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引き続き、4月イベントのお知らせです富谷市の結願寺ご住職、釋尼結願(しゃくにゆうがん)さんは前職時代から人をサポートし、輝かせるお仕事をしていました。結願寺ができてからも、いろんな人のバックアップをして支えてこられたのですが、この度、結願さんがメインとなるステージを作り上げることになりました能登半島地震復興チャリティーライブ4/6㈯18時開演/20時半終演会場坐・カフェ仙台市青葉区大町1-3-7横山ビル1階入場料3,000円(珈琲・デ
❏88番札所大窪寺(おおくぼじ)寺院大駐車場があります。(無料)八十窪さん前にも寺院駐車場があります。1番札所霊山寺より約49分87番札所長尾寺より約26分※交通事情、時間帯により誤差があります。第1駐車場から徒歩約2分です養老元年行基菩薩がこの地を訪れ霊夢を感得し草庵を建て修業をされたといわれます。弘仁6年唐から戻った弘法大師が現在の奥の院岩窟で虚空蔵求聞持法を修法し宇堂を建立。等身大の薬師如来を彫造し本尊としました。また恵果阿闍梨から授
今年は閏年四年前はコロナ禍で果たせなかった新撰江戸三十三観音霊場を逆打ちで巡ってみようかと四巡目は結願寺から(発願)泰叡山龍泉寺またこちらは幕末明治期所縁の佛閣でもあるので、そちらのシリーズでもまた御朱印表面は前回三巡目に、裏面に今回四巡目を泰叡山龍泉寺天台宗新撰江戸三十三観音霊場第三十三番札所東京都目黒区ちなみに境内には、、最後の輪王寺宮にして奥羽越列藩同盟の盟主、北白川宮能久親王の篆額をいただく板碑も✨その能久親王の曾孫にあたる方が先代の(伊勢)神宮大宮司をさ
「ご朱印」令和元年に参拝した恵那三十三観音霊場第33番札所「圓通寺」令和元年分(2019年)11枚目:(通算1209枚目)参拝日:令和元年(2019年)10月22日恵那三十三観音霊場第33番札所「長昌山圓通寺」宗派:曹洞宗寺院本尊:聖観世音菩薩霊場本尊:十一面観世音菩薩住所:恵那市長島町正家265-12019年にご朱印を頂いた恵那三十三観音霊場の元記事はこちらをご参照ください。https://ameblo.jp/kensuzu214/entry-1256
E君、大手調剤薬局勤務。彼は調剤業務が主たる仕事ですが御父様の疾患で動物性生薬を利用したらドラマチックに効果が体感できたとかで動物性生薬を勉強するめために参加した講演会で知り合いました。ナンと、爺様薬剤師の母校卒業とかで二次会で朝まで歓談。爺様は「生薬学教室」、彼は「薬理学教室」。それからはMailで動物性生薬や他の漢方薬・生薬の薬局サプリメント等の運用についての情報交換をしていました。ところが数年前、大手調剤薬局に管理薬剤師として招聘されバリバリ仕事していたのですが、やはり大手
『秩父34番水潜寺①』秩父三十四観音の最終札所はいちばん北端にあり、徒歩で回ると第33番札所から3時間半かけて峠越えをしなくてはなりません。公共交通機関でも秩父鉄道の皆野駅からバス…ameblo.jp①からの続きになります。この日は水潜寺はひと気が無く、御朱印も書き置きでした。百観音の結願にしては地味な結末だけど仕方ないか、と思ったのですが水潜寺から東に1.5km、ちょうどお寺と皆野駅の中間あたりにある大通院で直書きの御朱印が頂けるということで徒歩で向かいました。帰りはお寺の近く
秩父三十四観音の最終札所はいちばん北端にあり、徒歩で回ると第33番札所から3時間半かけて峠越えをしなくてはなりません。公共交通機関でも秩父鉄道の皆野駅からバスになります。日沢山水潜寺■曹洞宗■御本尊:千手観世音菩薩■埼玉県秩父郡皆野町下日野沢3522■秩父三十四観音第34番大旱魃に苦しむ村人が旅の僧の指示で観音さまに祈ったところ水が湧き出て豊作となったそうです。御本尊の千手観世音菩薩像は伝教大師の作と伝えられています。奥の石灰岩の岩壁には「水潜りの岩屋」と呼ばれる小さな鍾乳
「ご朱印」平成29年に参拝した最上観音霊場33番札所:「庭月観音」(最終回)平成29年分(2017年)37枚目:(通算1144枚目)参拝日:平成29年(2017年)5月25日最上観音霊場第33番札所「庭月山月藏院」宗派:天台宗本尊:聖観世音菩薩住所:山形県最上郡鮭川村庭月2820結願うちどめの証2017年にご朱印を頂いた最上観音霊場の元記事はこちらをご参照ください。https://ameblo.jp/kensuzu214/entry-124785
勤労感謝の日には毎年四国88か所の結願寺「大窪寺」の紅葉🍁狩りです。夏の暑さの影響で、紅葉🍁はイマイチという報道でしたが、見事!でした。多くの人が訪れていました。紅葉🍁と山門です。青空と紅葉🍁アップを撮りました。境内のイチョウも今年は残っていました。日本庭園の紅葉🍁。大窪寺に来たら、ここへ行きます。山門前の八十八庵さん。朝早く来ましたが、すでに行列になっていました。名物打ち込みうどんです。これは3人前。ネギ、サトイモ、ニンジン、おあげ、鶏肉等・・・具だくさんです。う
整体とヒーリングで心身共に整えるヒロちゃん治療院太田裕子です。いつもブログを読んでくださりありがとうございます。お先に現在、受付中のさそり座新月スプレーこちらは11月21日(火)までとなります今回はわたし自身がかな~り体感しているのでお墨付き変化を促すのに飲んじゃってますからね注意スプレーは飲用ではありません。さそり座新月スプレーの詳しい情報はこちら『11月13日はさそり座新月☆スプレー販売開始』整体と
香川で一泊した翌日さぬき市にある四国霊場88番札所結願の寺へ紅葉はまだ早かった、残念↓の見頃な画像お借りしました綺麗ですね🍁今日徳島市銀座にある横浜家系ラーメン澤屋へ夫は坦々麺ピリ辛で濃厚スープ私は台湾まぜそば若い人は皆『二郎系ジャンクまぜそば』を注文もうすぐ50の夫は一瞬、迷ったけど止めておいたそう(笑)食後は新町川を散歩イベントがあり、沢山の人でした暑かったので勝浦産みかん🍊ストレートジュースを余計な物が入ってなく身体が喜ぶ久しぶりに↓に乗る事にひ
「ご朱印」平成28年に参拝した北海道三十三観音霊場第33番札所:「大正寺」平成28年分(2016年)36枚目:(通算1106枚目)参拝日:平成28年(2016年)6月12日北海道三十三観音霊場第33番札所「高野山大正寺」宗派:高野山真言宗霊場本尊:十一面観世音菩薩寺院本尊:弘法大師住所:北海道室蘭市沢町2-62016年にご朱印を頂いた北海道三十三観音霊場の元記事はこちらをご参照ください。https://ameblo.jp/kensuzu214/entry-1
水潜寺せんすいじ秩父三十四観世音霊場第34番水潜寺続きです秩父34観音巡礼結願へ❗まずは本堂(観音堂)へ文政11年(1828年)建立御本尊千手観世音菩薩さまがいらっしゃいます千手観世音菩薩像は一木造で室町時代の作と伝わっています両脇に阿弥陀如来と薬師如来…結願なのでなんだかホッとしてしまいます水潜り(みずくぐり)の岩屋と呼ばれる長さ5メートルの洞窟があり結願した巡礼者がそこで身を清めるそうですが現在は崖崩れなど危険なため立入禁止となっています水潜寺の名前の
水潜寺せんすいじ秩父三十四観世音霊場第34番水潜寺です秩父34観音巡礼結願へ❗ラスト34番の水潜寺ですが33番菊水寺から歩くとなんと3時間❗あらためて昔の方の徒歩巡礼は大変だったことがわかりますイナリ号🚘でも山の奥を走る感じで到着しました水潜寺のある場所は山深いところでしばらく緑に囲まれた参道をテクテク👣テクテク👣真夏ですが空気がキレイで凉しい二股に別れてます境内図を見ると本堂は右側の道だとわかりましたので…右側の道を進みます(よく見ると参拝順路と案
「ご朱印」平成27年に参拝した関東八十八ヶ所霊場第56番札所:「那古寺」平成27年分(2015年)67枚目:(通算1041枚目)参拝日:平成27年(2015年)5月14日関東八十八ヶ所霊場第56番札所「補陀洛山那古寺」宗派:真言宗智山派本尊:千手観世音菩薩住所:千葉県館山市那古11252015年にご朱印を頂いた関東八十八ヶ所霊場の元記事はこちらをご参照ください。https://ameblo.jp/kensuzu214/entry-12478487633.ht
武相卯歳観音霊場の最終日松岳院→養運寺→覚圓坊の次は相模原市東淵野辺の結願寺龍像寺🐉を目指します😁覚圓坊からは徒歩15分ほど…そんなに離れてなくて良かった~😅覚圓坊から歩いて行くと、最初にこの門扉が有りましたが、開いてません寺号標と山門山門扁額の回りには龍の彫物🐉🐲六地蔵ひょうきんな表情の羅漢様かな?大きな水鉢です鐘楼堂本堂曹洞宗寺院の龍像寺は、淵源山龍像寺と号します龍像寺は、暦応年間(1338〜1341年)に当地の地頭淵辺伊賀守により開創、天台沙門存光師によって
連投にて失礼します。今朝はちびりちびり使っていた秩父札所三十四番水潜寺の授与品結願香の最後の一本を焚きました。秩父札所第三十四番水潜寺は百の観音の大悲と一手に集めて功徳を得たいとの願いから西国、坂東、秩父の各三十三の札所に一ケ寺を加えて百観音の結願寺になったと伝えられているそうです。宗旨:曹洞宗本尊:千手観音菩薩秩父札所:第三十四番バスも出でいるのですが免許無しなのでなかなか御参りさせて貰うことが出来ません。完治したら水潜寺に御参りさせて頂き是非近くの
おやじの百寺巡礼≪NO36≫華厳寺(けごんじ)岐阜県揖斐郡(令和5年4月16日)横蔵寺から車で約15分。西国三十三観音霊場の結願寺谷汲山(たにぐみさん)華厳寺に着いたのは13時をまわっていた。簡単なセメント造りの総門を抜けると長い参道が待っていた。華厳寺までの距離を聞くと「972mくらいかな」と駐車場のおばさん。約1Kと言わないところがいい。だいぶ空腹なので「富岡屋」の場所を教えてもらう。五木寛之氏も食したというあのニジマスの甘露
坂東三十三観音札所巡礼結願房総半島一周しました。■目的地https://bandou.gr.jp/第32番音羽山清水寺(清水観音)日本三清水の一つ、珍しい赤穂四十七士の彫刻がある。宗派天台宗本尊千手観世音菩薩開基慈覚大師創立大同二年(807)住所千葉県いすみ市岬町鴨根1270詠歌「濁るとも千尋の底は澄みにけり清水寺に結ぶ閼伽桶」第33番補陀洛山那古寺(那古観音)平成の大修理を終えた観音堂。波静かな鏡ヶ浦の眺望。宗派真言宗智山派本尊千手観世音菩薩
ずっと気になっていた破風山に登ってきた😊満願の湯の駐車場からスタートバラエティに富んだ山行でした竹林からの朝日☀️気持ちいい-̗̀(˶'ᵕ'˶)̖́-この日は駐車場1℃で最高気温が19℃長袖暑くて途中で脱ぎ捨てた💦もう半袖ですね〜ᨒ𖡼.𖤣𖥧山頂からの景色春は霞みますが綺麗に見えました✨狭い山頂で男性二人組みと一緒になったけど無作法で無遠慮な方で嫌な気分でした😥会いたくないので長めに休憩〜(^-^)_旦”初めて女性のソロ登山者さん二人に会った〜❣️この先も
圓明寺愛媛県松山市和気町真言宗智山派の寺院須賀山正智院本尊は阿弥陀如来四国八十八箇所第53札所近年は円明寺と表記されることが多いとうとう・・・・やっと(╹◡╹)八十八箇所目のお寺さんコロナ禍でもあり、今がチャンスかな?と思い一年半ほどで40箇所ぐらいのお寺さんを廻った徳島・香川と日帰りで行けるお遍路はバスツアーで廻った嫁さん。。。。その後、放置は良くない!と西国三十三ヶ所巡りと同じく、助け船なんとか無事に結願、良かったですちなみにオッさんは45ヶ所ぐらいしかお参り
あとがきこの遍路の翌年平成9年6月、今度は大型バイクで再び八十八ヶ寺を巡った。9日を要した。その動機にはいろいろあるが、なんといってもお接待をいただいた方々へのお礼にもう一度訪れたかったのである。道ですれ違い際にお接待をいただいた方々にはお礼の仕様がない。しかし民宿や各種の店の人からまたとない心尽くしのお接待を受け感謝感激したことをこのまま放置しておくに忍びなかったのである。再訪するにあたってわずかばかりの粗品を持参した。そして、その節は誠に有り難うございました、これこれこういうことをし
1996年10月07日(月)小雨のち晴宝塚への帰路橋本より国道310号線を北上、紀見峠を越えて河内長野、富田林、松原を走る。大阪は乗用車なら中央環状線または阪神高速を走るところだが、自転車であることを考慮して、危険ではあるが最短距離の大阪市内通過を選ぶ。天下茶屋あたりからは繁華街の連続であるが、そのために歩道でなく自動車道を走る。法規上は違反であろうか。しかし歩道はとても走れない。まず歩行者には迷惑この上ない。次に歩道では道がデコボコで自転車では振動が激し過ぎてまこと
1996年10月07日(月)小雨のち晴高野山を自転車下山部屋に戻り朝食をいただく。ご飯を一粒も残さずお腹一杯にいただいて、青年修行僧諸君にお礼を述べ、8時10分、自転車で下山に就く。雨は霧雨状になっていたが、風を恐れてビニール合羽で防寒として走り出す。対向車はきわめて少ないのだが、路面が濡れていて走りにくい。スリップによるふらつきは一度もなかったけれど、バイクで似たことを経験しているので非常に気を使う。ペダルを漕ぐことは少なくほとんどはブレーキ調節のみで駆け下りる。
1996年10月07日(月)小雨のち晴勤行、そしてご住職より難問を受く4時30分起床。すぐに未明の外をうかがうと小雨だが間違いなく降っている。それに寒い。これは大変だ。下山をどのようにすべきか考えるも名案なし。テレビがないので天気予報がわからない。6時より勤行。ただ1人、お勤めに末席で参加させていただく。ありがたいことに、電気マットに座らせていただく。お経は難しくてさっぱりわからず、実に長い。時々青年修行僧のリンとした主導的読経で寺僧全員の読経が続く。約40分く
1996年10月06日(日)快晴無量光院の宿坊にて通夜遍路最後の夜はここ高野山で一夜通夜させていただきたく、且つ朝の勤行にも参加させていただけるお寺をと案内所に申し出ると、金剛峯寺の左隣の無量光院を紹介される。無量光院とはなんと良い名前であろうか。我流解釈だが、量り知れない広大無限の光、希望を与え注ぐ寺院と推測したいのだが。そうであれば、無量光、無量寿という言葉がすばらしい。通夜客は自分1人のみ。10数畳の大部屋に案内されると部屋の真ん中に大きなホームコタツが準備
1996年10月06日(日)快晴高野山13時30分金剛峯寺に着く。高野山町全体が観光客でごったがえし、人人人である。高野山は標高900メートル、約33万坪の面積を持つ盆地で、金剛峯寺は弘法大師の創建になる真言宗の総本山。金剛峯寺を参拝見学後、お大師が入寂された奥の院に四国遍路の報告お礼に参上する。有難や高野の山の岩かげに大師はいまだ在(おわ)しますなる
1996年10月06日(日)快晴自転車を押して高野山登山かつらぎ町の登山口に、道路距離標識があり、高野山まで25キロとか26キロと書いてある。お粗末な話だがここに来て初めて登山道の距離の大きさに驚く。畑仕事の老夫に聞くと、ずっと登り道でとても自転車には乗っては登れないとのこと。仕方ない、押して登ることにする。途中の1カ所、約1キロ位であろうか下り坂があったが。途中の休憩所で軽食を摂る。「よくこんなところまで自転車で来たな、学生じゃあるまいし。しかしここからでもあと
1996年10月06日(日)快晴肌寒い中、高野山登山口へ5時30分、薄暗い中、宿を出て高野山をめざして自転車を漕ぎ出す。走り出してすぐにしまったと思ったのは、寒さ対策をしていないこと。下着とポロシャツ、それにベストを着るも、自転車の風で震え上がる。力を入れて漕ぐもいっこうに体が暖まらない。途中で朝食にコンビニに立ち寄るも、寒さ対策にビールをやめて熱燗とおでんにする。結局、かつらぎ町の登山口に9時に着いたがその間ずっと寒さに悩まされる。今日は快晴の日曜日、道中の小学