぎ」と「落ち着き」の気配がありました。
地元の番組で「美江寺まつり」が取り上げられました。4:55くらいからスタートしますその他掲載されたメディア中日新聞➔■読売新聞➔■
美しい頭の飾りも今回こちらで作ったものが多かったそうです。普通に売れるLVヘアーもいつもプロの美容師さんにお願いしています。(衣装の縫製以外、皆さんボランティアでご協力して頂いております)この長さでも綺麗にお団子にみえるようにセットしてもらえます(ホンマは肩より下まである方がベスト)衣装も、正倉院に残っているものを参考に、当時の柄の着物や帯を探してほどき、この衣装に作り直したものなので、とても美しいです男性は、意外とアクセサリーを付けています。通行証だったり、お守りだったり
快晴の中無事2019年美江寺まつりが催されました上5枚のステキな写真は、やななの時にもお世話になっていた美しい写真を撮られるびっとさんからお借りしましたこちら行列手前は礼服(らいふく)天皇の親族など高貴なお方その後ろに礼服のサシバ持ちが続きます。(サシバ右側が私です)こちらの写真もびっとさん。この写真を撮りに移動されてる時に、写真右から2番目に自分いるのですが、本堂からびっとさんのお姿確認出来て、密かに楽しみにしておりましたさて。今回の祭りにあたって住職さんが調べた
いよいよ美江寺さんにて明日は法要明後日は天平絵巻そんな中、布作面のお顔を描かせて頂きました!布作面とはこちら布のお面をかけて自由に踊る人です。男女共麻の布に描きました。下書き。ちょい筆入ってますが半分マン男面完成女性の方はこちらの写真のをモデルにと言われましたがちょい可愛くないのと上の本の女性も目大きかったりするので、目は同時代の阿修羅さんとか参考にしました。下書き完成ちょい肌の色濃かったかもこれだとそんな風に見えないかもですが、途中経過で、唇薄く塗って
かつての中山道を、初めてランニングしました。東海道の草津宿&大津宿を含む、中山道の計69の宿駅のうち、江戸から数えて55番目の宿駅「美江寺宿」をめざすランでした。現在の岐阜県瑞穂市です。隣接する本巣市の「モレラ岐阜」から走りました。18㎞走。ほぼ平坦地でした。写真は、本陣跡と、歌川広重の浮世絵『木曽海道六拾九次之内みゑじ』にも描かれていた犀川です。昼過ぎのランで、まだ暑さの残る時節でしたが、落ち着いた佇まいにどこか癒されていたような気がします。川の水面をとても近くに感じながら走りま
「ワンタン醤油そば」(920円)東海遠征2日目1軒目。GW明けの5/8にグランドオープンしたこちらは、岐阜県関市の「白神」出身の若き店主の店。プレオープン時に訪問したが、開店30分前に既に6人が待っている注目度の高さ!ラーメンメニューは自家製で日替わりの焼干しを使った「醤油そば」と、「中華そば」の2種類。前者から「ワンタン醤油そば」を注文。この日の焼干しは「サゴシ」。自家製の多加水平打ち太縮れ麺がプルンプルンと引き上げる、スープの香りが鼻をくすぐって後を引く。炭焼きの焼豚も口の中
来年の1300年祭本番に向けてのプレ法要も無事(?)終了致しました。今年は門からスタート。この写真は参拝者さんがみえる前のリハの時のもののため周りに人いません階段を上がるとお坊さんがお清めの沙水をしてくれます。その後参拝者さんも入り準備ができた所でまず元正天皇以外のメンバーが壇上に上がります。そして天皇と天皇の顔を隠すさしば女官登場。天皇移動中は、他メンバー頭は下げたまま。この時、美濃側の
去年の美江寺1300年祭プレプレ法要はオール野外でぶっちゃけめちゃ暑かったしっかーし!今年は冒頭だけ外法要は堂内の中でやります4月29日13時から始まります。手前の赤い屋根は門です。【ここから修正です】当初去年同様、天皇一行は裏から回ってきて…から始まる予定でしたが法要の長さ等の関係により門前からスタートすることになりそうです。天皇一行そして参道で出迎えた美濃の女官達も天皇一行の後に続いて本堂の中に入って行きます。そしたら、この日参拝に来て下った
山車が町中を曳き回されます。中山道の宿場町。子供と年寄りが多いので、山車はゆっくりと曳かれます。山車に付いて歩いていたらお餅を頂きました。休憩時間中にはしゃぐ子供たち。綱を曳いていた子供たち。山車の上の子供たち。服装は自由。みんな楽しそうです。再び山車が動き始めました。家の飾り。「松」の絵柄に「や」の文字。松屋なのかな。今度は町の南端まで来ました。ここで再び引き返します。方向転換するときのお囃
先日の日曜日は岐阜県瑞穂市(旧巣南町)美江寺の『お蚕祭り』に行ってきました。美江寺神社。拝殿。美江寺観世音。美江寺神社の境内にある観音様。元々は美江寺というお寺があったそうですが、廃寺になった後に、観音堂だけが再興されたそうです。観音堂の彫り物。観音堂の前に山車が止まっています。お蚕祭りは『美江寺観世音』のお祭りです。元々は五穀豊穣を祈る祭りだったそうですが、明治になって養蚕業が盛んになり、お蚕祭りに変わったそうです。猩々車
十九条駅でおじいちゃんおばあちゃん列車を見送って線路沿いをぶらぶら。このあたり、まっすく線路が伸びていて気持ちいい。そして、柿畑。東海テレビの『ゆる鉄の旅』でも中井さん高井アナが挑戦してたあたりだと思う。が…、ん…、いいポイント見つける前に列車が来てしまう(^^;こんな時に限ってリニューアルされた『ねおがわ号』!けっこう葉っぱが多いので難しー。この時間帯、列車はほぼ1時間に1本程度。チャンスは多くない(>
先日10月26日は『柿の日』でした。年々柿の生産量は伸び悩んでいますが柿の販売促進を目的として、全国果樹研究連合会のカキ部会によって制定されました。何故10月26日か語呂合わせでもなさそう…柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺あまりにも有名な正岡子規の俳句です。奈良県法隆寺を訪れた際に書かれた句です。そしてこの句が書かれたのが10月26日という事らしいです※当時の子規は病気を患っており、その病状から、「法隆寺を実際に訪れて書いたのではなく、床に臥しながら書いた句ではないか」とも言わ
最後に、今回のメンバーの殆どを集め衣装や事務ごとも担当して下さった佐古さんの紹介と挨拶があり、全員で参道に並んで来場者の皆様に感謝実は最後の最後で私、向き間違えましてあれー?練習の時は正面、右、左で終わりだった気がしたんだけどなぁ最後にまた正面見て、礼してたみたいなのですが気付かず(ノД`)動画に映ってないといいなぁwその他お気に入りの写真女官の日常的風景みたいなんか自然な感じで良いなぁと散華舞う中移動。