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今日はとても暑い日です。1週間位、とても涼しくて過ごしやすかったのに、真夏日に戻ってしまいました。久しぶりにエアコンを入れて過ごしています。半袖のTシャツを全部片づけなくてよかったぁ~お天気がいいのも明日までで、来週からお天気があまりよくないようです。今回は、川越城の写真です川越八幡宮から小江戸・蔵里さんで、川越城の御城印と軽いお菓子を購入してバス通りの川越街道まで歩いて、川越城方面に行くバスが見つからなかったのでタクシーを呼んで川越城まで移動しました。川越城(別名:初雁城)
今朝、起きると右大腿四頭筋に痺れで歩けなくなり仕事を休みました。この15年くらい、トレーニングしてなくてウォーキングのみでした。流石に、肉体労働は向いてないのかも‥では、blogです。喜多院には、川越藩主松平氏の五代の墓があります。今回は、初代松平朝矩の墓参りです。松平朝矩とは元文3年(1738年)3月16日、陸奥白河藩主松平明矩の長男として生まれる。寛保元年(1741年)、父明矩が姫路藩へ転封となる。寛延元年(1748年)11月27日、11歳のとき父が急死。翌月27日に姫路藩1
世界遺産登録30周年を記念して、世界遺産登録記念日の12月11日からこれまで販売していた4種類を復刻。さらに、新たな1種類を加え、姫路城売店(出改札横)にて販売いたします。現在販売している池田家モチーフの御城印と合わせると、江戸時代の歴代姫路城主の家紋が全て揃います!※池田家モチーフの御城印を除く5種類については2024年3月31日までの販売となります。〚販売期間〛2023年12月11日~2024年3月31日(池田家モ
この投稿をInstagramで見る松平直矩公の衣装#前橋ユナイテッドシネマで展示中#及川光博さんが着ていたものです#引っ越し大名#土橋章宏さん原作#20190830公開#ポスターと一緒#前橋#前橋市#松平大和守#松平大和守家#結城松平家#2代目TakeharuNiwanoさん(@niwano_history)がシェアした投稿-2019年Aug月19日am4時54分PDT
この投稿をInstagramで見る伯爵松平直冨公出征記念。灯籠が前橋東照宮の拝殿の前にある。昭和14年10月奉納。#松平大和守家#松平家#前橋東照宮#前橋#前橋市TakeharuNiwanoさん(@niwano_history)がシェアした投稿-2019年Jun月22日pm11時03分PDT
この投稿をInstagramで見る戦後の松平ご夫妻のお姿。左から松平民子氏、四王天中将、松平直冨氏。戦後の松平伯爵家も苦難の連続。そんな中、戦後撮った写真には哀愁と悟りの境地の様な穏やかな表情が伺える。明治の江戸の匂いの残る中で生まれ、大正、昭和の激動を生きた松平大和守家15代直冨公。健在であれば、波乱の人生をぜひ聞いてみたいものである。TakeharuNiwanoさん(@niwano_history)がシェアした投稿-2019年Jun月20日am4時55分PDT
御台場といえば、今ではレインボーブリッジやフジテレビ、ホテルや飲食店が多くある場所であるが、90年ほど前は、まだ開発があまりされておらず、のどかな雰囲気も残っていたと思われる。鉄道もまだ海に近くを走り、埋め立てが少しずつ行われていることがわかる。昭和5(1930)年の御台場である。第一台場から第七台場まで確認できる。現存するのは、第三台場と第六台場。大型船の航路の邪魔ということで壊されたものや埋め立てが進んで吸収されたりした。前橋藩(当時は川越藩)が、管理していたのは第一台場。最初に
この投稿をInstagramで見る臨江閣本館前に鎮座する鉄の大甕いつからあるのか。本館が出来てしばらく経ってからだとは思われるが、玄関前に鉄甕が2つ。前橋市の市章が入っている。市章は、松平家の馬印の輪貫からである。明治42年制定なので、共進会に合わせてつくったことも考えられる。#松平家#結城松平家#前橋松平家#臨江閣#本館#共進会#前橋#前橋市#前橋市役所#柳町#大手町#旧藩主を囲む会#鉄甕#大甕TakeharuNiwanoさん(@niwano_history)
この投稿をInstagramで見る松平直之伯爵が来橋!松平大和守家14代直之が写真集「前橋」には、昭和初(1926)年に旧領地前橋やってきたとあるが、昭和元年はわずか一週間なのでちょっとあやしいが、昭和初期は間違いないだろう。旧藩士との交流も戦前までは活発に行われていたようだ。正装の直之伯爵と前橋孝顕寺での先祖の法要後の旧藩士との集合写真のコラージュである。直之は、このあと脳梗塞を患い体調を崩し寝ていることが多くなる。孫である16代直正は、おじいさんである直之が庭を車いすで女中さんに
ご機嫌いかがでござるか?それがし、群馬県前橋市や結城松平家の失われた歴史文化を掘り起こす、御手杵歴史文化研究所!いざ、参ろう。本日は、松平大和守家2代直矩についてである。※ウィキぺディアより。前橋市孝顕寺蔵の一部加工処理。直矩は、越前大野において結城秀康5男である松平直基の嫡男として生まれた。父である松平直基は、越前勝山3万石から大名としてスタートし、越前大野5万石、出羽山形10万石に加増され転封。さらに播磨姫路15万石に加増され、東海道から姫路に向かう道中で亡くなった。あと
この投稿をInstagramで見る「御手杵の槍」終焉地現在と1936年頃の国土地理院の航空写真である。大型のマンションの敷地及び周辺の道路で囲まれた敷地が、旧松平伯爵邸の敷地で約5000坪あった。御手杵の槍は本邸の北側の蔵にあったといわれている。平屋の木造洋風建築であり、焼夷弾には弱かった。洋風建築でも石造やコンクリート造の場合は、占領後の接収を想定して、米軍の攻撃目標から外された節がある。航空写真からはここが緑豊かな邸宅であったことが伺える。敷地内には、大原社会問題研究所もあり、こちらも
ご機嫌いかがでござるか?それがし、群馬県前橋市や結城松平家の失われた歴史文化を掘り起こす、御手杵歴史文化研究所!いざ、参ろう。本日は、松平大和守家に関連する、この話題!結城秀康をご存じだろうか。天正2(1574)年2月8日生まれ。徳川家康の次男で、二代将軍秀忠の兄。豊臣秀吉に養子という名目の人質に出された武将である。当初は、家康御目通りも叶わず、長男信康のとりなしによって引きあわされた。のちに豊臣家から関東の名門結城家に再び養子に出され、羽柴秀康から結城秀康に改名している。その後
この投稿をInstagramで見るいろいろな御手杵!白鞘はカワイイ!自分に合う御手杵を探そう。御手杵の槍から結城松平家や前橋の歴史などに興味を持ち、郷土を愛する心が育まれることを希望する。地道な活動ではあるが、今やらねば風化してしまう。#松平家#結城松平家#結城#結城市#前橋#前橋市#御手杵#御手杵槍#御手杵の槍#モフモフ#ふわふわ#かわいい#かわいい💕#カワイイTakeharuNiwanoさん(@niwano_history)がシェアした投稿-2019年M
この投稿をInstagramで見る御手杵くんカラーのボールペン🖊芯が変えられgood❣️良縁結びがついてかわいい。御手杵の槍の再生、復活の元年になるだろう。#かわいい💕#かわいい#前橋市#前橋#御手杵#御手杵の槍#結城#結城市#結城松平家#結城家#松平家#前橋#お土産#観光#観光スポット#観光地下TakeharuNiwanoさん(@niwano_history)がシェアした投稿-2019年May月28日am6時32分PDT
この投稿をInstagramで見る「御手杵の槍」のラインストーン仕上げ。イヤリング、ピアス、ピンなどに。人気の御手杵がアクセサリーとして登場!#御手杵#御手杵の槍#御手杵サミット#御手杵槍#前橋#前橋市#アクセサリー#天下の名槍#名槍#かわいい#かわいい💕TakeharuNiwanoさん(@niwano_history)がシェアした投稿-2019年May月27日pm11時11分PDT
この投稿をInstagramで見る御手杵サミット開幕。結城家歴史講演会で茨城県歴史館、永井博氏による「結城家と結城松平家」についてのお話があった。御手杵活動報告会として結城松平大和守博喩堂報恩舎の代表として登壇させていただいた。川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の寺田代表や比企総合研究センターの高島代表、島田市の御手杵顕彰会の塚本代表、結城朝光会の奥澤代表。長年、御手杵の復活や歴史の掘り起こしをしてきた方々に混ざってのパネルディスカッション。歴史愛が半端ない。他の団体の方々の活動は非常に勉強になった。何
この投稿をInstagramで見る御手杵の槍。新しいパッケージで前橋銘菓をどうぞ!旅がらす#御手杵#御手杵くん#前橋銘菓#御手杵の槍#旅がらす#旅がらす本舗清月堂#前橋#前橋市TakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年May月25日am6時01分PDT
この投稿をInstagramで見る結城市スタンプラリー。多くの刀剣女子が来場した。#結城家#結城松平家#御手杵くん#御手杵#御手杵スタンプラリーTakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年May月25日am5時25分PDT
この投稿をInstagramで見る結城市の健田須賀神社にて御手杵の法要が行われた。前橋代表として、結城松平家の御当主とともに同席した。五振りが一堂に会するのは最初で最後であろう。本日は御手杵が1945年5月25日の東京大空襲で焼失してしまった命日。御手杵は無くなってしまったがこのように関係都市と交流が出来ることは素晴らしい。今後がますます楽しみである。御手杵をこんなに近くで見られることに感動した。#前橋市御手杵#御手杵サミット#健田須賀神社#結城市#結城家#松平家#結城松平家
この投稿をInstagramで見る御手杵サミット出席のため、結城松平家の本拠地、茨城県結城市へ。バスを借りて行って来た。前橋市も頑張らなくては。勉強になることが多くあった。#前橋市#結城市#結城家#結城松平家#前橋#御手杵#御手杵の槍TakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年May月25日am4時49分PDT
この投稿をInstagramで見る結城松平家の家紋「五三桐」家紋は最近人気がある。七五三や新築祝いに贈ったり贈られたり。節目に家のことを考えるのは非常に良いこと。これは銅板にメッキを施した完全オーダーメイド。銅板の屋根材の製造メーカーがつくった。屋根に家紋を入れる方も少なくなったのでインテリアになるものを開発したという。額にも入っているので汚れにくい。家宝として家に置くのも良いかもしれない。#家紋#家紋デザイン#家紋継承#五三桐#五三桐紋#五三桐家紋#銅#結城松平家#松平家
こんにちは。こちらは、群馬県前橋市、結城松平家「家宝」、御手杵研究所!今日は、この話題。結城松平家の家宝で天下の名槍「御手杵の槍」の縮小レプリカの続編。カタチが本物に近づいてきた。フォルムがスリムになり、毛並みも熊毛っぽいものを探して作成。レベルアップした御手杵くん。キーホルダーには少々デカイか。小さな軽いダンベルのよう。今後が楽しみである。結城松平家の家宝「御手杵の槍」縮小レプリカ試作2全長約16㎝、幅約5㎝、重量約30g
こんにちは。こちらは、群馬県前橋市や結城松平家の失われた歴史文化を掘り起こす、御手杵歴史文化研究所!今日は、この話題!天下の名槍「御手杵の槍」1945年5月25日の東京大空襲で淀橋柏木の松平伯爵邸において焼失。松平大和守家、結城松平家の家宝であった御手杵の本物は残念ながら見ることはできない。しかし、ゆかりの各地で御手杵の復活プロジェクトが立ち上がり復元された。今年の5月25日に結城市において「御手杵サミット」が開催される。前橋、東松山、川越からも参加予定。それに先立ち、試作で御手杵の
ViewthispostonInstagram会社の桑の葉が大きく立派になった。桑の種類はわからないけれど、昔からこの辺りで栽培していたものかと思われる。種類のわかる方は、お知らせください。群馬の品種であるとは思うのだが。#群馬#桑名#桑の葉#前橋#養蚕#お蚕#養蚕業#養蚕農家TakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年May月13日am3時57分PDT
ViewthispostonInstagram御朱印堀がある孝顕寺現在、本堂を改築中。休み返上で工事をしていた。山門は結城市指定文化財。結城市内には30以上の寺がいまでも残る。古い町割りがいまでも残り、行き止まりやクランクが多く、軍事的役割を色濃く残す。#結城#結城市#町割り#天女山#孝顕寺#御朱印堀#結城松平家TakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年May月3日pm1時13分PDT
ViewthispostonInstagram結城市の御朱印堀今は森のように見えるが真ん中はくぼみ、周囲より土地が低い。徳川家康の次男結城秀康が新しく城下町をつくる際、西側に御朱印堀を設けた。いまでも数ヶ所で残る。街を歩けば貴重なものばかり。結城市の歴史の深さを感じる#結城#結城市#御朱印堀#孝顕寺#結城秀康#結城百選TakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年May月3日pm1時01分PDT
ViewthispostonInstagram前橋東照宮にお詣り今日は令和元年最初の日。御朱印をもらいにいざ前橋東照宮へ。何度かいただいているがまた御朱印を書いてもらう。墨の香りが何ともいい。平成最後の日であった昨日と今日は非常に参拝客も多く、御朱印も非常に多く出たそうだ。#前橋#前橋市#東照宮#前橋東照宮#前橋公園#御手杵#御手杵の槍#松平大和守#松平大和守家#結城松平家#結城家#結城井田ヒロトTakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェ
ViewthispostonInstagramTakeharuNiwanoさん(@niwano_i)がシェアした投稿-2019年Apr月20日pm5時57分PDT
ViewthispostonInstagram前橋や松平家に関連することを中心に「結城松平家と歴史散歩」という題で今日はお話させていただいた。聴講者は、前橋市民学芸員をされた方々だったので非常に熱心だった。ご近所の話であっても知らないことはある。歴史都市まえばしに向かって少しずつでも前進し、歴史を掘り起こしをしたい。みんなが集まれば情報が集まり、知らない知られていない歴史がまた表に出てくるだろう。#前橋#前橋市#歴史散歩#歴史都市#松平大和守家#結城松平家#松平家#歴史講
こんにちは。こちらは、群馬県前橋市、結城松平家「家宝」、御手杵研究所!今日は、この話題!前橋松平家は、別名、結城松平家という。それは、なぜか?曹洞宗孝顕寺結城市の天女山孝顕寺徳川家康の次男に秀康がいる。彼は、豊臣家に養子に出された後、関東の名門、結城晴朝の養子となり、結城秀康と名乗る。結城が本拠地であったが、関ヶ原の戦い後、越前北ノ庄に67万石で入封する。当初は、結城と名乗っていたが、秀康死後、嫡男忠直はあっさりと松平に戻してしまう。結城晴朝は、衝撃を受け、鎌倉時代からの家名