ブログ記事13件
松平容保親子の新たな鶏卵紙写真見つかるをアップして気が付きました。1年間、ブログ更新していなかったのです。色々なことに追われ(^^ゞ令和7年5月会津史学会から『歴史春秋第96号』が出版されました。私は『維新階梯雑誌(十二)』を寄稿しています。連載12回目、『維新階梯雑誌十四』(宮内公文書館)の直訳で、文久4年1月から2月10日まで引用紹介しました。新選組では、徳川家茂護衛のための「新撰組名前」松平容保では2月8日の宸翰など色々と引用紹介しています。
会津史学会総会も無事に終わったようです。当日、『歴史春秋第95号』が出版されました。私は「『維新階梯雑誌』(十一)」を寄稿しました。しかし、総頁数が314頁であり、70号の285頁を頁数が上回り過去最多頁だったようです。
九州の新選組研究家・古賀茂作さんから『歴史道』の贈呈を受けました。表の見方に「他の研究者に先駆けて発掘していた『有栖川宮日記』『維新階梯雑誌」』とありました。データ上平成25年公開となっており、その時、古賀さんが開示請求をして閲覧されたものと思われます。私は後に、仁和寺宮進軍とか色々なことを調べるうえで、宮内庁宮内公文書館で史料検索しました(佐川官兵衛執筆にあたり必要)。木戸家文書も必要でした。ただ、そのうち検索キーで何も見つからず、松平で検索したら『維新階梯雑誌』を見つけるに至った
『会津史談第九十六号』が届きました。昨年、私が創立90周年記念式典後に講演しました「維新前後の新史料発見の経緯」が掲載されています。
「会津史談会90周年記念式典・つどい」が行われます。コロナの状況によっては中止もありうるそうです。1.日時令和3年11月6日(土)記念式典13:30~講演14:30~15:502.講演会講師:伊藤哲也演題「維新前後の新史料発見経緯」3.会場会津若松市河東公民館2階大ホール史学会の50周年記念式典は200人が講演を聴講されたとあります。「斎藤一こと藤田五郎の生涯(五)」で二度目の会津史談賞を受賞して、その講演となります。しかし、斎藤一には多くは触れま
『維新階梯雑誌』紹介の流れです。あれから、4年経過しました。
歴史春秋社の新刊お知らせをシェアします。目次、前書き、本文数頁が読めます。ただ、読める中に初公開の史料は含んでおりません。この歴史春秋社のfacebookから少し読めます。Facebookwww.facebook.com歴史春秋出版社|Facebook
https://www.yomiuri.co.jp/…/a…/news/20181212-OYTNT50112.html『維新階梯雑誌』が見つかるの紹介でした。安藤早太郎が「新撰組名前」において組長と記録されています。その地元で紹介されました。地元の役所のHPを読むと私や、菊地さんの名前が確認できます。別紙1.挙母藩士安藤早太郎の記録*生年は不明だが、文化13年(1816)前後と思われる。*天保10年(1839)猿投神社に挙母藩の代表として流鏑馬を奉納。*
さて、『維新階梯雑誌』に関しても、そろそろ言っておいた方が良さそうです。これまで述べてきたとおり、藤堂平助の出自に関しては永倉新八の『同志連名記』などに「藤堂和泉守落胤」とあったり、『京師騒動見聞雑記録』にも「藤堂和泉守の落胤にて壬生組に入り候由」とある事などから、伊勢・津藩第十一代当主・藤堂高猷の落胤である可能性が指摘されてきました。しかし、ある意味「普通はあり得ない話」でもあるので、おそらく本人がそう触れ回っていただけなのではないか、というのが定説化していたわけです。そこへ
タイトルの通り。『維新階梯雑誌』で近藤たちの池田屋内における動向を直訳、現代語訳、解説にまとめたのが『会津人群像34』(歴史春秋社)です。17年2月『維新階梯雑誌』で池田屋事件を全て直訳引用したのが、『歴史春秋85号』(歴史春秋社)です。17年4月『維新階梯雑誌』における隊士名簿「新撰組名前」を掲載したのは『歴史REAL新選組10人の隊長』洋泉社です。16年9月『維新階梯雑誌』、今月刊行『会津会会報』(会津会)にも掲載しました。17年6月『維新階梯雑誌』の各名簿、4月
①からの続きです。明治維新を1年遅らせたとか、逆に1年早まらせたと言われる事件。この頃の新選組の状況は。。。でしたよねぇ中島次郎兵衛さん宛て書簡の事。でも、この中島さん、6月23日に病死してしまっていました(これお話できませんでしたが…)そんな状況下で起こった池田屋事件。けれど事件そのものの事をお話をすると、キリがなくなるので以前記事の中でも取り上げました祇園会所から池田屋までの探索の事に触れました。探索ルート、人数は実ははっ
『歴史春秋85号』(歴史春秋社)が出版されました。ここに、「維新階梯雑誌(一)」と「維新階梯雑誌」の解読連載の第一回目を書いています。そして、『浪士姓名簿』の沖田総司、永倉新八の項目の画像掲載を行いました。「幻の名簿」とされてきた史料です。『会津史談91号』会津史談会「斎藤一こと藤田五郎の生涯」こちらには、藤田家の戸籍を画像掲載しています。
『新選組REAL新選組10人の組長』が出版されました。10人の隊長の足跡新選組武具大全新選組史料ガイド新史料紹介空白の時期を埋める隊士名簿発見!伊藤哲也新選組十人の組長菊地明誠にかけた知られざる生きざま新選組に命を賭した幹部列伝伊東成郎隊士たちの仕事とくらし相川司子孫が語る新選組松平保久井上雅雄宮川清蔵土方愛(敬称略)『維新階梯雑誌』の新選組隊士名簿の画像と解説が載っています著者:相川司、伊東成郎、伊藤哲也、菊地明、松平保久
池田屋内部でのことが書かれたのが引用されている電子新聞となると「産経ニュース」とかとなります。池田屋事件が起こる前の記録もあり。永倉の記録に劣らない理由が他にもあります。永倉よりも正確ということになる。これは、2号先の『会津人群像』にも引用掲載していきます。