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一言主神社から次の目的地は、九品寺です。これまでの記事『葛城古道を歩く5長柄神社から一言主神社へ』長柄神社の次は、一言主神社へ。母と行った日のことを一番思い出すのが一言主神社です。これまでの「葛城古道を歩く」の記事はこちら『葛城古道を歩く1風の森から高…ameblo.jp『葛城古道を歩く4極楽寺から長柄神社(ながらじんじゃ)』極楽寺を出て少し町の方へ下っていきます。御所は、柿の名所でもあるので柿の果樹園がたくさんありますが、この辺りも高齢化の影響で、手入れされなくてほっ
2025-10-18神道橋渡ってどんどん歩きます橿原万葉ホールトコトコ〜線路の下を歩きます工事中かと思いきや⋯遺跡発掘調査中奈良県あるあるっぽくていいね立派なエントランスです入りまーす綏靖(すいぜい)天皇陵地図の説明によると第2代天皇神武天皇の第3皇子欠史八代の1人場所的には、お父さんの神武天皇陵のすぐ近くなんだよね〜上下、どちらかの建物、もしくはどちらもが、宮内庁書陵部すぐ近くに神武天皇量地図の説明では初代天皇この人が八咫烏に導かれんだぁそれで、吉
ぱんだの富山県神社巡り(´Д`)。本日ご紹介するのは富山県高岡市に鎮座する有礒正八幡宮です。有礒正八幡宮こちらが有礒正八幡宮です。鋳物師の町並みとして有名な金屋町の近くに鎮座していました。◯御祭神:有礒神・綏靖天皇、応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・武内宿禰◯鎮座地:富山県高岡市横田町当社は有礒宮と横田正八幡宮が合祀された神社だそうです。有礒宮は有礒神と綏靖天皇を御祭神とし、古代には有礒海(氷見七浦)の守護神として、雨晴岩崎の沖合い「渋谷の浜」に鎮座されていました。しかし、日本海
第二代綏靖(すいぜい)天皇は初代天皇の第三皇子です。和風諡号では、神淳名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらぎのみこと)御父は初代神武天皇。御母は正妃の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)皇后、大物主神(三輪明神)の娘です。大物主神は大国主神の別神・和魂ともいいますから、素戔嗚尊の子孫にもあたります。綏靖天皇は天津神系と国津神系が一つになった結びの天皇です。ご祭神|大神神社(おおみわじんじゃ)ご祭神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は国造りの神様として、農業、工業、商
綏靖天皇陵桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)2代綏靖天皇(すいぜい)所在地:奈良県橿原市四条町場所的には橿原神宮・畝傍山を囲むように神武天皇から4代懿徳天皇までがぐるりと鎮座してます珍しく駐車場が使えましたゆったりとしたレアウトの陵それなりに長い参道奥に見えてきました駐車場ここでほぼ直角に曲がりますはいはい!ちょっと良い雰囲気回れ右で・・良い気分何処の天皇
神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の末裔から上八万につなげてみた。神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の後裔に、雀部朝臣がいる。さざき部の朝臣の祖とされるのが星川建彦です。星川建彦「ことばんく」によると、星川建彦(ほしかわの-たけひこ)古代伝承上の豪族。武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫。「新撰姓氏録」によれば,応神天皇のとき皇太子大鷦鷯(おおさざきの)尊(のちの仁徳天皇)にかわって御膳をつかさどり,大雀臣(おおさざきのおみ)の氏姓をあたえられた。
欠史八代ともいわれる、第二代から九代までの天皇。その第二代天皇かむぬなかわみみのみことですが、名前の漢字は二種類あります。日本書紀:神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)古事記:神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)ここでは、古事記の表記を使わせていただきます。その第二代綏靖天皇(神沼河耳命・カムヌナカワミミノミコト)には三人の兄がいました。ひとりは、長男の手研耳命(タギシミミノミコト)母は吾平津媛(アヒラツヒメ)、父は初代神武
2024年10月7日奈良の古代史会のお仲間さん達と『葛城古道トレッキング』に参加した時の様子をご紹介しています♪『戒那山寶池院九品寺』浄土宗寺院ご本尊木像阿弥陀如来坐像(重要文化財)創建年不詳開基行基菩薩九品寺は金剛葛城山系に栄えた戒那千坊の一院で、奈良時代に行基菩薩が開創したと伝わります。1558年に弘誓大和尚が専修念仏の道場としてから浄土宗に属しています。ご本尊の木像阿弥陀如来像は上品上生の坐像で基本的に非公開ですが、お彼岸には公開されているそうです。九品と
※25/5/14写真追加及び加筆決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)こんにちわ、前回に続けて、考察をつらつらと書きます。おそらく、ひとまずこの章は最後だと思います。伊予国宇摩郡の式外古社で、神武天皇の息子兄弟である、神八井耳尊(カムヤイミミノミコト)と、神沼河耳尊(カムヌナカワミミノミコト/第二代綏靖天皇)をお祀りする井川神社があり、こちらのご由緒書きに
前回、徳島市の上八万が、”榧ヶ大岐”だったと、ほぼ思い込んでしまいそうな考察を進めましたが、その大岐のある上八万町を深掘ってみるとまだ続きがありました。この上八万の大岐(現在の大木)、吉野川河口付近の粟国の南方に接する長国の一部でした。その長国の最も北その場所だけではなく、その周辺、とても重要な形跡がありました。樋口(ツイグチ)遺跡①樋口遺跡とは上八万の園瀬川南岸にある弥生時代終末期の遺跡(つまり邪馬台国の時代)です。樋口と書いて(ツイグチ)遺跡と
奈良旅行4日目。この日は帰宅日。せっかく橿原市に宿泊しているので橿原神宮に参拝。橿原神宮の御祭神は神武天皇と媛蹈韛五十鈴媛皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)。第一鳥居(手前)、第二鳥(奥)さすがという広大さ。深田池南神門外拝殿本殿外拝殿に展示されていた広島市在住の書家・鳥生春菜氏によって奉納された作品「掩八紘而為宇」。展示期間は4/5(土)~4/13(日)。内拝殿の回廊参拝を終え北参道から神武天皇御陵に向かいます。橿原神宮から神武天皇御陵まで1.5km、徒歩約15
神八井耳命(カムヤイミミ)、神奴名川耳尊(カンヌナカワミミ)兄弟の御霊が奉遷してきた元宮はなんと、阿波だったんです。。。作った話じゃなく、本当に本当に偶然でした。決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)榧ヶ大岐とは井川神社のご由緒書きには丁寧に、榧ヶ大岐(ヒガダイシ)から奉遷された、、とフリガナ付きで書かれていました。御由緒:「井川神社の社伝によると古くは井ノ河明神といい、白鳳年間榧ヶ大岐(ヒガダイシ)より奉
決定版阿波の古代史邪馬台国は阿波だったAmazon(アマゾン)謎なんです。井川神社のご由緒が。。。そして、その謎がまさかと思ったのですが、もしかすると、かもなのです。井川神社は愛媛県四国中央市岡銅、法皇山脈の北斜面中腹にある延喜式神明帳よりも古い、延喜元年(901年)に成立した三代実録にも名の残る式外社です。実は実家の近くにありますが、こんな山深いというか、小高いところに由緒ある神社があることは全くしりませんでした。社名:井
「3歴代ノ天皇(その2)」今日は、空海入定みなさん、おはようございますさとうみつろうの春分点お聞きになりましたかよかったですみなさんも自分を誉めてあげましょう去る前に三月!つながるご先祖様に感謝です笑顔で楽しく國史を学び家族教育力の向上ご自身の向上にお役に立てれば幸いですコメントお待ちしています!3月21日は空海が山へ帰ると入定されました今も修行を続けています歴代ノ天皇(その2)~孫のマー君と神様のカー君の美しい日本~
【カムヌナカワミミ/神武天皇の後を継いだ第二代天皇】カムヌナカワミミ(神沼河耳命)は、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう/神日本磐余彦天皇)の第三皇子です。『古事記』『日本書紀』によると母はオオモノヌシ(コトシロヌシ)の娘のヒメタタライスケヨリヒメ(比売多多良伊須気余理比売)とあり、同母兄にカンヤイミミ(神八井耳命/多臣、小子部連、坂合部、火君、大分君、阿蘇君、筑紫の三宅連、雀部臣、雀部造等諸氏族の祖)がいます。『古事記』では加えて同母長兄にヒコヤイ(日子八井命/茨田連・手嶋連
橿原神宮にお詣りして、神武天皇陵から第2代綏靖天皇陵へ。毎年の恒例になってきました。第2代綏靖天皇桃花鳥田丘上陵。橿原神宮へ向かう車列、人はいっぱいですが、神武天皇陵と同様、こちらも貸切です綏靖天皇桃花鳥田丘上陵。退散します。これまた恒例となってる近鉄八木駅まで歩きます。今井町。空が広い今井町のマンホール。大和の金は今井に七分💰蘇武橋のエノキ。つづく。『令和7.1.2.初代神武天皇畝傍山東北陵(奈良県橿原市)』橿原神宮から例年のように、神武天皇陵にやって来ま
間が空いてしまいましたが…10月5日のこちらの続きとなります。『やはり甲斐と大和はつながっているの?』秋も深まり夕暮れがだんだん早く訪れるようになって来た。10月5日、甲府盆地に行った目的は3週間ほど前にこんな夢を見たもので…『スイゼイ・テンノウとはど…ameblo.jpこちらの『甲斐奈神社』は里宮であり、かつては、愛宕山(かつては甲斐奈山と呼ばれた)の山頂にあり、現在でも元宮が存在すると知って、この日は絶対にここへ行きたい!とおふたりに付き合って頂いたということなのです。
今朝みた不思議な夢のお話です。いつもの山に登る。(と言っても現実にはない架空の山)姉と一緒だ。(姉は東京にいるはずなのに。)姉に途中で待っていてもらい一旦山を降りる、と、そこに姉の子供たちが待っている。(わたしにとっては甥と姪だ。)二人とも、小学生と中学生。(現在は二人とも30代だ。つまり20年前の状況か?)子供たちを連れて山を登ると、姉が待っている。『お母さん!』と子供達は口々に喜ぶ。皆で山を登る。姉の新しい夫が途中で合流する。(子供たちの父親はすでに他界して
ようこそ!!好きなことを好きなように好きなだけ発信してます。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*第二代天皇から、第九代天皇までを、欠史八代と言います。各天皇に関する記述が、とても少なく、初代神武天皇は、第十代崇神天皇をモデルとしているようなので、初代と十代を同一天皇とみなし、その間を繋ぐ架空の存在では?と考えられてきました。しかし、各天皇の系譜から、春日臣ーかすがのおみー、蘇我臣ーそがのお
ようこそ!!神様、スピリチュアル、料理に漫画好きなことを好きなように好きなだけ発信中。新地亜紀と同居人みっちゃんです。いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*神倭伊波礼毘古命と、阿比良比売命の間に生まれたのが、多芸志美美命ーたぎしみみのみことー『日本書紀』では、手研耳命と表記。と、岐須美美命ーきすみみのみことー『日本書紀』には登場しません。でした。伊波礼毘古命が、日向にいる時に生まれていて、弟の岐須美美命は、名前のみの登
本日は雨のため読書なりみなさん、おはようございます昨日は、天気が良く早朝から外を走り回っていましたそのため、このブログは1回休ませていただきました申し訳ございませんしかし、やはり涼しいですさあ、「開運ノ國史(シラス國編)」を始めましょう「第2代綏靖天皇(すいぜい)」御名は、神沼川耳命かみぬなかわみみのみこと皇兄・長男は、手研耳命たぎしみみのみこと執政を担当します神武が日向にいた時に生まれた長男です皇兄・次男は、神八井耳命かむやいみみのみこと
古代の天皇は大分長生きをしていたらしい。知らなかった。神武天皇と金鵄(金のトビ)初代神武天皇は127歳で崩御した。127歳とは知らなかったが、これだけでもう神話の世界の出来事だと分かる。第2代綏靖天皇から第4代までは普通の年齢で亡くなっているが、第5代孝昭天皇から13代まで再びみな100歳以上で亡くなっている。名前の知られている第16代応神天皇、17代仁徳天皇も100歳以上で亡くなっている。実在していなかったとは言われているが、誰もちょっと長生き過ぎだと思わなかったのだろうか。
宮葛城高丘宮(かつらぎのたかおかのみや)皇后五十鈴依媛(いすずよりひめ)事代主神の次女(三輪系)和風諡号神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)漢風諡号綏靖天皇(すいぜいてんのう)陵桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)神武天皇崩御後、日向から随行してきた異母兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)が権力をほしいままにしようと思い、神渟名川耳命とその同母兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の二人を殺そうとしました。そのことを知った神渟名川耳命と神
4月20日は、十三に取った宿から梅田・鶴橋経由近鉄で橿原神宮へ。初めての参拝が叶いました。おみくじは何と、第一番、大吉でした😄橿原神宮の北神門を出ると、戦艦瑞鶴の碑がありました。当時の状況に思いを馳せ、お祈りしました。平和の有難さを実感します北に歩いて、神武天皇陵に着きました。正式には、ミサンザイ古墳神武天皇畝傍山東北陵と言うようです。初代天皇から長きにわたる天皇の系譜、日本は素晴らしい国だと思います。さらに行くと、二代天皇、綏靖天皇陵がありました。正式には綏靖天皇桃花鳥田丘上陵
綏靖天皇は、欠史八代の一人だ。欠史八代とは、紀記の記事が少ないことです。YouTubeを観て下さい。https://youtu.be/cBV05aeivT0綏靖天皇陵政争で兄を殺して即位する。兄を殺して即位も珍しい天皇だ。葛城の高丘宮で即位する。高丘宮は、皇后が住んでいたところだ。現在は、丘の上の林の中にあった。十六代仁徳天皇皇后の故郷でもあった。高鴨神社があり、多くの皇后を出している。全国鴨神社の元宮である。綏靖天皇は、多神社の祭神でもある。多神社は、太
【カムヌナカワミミ/異母兄弟を倒して即位した皇子】@art.mochida.daisukeカムヌナカワミミ(神沼河耳命)は、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう/神日本磐余彦天皇)の第三皇子です。『古事記』『日本書紀』によると母はオオモノヌシ(コトシロヌシ)の娘のヒメタタライスケヨリヒメ(比売多多良伊須気余理比売)とあり、同母兄にカンヤイミミ(神八井耳命/多臣、小子部連、坂合部、火君、大分君、阿蘇君、筑紫の三宅連、雀部臣、雀部造等諸氏族の祖)がいます。『古事記』では加えて同母
初代神武天皇陵のお次は、第2代綏靖天皇陵へ。こちらを訪れる人はなかなかいませんねぇ。綏靖天皇桃花鳥田丘上陵。手水。皇室系譜に第2代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。神武(じんむ)天皇の第3子で、母は媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。神武天皇の没後、庶兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って綏靖元年即位、都を葛城(かつらぎ)(奈良県御所(ごせ)市の南部)の高丘宮(たかおかのみや)に定め、同2年、母の妹五十
ご訪問ありがとうございます。今回からいわゆる「欠史八代」です。つまり第2代の綏靖スイゼイ天皇から第9代の開化カイカ天皇までは、都や陵墓、后妃と皇子女の事ぐらいしか記述がないのです。そのせいで津田左右吉以来、戦後の古代史学会では、この八代の実在を否定する考え方が主流でした。けれども古代の系図は前に書きました、丹後(京都府北部)の天橋立の籠コノ神社の系図(国宝)や稲荷山鉄剣銘文(国宝)のような「竪タテ系図」、つまり代々の名前を「その子◯◯、その子◯◯」と繋いでいく形なので、伝承が