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大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを只今進行中。途中何度かの中断があり2024年に突入していますが、引続き最後まで完結したいと思いますので、「家康ファン」「どうする家康ファン」「戦国時代ファン」の方は暫くお付き合いください。<「家康」等の出来事>前回のブログでは、「家康」による対「豊臣秀頼」包囲網形成を実行に移していき、どのようなお城が築かれたかを記載しました。「家康」は「関ケ原の戦い」後、「大坂夏の陣」までの間
10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、初日(10/3)の旅模様その11です。この日はたぶん寄り道併せて30㎞前後歩いたと思います。ガイドブックは前回の善光寺街道から引き続き『ちゃんと歩ける伊勢参宮道善光寺街道』。今回は準備時間が少な目だったので、地図の見どころポイントの記録は大幅にカットしてます。その10では上野の宿場に入り、「きげんよし」という清酒を扱っている商店や、今に残る桝形などを愛でたところまでをご紹介しました(↓再掲)。こちらの厨子二階のお宅は一階正面がキレ
カラダの疲れは気づきやすいけどココロの疲れは気づきにくいからポッキッと折れちゃう前にバデちゃう前に気づけるといいね〜。ええ。今ちょっとだけ自分のこと言いましたアダチです。お城めぐりってけっこう歩くのです。1万4000歩ほど歩きました。ええ。両脚ともに筋肉痛です。次の日に筋肉痛を感じたからうん。ヨシとする。(笑)ずっと行きたかった津城址と東洋軒本店に行きました!カラダ頑張ったな〜。好きなことしていても疲れるものです。もうこうなったらゆっくりと休むしかない。
柏原にある成徳寺です。恵照山成徳禅寺という臨済宗妙心寺派の寺。柏原藩初代藩主織田信包、2代藩主織田信則、3代藩主織田信勝の菩提寺。この寺は室町時代に創建され、当初は竜翔寺といいました。柏原藩初代藩主・織田信包が菩提寺として見性寺と号します。慶安3年(1650年)、柏原藩3代藩主織田信勝が28歳で没すると柏原藩前期織田家は断絶。柏原藩は天領になります。見性寺は衰退、荒廃しました。元禄8年(1695年)、宇陀松山藩より転封された織田信休が柏原藩4代藩主となり、柏原藩は45年ぶりに復活
柏原にある織田信包像です。柏原藩初代藩主織田信包の像。平成26年(2014年)、柏原ライオンズクラブが、結成50周年記念事業として柏原市に寄贈。信包の墓がある京都龍安寺が所有する、慈雲院蟄居時の50代頃の肖像画をもとに造られたそうです。織田信包(1543?~1614)は柏原藩初代藩主。織田信秀の子。織田信長の弟。永禄11年(1568年)、兄信長の命により長野藤定の娘と婚姻、婿養子となり、伊勢上野城主。養子縁組を解消して織田に復姓。永禄12年、伊勢安濃津城主。天正10年(15
三重県の津城跡へ行ってきました!動画はこちらから津城跡三重県津市にある津城跡へ行ってきました!津新町駅から歩いて10分くらい!✿Bloghttp://ameblo.jp/ryuablog/「りゅうあのひとりごっこ」✿twitterhttps://twitter.com/Ryuacakesandale✿Instagramhttps://instagram.com/...youtu.be松坂城跡に続き、城跡シリーズ!こちらは駅から10分くらいで松坂城跡よりも分かりやすい感じでした(ᵔ
城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!今回のルート:津新町駅-玉櫓跡-西之丸-入徳門-日本庭園-戌亥櫓跡-西鉄門跡-丑寅櫓-北多門櫓跡-本丸跡-埋門跡-月見櫓跡-高山神社-天守台-お城西公園今回は津城をめぐります。スタートは津新町です。ここから10分ほど歩きます。津駅からでも行けますが、その場合バスを利用するか、歩くと30分近くかかってしまいます。西之丸玉櫓跡。ここが南西側の登城口になります。津城は本丸の周囲を二之丸と内堀が囲み、さ
城山八幡宮さん年1の干支御朱印👇金の干支御朱印は毎年いただきに行くんだけど…期間限定の直書きもあるらしく、行ってきました。昨日の信長繋がりでもあります限定期間が9月中につき、慌てて行ってきました😅中秋の名月🌕もあったんだけど…目的は織田家の武将😁本殿前の狛犬その1つ手前の鳥居を護っている狛犬こちらが御朱印御城印の直書きもありました末森城🏯こちらからがお目当て。武将印織田信秀織田信行織田信長織田秀孝織田信包御城印は予定外でしたが揃うとなかなかいいもんですね
9月15日(木)夜から9月18日(日)にかけて、亡き母の年金支給終了の手続き、三十日祭のために伊勢市に帰省していました。そのときの愛知県への帰路、立ち寄りました。立ち寄ったというと、何か計画に入っていたようですが、とんでもない。一般道を運転していましたら、もう、眠くて眠くてしょうがない。どこかで気分転換をしないと、とんでもないことになりそうでした。何か、そんな場所はないかといったとき、思いついたのが、以前から立ち寄りたいと思っていた「伊勢上野城」でした。もっとも立ち寄った日は、大型で
さてさて………我々が次に到着したのは、【津城跡】に鎮座する……【高山神社(こうざんじんじゃ)】三重県津市丸之内27−16織田信長の弟、信包(のぶかね)が藩主の頃の安濃津まちは僅か五万石の小さな城下町だった。【手水舎】慶長13年(1608年)藤堂高虎が伊予(四国)の今治から津に移封され藩主となった。高虎は自ら先頭に立って「城」を中心とした町づくりに努めた。【狛犬】武家屋敷は城の北、西、南側とし、東には町屋を配置した。町外れを通っていた「伊勢街道」を城下へ近づける一方、岩田川の水を
「お城」の「天守台シリーズ」第34弾は、「津城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いてお
2020年4月10日の三重県津市散策の続き。「水の守護・西嶋八兵衛像」「津藩藩校有造館跡」を見学した後は、「津城跡」に向かいました。西嶋八兵衛像・藩校有造館跡のレポ『西嶋八兵衛像と、津藩藩校有造館跡と~三重県津市の史跡・街並』2020年4月10日の三重県津市散策の続き。「津藩主久居藩主藤堂家歴代墓苑」である「寒松院」をお参りした後は、「津城跡」に向かいました。寒松院藤堂家墓…ameblo.jp「津藩藩校有造館跡」から路地を進むと、「津城跡」に到着です
【問題】次のうち、織田信包の通称として知られるものはどれか?【選択肢】新五郎三十郎新八郎喜七郎【正解】三十郎【解説】織田信包は、天文12年(1543)に織田信秀の子として生まれた。通称・三十郎、上野介を称した。織田一門の中では、信忠・信雄に次ぐナンバー3だったといわれる。
前回のスゲー城、田丸城からの続きです。この日は帰省中の長男と一緒に行動。長男、帰省してきた時に花粉症がひどく出ており、「(花粉がたくさん飛んでいるから)山城だけはやめてくれ」というので、またまた平城に行きました遠い地でかかりつけ医が見つけられず、薬も飲んでないそうです。次の目的地へ向かう前に昼食をとったのですが、以前行った霧山城の時も思った事があります。三重県の方とお話すると語尾が上がる話し方をされるのですが、これは方言?京都寄りの方言なのでしょうか?語尾だけなら話は通じますが、以前県外出
所在地三重県津市河芸町上野(本城山青少年公園)特徴信長の弟(信包)が居城とした山城で、公園となった本丸には巨大な展望台が建つ。一段下の二の丸跡には遊具が置かれ、本丸の帯郭は藪に埋もれている。感想広大な城域は公園整備で破壊され、未整備部分は藪に覆われている。
「全国の“三重櫓”を巡る」をテーマで、「復元・復興・模擬」の「三重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけてお届けしています。現存「三重櫓」は、現存「天守」と同数の12基が今なお雄姿を見せて建っています。それについては、下記URLでもありますように既に紹介させていただいていますので、またご覧ください。現存「三重櫓」は下記からご覧ください↓各方向から見た現存三重櫓の顔・姿|シロスキーのお城紀行シロスキーさんのブログテーマ、「各方向から見た現存三重櫓
三重県お城廻りの六番目は、「津城」(三重県津市)です。今や「津城」のシンボル模擬「三重隅櫓」(南面)今回はまず最初に「津城」の歴史と城主について簡単に触れておきます。「織田信長」による伊勢平定の為に、「信長」の弟「信包(のぶかね)」を中伊勢に勢力を伸ばしていた「長野家」の養子として送り込みます。「信包」は津城を築城、1580年には五重天守を持つ立派なお城に完成させると、すぐに「長野家」の分家を攻めて中伊勢を得ます。その後「豊臣政権」時代になると「富田家」が入城し、関ケ原の
只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。本日は第19弾「岸和田城本丸隅櫓」、「柏原陣屋太鼓櫓」の2基です。①「岸和田城本丸隅櫓」(大阪府岸和田市)、復興櫓岸和田には古くから岸和田古城がありましたが、お城として体裁を備えていったのは「織田信長」が「大坂本願寺」との戦いが終わり「津田家」「蜂谷家」を配置し、その後「羽柴秀吉」の紀州根来寺・
織田信長の弟の信包が建てた津城に早起きして散歩しました。津駅から下って徒歩15分くらいのところにあります。今はお城公園としてどんな時間でも自由に出入りできます。お城の入り口には石でできたベンチと灰皿があります。お城というよりも公園というほうが強いのでしょう。石垣の上に木々が立っていて、そこを歩くことができます。ただ、石垣の上に柵はなく落ちたら怖いかんじです。いや、かなり怖いですね。夜に歩いたら電気もなくわからなくて落ちてしまいそうです。石垣の上から攻めてくる敵を想像しながらぼんやり
前回はこちら織田神社の後、丹波市立柏原歴史民俗資料館・田ステ女記念館に行きました。小島省斎顕彰碑です。小島省斎顕彰碑の説明板です。織田信包公の石像です。織田信包公の説明板です。極楽寺建物礎石です。極楽寺建物礎石の説明板です。旧柏原町道路元標です。旧柏原町道路元標の説明板です。田ステ女石像です。田ステ女石像の説明板です。田ステ女の歌碑です。丹波市立柏原歴史民俗資料館・田ステ女記念館です。続きはこちら
【日本の城】国指定史跡柏原藩陣屋跡兵庫県丹波市織田信包
9月19日から21日まで、伊勢に帰省していました。せっかく帰ったのに、食べ物以外で、あまり気分転換ができていません。そこで、21日、愛知県への帰路、プチ観光をすることにしました。幼い頃、松阪市に住んでいましたので、きっと、何度か津市に行ったことがあると思います。しかし、ほとんど記憶がありません。そこで、見た記憶のないところを訪れることにしました。津市でプチ観光です。●津城跡……城は好きです。まず最初にここへ行くことを思いつきました。●東洋軒本店……津城跡そばに店があることを知ってい
伝兵衛のぶらり街歩きシリーズ・番外編「柏原八幡宮~織田家廟所」~JR柏原駅周辺歴史散歩②~福知山線柏原駅周辺散歩の後編です。まずは、「柏原八幡宮」を目指します。道の先に、大きな樹木が見えてきました。このケヤキは、幹径六m、樹高二十二m。推定樹齢が、なんと千年!その根の一本が、幅八mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成しているので「木の根橋」。兵庫県天然記念物に指定されています。その向こうに見える建物は、旧柏原町役場。木の根橋の向かい側に、「織田神社」があります。前編で訪れた「建勲
JR福知山線の篠山口行き普通電車を柏原駅で下車する。柏原駅の駅舎は、平成2年(1990年)に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」(通称;「花博」)での会場内アクセス鉄道路線の「ドリームエキスプレス」の「山の駅」駅舎を博覧会閉幕後に移築したもの。「ドリームエキスプレス」のもう一方の駅の「風車の駅」駅舎は、路線を走っていたSL「義経号」と一緒に、🚂福井県大飯郡おおい町のJR小浜線・若狭本郷駅に移されている。朝4時台に朝食を摂ったため、お昼前でもお腹が空いて、城下町
伝兵衛のぶらり街歩きシリーズ・番外編「柏原藩陣屋跡~建勲神社」~丹波国・JR柏原駅①~今年七月に行った福知山駅周辺歴史散歩の行き帰りに、気になった駅「柏原(かいばら)」を訪ねてみました。播磨番外編・丹波ぶらりです。JR福知山線柏原駅には、新大阪と城崎温泉を結ぶ特急こうのとりも停車します。柏原町の見どころは、駅北東部にコンパクトに固まっていますから、電車~徒歩でのお出かけにはもってこいの町です。まず、駅から南東方向へ歩いて、高灯篭を目指します。城下町(とはいっても、天守などはなか
7/23~25第二次丹波城攻め2日目続き雨は降りそうで降らない天気で次へ向かってどんどん行きます。柏原陣屋兵庫県丹波市柏原町柏原683柏原陣屋は織田信休によって築かれた陣屋。柏原藩は織田信長の弟織田信包が伊勢の安濃津から移封してきましたが孫の三代目織田信勝の時に嗣子がいずに廃藩になります。しかし織田信長の次男織田信雄の子孫の織田信休が大和の宇陀松山藩より移封して明治維新まで続く。現在は長屋門と表御殿の玄関があり太鼓櫓が近くに移築されています。柏原陣屋長屋門現存している長
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「天童陣屋」(山形県天童市)をお届けします。天童陣屋絵図この陣屋は
ずーと自粛してました城攻めですが、梅雨も明けた所で行って参りました今回は前から乗りたかった近鉄の新型特急ひのとりでGoやって来ました何時もは鶴橋から乗車するのですがこの日は始発駅難波から乗車しました。中はこんな感じですプレミアムシート乗り心地抜群でした通路の挟んで隣は1座席で1人で楽しんでる方の方が多かったです。県庁所在地、津にやってまいりました。さて三重会館までバスで・・・あれ・・・バス待ち50分・・・暑いけど歩くか・・・(*´Д`)やっと着いた距離的には大したこと無いんやけど暑さと
城を観る今回は...(撮影2020/05/29)末森城(尾張国)〜御朱印(城山八幡宮)織田信包(令和二年五月)〜織田信包の武将印ね。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
5月が始まりました。ランニングアプリTATTAでは、5月1~7日、5月1~31日の2種類の走行距離を加算する企画が始まりました。初日は17~19時台に、22㎞走(5分49秒/㎞)。阿由多神社は、安濃城跡に鎮座しています。安濃城は、中世城館としては中勢地区では最大でしたが、1580年に織田信包によって攻め滅ぼされました。神社は明治末期の1907年に安濃・内多・曽根・清水・大田の各社を合祀し、翌年に「阿由多神社」となりました。当時の社格は「村社」です。境内には足