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ファミリーヒストリー里見浩太朗2014年に放送された番組の、再々放送があった。番組中、ある本が5秒間映った。あっ、この本持っている。.里見浩太朗の父佐野亀一(日中戦争で戦死)の同僚だった上原文雄氏が、1972年に出版した「ある憲兵の一生」。.終戦時点で浜松憲兵大尉だった上原氏は、あの夜鮫島海岸に不時着した軍使を、浜松飛行場に送る活躍をする。.この本に辿り着いたスタッフの調査は凄い。
緑十字機機体探査のテレビ報道.2/13~2/15の機体探査が、静岡朝日テレビで放送されます。明日2/18日(水)18:30頃の「とびっきり静岡」です。.静岡県内のみのローカル番組ですが、視聴可能な方は、是非ご覧ください。#緑十字機#磐田市
緑十字機、不時着機体の探査.いよいよ、2/14,2/15に実施されます。今日2/13は、機材の積み込み。明日朝、8時出港です。.今回は、地図の赤いエリアだと思います。見つかるといいなあ。.#緑十字機#機体探査#磐田市
私の、緑十字機活動の歴史「はままつタウンTV」に出演した時の、懐かしい映像です。あれから8年、緑十字機は徐々に知られるようになりました。不時着した機体の2回目の探査が、2月13日から始まります。目標達成まで、あとひと頑張りです。#緑十字機#磐田市↓こちらをクリックして下さい。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com
ぼくは戦争が大嫌いやなせたかしだから私は緑十字機を語り続けます。岡部英一
願わくは我々が生還し得ないと云う悲愴な覚悟をして果たした、あの降伏軍使の飛行が、後世に語り継がれん事を切望する。緑十字機二番機搭乗員安念泰英。だから私は緑十字機を語り続けます岡部英一。
緑十字機、不時着機体の探査磐田市の鮫島海岸沖に眠っている、緑十字機2/13~2/15、機体探査2回目が行われます。全てボランティアによる作業です。不時着から間もなく81年。厳しい真冬の作業です、安全最優先でお願いします。見つかると良いなぁ。#緑十字機#磐田市#ウインディー#中日新聞
第一回南海・鯉風二人会2025年11月6日木曜日お江戸上野広小路亭開催鯉風①「義士銘々伝〜神崎の詫び証文」南海①「義士外伝〜忠僕元助」(仲入り)南海②「お楽しみ」鯉風②「終戦秘話緑十字機の墜落」予約はお江戸上野広小路亭(03-3833-1789)鯉風さんの『終戦秘話緑十字機の墜落』は毎年8月(終戦の日)に語られているそうですが今回聞き逃した・聞きたいという声も多く特別にかけてくださるそうですこの緑十字機の作戦には私の祖父も参加したと祖父が遺したアルバムから知った
太平洋戦争末期。本土決戦に向け開発したとされる日本の最新型戦車「チト」。終戦後、静岡県浜松市の浜名湖(猪⿐湖)に沈められたと伝わります。.2012年11月から2015年春にかけて、「幻の戦車調査プロジェクト」が行われ、(株)ウインディ-ネットワークによる湖底探査が行われました。残念ながら発見には至らず、その後12年が経過し次第に語られなくなっています。https://www.smape.jp/tank/.あれから12年。沈んでいる戦車が、再び話題となっています。.浜名湖に「
9月2日は降伏文書調印から80年。読売新聞遠州版で取り上げてくれました。.https://news.yahoo.co.jp/.../55f04d37873f23acb5867700d5b6...#緑十字機#終戦#戦後80年#ミズーリ号
“緑十字機”不時着80年で記念式典静岡磐田|NHK静岡県のニュース【NHK】昭和20年、太平洋戦争の終結に向けた協議を終えた日本の代表団を乗せて、磐田市に不時着した「緑十字機」と呼ばれる飛行機を語り継いでいこうと、…www3.nhk.or.jp
AninterestinglookatJapaneseG4M"Betty"BombersarrivingatIeShimaonAug.19,'45bringingaJapanesedelegationofemissariestodiscussthetermsoftheirsurrender.TheaircraftwerepaintedwhitewithgreencrossesasdesignatedbytheA
「見つかったら戦後最大のセンセーショナルかもしれない」不時着から80年緑十字機はどこへ…海底に眠る“平和の象徴”撮影に挑む(静岡放送(SBS))-Yahoo!ニュース1945年、太平洋戦争の終結を告げる降伏文書を空輸中に静岡県磐田市に不時着した緑十字機。機体はいま、海底に眠っていますが、その姿を撮影しようと、終戦から80年の2025年、有志が海底探索に挑みましたnews.yahoo.co.jp
2025年8月15日日本講談協会定期公演講談新宿亭夜の部行ってきましたはじめての講談公演生体験です(配信や歌舞伎座で伯山さん松鯉さんの講談に触れることは叶っていましたが)西武新宿駅すぐ目の前の新宿永谷ホールが会場でした夜の部は企画もので「戦」がテーマ様々な「戦い」を聞きました前座さんは目にできずですが想像していたよりとっとことっとこ進行していき考える隙間がなくてオロオロしてたらあっという間でした。人物伝・歴史に疎いとピンとこない部分はありますが、鎧や馬や状況を怒涛に実況して
Amebaドキュメンタリー「緑十字機決死の飛行」の閲覧回数が、3年間で、600万回を超えました。ありがとうございます。.誰でも無料で観られる、youtube54分の映像です。ご覧頂ければ幸いです。.https://www.youtube.com/watch?v=K7moZHr0Kg4
緑十字機が、磐田市の鮫島海岸に不時着して80年目の8月20日。磐田市の市民文化会館「カタリア」で記念イベントがあります。.緑十字機不時着80年記念大会8月20日(水)12時30分開場13時開始16時終了(予定).会場は1000名規模の大会場です。平日なので、どのくらいの方が来て頂けるかちょっと心配です。是非ご参加ください。.会場は磐田パイパスの空く近くで、大駐車場があります。入場、駐車場、全て無料です。.1.先日行われた、機体の海中探査の様子が映像
緑十字機不時着80年記念大会2025年8月20日(水)13:00~会場、磐田市文化会館「かたりあ」是非お越し下さい。#緑十字機#戦後80年#磐田市#緑語会
緑十字機のエンジンは何処に沈んでいるのか。7月12日、13日の探査で発見出来なかった緑十字機。.写真1は、今回の探査で探った範囲写真2は、不時着から8カ月後の、1946年5月22日に米軍によって撮影された不時着地点。.当時の海岸線の位置はどの位置だったのだろう。写真上部にある川の位置から、おおよその海岸線が推定できる。.エンジンの重さは725kg。そんなに東へは流されていないのではと思う。しかし、鮫島海岸付近の水深が浅い事から、砂に埋もれている可能性が考えられる。.
遠州灘の緑十字機あす探査撮影.中日新聞2025年7月11日朝刊.いよいよ磐田市の遠州灘沖に沈む緑十字機の探査が行われます。天気良し、波も良し。.見つかるといいなぁ。明日の夕方のローカルニュース、明後日の朝刊に注目!
遠州灘の緑十字機、来月探索.80年前に無事着し、いまも遠州灘沖に眠っている緑十字機(海軍の一式陸攻機)の探索が、いよいよ7月12日に行われることとなりました。.見つかるといいなぁ。.中日新聞、6月20日朝刊.#磐田市#緑十字機#鮫島海岸#戦後80年
緑十字機、磐田市鮫島海岸沖に沈んでいる機体調査へ。.中日新聞6月16日朝刊.磐田市緑十字機鮫島海岸戦後80年
.大田實少将辞世の愛唱歌「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」.※句の作者は田中河内介。但馬の人、尊皇攘夷の志士。.※このブログは2011年に、yahooブログに書き込みしたものです。.80年前、沖縄戦の時、海軍司令部壕内で大田實司令官は、軍艦旗に「昭和二十年六月十二日」、「沖縄の日没」と書き込みます。.そしてその筆で、愛唱歌を壁に書き込んだのち、日付が変わった6月13日、海軍司令部壕内で大田實司令官は自決されした。その66年後、一枚の旗
9年前の懐かしい写真です。私が復元した零戦と飛燕の計器盤は、現在、各務原航空宇宙博物館「宇宙博」に寄贈し、展示されています。使用している計器は、アメリカのオークションe-bayで入手したオリジナルです。
4月30日、大分合同新聞に大分大学名誉教授佐藤誠治さんのコラムが掲載されました。.厚木航空隊による降伏軍使機への攻撃を引き付けるため、大分飛行場に飛んだ緑十字機囮機。.こちらも命懸けの飛行でしたが、それを語る記録は残されていません。.唯一、軍使横山少将が東京12チャンネルの番組で語った内容が残されています。.これを機会に、囮機の記録が見つかると良いのですが。
緑十字機不時着から80年昭和20年8月20日夜、磐田市の鮫島海岸に、緑十字機一番機が不時着して80年。本日5月1日、静岡新聞朝刊に紹介記事が掲載されました。
.フラップが故障した状態で伊江島に着陸した一番機。.写真①は現在の伊江島滑走路三本。左が米軍の滑走路、中央が現在使用されていない補助滑走路。滑走路の先は断崖であり、その先は海となっている。右が伊江島空港(1500m)で、現在定期便の発着は無い。.一番機が着陸したのは中央の滑走路。写真②は当時の伊江島滑走路。中央が緑十字機が着陸した滑走路であり、当時の姿を留めている。緑十字機は手前から右上の方向に着陸した。.滑走路付近にたくさんある小さな四角形は、戦闘機(P-38等)の駐
緑十字機一番機、伊江島への着陸(その1).敗戦国日本は、マッカーサーの命令で降伏軍使をマニラに派遣するため、8月19日朝、二機の一式陸攻機が伊江島に向かった。勅使の河辺中将が搭乗した一番機は、予定していた航続距離の長い11型が試験飛行の時、厚木航空隊の攻撃を受け穴だらけにされたため、急遽格納庫の奥から埃まみれの旧型G6M1型が引っ張り出された。この時、航続距離の長い11型は、剣号作戦のために三沢基地にかき集められており、横須賀航空隊には対応できる機体が無かった。再び試験飛行をすればまた
緑十字機と大分県(その3).木更津航空隊二番機機長河西飛曹長回想録著書「緑十字機決死の飛行」p312-p313より。.8月17日、木更津飛行場の格納庫隅に女子挺身隊の女学生が三十人ほど固まって泣いている。みんな目が真っ赤だ。すぐ機体塗装に取り掛かるように責任者を怒鳴りつける。.「戦争に負けたことが悲しくて泣きたければ、この飛行機の整備が終わってからにしろ」。「あと2機来るから頑張ってやってくれ」。.この飛行機とは、後に緑十字機二番機となる機体であり、あと2機
緑十字機と大分県(その2).大分大学名誉教授の佐藤誠治さんが、鮫島海岸を訪問された。佐藤さんは、昨年12月13日の大分合同新聞のコラムに緑十字機に関する文章を投稿されている。その御縁で鮫島海岸でお会いすることができた。.3月20日風の強い冷えた日。佐藤さんは、強い風の中、得意なドローンを飛ばしたのだが、一気に上昇し、写真を1枚撮影した時点で、風にあおられ行方不明となった。添付写真はその時撮影した唯一の1枚である。.すわ、紛失かと心配したが、GPS機能により近くの松林の中
緑十字機と大分県(その1).終戦の日、8月15日の16時15分、大分航空基地から第五航空艦隊司令長官の宇垣海軍中将が、彗星艦爆11機とともに沖縄方面に突入した。伊平屋島に2機、伊江島に1機が墜落したとされる。.その大分航空基地に4日後の8月19日昼頃、緑十字機2機が着陸した。厚木航空隊から降伏軍使機への攻撃をそらすために、囮(おとり)として飛行した2機の緑十字機である。攻撃される危険が極めて大きい命懸けの飛行であった。しかし、囮機に関しては、回想録等の資料が全く遺されていな