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2026年になりました~今年もまた笑っていられる1年であったらいいなぁ~と思っています。1年の計は元旦にあり。今年も元気に行こうと1月1日は北条の城・総構え山側へ。1月2日は用事で1日が過ぎ・・・そして昨年に引き続き1月3日は箱根駅伝を沿道で観戦。こうやって始まった2026年。皆さんにとっても私にとってもいい年になりますように(^^♪
佐伯城(別称:鶴屋城・鶴ヶ城・鶴城)佐伯市城山創設年代・・・・慶長七年(1602)創設者・・・・・毛利高政形態・・・・・・平山城遺構・・・・・・本丸・本丸外郭・二の丸・北出丸・西出丸・三の丸石垣・櫓門ポイント背後を険阻な山岳地帯に囲まれた佐伯・豊後水道にそそぐ番匠川の河口近くの小高い山にある。このように慶長の築城にもかかわらず、外様大名の用心からか、当初から山城を築いた極めて珍しい城郭である。城は山上に累々と野面積みの石垣をめぐらし、三層の天守のある
山形まるごと館紅の蔵から山形駅に戻る途中に、歌懸稲荷神社がありました。総構えの山形城の三の丸の東南の角に十日町口があり、短冊に歌を書いて奉納したことから歌懸の名がついたとのことです。https://utakakeinari.jp/sp/01goyuisyo.php御由緒|歌懸稲荷神社utakakeinari.jphttps://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/kenbunroku/chapter2.htmlhttps://maps.app.goo.gl
小倉城(別称:勝山城)北九州市小倉北区城内創設年代・・・・慶長七年(1602)創設者・・・・・細川忠興形態・・・・・・平城遺構・・・・・・石垣・堀・櫓・復興天守閣・復興櫓・本丸・二の丸・三の丸他関門海峡を抑える軍事経済上の要地。デルタ地形を巧みに生かしている。ポイント小倉は古くより関門海峡を押さえる水陸両面の交通の要衝で、古くから軍事・商業上の要地としても重要視された。城は柴川・板櫃川の両河川により形成された河口デルタの地形を縄張りに生かした。
月末に浜松基地のエアフェスタに行くかどうかは決めかねているけど、とりあえず秋の空活は一区切り。10/15に江戸に用事があったので、前日、相模の国で二度目の小田原攻めを敢行。まずは、本陣として笠懸山(石垣山)にひと晩で一夜城を造りwこれを本陣とした。登城口の石段から見る、一番有名な石垣跡↓。関東大震災でかなり崩れたと案内板には記述がある。北条攻めが終わって不要となったこの城は、意図的に石垣の一部を崩したとも書かれていて、確かに隅石だったであろうところが崩れていて、石垣の一番端正な部分が
承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏(吉良氏)が築城した西条城が始まりと伝えられる。戦国時代末には酒井正親・重忠、田中吉政と城主が代わり地域も次第に拡大しました。関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601)には本多康俊が西尾2万石の藩主として入り、その後も譜代大名らが藩主を務めました。寛永15年(1638)、太田資宗が西尾城の大改修を計画し、西尾城の特色の1つである堀と土塁が城下町を囲む『総構え』と呼ばれる体裁を企て、井伊直之が工事を受け継いで明暦3年(
伊予松山城(別称:勝山城・金亀城)(Ⅲ)松山市丸之内今回は二の丸・三の丸周辺を回ります山を下ります。大手門石垣同大手門周辺の高石垣大手道を下り二の丸へ途中の総構えの石垣大手道仕切門跡大手道・尾谷門跡大手門・持弓櫓台石垣尾谷門跡から見る、前方に東大砲台石垣二の丸奥門、奥に東大砲台石垣二の丸四脚北御門
徳吉城(鳥取市徳吉)徳吉城は徳吉集落の東、本徳吉に築かれた平城であった。国侍徳吉将監の居城で、将監は山名氏の靡下であったが、永禄年間、鳥取城の武田高信に味方してこれに背いたりその後、毛利勢の進攻によってその靡下となった。ついで天正九年(1581)吉川経家が鳥取城番を命ぜられて当国に入部した時、経家はただちに鳥取城に入らず、当城にしばらく留まった後、鳥取城に入城した。その後、羽柴秀吉の鳥取城攻めの時、徳吉将監は徳吉城が支え難いことを考え、当城を捨てて鳥取城に籠った。鳥取落城後は野に下り邑美郡(
前々から気になっていましたがわざわざ行くにはちょっと・・・と思っていた場所へ行ってきましたそれは小田原合戦における徳川家康陣地跡以前紹介した、小田原城総構北条稲荷→渋取『【神奈川県小田原市】北条の城総構えを歩く北条稲荷→渋取』北条の戦国一広い城の総構え城の周囲を防衛するために堀と土塁で囲んだ9km細かに刻みながらですが1周しようと意気込んでいます。すでに紹介した山ノ神堀切→早川…ameblo.jpこの場所を囲むように陣を張ったのが家康をはじめとする徳川オールスター
昨年8月末、小田原を襲った台風と大雨。その影響でずっと立入禁止だった三の丸外郭新堀土塁北条の城・総構え山の神堀切↣早川口遺構を歩いているときも立入不可でがっかりしていましたが・・・『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切→早川口遺構part2』北条の城・惣構えの一部を歩いています。稲荷森をあとに歩いて行くと小峯御鐘ノ台にある三本の大堀切へこちらはすでに紹介済みですが『【小田原市城山】難攻不落…ameblo.jp先日、近くを通ったので覗いてみると・・
前回、北条の総構え海側を歩きましたがその時に寄り道。地図左下の●総構えとは全く関係のない歴史スポットなので番外編として紹介です総構えの報身寺前を通りすぎT字路を左方向へ。(総構えを歩くならT字路をまっすぐです)100mほど歩くと●の場所が右手に見えてきます。平成輔の墓所。時は鎌倉末期。平成輔は日野俊基らと共に後醍醐天皇の倒幕計画に参加するが計画が漏れて捕縛。両名とも鎌倉へ護送中に処刑されます。鎌倉源氏山・葛原ケ岡で処刑された日野俊基
小田原城・北条時代に築かれた9kmにおよぶ総構えを自分の体力に合わせて、小刻みに分けて歩いています。4回目にしてコンプリート。初回最終地点である早川口遺構(地図の左下)から2回目の起点北条稲荷(地図右下)まで緑の線を歩いてきました~2010年の大河ドラマ「天地人」で描かれていた北条の小田原城がこれこの城の海側を歩きます。はっきり言って、スタートの早川口遺構以外、見所は何もありません。ただ歩いてもつまらないので総構えを歩きながら観光スポットも合わせて行ってきまし
ついに、やってきました!総構え!傾斜角50度〜60度もあります!!三角定規持ってきてます😍💕登れるか、果敢にチャレンジ!滑り降りたため、おしり真っ黒(笑)実際現場に来てみると枯れ葉を踏む音が響き渡るくらいとっても静かなんです。さすが要塞といった感じでした。歴史という概念を教え込むというよりも抜き足差し足忍び足って、やったなーってことを体験として感じてもらえたら充分です良く歩きました!!おつかれさま!
城郭詳細画面内に「服装&所要時間集計機能」が新たに搭載されてから1週間ほど経ちました。ざっと見てみたところ、現時点で約5,000件ほどデータを入力していただいているようです。収録城が3,000城なので、1城あたり1.5件ほどはデータがあることになります。が、実際には結構偏りがまだまだありました。日本100名城クラスのメジャー城だと、誰かしら所要時間と服装を入力してくれている状況ですが、少しマイナーな城になると時間部分の表示が「--時間--分」(つまり投稿0件)の状態となって
2024年の秋に金沢城を訪ねたのは、新装成った鼠多門を見ておきたかったのと、総構えをちゃんと歩いてみたかったから。特に総構えは、この時から1ヶ月後に丸岡城で行われたお城EXPOの「百口城主」としての登壇時に、丸岡城下に残る総構えがいかに貴重であるかを語るために、どうしても金沢城の総構えと、総構えに対する保存・維持がなされている姿を紹介しておきたかったから。総構えは後に譲るとして、まずは鼠多門から。鼠多門が再建の俎上に上る前から鼠多門の位置は知っていましたが、スケールが大きすぎてここから
戦国最大の土の城と言われる北条時代の小田原城。9kmの堀と土塁で城の周囲をグルリを囲んでいました。この総構えを一周しようと何回かに分けて歩いており現在ここまで右下の北条稲荷から左下の早川口遺構まで歩いてきましたが海側を歩く前にもう一度初回に歩いた小峯御鐘ノ台までを歩いてきました『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切→早川口遺構part1』秀吉の小田原征伐に備えて北条側が構築した惣構え。堀と土塁で城下を囲み、全長9kmに渡っています。その9kmの中
part2最後で総構えの案内板を確認し城下張出を目指します。来た道を戻り、真っ直ぐです。下りとなっている道。総構えの名残かも~と想像しながらテクテク・・・・進んで行くと左手にファミリーマートがあるのでその道を左折50~100mほど歩くと右手にめだかの学校めだかの学校の前を左に曲がり左方向へ・・と歩いて行くとありました城下張出堀部分堀なので総構えの外側。見る目は敵兵としてとなります。もし豊臣兵ならこの畝堀を上って北条を攻めなければならな
小田原城の総構えを1周しています。ただいま下図青のルートpart1では大稲荷神社石碑まで歩いてきましたがpart2はマップに道がないガイド付の総構え案内で歩いたことがあったので道はあるんですが、地図にない細い道。どこをどう歩いたのか記憶を頼りに一人で行ってみたものの迷子何度も行ったり来たりやっと現代の地図上でこのルート右下の大稲荷神社石碑●スタート土塁跡●そして案内板●へ辿り着きました~道を紹介します。part2スタートは大稲荷神社石碑小田急踏切か
北条時代の小田原城。秀吉との戦いに備えて構築した9kmに渡る総構えを細かに刻みながらですが1周しています。今回は3回目。2回目の黄色線終点~渋取~案内板→初回赤線の始点まで1回目と2回目を繋がるように歩いてきました。下図青のラインです。このルートは遺構もなく、地図上の道も無くどう歩けば良いのと歩くのに何度も迷った道のりですpart1は~渋取~案内板→→大稲荷神社。黄色線終点から青線の途切れている区間までを歩きます。(コメント欄閉じています)では前回の
北条の戦国一広い城の総構え城の周囲を防衛するために堀と土塁で囲んだ9km細かに刻みながらですが1周しようと意気込んでいます。すでに紹介した山ノ神堀切→早川口遺構『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切→早川口遺構part1』秀吉の小田原征伐に備えて北条側が構築した惣構え。堀と土塁で城下を囲み、全長9kmに渡っています。その9kmの中で遺構が比較的良好に残っている山の神堀切→早川…ameblo.jp『【神奈川県小田原市】北条の城・惣構えを歩く山ノ神堀切
丸1日時間が空いたので品川から新幹線に乗ってぶらぶら~っと以前から行きたかった小田原城へ※これから先長文&画像多めです小田原駅で降りて徒歩数分学橋を横目に正面入り口へ・・・二の丸の正面馬出門うまだしもん(2009年復元)馬出門の石垣は、左側は真鶴の本小松石を右側は江戸城でも使われた早川石丁場群の石を使用徳川将軍家専用のお供の者が控える待合所があったり、馬を繋ぐための厩があった馬屋曲輪
御着城(別称:茶臼山城・天川城)兵庫県姫路市創設年代・・・・十六世紀創設者・・・・・小寺政隆形態・・・・・・平城遺構・・・・・・堀・土塁・井戸・石橋ポイント御着は天川の東岸に臨んで山陽道沿いに発達した。御着城は中世末期、別所氏の三木城、三木氏の英賀城と並んで播磨三大城の一つで、姫路城はその出城として機能していた。城は本丸、二の丸からなり、西・南は天川を堀に代用、北・東は四重の堀をうがって固め、山陽道や町屋を取り込んだ500mに
北条の城・惣構えの一部を歩いています。稲荷森をあとに歩いて行くと小峯御鐘ノ台にある三本の大堀切へこちらはすでに紹介済みですが『【小田原市城山】難攻不落の小田原城御鐘ノ台の惣構えを見てきました~』北条時代の小田原城は難攻不落と言われた戦国最大の土の城。城と城下町を9kmにわたる深い堀と高い土塁(総構え)でグルリと囲んでいました。小田原ではあちこちに北…ameblo.jpせっかく歩いたのでちょこっと紹介西堀現在は堀を生かして道路となっている中堀東堀
秀吉の小田原征伐に備えて北条側が構築した惣構え。堀と土塁で城下を囲み、全長9kmに渡っています。その9kmの中で遺構が比較的良好に残っている山の神堀切→早川口遺構を歩いてみました。(コメント欄とじてます)ルートは小田原駅西口から出発し総構えエリアへ山の神堀切から早川口遺構まで。惣構えの1/4~1/3周にあたります。いざ、出発駅から坂道をエッサホッサ。坂道でもうヘトヘト。総構え・山側の高さを実感。そしてやっと総構えエリアへ。坂を登った甲斐あり。立
伊丹城(別称:有岡城)創設年代・・・・鎌倉時代末期創設者・・・・・伊丹氏形態・・・・・・平城遺構・・・・・・総構えの遺構・堀・土塁・建物跡・溝城碑・本丸・模擬石垣本丸土塁・模擬石垣同井戸・土塁・礎石同井戸本丸土塁・空堀跡土塁・堀跡本丸天守台跡同伊丹駅(城内)伊丹駅前開発地(城内)略史伊丹庄は鎌倉時代以降、この地の豪族伊丹氏が守護代官的な重職につき、代々居館を構
戦国最大の土の城。北条時代の小田原城はそう言われていました。今や遺構は市街地化されその城を感じることは難しくなっています。数少ないですが整備され残っている場所の一つが三の丸新堀土塁(見学可能時間10:00~15:00)大きな看板がありますがこちらも前回の八幡山古郭東曲輪と同じく何もない。ひたすら土塁を堪能するだけ階段があるので土塁上へ行ってみます。「おーっ!!キレイ!!」ここからは素晴らしい景色。相模湾そして町並みを一望、石垣山一夜城がある
北条時代の小田原城は難攻不落と言われた戦国最大の土の城。城と城下町を9kmにわたる深い堀と高い土塁(総構え)でグルリと囲んでいました。小田原ではあちこちに北条時代の土塁が残っています。9kmにわたる惣構えをいつか1周してみたいと思っていますがそれはなかなかハードルが高い。ちょこっと見たいけど、どう行こうテレビで紹介される惣構えと言えばほぼこちらなので小峯御鐘ノ台へ行ってきました~小田原駅から前回紹介した八幡山古郭跡を歩いて20分。当時の小田原城西端にあり
昨日は小田原に行ってきました。駅前の北条早雲像。目的はこちらです。はじめての総構え驚きの傾斜をあなたに|周遊コース|リトルトリップ小田原[小田原市観光協会]早速歩き始めますが登り坂になります。山ノ神堀切に向かう道がわからず少し先まで歩いてしまいました。遊歩道の看板があり、そこが目印でした。曇りで少し風もあり歩きやすかったです。稲荷森は足下が急な傾斜になっていて登るのは無理でしょう。写真はあまりうまく撮れませんでしたが壮観です。途中から細い道になります。周りは畑で
4月半ばに、小田原歩きに行ってきました。○行程9:30小田原駅集合10:00~小田原城12:50~昼食13:30~総構めぐり(カフェ休憩)17:30小田原駅9時半に小田原駅集合。小田原城に向かうもなぜか道を間違え、軌道修正して小田原城へ。駅からの最短ルートの北からの入り口もありましたが、初めてだし正面入り口の馬出門から入りました。初めての小田原城は立派で、満足。天守閣以外は自由に入れて、地元の人がうらやましい。↑小田原城。入口の階段急でした。ベンチもあって、地元だ
ご覧いただきありがとうございます😊🎣🎣🎣釣り大好き💕釣れ無くてもロッドを振ってるだけで幸せ‼️サーフの投げ釣りからルアーフィッシングまで色々な釣りにチャレンジしています👍ほぼ、魚🐟が出て来ないブログを宜しくお願い致します♪🤣🤣🤣新年明けましておめでとう御座います。先ずは。このたびの令和6年能登半島地震で被災された多くの皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また、震災直後より被災地にて救援活動や復興支援に尽力されている方々に深く敬意を表します。皆さまの安全と一