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退院して3週間。備忘録として、今はこんな感じ!7時半起床・22時半就寝週に2〜3回外出1日おきのシャワー歯磨き(口は開かない&うがいなし)は週に何回か排泄はトイレに誘導してから、オムツに出す(時々もう出てる)3食経鼻栄養咳のチックがひどくなったり、靴下の履き直しが止まらなかったり、狭い玄関前でずっと行ったり来たり‥日が経つにつれ、いろいろ症状が出てきて、お昼にチャレンジする飲食も、退院後まだ一度も‥‥経鼻栄養のメイバランスは、イチゴ味にココア味、バナナ味、などいろいろあって、
強迫症状は変わらずですが、あんなに苦労した後ろ重心の歩きが、最近すっかり出なくなりましたよかった外出しやすくなったので、退院前に、お花見がてら井の頭公園へ行ってきました。桜の時期にボートに乗るのが好きです夫は、境い目強迫で息子が乗り込むことができないのでは‥?と心配してましたが、日常の生活面じゃないので大丈夫だと思えました。先に夫が乗り込み、次は息子の番。やはりためらうことなく、ぐらん、と傾く不安定な床も楽しみつつ乗り込み成功息子はハンドル操作担当で、進む方向がうまくいった時には大
入院から1年が過ぎました。「このまま続けても退院するタイミングがなかなかこないような気がします。また入院になっても、入退院を繰り返しながらそのたびに少しずつよくなっていくものなので、ここで一度退院してみますか?」主治医の言葉に、退院の方向に進むことにしました。新年度のこの時期は病棟の子たちがごっそりいなくなるそうで、そういった時期に毎回取り残されていた古株の息子もついに、その流れにのることに。よくなっての退院ではなく、一旦退院してみる、という形なので、ヤッター!という喜びより、さぁこれ
ゴールデンウィークの検査入院の後、6月中旬に肝移植が決まった若葉🌱体重は4㌔ちょっと💦肝移植までに7㌔欲しいと言われる😅効率的に栄養を摂れるMCTミルクを紹介される🍼このミルク、高い😱美味しくない😱普通に売ってない😱💦病院の紹介でなんとか手に入れた感じ😔この頃には腹水がお腹を圧迫するので、ミルクも薬も飲みたがらない😢寝返りを打とうともしたけど、それすらしなくなっていた苦しい時に片足を叩きつけるの😡それが唯一の感情表現😖頑張った甲斐あって、体重は5.5キロくらいまで伸びた✨で
はーぁボケボケなるまえに判断力鈍った時用に色々書いておくの必要だと痛感するがそれをあづけていたとしても感情だけで突っ走り口だしまくり邪魔しまくりなやろーが絶対いるんだなてことも実感殺生与奪に関わるもの決断してサインするのもきついねぇしかもアホオヤジは一切の書類ないしね😮💨😮💨昨年も色々代理サインしたけどここ1ヶ月ちょいその比ではないわきっつい書類のやま😮💨命直結レベルばっかりよねしかし入院時に宗教
息子は今週も食べることはできなかったけど、スパゲッティの粉チーズを少しだけつまんでペロッができました食べれなかったら経鼻栄養できるの助かる〜!と思う反面、鼻管とさよならする日はいつ来るのかな‥なんて思ったり。相変わらず食事チャレンジの時に高確率でウトウトしちゃうし、電車では短い間に立ちながら寝ちゃうことも。主治医によると眠くなる副作用は強くないみたいですが、変えた薬の影響としか思えず、少しずつ減らしてもらうことに。そして、飲食面不調の波に乗ってやってきたのは・・・久々、咳払いのチック。
入院中に暇で色々考え事をしてしまうと思います。私は闘病という言葉で考えました。闘うというにはあまりに受け身でベッドで寝てるだけ。そこで、しっかり食べて体力をつけることも闘病だと思った次第。で、がんばったわけですが、どうにもこうにも、抗がん剤の2回目辺りで全く食べられなくなりました。車椅子に乗せられて、放射線を受けに行く始末。経鼻栄養で、直ぐに復活しました。無理に頑張ったばっかりに、周りに迷惑かけました。今思えば、食べることよりも、
歯磨きしようにも開かない息子の口。看護師さんもお手上げで、前歯は黄色く、歯垢にケチャップなどの色素がついたまま歯石となり、ところどころオレンジ色だったりしていました。そんな悲惨な状態だった歯が、院内の歯科で口が開けられて、クリーニングできたという報告がありました5ヶ月間歯磨きしておらず、歯石と歯垢はすごかったものの、今回も奇跡的に虫歯はなかったようです経鼻栄養がほとんどで、口から食べる機会が少ないからなのかな??白い歯がのぞく笑顔が嬉しい〜病院に戻る日、寝起きから出発直前まで機嫌よか
「延命措置」を希望するかどうか?希望するならどこまでを?など、高齢者が入院するにあたり、必ず確認される項目。介護施設入居に際してもはじめにとり交わされる項目。私もそうだったように、多くの人が「延命措置は希望しない」を選択する時代。それは、・心肺が動いているけど、意識がない時・末期ガンや難治性疾患で激しい痛みを伴い苦しんでいる時を想定していると思う。あくまで素人目にも「死なせてあげたほうが本人のため」と感じるときは迷わず「延命措置を希望しません、早く(本人を)楽にさせて
手帳の申請をしに児童相談センターに行ってきました。発達検査は、4年ぶりです。当時も悩んでいたけど、4年前の方が今よりいろんなこと、できてたな‥前回同様、話す項目は場面緘黙で声が出ず、やる項目はやり始めの強迫が発動私がいたら変わるかも?とのことで、途中で呼ばれ、少しの間同席させてもらえました。始めるまでに長い時間かかり、始められたあとも、積み木ひとつ手に取るごとにタイミング合わせをしていました検査官の代わりに私が「これは何かな?」と質問するという配慮をしてもらえましたが、答えることはで
看護師さんがいる日ということで、今週は教育センターに行けることに。スムーズに出発できた初日と違い時間がかかり、玄関の境い目超えを介助しました。直後の階段は自分で降りられましたが、その後の歩みは重心後ろで、背中を押す形で並んで歩きました。駅に着いたら3駅乗って、そこからまたしばらく歩きます。「今何時かなっ?」と私がスマホを見れば一緒に覗き込み、ギリギリだと知るとグーにした両手を震わせて、急がなきゃo(ꏿ﹏ꏿ;)oのポーズが可愛いそんな急ぎたい気持ちと裏腹に、その後も重心は後ろな
見に来て下さってありがとうございます前回の記事の続きです。『父の延命治療とリハビリと、要介護5になった母のこと。』見に来て下さってありがとうございます特養にいる父と母のお話です。父は特養入所中に腸捻転になり、普通より腸が長く腸捻転になりやすい体質らしくて在宅介護の時にもな…ameblo.jp腸捻転で入院からの入院中のコロナ感染でゼリー食も飲み込めなくなった父。今後リハビリの出来る病院に転院し、リハビリをしても口から飲食が出来ないままなら、中心静脈栄養をやめて特養へ戻り看取り
続けています、3泊4日の外泊訓練。昼食チャレンジは、食べれる日もあれば、全く何も食べれない日も。豪華だったりして食べたい気持ちが強迫を上回ると夕飯も少し食べれたりしますカニやローストビーフなんかは早めに食べ始められたけど、我が家毎回ごちそうはとても用意できぬゆえ〜予約していた教育センターは、鼻管が抜けた時のために看護士さんがいる時じゃないと利用できなくなり、急きょ電話対応に‥スピーカーフォンで、15分のおしゃべり。「病院から家に行くのも家から病院に行くのも大変だよね、疲れちゃったりす
週の半分を家で過ごす生活を始めて2回目。ずっと家に居ず、なるべく予定を作るように病院から言われ、教育センターのプレイセラピーを予約していました。約3年ぶりでしたが、出発時に固まることなく、笑顔ですんなり出発できました!早めに到着し、懐かしい先生とご対面。教育センターに通っていた頃、私がそばにいれば多少声は出せても、息子が直接先生と話したことはありません。通えなくなってから先生とは、電話で接するという形でつながっていました。(日常の質問には答えられず、動画の話題だけ話すことができました)
自宅での2泊3日中、びっくりするほど好調だった息子。ですが、病棟に戻れば、「停滞してます、むしろ外泊前より停滞してます。昨日なんかは1日中ベッドでした」そこで、外泊中は調子がいいならどんどん外泊して、できることを増やした方がいいとのことで、毎週自宅に帰ることに。ま、毎週毎週自宅に帰り3泊し、4日目に病院に戻ることに!調子がよくない中、年末年始で、促されるままやむを得ずするしかなかった外泊なのに‥なんだか先生の術中にはまってるような‥やるなぁ‥先生!翌週の外泊でも食事面は好調で
8月にご飯が食べられなくなり2ヶ月入院その後施設に移動し2ヶ月弱で最期を迎えた89才父口からの栄養がとれないため経鼻栄養をしていたがそれも嫌がりなんとか手の甲から点滴家族としては年内もって欲しいと願っていた最後の2週間は父が一番自然の摂理を受け入れているようだった身体機能の低下体重の減少意識の低下睡眠時間の増加など逆らったり抗ったりしなかった家族よりも父の心理の方が一歩先にいて向き合っているような感じさえした父はエンディングノートを残すような人では
父が入院中に一番嫌がったことはミトンをはめられること8月にご飯が食べられなくなり2ヶ月入院その後施設に移動し2ヶ月弱で最期を迎えた89才父口から栄養が取れなくなったが父も家族も胃瘻は望まなかった経鼻栄養を選んだが父はチューブを外してしまう為ミトンを装着父は拘束を嫌い自由でいたい人本当はチューブもつけたくない人家族はみんな父の性格をよく分かっているなんとか栄養を取ってもらいたくて何とか諭していた苦しい辛いなど何も言わない人だったがこのミトンだけは本当に嫌
食べることは生きること美味しく食べられることが本当に幸せなことだと知った食べることは生きるエネルギーにつながるそしてその逆の意味合いも知った8月にご飯が食べられなくなり2ヶ月入院その後施設に移動し2ヶ月弱で最期を迎えた89才父夏までは普通に自宅で食事をとりおやつも食べていた10月半ばまでは病院内をゆっくり散歩もでき見舞いに行くと会話も出来た入院中は経鼻栄養をしていたもののやはりそれだけでは食事の減少身体機能の低下を防ぐことは出来ない11月に経鼻栄養が出来
選ぶことがとっても難しい息子。前回の面会で、息子はお菓子を選ぶことができましたそれは幼児おなじみ『ねるねるねるね』それを見て即思いました。作るだけで終わるかもしれないな、指で少しでもペロッとできればいいな‥と。病院内の休憩室で、息子は裏面の作り方を読み上げながら、懐かしそうに粉や水を入れて混ぜ混ぜそしてできあがると、混ぜるのに使っていた小さなプラスチックのスプーンをしばらくじーっと見つめていました。そして、なんと、そのまま口へ‥‥ず〜〜っとスプーンが使えず、食べれても指でだった息
菊川市のお茶農家の青野園さんからのお歳暮……‼️ここ何年かいつもいただき、美味しいお茶とともに美味しく口に消えて……‼️口にすることに感謝……‼️弟は、くも膜下出血の後遺症で気管切開で、経鼻栄養…
また移動が難しくなってしまった息子。抵抗するのを抱きかかられてだったり二人ががりでだったりで、つらそうに泣きながら面会室に現れるのが定番に。その日は自力で歩き、こわばった無表情で、重そうな足を必死に前に出そうと、ジリジリと1センチくらいずつ動かして、時間をかけやってきました。そのあと外靴を履かせ、背中に手をあてて前に進ませようとするも、重心が後ろにあり、軽く押すだけでは前に進まないこれじゃ1センチしか進めないわけだ‥まるで入院初期の頃のよう‥でも!体はガリガリじゃないすっかり元に
なるべく無理させたくない私たちですが、先生ったら容赦なくて、年末年始は家に帰ることに年内で退院する子・帰省する子で、病棟に子供たちほとんどいなくなるので寂しいですから、と。それを聞いたとき、お正月を一緒に過ごせる喜びよりも、この絶不調の状態で帰ったら、病院に戻れなくなるのでは?!の不安の方が先でした年末年始の人員不足で、手のかかる息子に手が回らないからかと思えたりして‥病院に戻る日、もし絶叫大暴れで歩けなければ、タクシーで連れて行くしかなく、よぎるのは何度も嘔吐しながら転院した日の記憶
夜中に痛み止めは無しだったけど、お腹痛くて便秘です‼️前回は坐薬やったけど成功したのか失敗したのかイマイチのスッキリ感お腹張って、オシッコしたいのに身体は💩って感じで、痛い思いをしてやっとこさオシッコ、これを2回繰り返して朝を迎える5時には目覚めてけど、うつらうつらして6時30過ぎに起床朝ごはんあまり食欲無し経鼻栄養補助200㎖さぁ浣腸です小学生の頃母にやっもらって『まだよまだよまだよ我慢して』って言われてたのに失敗に終わり笑ながら怒られた思い出が蘇り
食事を、時間が来たら終わりにするために、小さいデジタル時計を持っていきました。前回初めて実行し、終わりにする時間に口元まできてたところだったので延長しましたが、食べれず終わりました。次の面会では、駅のホームにある【はなまるうどん】へ。息子には取り分け椀をのせたトレーを運んでもらいました時計を出し、40分後を二人で確認。「12時20分になって食べてなかったら終わりにしよっか。食べれなくても大丈夫だからね、電車乗って遊びに行こう」と言うと、息子は時計を自分の目の前に持っていきました。
あっと言う間に1ヶ月です😳昨日、お見舞いに行くと、眠りながらお風呂に連れて行かれてました😅ほぼ寝たきりの人達をベッドから移動させて洗って又ベッドへ戻す。大変なお仕事ですね💦ベッドに戻る時も寝たまま。目が開けれなくなってきてるのかな...昨日も寝てたし。嘘寝してるみたいに上まぶたがピクピクと動いてるんですよね。開けたくても開かないのかな。足をポンポンと叩くと目を少し開けるのですが、直ぐに閉じてしまいます。こんな状態で年内持つのだろうか...。経鼻栄養法の同意書の紙は一旦返却さ
毎月の入院費に加えて、面会にかかる交通費、毎回一人二千円がボディーブローのように効いていた半年間。そこへ食事ミッションが始まり、毎回飲食代もかかるように‥電車に乗ってどこか楽しいところへ!と促され、それには費用もかかりますとも‥そして面会が週2回になり、出費も2倍でいよいよ顔面蒼白状態でもなんたって息子に週2回会えるのは嬉しいし、会いたいから頑張るっそんな中、着替えに手こずる息子が面会に現れるまでの待ち時間が、ついに2時間半になりました。朝8時に家を出ても、会えるのは毎回お昼過ぎ。
おはようございます!のう胞摘出手術のあと、今度は風邪をひきました。インフルエンザじゃなくても、最近の風邪って結構熱が出て、体力奪われますね術後の抗生物質を10日分+7日分も飲んでたことで免疫システムおかしくなったのか、風邪の治りが遅いですでも、それと引き換えに腫れが治まって痛みも減り、右腕を使えるようにはなりました!両手で顔が洗えるってサイコー今回の面会は祝日で、医師との面談はない日でした。先に風邪をひき回復していた夫が、この日はひとりで面会へ、私はお留守番朝からいろいろあったら
経過報告では、先週同様、動けず日課に参加できないことが多いとのことでした。看護師さんを引っ張り、目だけで訴えて、わからず立ち去ると泣き出したことがあったり、食べれる量も減っている、と。息子の場合強迫との闘いとなる、トイトレが始まったのが影響してるんだろうな‥でも、強迫に立ち向かうことが治療になり、そのための入院です。立ってする練習は、一旦退室したり、看護師さんがお手本を見せてくれたりしてるようで、頭が下がります〜便座に座る練習は、直接は無理で、便座に置いた手の甲に、おしりを乗せること
食べないからとやめずに出してみるよう言われ、今回も飲食可能な場所へ。持ち込んだジャムパンはニコニコ見てたものの、食べようとはしなくて、「前はタイミングで食べれなかったけど、今もタイミング?」と思い切って聞いてみました。息子は「うん」そして、「YouTube見ようっと!」と言ってその話は打ち切られてしまいましたやはり症状のことは言いたくなさそうてす1番お世話になっている、息子担当の看護師さんはYさんという男性です。息子の心を開くべく、ボケてほしいとお願いして4ヶ月。表情も
食事の量は2割弱で、停滞しているとのことでした。そこで、シャワーや着替えは時間が来たら手伝うようにすることで、食事以外の負担は減らそうということに決まったそうです。先週は、時間が来たら打ち切りの方向だったけど、合わないと判断して、考え直してくれたんだなぁヨカッタ!「運動は楽しそうに参加してて、大縄は2秒くらいですぐ入って跳んで、抜けてってます。たまにひっかかってますけどね」運動中はタイミング強迫が出てないんだなぁ✨ドッチフリスビーでは、拾って近くまで行って投げ、投げたらすぐ後ろに下がる