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前回の続きです。今回は武者溜から本丸前までです。現在地にある案内板です。⑩付近から⑤へ戻ります。⑩付近です。下図⑦付近の東二の門跡です。⑥から南(下)側は⑥から南(下)④側は石置き場になっています。⑥から⑤方向です。東の丸の標識があります。⑤付近に戻りました。鳥居の上は山里曲輪で、さらにその上の石垣が本丸の石垣です。この右側の安宅時代と考えられる、発掘調査で室町時代の焼き物が出てきた場所です。淡路水軍の根城だったとも考え
中国地方の古寺名刹37ヶ寺からなる中国観音霊場と日本100名城・続日本100名城を巡る車中泊旅をしました。一度にすべて回るのは日数がかかりすぎるので、各県別に5回に分けて巡拝しました。1日目(9/21)、鳥取県へ移動する途中、岡山県新見市の道の駅「鯉が窪」の次に、天然温泉「神郷温泉」で日帰り入浴しました。途中から雨が降りだして、新見市の「神郷温泉(しんごうおんせん)」に着いた頃は本降りでした。グリーンミュージアム神郷温泉は、宿泊施設、コテージやバンガロー、オートキャンプ場、
みなさん、おはようございます本日もゆるっとお付き合いくださいませ①のつづきですこの洲本城山城なので『ある程度の覚悟』はしてたけど思ってたよりハードやったもちろんスニーカーを履いて来たけどなかなかの上り坂『はあはあ』言いながら登って来た先に見つけた看板『ん?んん?』『んんん⁉️』なんと‼️『お城は現在整備中のためこの先からは登城出来ません‼️』と言った感じの内容が書かれてるいやいや、ちょっと待って私ら結構、がんばってここまで登ってきたよ今、ここでそれを言い
浜松城は静岡県浜松市にある平山城で、その前身は曳馬城であり、15世紀頃に今川貞相が初めて築城したともいわれています。16世紀前半には今川氏支配下の飯尾氏が城主を務めていました。徳川家康は1570年に本拠地を三河国岡崎城から遠江国曳馬城に移し、城の名前を浜松城に改称し、城の拡張や改修を行いました。1586年に家康が浜松から駿府へ拠点を移した後、1590年からは豊臣秀吉の家臣である堀尾吉晴・忠氏親子が合わせて11年間在城し、この時期に天守が創建されました
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。9月連休を利用した「日本海北陸関西めぐり」のお泊まりマイカー旅を続けています。前回に続いて最終日の様子を紹介しましょう昼下がりに雨が小降りになったタイミングで、兵庫県豊岡市の出石城(いずしじょう)を登城します。兵庫県豊岡市・出石城を訪問前回の城崎温泉から、同じ豊岡市内にある「出石城」にやってきました。愛車で約40分移動、豊岡市は広いですね平山城の「出石城」と山城の「有子山城(
前回の続きです。馬屋(月見台)跡から日月の池を通り武者溜までです。上図③付近から④方向は③から④方向で手前は馬屋跡です。赤い線に沿って歩きました。石段を上がりその向こう側には日月の池があります。④から⑤へ歩きます。日月(じつげつ)の池です。籠城の時にこれだけ水があれば安心ですね。同上谷地の湧き水を、石垣を築いて池にしています。また、近くには井戸もある。山上の城といえば、水は生命線。そのため、湧き水を利用したり、各城塁の石垣の基礎石溝から
中国地方の古寺名刹37ヶ寺からなる中国観音霊場と日本100名城・続日本100名城を巡る車中泊旅をしました。一度にすべて回るのは日数がかかりすぎるので、各県別に5回に分けて巡拝しました。1日目(9/21)、鳥取県へ移動する途中、岡山県新見市の道の駅「鯉が窪」で休憩しました。国道182号線にある道の駅「鯉が窪」に到着しました。近くには、「西の尾瀬」ともいわれる「鯉が窪湿原」があり、春から夏にかけて様々な植物が開花します。しかし、本家の尾瀬に比べると規模は小さいです。県
滋賀の100名城を一気に攻めることに。まずは続日本100名城の鎌刃城。山城なので最初から登る気はない。本格的なトレッキングシューズや登山の装備など持っていないので。とりあえず行った証拠写真を撮りたいだけ。100名城スタンプや御城印も集めていない。ただ撮った写真をお城マップのアプリに保存してコンプリートを目指しているだけだから。番場という中山道の宿場町に駐車場とかもあるけど、なかなか狭い道だった。今回はあちこち行きたいから、さっさと次へ。浅井長政の居城、日本100名城の小谷城。
おはようございます!この三連休は行楽日和ですね☀️昨日はお出かけ出来ました恵那峡のサービスエリアに寄ってお出かけ組多数にお店には興味深いお土産が並んでいたわマイナスイオンが浴びれる出だし🆗公園内の入って直ぐの無料駐車場に停めて目的地は1000m先↓、山登りに来た様ですほぼほぼ父ちゃん任せのお出かけなので母ちゃんはついて行く〜今日は何処に行くの?状態目的地は苗木城跡手前の山にカメラスポット📷↓がありますしかし、遠そうだ手前の山から歩かなくても‥行って分かったのですが
この旅の5城目は新宮城。松阪駅から移動して来ました新宮駅新宮駅到着後、まず徒歩で阿須賀神社にむかいました。阿須賀神社続いて新宮城です。現在の地に築城したのは浅野忠吉であり、一国一城令により一度廃城した後、忠吉が再築城した新宮城には、大・小の天守や二ノ丸などがあったそうです石垣松ノ丸西口鐘ノ丸東口鐘ノ丸(二ノ丸)鐘ノ丸西口本丸虎口本丸本丸腰曲輪(屏風折れ)城からの眺め丹鶴姫之碑新宮
中国地方の古寺名刹37ヶ寺からなる中国観音霊場と日本100名城・続日本100名城を巡る車中泊旅をしました。一度にすべて回るのは日数がかかりすぎるので、各県別に5回に分けて巡拝しました。3月に1番~7番札所(岡山県)4月に8~14番札所(広島県)5月に15~21番札所(山口県)6月に22~28番札所(島根県)を巡りましたが、最後となる鳥取県の29~33番札所は、7月8月の猛暑を避けて、やや涼しくなった9月に5日間で巡りました。日本100名城(上図の赤丸63番~75番)と続日
こんにちは🏯🍀JR東海道本線関ケ原駅を出まして名古屋へ向かう途中の大垣駅にて下車、続日本100名城の大垣城にまいりました🏯大垣藩戸田氏は徳川家康に三河時代から仕えていた譜代大名です。1635(寛永12)年に戸田氏鉄(うじかね)が入城し、大垣藩10万石の礎を築きました。戸田氏は治水事業や教育などに尽力し、明治に至るまで約230年間大垣を治めました。4代氏定は赤穂事件を起こした浅野内匠頭長矩の従兄弟にあたり、事件後は浅野家の治安維持や赤穂城明け渡しに尽力しました。こちらの写
松浦鉄道に1時間ほど揺られて、たびら平戸口駅に到着。はるばる来たぜ、最西端。駅構内の博物館を見学し、応援を兼ねてグッズをいくつか購入。駅員さんに平戸行きのバスのことを尋ねると、港のバス停の方が本数が多いとのことで、駅から少し離れた港まで歩く。いろいろな方面に向かうバスが出ていて、博多行きもある。乗り換えが無いし安いので魅力的だが、佐世保までの松浦鉄道に乗れないのが最大の欠点。平戸桟橋に向かうバスに乗り、眺めの良い平戸大橋を渡って、猶興館高校前で降車。平戸島に降り立つ。私にとって九州最後
前回の続きです。今回は上の城で馬屋跡までです。標高133mの三熊山山上にあり不便な所です。上の城までは車道があり車で移動出来ます。1585年からの年表です。1585年には四国攻めの時には、総大将羽柴秀長は洲本城で軍勢を整えて、四国に出陣しています。1585年に脇坂安治(賤ケ岳七本槍)が、城主となり洲本城を石垣の城へと改修に取り掛かります。これは大坂城を守るためという目的もあり、秀吉の指示もあったのでしょう。これだけの総石垣の城は、脇坂氏だけでは造れないでし
令和7年10月、季節もいい感じなのでお城巡り遠征を企てました。夏の終わりごろ、10月に一泊で出かけられる余裕が出来きそうなので、遠地のお城巡りをしようと思いプランを練りました。手配出来そうな航空機、ホテルの空き状況、その他スケジュールのまとめを経て、高知にしようと決めました。高知と言えば鰹、ちょうど戻り鰹も食べごろだと思ったのも大きな要因です。準備を坦々と済ませて、ようやく迎えた当日、午前中は仕事に精を出して、お昼前に伊丹へ向けて出発しました。伊丹に着いたらお手軽ランチで立ち食い寿司。
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。お泊り旅「日本海北陸関西めぐり」の紹介は一回お休み。今回は「これからの時代、AIとどう向き合おうか?」と題して、AI(人工知能:ArtificialIntelligence)の活用方法について考えてみようと思います。AIにまつわる書籍との出会い今を時めくAIに関して、巡回するブロガーさんの中にも画像ソフトを駆使してキレイな画像を貼り付けている方を見かけます。それに対して小生はこれま
但馬守護山名氏治めた城下町梯郭式の平山城で、江戸時代には出石藩の藩庁が置かれた城跡は「出石城跡(平城)」の名称で豊岡市指定史跡となっているまた、有子山城と一体で「出石城・有子山城」として続日本100名城の162番に選定されている山名氏は南北朝時代以降、但馬国を支配、本拠となった此隅山城の築城時期は史料上確定しておらず、山名時義、山名師義、山名氏義による築城など複数の伝承がある本丸西隅櫓二ノ丸石垣下の曲輪跡1569年(永禄12年(1569)、織田信長の命を受けた木下藤吉郎らによ
先日(9/14)、静岡県島田市にある続日本100名城の諏訪原城跡に行きました。ここに行くのは2019年4月30日以来2回目です。『諏訪原城』昨日は興国寺城の後、諏訪原城に行きました!諏訪原城は続日本100名城です!スタンプは諏訪原城ビジターセンターにありました。(=^x^=)ameblo.jp(=^x^=)
若桜駅の前に若桜町観光案内所があります続日本100名城の若桜鬼ヶ城のスタンプを押して御城印とお城カードを購入すると缶バッジがもらえました若桜町観光案内所/鳥取県-【JAPAN47GO】若桜町観光協会が運営する観光案内所若桜町バスターミナルを兼ねる施設営業時間9:30~17:15www.japan47go.travelわかさ観光ガイド-若桜町観光協会〜ぷらっと若桜(わかさ)にきんさいな〜鳥取県八頭郡若桜町
中国地方の古寺名刹37ヶ寺からなる中国観音霊場と日本100名城・続日本100名城を巡る車中泊旅をしました。一度にすべて回るのは日数がかかりすぎるので、各県別に5回に分けて巡拝しました。1番~7番札所(岡山県)、8~14番札所(広島県)、15~21番札所(山口県)の次に、島根県の22~28番札所を7日間で巡りました。1日目(6/21)は、岡山県の自宅から山口市へ移動し、「宮野温泉」で入浴、「仁保の郷」で車中泊2日目(6/22)は、山口市の道の駅「長門峡」、島根県に入り「太鼓谷稲成神社」、
お疲れ様です。全然落ち着いていない私の仕事(笑)残業しないと間に合わなくなってきた💦まぁ、ノー残業で仕事させていただいたことに感謝し、頑張ろう自分。さて、今回は9月に行った北九州旅行!福岡で北九州旅行(笑)でも、行きたいならしょうがない!!夜は小倉駅前で開催されてたわっしょい百万夏まつりへ!リバーウォーク久しぶり!いか焼き久しぶりに食べた!高くなってた(笑[完成品]小倉城(北九州市小倉区城内)ケース付きミニサイズ続日本100名城日本の城お城ジオラマ模型プラ
10月6日(火)長野県諏訪市にある「高島城」を訪れました。桜を見に来て以来です。入口にあった案内図。この高島城は、「続日本100名城」にも選定されている歴史的なお城です。でも、お城は明治5年に取り壊され、その後は石垣などが残るだけとなりました。現在の天守閣は、昭和45年に再建された鉄筋コンクリート造りのものです。内部は郷土資料館になっていて、高島城の歴史や貴重な資料などが展示されています。こちらが現在の高島城の天守閣。今日は、久しぶりに天守閣の中を見学することにしました!中の
大洞原の高橋農園のトマト10月になってソロソロ終盤今日はまだ沢山のトマトが並んでいましたが店頭には休店日のお知らせが今月9日、13日、16日、19日、22日、25日はお休みです、ご注意下さいね先日鮫ヶ尾城本丸まで行った時に北登城道に咲いていた花達白い小さなゲンノショウコいい香りのイシナシも落ちていましたキバナアキギリが盛りですアザミにオオチャバネセセリがとまっていましたよ
大人の休日俱楽部パスの旅(2026年度第2回)で入手した御城印と城カードです。◎月山富田城(島根県安来市)購入場所:安来市立歴史資料館城カード購入場所:安来市立歴史資料館◎米子城(鳥取県米子市)購入場所:米子市立山陰歴史館城カード購入場所:米子市立山陰歴史館『2026夏青春18きっぷの旅(2日目・前編)』2026夏青春18きっぷの旅の2日目です。◎2日目:8月10日(月)名古屋駅前から乗ったバスは、出雲行の夜行高速バス。早朝の松江駅前で
前回続きです。今回は下の城です。1630年頃から山麓の「下の城」が本格的に整備され、明治維新まで稲田氏の居館および行政拠点として使用されました。不便な上の城は使用されなくなりました。稲田植元は蜂須賀小六正勝と義兄弟となり、岐阜時代から活躍していました。稲田氏は1万4千石余を治め由良城代となります。その後は由良から洲本に引っ越しました。下の城には堀があり、2本の土橋もあります。石垣や水堀の跡が残り、敷地の一部は洲本市指定史跡となっています。また、公共施設(検察庁
『令和8.10.3.凱旋門賞』『令和8.10.4.京都大賞典G2・毎日王冠G2』『令和8.10.2.東大寺・市民農園物語』『令和8.9.19.道の駅宇陀路大宇陀(奈良県宇陀市)』『…ameblo.jp『令和8.10.4.京都大賞典G2・毎日王冠G2』『令和8.10.2.東大寺・市民農園物語』『令和8.9.19.道の駅宇陀路大宇陀(奈良県宇陀市)』『令和8.10.1.鹿・矮鶏・市民農園物語』『令和8…ameblo.jpまちづくりセンター。奈良県宇陀市大宇陀拾生1846千
いつも「カッキーは全国を旅するブログ」をご覧くださいましてありがとうございます。引き続き9月連休を利用して「日本海北陸関西めぐり」のお泊まりマイカー旅をした様子を紹介しましょう。今回は2日目の昼下がり、宿泊する街に向かう途中の出来事。時間に余裕があったので、福井県の若狭地方東端にある「美浜町(みはまちょう)」の山城を登城することにしました。福井県美浜町の佐柿国吉城を訪問今回、5年ぶりに登城することになった「佐柿国吉城(さかきくによしじょう)」若狭国守護大名
2026年みょうこう景虎物語「山城の陣」今年は斐太北小学校校庭での開催と言う事で本丸より近所の方達の参加は多かったようですが私は12時からの狼煙上げリレーのため鮫ヶ尾城本丸へ良い天気では有りませんでしたが妙高山も見えていたので良かったです今回は斐太史跡保存会の7名で本丸へ狼煙を上げる頃になって風が出てきて横になびいてナカナカ高く上がってくれなかったですが校庭からはよく見えていたようです修祓式や甲冑行列は見ることが出来ませんでしたが旦那に撮って
この旅の4城目は津城。松阪駅から近鉄山田線で津新町駅に向かいます津新町駅駅から徒歩約12分で津城到着です。藤堂高虎公像慶長13年(1608年)に藤堂高虎が入城し、城の大改修に着手し、以後明治維新まで藤堂氏の居城となったそうです丑寅櫓復元されましたが、史実を無視した観光用の模擬櫓ということです石垣石垣と犬走石垣と堀入徳門藩校有造館の正門だったものが移築現存しています。埋門高山神社藤堂高虎を祀っています。