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これから、青春18きっぷで小田原攻めしてきます。って、初めて、総構(そうがまえ)をぐるっと回りますが・・老兵二人ですので全部歩けるか(笑)ではでは。。
天海⑱無量寿寺北院の天海から簡潔な書状が届いた。「北条家は主力を小田原城周辺に集めている。兵力が不足する支城には近隣の農民が武装して入っている。農民とはいえ、北条家領民の士気は高く侮れない。北条家は糧秣を小田原城周辺に集めていて、流通している米は極めて少ない。北条領内で米を買い求めることは困難である。かつて謙信が小田原城を包囲した時も包囲軍が飢えるという状況があった。これらを勘案するに、小田原城の籠城を長引かせ、大軍を擁する豊臣軍を飢えさせて、長期包囲を困難にする作戦と
https://ameblo.jp/etsumars/entry-12830061988.html『2023/11/19小田原ツーデーマーチその1』二日目の日曜日この日は戦国時代を偲ぶ小田原城総構コース15キロコースとなっていますが実際は11キロらしいです👌この日も、えっさパパ出勤😊列の一番先頭に並んだの…ameblo.jpの、続きです😊三の丸外郭新堀土塁いしがきやまも臨めます。土塁の傍らにある窪みは地下室の跡だといわれています。そして、一番気になっていた小峯御鐘ノ台大堀切
二日目の日曜日この日は戦国時代を偲ぶ小田原城総構コース15キロコースとなっていますが実際は11キロらしいです👌この日も、えっさパパ出勤😊列の一番先頭に並んだので(たまたま)眺めが良い😆写真撮ってたら、どんどん抜かれる😓小田原用水松永記念館昭和初期の電力王松永安左ヱ門が、晩年に建てた邸宅です。茶室趣のある塀でした!そして、今日もまたまた登ります💧💧💧登りはキツイけど、頑張ると、海が見える😆三の丸外郭新堀土塁到着チェックポイント&給水です🌿つづきます…。
箱根湯本駅から小田原駅へ戻る途中、風祭駅近くの展示車両を見に行きました。引退したモハ1形107号です。今はえれんなごっそというカフェに横付けされていて、中で軽食も頂くことができるようになっていました。てつたびで中井さんがこの中でケーキ食べてたなあ小田原駅に戻って海鮮丼のランチ一切れ一切れがとても大きくて食べ応え十分でしたお刺身でおなかいっぱいになるって幸せ~小田原城も見に行きました。でも天守は1960年に再建された鉄筋コンクリート製のものなんですよね。そ
賑やかな声が聞こえてきたエリアへ何度か来てます、が今回は総構、ですからねちょいとパチリはしたけれど、スルーじゃってここでさ女がさキャーーと言いながら子どもと一緒にさ斜面を滑って遊んでいるの崩すんじゃねーーーと思いながら御鐘ノ台西堀こちらも、右手の下段に畑があっておじさん作業中私有地だらけで、勝手に入れずま、城のデカさを体感しているだけだからいいんだけどね更に奥へん見えてきたのは…土塁だ〜何このデカさ香林寺山西土塁と下の堀も巨大ヤブヤブだから、うまく
ちょっとこの時期は…家にいると色々考えこんでしまうので…ぷらっと小田原へGOお久しぶりっす必ず早雲さんにご挨拶で、てくてく散策start今回のテーマは「総構」小田原城の総構は、小田原北条氏が豊臣秀吉との合戦に備え、天正18年(1590)までに、小田原城とその城下を囲って築いた総距離9Kmにも及ぶ大規模な堀と土塁による要塞の跡である。豊臣軍21万、北条軍3.4万と圧倒的な不利の中を勝ち抜くための秘策が総構。歴史と自然が融合した壮大で「映える」歴史遺構である。散策路として整備され
今晩は。クッキー&小太朗のコーギー式「今日の出来事」です。さんぽから帰った小太朗さん「とうちゃん起きなさい」とワンスカ太朗せっかく起こしてもらったのでツーショット写真に再チャレンジ小太朗さんニコニコのカメラ目線でOKとうちゃん今日も表情が硬くてNG『いつまでやらせるの』小太朗さんに怒られてしまいました気を取り直して「朝ごパン」ナイスキャッチで、美味しく、楽しく朝のルーティンはおわりましたこの後とうちゃんは山梨の両親の様子を見に行ってきまし
戦国最強の武将三浦義意公を祀る居神神社令和4年10月29日・30日に小田原市内、城山に鎮座する居神神社が創建500年を記念して、30日には神輿渡御が行われます。居神神社のご祭神は、三浦荒次郎義意(よしおき)公。北条早雲との戦での活躍が凄まじく、「逃げる者を追い詰めて兜の頭上を打つとみぢんに砕けて胴に達し、横に払うと一振りで5人、10人が押し潰され、棒に当たって死んだものは500余名になった。」(北条五代記より)昨今の戦国武将ブームもあり、居神神社の神様は戦国最強の武
思い立って小田原を歩いてきました。おめあては昔、敵の侵入を防ぐために小田原城の周り9キロをかこんで作ったというお堀の跡地。総構え(そうがまえ)という。小田原駅前から15分ほど歩くと住宅地や畑があり、その合間にこんな感じの場所がある。ここもお堀の跡地。この東堀がいちばん大きくて見応えあった。写真だとただの斜面にみえるけど、実際は二階建てくらいの深さがある。まだ暑かったので蚊とか小さい羽虫がいたので参った。お堀跡を抜けると相模湾と箱根の山々が。
5月28日(土)は神奈川県小田原城で日本城郭史学会主催の見学会がありました。小田原城は本丸跡に復興天守があり、小田原を代表する観光名所です。天守に目が行きがちですが、土塁や空堀もよく残っています。今日は小田原城大外郭(総構)の土塁空堀を見学します。今回は城郭史学会会員の岩本誠城さんが案内してくれました。小峰御鐘ノ台大堀切当日は小田原駅に集合でした。今回の見学会は49人の参加者でした。岩本さんから今回の見学会のコース、概要の説明がありました。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田
こんにちは~はっきりしないお天気ですが、皆さま、如何お過ごしでいらっしゃいますか。私はリハビリに通わなくなって3週間~。私の古いディスクトップ型のPC、マウスを動かすのにやっと机の上で動かせるようになりました。骨折して暫くは、膝の上で動かしていました(笑)どうしても必要な時以外、そもそもPCを使おうという気にもなりませんでしけれど~。八幡山の毒榎平(どくえだいら)です。先に進みますね。小田原城の土塁の案内板です。~案内
▲小田原駅に到着さて、電車の中で食後の休憩も出来たので小田原駅西口方面からスタ~トしてみましょう【北条早雲公像】北条早雲の「火牛(かぎゅう)の計」をモチーフにしているんだそうな高さ5.7m重さ7tの日本最大級の銅像らしいふむふむ、なるほどなるほど【めだかの学校】北条早雲公像から歩いて約15分ポイントになるところにはこんな看板が立っているので分かりやすいかも知れませぬらしき建造物が見えてきました小川側から見るとこんな感じ
「THEHIRAMATSUHOTELS&RESORTS仙石原」の朝食です。レタスのポタージュスープとっても美味しかった~蒸し野菜やスフレオムレツなども。お土産のチョコレートいただきました。今回、一番楽しみだった総構へ出発※小田原城の総構は、小田原北条氏が豊臣秀吉との合戦に備えて、小田原城とその城下を囲って築いた総距離9kmにも及ぶ大規模な塀と土塁による要塞の跡です天守閣はあまり興味がなく、登ってみたいとも思いませんが野面積、堀切、
久しぶりの職場のハイキング部今回は軽くウォーキング総構え(そうがまえ)とはお城を囲む堀とか土塁で出来た要塞の事らしい小田原駅西口からスタート北条早雲の銅像を横目に住宅街を歩いていくと案内板発見山ノ神堀切広くてビックリ稲荷森小峰御金ノ台大堀切東堀いわゆる映えスポットです(笑)気分はもう戦国時代三の丸外郭新堀土塁天気が良ければ眺めが最高だったんだけど相変わらずの雨女で残念八幡山古郭東曲輪天守閣に登っ
太閤・豊臣秀吉が小田原征伐においてその本拠として、小田原城に対面するように築いた石垣山の山城、そして小田原城を鉄壁のように防御する総構の遺構を歩いてきました。<概要>小田原城は戦国北条家の始祖ともいうべき北条早雲(伊勢宗瑞)が入城してから五代100年にわたりその本拠としてきた、戦国時代でも有数の巨大城郭です。戦国時代末期、秀吉は日本統一の最後の障害ともいえる関東の北条家を攻め滅ぼすために総力戦を始めます。そのときに秀吉が布陣し小田原征伐の本拠として築いたのが石垣山(当時は笠懸山
小田原城の桜、満開でした。訪問日は3月27日です。天守閣にも登って見学しました。この天守閣は、江戸時代に造られたものが明治になって解体され、1960年に再建されたもの。小田原城というと、戦国時代の後北条氏の城で、豊臣秀吉の小田原攻めを思い浮かべてしまいます。秀吉が関東も制圧し全国統一した歴史上は、それが大きな出来事だったのは確かです。今の城郭が、その頃の城のように勘違いしちゃいますが、江戸時代に稲葉氏や大久保氏が城主になってから築城された姿がベースになっています。戦
日本百名城(2021年3月下旬)(SV650)【小田原城】日本百名城No.23戦国時代から江戸時代にかけての平城。室町時代初頭は、相模国:土肥氏一族の小早川氏の居城であったが、駿河の大森氏が奪い、その後、文亀元年(1501)に北条氏の本拠地となった。(諸説あり)北条氏は5代100年に渡り、城下町を城内に取り込んだ、いわゆる総構(そうがまえ)と呼ばれる、総延長10キロにも及ぶ堀と土塁で全体を囲まれた難攻不落な要塞であった。豊臣秀吉の侵攻に備えて築かれたもので、現在でもその遺構が
小田原の旅、2日目眠りが浅く何度も目が覚める夜でした。折角なので、相模湾の日の出を見に、海に向かいました。この辺の海岸の作りは独特ですね。海岸に沿って道路が有るので、道路の下を潜って、海岸に出ます。海だ~~~しばらくの間、海を眺め、満足したので、ホテルに戻って朝食食べよっと。途中、朝の小田原城。こちらは、学門。こちらから入ると、馬出門と銅門を通らず、常盤木門に入ります。そして、再び、サル🐵、朝のサル、寒そう~~~朝日を浴びながら、本当に寒そうに震えているサル🐵も居ました
都道府県別索引へ小峯御鐘ノ台大堀切から西で総構を見ることができる場所はないか、とキョロキョロしながら歩いていると、白い塀に立て付けられていた「総構香林寺山西」とある看板が見えてきたので、入ってみた。それが…ココ、小田原城だよネ?🥶まさか小田原城でまで、こんな濃厚な🌿🌿に出会うとは思いもよらなかったよ〜🥶ヤブは🕷とか🐍とか潜んでるからヤなんよ〜😭と、今になって泣き言😅西側はどうしようもなかったが、幸い東側は足元が見える程度だったので、東側にずんずん進む💨堀自体はシッカリしていて、
都道府県別索引へ今日は午前中家のネット工事で動きが取れなかったので、終わった後に電車のお気楽城攻めをと思い小田原へ向かった💨城下張出から始まって小峯御鐘ノ台方面に続く総構、今年春に一度見に行ったけど、時間がなくて色々見落としがあったみたいなので、追試を受けに行った😅前に来たときにも思ったけど、城下張出への入口、ホントに分かりにくいっ…今回もウロチョロ細い路地に入り込んだりして、小田原の駅から10分くらいで到達。住宅地にいきなり現れる土木の跡が恐るべし…😮この右側が城下張出で、四角い曲
先日小田原ガイド協会主催の『総構』景色満喫ウオーキングに参加しました小田原城の総構(そうがまえ)は小田原北条氏が豊臣秀吉との合戦に備え天正18年(1590年)までに小田原城とその城下を囲って築いた総距離9㎞にも及ぶ大規模な堀と土塁による要塞の跡です豊臣軍21万北条軍3.4万と圧倒的な不利の中を勝ち抜くための秘策が総構です小田原駅西口の北条早雲公像前から出発~山ノ神堀切小田原合戦攻防図豊臣軍は戦国オールス
いつか歩いてみたい!と思っていた小田原城の総構🏯“城マスター”千田嘉博先生にとことん聞きました!絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「小田原城」小田原城の知られざる3つの秘密を解明!#小田原城#千田嘉博9/4(金)後10:00NHKBSプレミアムwww6.nhk.or.jpさすがに全長9kmは無理だけど素晴らしい「堀切」見て来ました!戦国時代へタイムスリップよ〰️※総構とは天正18(1590)年、天下統一を目前とした豊臣秀吉は、総勢22万の一方軍勢を率いて、関東の覇者
新潟の旅(秋)6️⃣(春日山城跡②)の続きです。春日山城跡登城後、春日山神社へ☘山形県米沢市にある上杉神社より分霊され、謙信公が祀られています。拝殿☆狛犬☆狛犬☆参拝を終え、御朱印をいただきに売店へ☘カエルさん御朱印書置きの御朱印に日付を入れてくれました。毘こちらでピンク色の御朱印帳を購入しました。(もう1種類ありました。)(裏面)毘沙門天像が描かれています。今回から神社用として使わせていただきます。春日山神社→春日山城跡ものがたり館へ移動。こちらで日本100名城
『海の近く』を見て行って見たかったバルティア・ザイカへ❗❗https://m.facebook.com/bhartiyazaayka/「ヒトリ~?ドゥゾー!!」とカウンター席へ本当にキッチンがフルオープン目の前にはタンドール釜!カレー二種にデザートとドリンクのレディースセットにしました税込900円カレーは12種類。全部作り置きせず満席で、全員違うカレーの注文でも一杯ごと作るそうです🥘色々食べたかったのでチキンカレーダビワラはテイクアウト他にも海老カレーや、黒っぽい?
コロナ禍ではあるが…小田原に行くことにした。海斗くんに6時に「おはよう」しようねと昨晩言っておいたのだ。そしたらちょっと来た!!おはよう😃スキスキ😍おはよう😃そして、行ってきます。今日の暑さは半端ないらしい。凍らせたお茶を持っていく。今日は新宿から小田急小田原線に乗って小田原に向かう。急行だ。ここ何年も小田急に乗っていない。8:13発…ギリギリだったので駅名表示は撮影できず。とりあえず座れた…というか混んでない。小田急っていっつも混んでるイメージだけど…。しばらく外の景色を
小田原城・・・神奈川県小田原市小田原町にある平城。北条早雲が攻略した後北条氏は5代にわたって居城とした。八幡山の山上に本丸を置き、当時の小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で囲んだ壮大な城で、その総構えはのちの大坂城をしのぐものであった。コロナ警戒感緩みの3月の3連休の中日の3/21のPM・・・小田原に行ってました・・・今、考えると面目ありませんが・・・。関東のタウン雑誌「散歩の達人」2020年3月号を片手に小田原城巡り・・・(散歩の達人:https://
小田原城・・・神奈川県小田原市小田原町にある平城。北条早雲が攻略した後北条氏は5代にわたって居城とした。八幡山の山上に本丸を置き、当時の小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で囲んだ壮大な城で、その総構えはのちの大坂城をしのぐものであった。コロナ警戒感緩みの3月の3連休の中日の3/21のPM・・・小田原に行ってました・・・今、考えると面目ありませんが・・・。関東のタウン雑誌「散歩の達人」2020年3月号を片手に小田原城巡り・・・前回の稲荷森の続きです。(散歩
小田原城・・・神奈川県小田原市小田原町にある平城。北条早雲が攻略した後北条氏は5代にわたって居城とした。八幡山の山上に本丸を置き、当時の小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で囲んだ壮大な城で、その総構えはのちの大坂城をしのぐものであった。コロナ警戒感緩みの3月の3連休の中日の3/21のPM・・・小田原に行ってました・・・今、考えると面目ありませんが・・・。関東のタウン雑誌「散歩の達人」2020年3月号を片手に小田原城巡り・・・前回の山ノ神堀切の続きです。(散歩
小田原城・・・神奈川県小田原市小田原町にある平城。平安時代末期、豪族土肥氏一族の小早川遠平の城館があったといわれる。応永23年(1416)上杉禅秀の乱が起り、これに加担した土肥氏は没落、戦功により上杉憲方の家臣大森頼明が足利氏からこの地を賜わる。明応4年(1495)、北条早雲が大森藤頼から小田原城を奪い、以後北条氏は5代にわたって同城を居城とした。八幡山の山上に本丸を置き、当時の小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で囲んだ壮大な城で、その総構えはのちの大坂城をしのぐもの